丸山東壁左岩稜~丸山中央山稜~剱岳

1997年12月26日~1998年1月3日
向畑、小谷、畠中(記)、森広

いよいよこの日がやってきた。黒部丸山東壁から剱、想像もつかない岩と雪の世界に期待よりも少し重い不安をザックに詰めて出発した。

12月26日

まだ真っ暗な信濃大町よりタクシーでゲートへ向かう。途中、ホテルの前で富山県警よりヤマタンを渡された。ヤマタン…この物体を手にいろいろ考えてしまいいまさらにザックが重たくなった。6時10分ゲートを出発。朝日を浴びた扇沢をすぎ、長い長いトンネルをぬけ9時10分ダムの外に出た。快晴である。雪も少なくトレースもばっちりついている。ラッキー。入山初日の重い荷物でペースは上がらないものの13時に左岸稜の基部に着いた。壁を見てもほとんど雪は着いていない。左岸稜の基部にテントをはり、向畑・小谷にてフィックスに向かう。夕暮れせまる16時40分 2Pフィックスして帰幕。

12月27日

今日も快晴である。6時45分にユマーリング開始。今日は向畑さんがリードし、洞穴をこえて大テラスまで行くが、大テラスでは雪がとれないため、真っ暗な中懸垂1Pで洞穴まで戻った。20時だった。快適な洞穴でザコ寝するが、小谷さんは眠れなかったようだ。

12月28日

7時50分にユマーリング開始。大テラスからの1Pを向畑さんが快調にリード。しかし、ここでユマーリング・荷上げ部隊がびっくりするほど手間取り、屋根付き大バンドに着いたのはもう正午であった。今日はここでビバークと決め、向畑・畑中でフィックスに向かう。雪が降る中、チムニーの上まで2Pフィックスした。チムニーの登攀では、チムニーに入らず右側の右上するボルトラダーを登った(ラダーといってもボルトは3つぐらい。あとは垂れ下がった木を人工で。ちなみにこのユマーリングは大変だった)。屋根付き大バンドに戻ると、テントが張ってあった。よくこのスペースで張れたなと関心した。

12月29日

7時50分ユマーリング開始。快晴の中、今日は小谷さんがトップ。雪壁を登り岩小屋へ。そこから東壁ルンゼ側のバンド状を50m左上し、右に回り込んでピナクルへ。ここより1Pで北峰に続くと思われる踏み跡に出た。ここでロープをはずし踏み跡をたどって露岩(八ツ峰六峰のフェース群みたいな)の下に17時幕営。丸山の大岸壁を抜けられてとりあえずほっとした。

12月30日

7時30分に出発し、8時30分北峰に到着。途中5mの岩場でロープを出した。今日は曇りで気温も高い。4人でラッセルを代わりながら黙々と進む。12時40分内蔵助峰着。もうひと頑張りし、15時30分雪が降り始める頃、テントを発見。G登攀クラブのパーティだった。ここまでとし、いかにも気分の悪い斜面を切ってテントを張る。2725m直下か。ああ焼肉が食べたい。(テント設営中にGパーティに鍋いっぱいのミルクティーをいただいた。何というかあまりのおいしさに味を覚えていないが、舌がびっくりしていたことだけは覚えている。)

12月31日

昨晩降った雪が積もり、朝2時頃少し雪崩れてきた。テントが1/3ほど埋まり、あせりにあせって風雪の暗闇の中撤収し、下のハイマツ帯にツエルトを張って逃げ込んだ。さっそく朝食を食べて落ち着く。外は相変わらず天気が悪いので、震えながら回復をまつ。10時頃青空が見えたので出発。Gパーティと交代でラッセル。雪が少ないと聞いていたが意外と多い。Gパーティはここまで3人でラッセルが大変だっただろうなとつくづく思う。富士の折立に直登せずカールをトラバースし、14時内蔵助山荘到着。丸山中央山稜は快適な雪稜で楽しかった。天気が崩れてきたのでここまでとする。ザックを置いて休んでいると、YCCパーティの3人が到着した。半分埋まった小屋から入り口らしきものを見つけ、スコップで掘り出した。広い小屋の中にテントを張り、快適な大晦日となった。年越しジフィーズを食べ、ラジオを聞いていると、早月尾根での遭難事故の報が流れた。両親が心配しているだろうと考えると、なんともいえない気持ちになる。親に心配だけはかけたくないとつくづく思うが、山を続けている限りは無理なことだろうか。今回は一体いつ親を安心させることができるのか。家族のことを思いちょっと切ない夜となる。

1月1日

元旦。ひどい風雪。まずYCCパーティが出発。視界のない中、7時40分にGパーティとともに出発。真砂岳からのルートを間違え、すごいラッセルの雪壁をトラバースし、主稜線にはい上がる。立っているのがやっとのもう訳の分からない状況の中、10時45分に剱御前小屋到着。小屋のわきに雪洞を掘ることにし、かたい雪にスコップを振るい。5時間かけて4人がなんとか横になれるぐらいの雪洞が完成した。今日は行動中ずっと焼肉のことを考えていた。この世に生をうけて21年になろうとしているが、ここまで焼肉のことを深く考え、なによりも求めたのは初めてだった。富山に下りたら焼肉を食べよう、いやヤキニクを食べてやろうと心に誓った。こんなことばかり考えているからだろうか、雪洞の夜は一睡もできなかった。

1月2日

昨日に引き続き天気が悪い。5時から天気回復をまつ。10時頃青空が見えてきたが風が強い。10時30分 3パーティ一緒に出発する。秀峰パーティは自分がバテバテとなり終始ビリを歩く。見事なまでのラッセル泥棒となってしまった。14時30分前剱の登りにさしかかる。G・YCCは、はるか上方をガシガシラッセルしている。あのように強くなりたいと下山してからのトレーニングを誓う。16時頃前剱についた。稜線上での寒い夜となった。明日はどこまでいけるかな、ひょっとしたら富山かななどと考えていた。さて今日は何を食べたかったかというと、それは『すし』である。昨日の夜、向畑さんに富山で何を食べたいか聞いたら。「富山湾といったらなんといっても海の幸。すしでしょう。」と。これには驚いた。自分自身がすしの存在を忘れていたことに驚いた。すしか焼肉か…・入山8日、夢に出てきてもおかしくない。

1月3日

テントから外に出ると、一番に剱岳本峰が目に入った。りりしい色男だ。多くの岳人が憧れるこの冬剱にしばらく見とれていた。前剱からの小ギャップをYCCがフィックス1P、そして懸垂1Pで抜ける。10時45分平蔵のコルに着き小休止。ここから鎖を頼りにカニノヨコバイを登る。事故のためかヘリコプターが2機飛んでいる。G・YCCに大きく遅れて早月の分岐に着き、一人で頂上に続く雪稜をのんびり歩く。風は強いが心地よい。11時15分何もない快晴の頂上に着いた。360度の大展望だ。遠くに丸山が見える。11時30分秀峰パーティ4人がそろってかたい握手を交わす。とても気持ちが良い。入山9日目にして剱の頂上に立つことができた。出来すぎである。思えばここまでたくさんのヘマをした。力のない自分を向畑さん、小谷さん、森広さんが何も言わずに引っ張ってきてくれて、冬の剱に立つことができた。とても良い経験ができた。今回は毎日が楽しく、これからもこのような山登りができたらと思う。何年先になるか分からないが、次は自分がリードして登りたい。このような思いを胸に、そして富山での宴に思いを馳せ、慎重に長い長い早月尾根を下った。(早月小屋14時50分、馬場島17時30分)

 

 

コメントを残す