1999年7月24日~8月6日
中嶋(記)
7月24日(土)成田~ジュネーブ
7月25日(日)ジュネーブ~シャモニ
7月26日(月)ミディ南壁 レビュファルート
7月27日(火)ミディ~モンブラン(4808m) 往復
7月28日(水)ミディ~シャモニ
7月29日(木)休養日
7月30日(金)Chapel de la Griere (赤い針峰群)
7月31日(土)Col de Balme
8月1日(日)休養日
8月2日(月)Col de Montets
8月3日(火)トリノ小屋
8月4日(水)ダン デュ ジュアン(4013m)
8月5日(木)休養日
8月6日(金)シャモニ~ジュネーヴ~成田
<出発>
成田~ブリュッセル~ジュネーブ~シャモニ
7月24日(土)
成田からブリュッセルの12時間はあっという間だった。
隣の席のちいさな女学生に話しかけようかどうか考えているうちについてしまった。
彼女は獨協大ドイツ語学科の3年生で、これから単身1ヶ月間の語学留学にいく途中だという。
ブリュッセルでは乗り換えだけだから入国ゲートを通る必要はないのだけど、彼女は間違えて入国ゲートをくぐって即再度出国という面白い事をやっていたのでそれをきっかけに話がはじまった。
飛行機のなかではほとんど寝っぱなしだったので話しかけられなかったが、ブリュッセルでの乗り換え待ち時間はのんびり話をした。
なかなかかわいい娘だった気がする。
ジュネーブ行きの飛行機からはこれから登りまくるモンブラン山群がよく見え、一人で興奮してしまった。
ブリュッセルまでは日本人が多かったが、この便からはもう日本人はいないのでようやく海外に来ている実感というか頼りなさが出てきた。
ジュネーブの町の中心に出て寝床を探すが、思っていたより人がたくさんいていい場所がない。
遅くまで駅の近くは黒人さんがたくさんいて少し恐いので、川っぺりの公園までとりあえずやってきた。
公園のベンチはよく眠れるかどうかは別として、とりあえずトラブルは避けられそうに思えた。
たまに花火が上がったりするのは、この日が祭か何かだからだろうか?12時近くになっても人通りがまったく絶えない。
夜景を眺めていたがいい加減眠くなってきたのでシュラフ(注:寝袋)に潜った。
7月25日(日)
当然朝は早めに目が覚めてしまい、6:00に起きてしまった。
朝は意外と寒い。
人通りが増える前にシュラフをたたんで散歩に出かけた。
川の対岸を重点的に散歩して写真もたくさん撮った。
どこの角を曲がっても予想できなかった景色が現れるので思わすシヤッターを切ってしまう。
写真だけ見てもこの気持ちは伝わらないのだろうな
マクドナルドではバリューセットがなんと10SF(800円以上)! 日本より物価の高い国は初めてだったのでかなり躊躇したが、空腹には勝てなかった。
普通の国鉄でレマン湖の上を通ってマルティーニまで。
ここで乗り換えないで終点まで行ってしまうとイタリアのミラノに着くらしい。
マルティーニでは高いけどおいしい昼食を食べて、登山電車に乗り換えてシャモニまで。
<いよいよ登攀開始>
ミディ南壁 レビュファルート
7月26日(月)
ロープウェーは往復約4000円、高いだけあってやはりすごい。
ときどき大きく揺れるたびに子供達が騒ぐのがとてもかわいらしい。
ミディの駅では、sortie(注:フランス語選択の人は知っています。出口の意)の表示にしたがって行くとおもむろに氷のトンネルになり、それを抜けると雪のナイフリッジがはじまっている。
早速準備をして、右下の方にテント村が見えたのでそれを目指して下っていく。
気が付くと右上の方に写真で何回も眺めたミディ針峰の南壁があった。
何パーティかがすでに登っていて大きさが分かったが、思っていたよりも小さかった。
この日実際に登ってみると結構大きかったが。
<一応ヨーロッパの最高峰>
ミディ~モンブラン(4808m) 往復
7月27日(火)
ミディのコル(注:テントを張った所の地名、コルは峠の意。
この夜-10度より下がった)での夜はとても寒くて、0時すぎからはほとんど眠れなかった。
2:00頃に外を見ると最初に越える山の上のほうまでヘッドランプの明かりが見える。
あまり出遅れるのも嫌なので4:00には出発。
5時間ほどひたすら登ってようやくモンブランが見えるのだが、ここからがやはり、見えているだけにつらい。
モンブラン頂上11:40。
ここより高いところが無くなったので頂上であることは間違いない。
遅めの時刻だったためか意外と人は少なくて、いる間で6、7人くらい。
周囲の山と比べてダントツに高いので気分がいい。
はじめてみるイタリアもなかなか。
南風とともに天候が徐々に悪化しているので、あまりのんびりしないで下降に入る。
来た道を帰るだけなのだが、頂上を踏んで集中力が切れているだけにつらい。
雲行きはどんどん怪しくなっていく。
行きに通過したクレバス(注:氷河のでっかい割れ目)はさらに悪くなっているし、セラック(注:氷塔)も何カ所か崩壊していて来た道を塞いでいる。
こっちからのルートが一般ルートでない事が良く分かった。
バテバテになってミディのコルに戻ったのは夕方6:00近かった。
7:00位から雷雨になり、みぞれから雪に変わっていった。
雷はすぐ近くに一晩中落ちていた。
この夜少なくとも20cmは積もった。
テントは昔の夏用のものでフライ無し、シュラフは夏用のごく薄いものだったので、真夏のわりにはなかなか厳しい夜だった。
<町に戻る>
7月28日(水)
雪が止んだのを見計らってミディの駅へ戻る。
最後の登りがきつかったが、展望台から少年が「ボンジュール!」
と叫んでくれるので立ち休んでいるわけにもいかず、必要以上に頑張ってしまった。
トンネルにはいる前に少年は「Au revoir!」と言ってくれたのでこちらも「Au revoir!」、単なる挨拶とはいえ嬉しいものだ。
ミディの駅では文化の象徴カフェをシルブプレした。
観光客が殆どいないのはほっとした。
こんな悪天の日でも来ているのは、日本人をはじめとするフランス人以外の観光客がほとんどだ。
下におりたらわき目もふらずにアパートに行った。
<休養日、町での生活>
7月29日(木)
洗濯と道具干しをしてから、町に水着を買いにいく。
サイズの表記がまったく分からないので、水着コーナーに店のお兄ちゃんを連れていって、おなかを見せてジャストサイズのものをゲットした。(約1000円)
昼過ぎからプールに行った。
まず、更衣室が男女に分かれていない。
ここが第一関門で迷ってしまうところだ。
次にロッカー、これも日本にない仕組みで、その場でロッカー番号と、自分で考えた暗証番号(4桁)を暗記しなければならない。
無難に誕生日を入力した。
ようやくプールに入るが真面目に泳いでいる人はまずいなくて、飛び込みを楽しんだり寝そべって日焼けをするのが正しい利用法らしい。
ウォータースライダーが結構面白いのと、飛び込み用のプールがあるので真面目に飛び込んでしまった。
顔だけ妙に日焼けしてた上に一人で子供にまざってはしゃいでいたので、変なジャポネと言われていたと思う。
プールの後はアイスがうまい。
そのあと隣村のプラにあるボルダー(注:3~4mを越えないくらいの大きさの岩のことで、ロープを使わずに登って遊ぶ)に行く。
この日は結構人が来ていて、面白い課題を言葉の通じないボルダー友達とたくさん登ることが出来た。
シャモニで一番気に入った場所だ。
トポ(注:ルート図)があることも分かったので、帰りがけに山道具屋で買った。
フランス人に、Col de Montetsのボルダーもお勧めされた。
7月30日(金)
日帰りの岩登り
Chapel de la Griere (赤い針峰群)
アプローチのリフトが大胆で結構面白かった。
小さめの日本人には結構恐い。
帰りはリフトが止まっていて焦ったが、客がたまるまで待つものらしい。
おおらかだ。
この辺は片麻岩なので岩がきたない。
けっして快適なクライミングとは言いがたい。
やはり登るなら花崗岩の方がきれいだ。
7月31日(土)
ハイキング
Col de Balme
バスに乗って少し遠くへいくだけで色々新鮮に見えてくる。
バルム峠付近は日本の山を思い出させるようななだらかさ、広々としていて景色がよい。
写真におさまりきらないので伝えようがない。
牛がたくさんいた。
少し遠回りしてちょっとした頂上でお弁当を食べて帰った。
<ボルダーにはまる>
8月1日(日)
休養日
夜に雨が降ったのでどこもしっとりとしていた。
お気に入りのプラのボルダーは濡れているとは思うが、ボルダー好きとしてはじっとしてはいられない。
林の中の気持ちの良い散歩道を歩いて30分くらい。
当然人はいないのでのんびりボルダーを味わうことにする。
向かって一番右端カンテラインが陽があたって乾き始めていたのでトライすることにする。
高さもあって一人でやるにはなかなかの課題だ。
前回さわったときより大分さえないムーブ(注:登るときの一手一手の動きのこと)だったが、かなりびびったあげく何とか登ることができた。
ちょうどその頃フランス人のボルダラーがやってきた。
彼はとても親切であれこれと課題やムーブを教えてくれた。
おかげで痺れるようないい課題を登ることができた。
彼には写真をたくさん撮ってもらったのだが、私の持っていたカメラに妹のプリクラ写真(友達と二人ではなをほじっている)が貼ってあったのでけっこううけていた。
妹もフランス人を苦もなく笑かすとは、やるものだと見直してしまった。
彼も帰ってしまい小腹も減ってきたので、散歩道をキャンプ場まで戻って、ご飯を食べてからプールに行った。
8月2日(月)
Col de Montets
ボルダーハイキングの日、バスに乗ってスイス国境の終点駅まで。
プラのボルダーで知り合ったアメリカ人がここの情報を教えてくれた。
資料館のマーモット(注:でかいネズミみたいな奴、アルプスを代表する小動物)の剥製はけっこうでかかった。
日本のガイドブックなどには載っていないけどけっこう良いところで、自然散策路みたいのがある。
10分も歩けばボルダーエリア。
意外と人が多くて賑わっているが根性入れてやっている人はほとんどいなくて、お弁当を食べにきたついでという感じ。
のんびりした良い一日だった。
<トリノ小屋に泊まる>
(今ツアー中、唯一のイタリア体験)
8月3日(火)
翌日の登攀にそなえ、この日のうちに山小屋まで入ることになった。
トリノ小屋に入っていってまずチェックイン、予約はあるかと聞かれ桜井さんが「無い」
と答えると、受け付けのお兄ちゃんは「No problem!」
と軽いノリと大きなアクションで答えてくれた。
払いはリラが基本らしく、当然といえば当然なのだがこれでイタリアを実感した。
フランへの単純な計算式があるらしく紙に書いて一生懸命説明してくれて、出したフランを「ウーノ、ドゥーモ、トゥーレ、カトロ、チンクエ…」
と歌うように一生懸命数えていた。
バーでビールを飲んでいると、さっきのお兄ちゃんを含む従業員らしき人達がとにかくみんな、ひたすら早口(に聞こえる)でしゃべりまくってじゃれたりしている。
これがイタリアかと酔った頭でひそかに感激していた。
トリノ小屋からの景色は素晴らしく、南を見るとモンテ・ビアンコ(モンブランのイタリア語名)やモディとそれらに突き上げるプトレイ稜やブレンバ側稜が見え、北を見れば明日登ろうと思っているダン・デュ・ジュアン(注:巨人の歯という意味、300m位の岩塔)が見える。
でもイタリア側のアオスタの里の風景もとても素敵で、いつかは車で気ままに回ってみたいなあと思いながら、小屋のテラスから随分長い時間眺めていた。
夕食の時間をはっきり聞いていなくて、せいぜい夕方6時くらいだろうと思っていたらなんと8時からだった。
7時半くらいにはかなり良い匂いがしてくるのだが、学食のような食堂では入り口に宿泊客が並んでいるのを気にもせず、食堂のテーブルでまずは従業員が皆で夕食を食べていた。
かといって、並んでいる客がイライラしているかというとまったくそんなことは無く、誰もが楽しそうに一生懸命に会話を楽しんでいた。
ほかにもチェスをやったり山のトポをみて議論していたり、なにしろ一生懸命に自分の事をやって有意義に過ごしている感じなのだ。
待ちに待った食事はとってもおいしくて事実上おかわり自由、従業員との交渉次第でなんでも可能な感じだった。
ワインもおいしかったし、まわりの宿泊客(全員登山者)の様子を見ていても楽しかった。
食事の時間帯は日本とヨーロッパの価値観の違いを一番強く感じた。
<再び登攀に出発>
ダン デュ ジュアン(4013m)
8月4日(水)
4:00に目覚ましが鳴り、トリノ小屋の部屋から外を見るとモンテ・ビアンコが月に照らされてまさに白く輝いていた。
星もきれいに見えていた。
前日にジュアンを登ったという同室のスイス人達も「天気は上々だ」
と言って、まずは朝食をとるために支度をはじめた。
朝の食堂は一番下っ端の少年従業員が眠そうな目で一生懸命給仕をやっている。
まだ新前らしく、何かにつけてオロオロしてるのがかえって好感がもてる。
まだ暗い5:00に小屋を出発。
徐々に空が明るくなっていってまずはモンテ・ビアンコから陽があたりだし、タキュルの岩峰群を照らしてゆく。
ただしこの時、モンテ・ビアンコの向こうには黒い雲が迫ってきていた。
ダン デュ ジュアンの基部までは2.5時間位、岩登り用のフラットソールに履き変え登り出したとたんにガスに包まれ雪も降ってきた。
たまったものではないのだけど、ここで引き返すのもつらいものがあるので気合いを入れて駈け登り、吹雪の中なんとか頂上のマリア様を拝むことができた。
手足の感覚はすぐに無くなるし、風でロープが舞ったりと体は8月のつもりなだけにちょっと厳しく感じた。
晴れていれば最高の景色だったろうに。
小屋に戻ったのが13:00頃、荒天のためロープウェーが動いているか気になる。
小屋のおばちゃんにパートナーがとりあえず「英語はなせるかい?」
と尋ねたところ、片足をイスにかけその上に肘を置いて、自信に満ちた笑みを浮かべながら「NO!」と答えてくれた。
マンガみたいだった。
客のおじちゃんが通訳してくれたが、いろいろ話したあげくよくわからなかった。
しかたが無いのでロープウェーの駅まで行くと、案の定動いていなかった。
整備のお兄ちゃんをつかまえて「シャモニに帰らせてくれ~」と主張しておいて、後はやることもないので駅の茶店でビールを飲んでそこらにある雑誌を見たり、駅をうろうろしたりして暇をつぶした。
2時間くらい待ってようやく動かしてくれて、他にフランス人クライマー2人と我々の計4人のためにすべてのゴンドラが動きはじめた。
風が強くてゴンドラがえらい揺れてなかなか怖かった。
シャモニの町での夕食はお店で食べて、ミートフォンデュ、スパゲティ、ポテトチーズ、サラダ、そしてワインと極めて充実したものとなった。
<帰国の準備・帰国>
8月5日(木)
買い物そして帰国の準備
天気はやたらよかったので朝から洗濯をした。
それから町に出て、フランスのクライミング雑誌(ボルダー特集だった)とTシャツを自分のために買った。
いよいよ帰ると思うと、見慣れてしまった町並みもまた違ったものに見えてくる。
職場のおみやげ用にスイスゴールドチョコ(約200円)を8個買った。
8月6日(金)
帰国
朝8:00シャモニ発のバスに乗って10:00にジュネーブの空港着。
途中スイス国境では検問があって、一人がしょっ引かれていった。
バスから眺める普通のフランスの景色(生活)は名残惜しさをつのらせた。
次に来るときは車できままに里をめぐってみたいと思った。
ジュネーブの町は祭か何かの盛り上がりで、初日に寝たベンチの横は立派な花壇になっていた。
空港ではコーラが4.2SF(約350円)高い!
その他
・航空券はサベナ・ベルギー航空、往復121,500円。
3時のおやつにベルギーワッフルとおにぎりが一緒に出てくる。
飯はまあまあうまい。
・総費用は20万円とちょっと。
自分としては贅沢したほうだと思う。
・ジュネーブでもシャモニでもあちこちに両替機があって、日本円が即現地通貨になる。
最近は日本で作ったキャッシュカードで現地のATMが使えるから便利だ。
・町にいるときはほとんど毎日アイスを食べた。(かなりうまい)
・英語は極力使わずフランス語を使った。あいさつ、買い物等には不自由しなかった。
・飯は外食は高いが、スーパーでの買い物は一部日本よりかなり安い。ワインが一本150円位からあるし、宅配ピザ並に大きなピザが350円位。
乳製品が安いようだった。
<fin>