2001年12月22日から16日間
朱宮(日本山岳会青年部)、三好(記)
12月22日(土)
雪、時々突風 昼頃少し晴れ間
日向山ゲート~扇沢~大沢小屋
16日間分で、歩き出しの重さは二人とも35kg前後か。
扇沢までは除雪された歩道をひたすら歩く。
時々除雪車や関電の乗用車が通過していく。
扇沢からのラッセルはずっと腿から腰程度。
始めは荷物を持ってラッセルしていたが、途中まである林道から離れると雪が段々重くなってきたので、空荷でラッセル、荷物を取りに戻るを繰り返す。
はじめは川の左岸を進むが,途中で橋を渡り右岸を進む。
幾つか堰堤の脇を越えていくが、雪崩れそうな斜面が所々あり緊張する。
風はいっそう強くなり心ばかりが焦るが、一向に進まない。
暗くなりかけた頃にようやく大沢小屋に着いた。
12月23日(日)
朝雪、昼から曇り時々晴れ、夕方快晴
大沢小屋~2200m
寝坊する。
大沢小屋のすぐ裏側の樹林帯の斜面から取り付く。
はじめは尾根の左側の斜面をゆくが、尾根に上がる部分は傾斜が強く、灌木を握りしめ乗り越していく。
尾根上に上がると、腿から腰、傾斜がきついと胸くらいのラッセルが続く。
空荷でラッセルするが、ラッセルよりも荷物を上げるのが大変だった。
朱宮が1996年の正月に屏風尾根を通過した時に比べて(大沢小屋から爺の肩の小屋まで1日で到達)格段に速度が遅く、積雪量がその時の2倍か3倍くらい違うのではないかと思う。
12月24日(月)
8:00くらいまで晴れ、その後雪
2200m~稜線上~赤沢岳頂上~北西尾根2320m
携帯が繋がるので電話してみようかと言うが、朝早いのでやめてしまった。
腿から腰のラッセルが続く。
雪崩危険個所があると聞いていたが、実際には雪質も比較的安定しており不安は感じなかった。
上部は下降する場合に視界がないと尾根をはずしそうなので、赤布を数カ所つける。
稜線上に上がると風が強く、雪は飛ばされていて少ないが、ハイマツに薄く乗った雪に時々足がはまって歩きにくい。
北西尾根は始め傾斜がきつく、露岩が多く見えて怖そうだが、クラストした雪を拾うようにして下れる。
すぐに雪が多くなり、樹林帯が出てくる箇所で幕営。
12月25日(火)
快晴、16:00くらいから曇り始め
2320m~赤沢側に派生する尾根~赤沢出合
下りだが、腿から腰くらいのラッセル。
樹林帯の中で見通しが悪く、派生する尾根に入り込みそうになる。
間違えるとちょっとした登り返しがつらい。
一番わかりにくそうな場所には赤布があった。
赤いヘリがはじめは別山の上空を飛んでいたが、やがて赤沢岳周辺を旋回していたので、私達を捜しているのだろうか、樹林帯の中なので見えないだろう、でも屏風尾根のトレースは確認できるだろうと話しながら下る。
途中傾斜の強いところでは、露岩混じり草付きに雪が乗っているだけで下りにくく、始めはクライムダウンするが時間がかかるため、1935mの後あたりでは懸垂する(30m)。
1791mの後の岩場も1箇所懸垂(5m)。
ここはウサギの足跡を見たら尾根の左側を巻いても行けた。
赤沢に派生する尾根に入ってからはなるべく尾根沿いに懸垂4回で赤沢に付く。
赤沢岳北西尾根は登り返すとなるとルート取りを考えてしまう。
出合の樹林帯の中で幕営。
12月26日(水)
雪、昼頃少し太陽がのぞく
赤沢出合~内蔵助出合~尾根上~1350m
雪崩そうな斜面を避けるようにして、右岸、左岸、右岸伝いに内蔵助出合まで進む。
水量はそれ程多くなく石を伝って行けるので、足は濡れない。
膝から腿のラッセルで、一昨年より少し多いか変わらないか。
ものすごく多いとは感じない。
日程もまだ十分にあり特にここからのエスケープは考えていなかった。
年内中には南尾根を抜けられるだろうと考えていた。
年明けは天候悪化が予想されていたので年内中にここを抜けたいと考えていたし、また十分に抜けられると考えていた。
内蔵助出合から下流は進みにくく、橋を渡ったすぐの斜面から取りつくことにする。
下部の雪壁は塊状の雪塊が堆積した上に新雪の乗った所もあり、気持ちのよいものではない。
急な壁状で薄く雪が載っているだけの箇所では、この重荷で通過できる場所を探すのに左、中央、右と苦労した。
結局右側のブッシュを掴んで強引に登るが、腕がすぐパンプしてつらい。
さらに進んで側壁にぶつかったところで右へトラバースし、尾根上に出る。
尾根上は傾斜の強い岩場に当たるため、ブッシュを伝うように、黒部川側をトラバース後、急な雪壁を直上して尾根に戻る(50m)。
この雪壁は黒部川に直接落ち込んでおり高度感がある。
ナイフリッジを少し進み、岩場の基部で幕営。
雪が多くの水分を含んでいて、体が濡れる。
12月27日(木)
雪、昼頃少し晴れ間(雪は降り続いていた)
1350m~くの字雪原~P6
幕営地が狭く、物を落とさないようにパッキング。
初めは尾根沿いを行くが、すぐに通過が困難な岩稜となり、尾根の左側をひたすらトラバース。
尾根に戻れる場所を探しながら進むがなかなかいいところがない。
やっと適当な場所が見つかって登って行くと、くの字雪原手前で尾根に戻れた。
過去の記録の適当に左にトラバースして尾根へと言うのはこういうことかと妙に納得した。
P6ルンゼには顕著な弱層なく、トラバース後、ルンゼの左側に沿って進む。
尾根に上がる直前は傾斜が強く、草付きも出てくるので荷物を上げるためにロープを出す。
先行した朱宮は二段岩壁手前まで偵察。
雪の水分で、全身がずぶぬれとなった。
12月28日(金)
雪。
P6~二段岩壁取付~1800m
ハーネスもヤッケもバリバリに凍る。
緩い雪稜から一箇所の懸垂、傾斜の強いブッシュ帯を進むと二段岩壁に着く。
1P目はブッシュを掴んで急な凹状を直上右後、傾斜の緩いスラブ。
2P目は直上後、右上してハングに挟まれた傾斜の強い凹角に入り、細いナイフリッジに乗り上げる。
左上にもピンが見えるが敗退用らしい。
荷物がまだまだ重く、また、一つユマールを紛失してしまったのもあって、傾斜の強い箇所での背負っての荷上げに時間がかかる。
インクノットもがちがちに固まってなかなか取れない。
次の岩場の基部で幕営。
今日木下君たちが入山の筈だが無線は何も入らなかった。
多分入山しなかっただろう。
進み具合、今後の天候を考えると気が重くなる。
12月29日(土)
快晴
1800m~ピナクル群終了~P5~P4~1780m
さらにハーネスが凍って履けず、溶かすのが大変だ。
テントの中でハーネスを履くようにしよう。
3段あるピナクルでは左から回って直上後、下降し、トラバースに入る。
このトラバースの雪質がふかふかで悪い。
P5ルンゼは右端を樹木伝いに進んで、ハングの下を左にトラバースし、樹木の間を直上する(70m)。
快晴のため、雪がくさってきて足に張り付き歩きにくいが、日陰に入った途端に雪がさらさらとなり、今度は固めて歩くのに時間がかかる。
時々ハング上の木々の上に堆積した雪が溶けて落ち、ルンゼを他の雪塊を従えて落ちていって、少々緊張する。
次のハングは右にトラバースし、P5の肩に出る。
P4まで進むが、荒天に備えて戻って雪洞を掘る。
選んだ場所が悪く、半雪洞となる。
無線は、遠くのインターでのトラック無線しか入らない。
12月30日(日)
風雪。
沈殿。
最初の半雪洞は吹き溜まりとなり、となりに新しい雪洞を掘り、テントを入れる。
食事は半分だけ取る。
快適だが、外の状況がわかりにくい。
無線を色々と合わせてみるが入らない。
南尾根のトラバースの悪さを考えると、戻ることは選択肢の中から消えていた。
また進行状況やルートの不確定性から馬場島へはもう考えていなかった。
この時点では二つの選択肢すなわち真砂尾根経由室堂か、内蔵助谷経由赤沢岳北西尾根を考えていた。
状況から考えて後者の方か。
だが内蔵助谷は今後の積雪を考えると通るのが難しくなる。
真砂尾根とすれば3~4日間程度で行けるかどうか、しかし仮に室堂までその日程で行けたとしてそこから立山駅まではさらに2~3日かかるだろう、もっと予備を持ってくればよかったと後悔した。
12月31日(月)
小雪のち快晴
1780m~P4~大キレット~P2P3のコル
雪が小雪となり、視界もよくなってきた。
一昨日のトレースはなくなり、ラッセルし直しで、ルート取りも変えてP4まで忠実に尾根上の樹林帯を進む。
一昨日通ったP4直下の雪面は幾つか切れ込みが入り、雪崩れそうだった。
2回の懸垂で大キレットに着く。
キレットの位置が上からでは全くわからず、やや右寄りに懸垂したため、最後は40mで急雪壁に着地した。
急雪壁(昔の固定ロープあり)からルンゼ、見事なナイフリッジ。
いつの間にか快晴となる。
次のコルへはナイフリッジを切り崩しながら慎重にクライムダウン。
ザックだけロープをつけて降ろす。
正面の雪壁は頭以上のラッセルとなり、進まない。
後は胸から腰ラッセル。
P2P3へのコルへは最後懸垂で降りる(15m)。
雪庇を避けて風が当たらないようにブロックを積んで幕営。
行動食は残ったら貯めるようにする。
無線入らない。
1月1日(火)
曇りのち風雪
コル~P1~南峰~2315m
頭以上の雪壁を堀って進み(20m)、雪稜へ。
雪庇を避けつつ、尾根上もしくは尾根の左側を進む。
大タテガビン第一尾根はとても行けそうに見えない。
P2は懸垂15m。
岩稜帯を左から巻き、ブッシュを強引に掴んで登り、ちょっとした岩場の直登をする。
あとはただただ腿から腰までのラッセルを繰り返す。
見えるコルから少し進んで風が弱い所で幕営。
疲れが溜まっているのか思ったよりも進まない。
必要の無いものはハシゴ谷でデポして軽くするしかない。
それでも進めるだろうか。
やはり、年始の寒気到来は免れない。
雪に捕まってしまった。
相変わらず、無線は入りもしない。
5月だってすぐ近くに居てもほとんど繋がらなかったのだ。
仕方ないんだろうと思う。
1月2日(水)
風雪
2315m~ハシゴ谷乗越
朝テントを出ると、雪煙を上げた後立が見えた。
視界がよいうちに、空荷でハシゴ谷乗越への分岐まで急いでラッセルし、分岐を確認する。
下りでも大体腰くらいのラッセルで、胸まではまって身動きが取れなくなると、セカンドがラッセル交代するを繰り返す。
所々に赤布があり視界は悪くなっても道をはずすことはない。
ハシゴ谷乗越に着いた時点で風が猛烈に強くなり、風雪に備えて雪洞を掘って中にテントを張る。
ダム下山は、この降雪では雪崩の危険が多すぎて停滞して状況を見るしかないと考えた。
一方、真砂尾根から室堂経由立山駅にしてもこの積雪では最終下山日を過ぎてしまうが、雪崩の心配は少なく、じりじりと稜線前までは進めるのではないか。
しかし無線は4日か5日までに入れなければ相当に心配するだろう。
少しでも上に行けば、連絡出来るだろうか。
食い延ばしすれば日程は延ばせる。
連絡が取りたいと思う。
とにかく明日は進んでみて様子を見ようと考えた。
1月3日(木)
風雪
ハシゴ谷乗越~2226m
高層天気図でも猛烈な寒気が入っている。
ただ、気温は低いが、風は弱くなり、真砂尾根に出発することにする。
全然固まらない雪質で、胸から腰ラッセルが続く。
まる一日で進めた距離は標高差200m、ほんのわずかだ。
黒部だからこんなものなんだろうなと思いつつも、進めないのも事実だ。
テントに入った後に三好の足を見ると親指の側面が少し黒くなっていて(感覚はある)、朱宮も手がしびれていると言うし、そもそもこの進行状況では戻って、天候待ち、ダム下山しか選択肢がない。
明日の行動距離も少ないため、食事は半分ずつとする。
無線が通じないかと試そうとしたところで、ラジオで「連絡取れず行方不明」と報道されていて驚く。何が起こったんだろうか。
ひたすら無線を試みるが、受信は出来ても送信は全く通じないようだ。
捜索願いが出てしまっている以上は、とにかく連絡を付けなくてはならない。
翌日は降りるにしても、結局天気待ちすることや無線の通りやすさを考えて、ハシゴ谷乗越までにしようということになる。
連絡がとれたら、昨年の内蔵助谷の雪崩事故、その後にハシゴ谷停滞パーティがピックアップされたことを考えれば、もうヘリのピックアップを待つしか私達には選択肢が残されないんだろう。
これ以上の迷惑をかけないためには、その指示に従うしかないんだろう。
連絡がつかなければ天気の回復と雪の状態を見てダム下山しかない。
1月4日(金)
風雪つよし
2226m~ハシゴ谷乗越
夜中から風が強いのが続いている。
朝も半分だけ食べる。
ラジオから県警が午前3時に出発と流れて、申し訳ない気持ちでやるせない。
朝から無線をずっと続けるが相変わらず受信はあっても送信は通じない。
無線をお腹に入れ、乾いた靴下で出発。
昨日のトレースは全くなく、ラッセルし直し。
さすがに下りなので楽だ。
13:00に無線を入れると、大観峰からという声が入るが、こちらから呼びかけても何も返答なし。
届いていないようだ。
毎時開局とのことなので、とりあえず雪洞探しをする。
ハシゴ谷の雪洞は積雪で埋もれてどこにあるかわからなくなっている。
一昨日よりもかなり下方に雪洞を発見し、整備し直す。
15:00、やっと無線が通じる。
松原さんで、黒四ダムからとのこと。
ハシゴ谷乗越で停滞と連絡。
「すみませんが、すでに緊急体制に入っています、今後はこちらの指示に従ってください」との連絡を受ける。
二人で顔を見合し、了解と答えることしか出来ない。
18:00、食料、燃料、怪我の状態、電池残量を伝えて欲しいとの連絡。
電池(アルカリ)を新しく交換したが、低温のせいかすぐ送信できなくなる。
しかし、受信はできたので、そのまま暖める。
三好の足の親指はすでに水泡になっていて、水泡が潰れないように乾いた靴下に履き替え、象足、シュラフに入る。
食事は、朝食のラーメンとレーション、夕食のジフィーズ等を二人で一食ずつもしくはそれ以下とする。
これくらいは食べないと手足が冷えてくる。
1月5日(土)
風雪、のち風弱くなる
色々考えすぎてなかなか寝付けなかったためか、起きたら7:00を過ぎていて、交信が終わってしまっていた。
雪洞の入り口が埋まっていたので掘り出す。
一時間ごとに開局するが、12:00になってやっと交信できた。
12:00、ヘリが飛んだ時の注意、ハーネスをつけておくこと、物をまとめておくこと、荷物はデポの可能性高いとの連絡。
食事燃料ともに7日分、電池はリチウム4本、三好は両足親指に水泡、朱宮は両手指にしびれと状況を報告する。
無線、電池共に暖めていたが、やはり送信が出来ず、リチウム電池に変えると通話状況自体もよくなったらしい。
結局アルカリ電池は全く使えない。
16:00、明日からの交信は7、12、16時。
毎時開局はしている。
黒部平の捜索隊は撤収、黒四ダムに松原、宗像、木下、上市警察に浅田、櫻井が待機していると連絡。
1月6日(日)
小雪 のち太陽がのぞく
積雪もあまりなかったようで、今日は除雪しないで済んだ。
落ちてきた雪洞の天井だけ削って出す。
7:00、状況がよければ、ヘリが飛ぶかもしれないと連絡、毎時開局することになる。
10:00、太陽がのぞいている。
視界は真砂尾根で2200m上まで、別山は斜面の途中まで見える程度。
尾根までラッセル。
雪がしまってきている。
富山側からのヘリ進入失敗、長野側では東邦航空が準備しているとの連絡。
こんな視界でも動いてくれているのかと驚く。
12:50、ラジオの天気予報で、今日曇り時々雪、明日曇り時々晴れとの予報。
13:30、無線でも明日の天気の連絡が入る。
以降、特に無線連絡入らず。
16:00前後も何か無線に入ったが、聞こえなかったので確認するが、特にないとのこと。
時計の気圧計でも上昇傾向にあり明日はヘリが飛ぶだろう。
しかし、ラジオで篠原さんの事故の報が入り、改めてこんな危険を冒して救助してもらっていいんだろうかと思う。
自分達で下山できなかったか。
いや、これ以上の迷惑はかけられない。
考えて眠れない。
1月7日(月)
晴れ
6:50、ヘリが7:00に飛ぶとの連絡。
一応大まかに出発の準備をしていたが、15分後に到着すると聞いて大慌てでテントをたたみ荷物をまとめる。
稜線上は雪煙が上がっており、上空の風が強そうだ。
回りに何もない所へ出るよう聞いていたので、カンバの木が近い雪洞から離れて立っていると、ヘリから何か言っているが聞こえない。
無線を通じて、ホバリングに備えてテント(雪洞)の近くで伏せるように言っているとの連絡。
7:30頃、風が強いため、燃料消費するまで待機と無線を通じて連絡が入る。
8:00頃、ヘリから一人が降りる。
吊り上げ用のチューブを装着し、一緒にヘリに上げられる。
三好、朱宮の順でピックアップされ、毛布で包まれる。
20分あまりの飛行ののち富山県立中央病院まで運ばれる。
集中治療室で医師の診察を受ける。
朱宮は症状も軽く両手両足の湯煎のみ、三好も湯煎と足の水泡は水を抜いて消毒のみ。
浅田、桜井、瀧島、倉田、朱宮(父)、三好(母)と会う。
県警の方から行動の概要を聞かれる。
また、三好が治療中に、治療の終わった朱宮が報道陣のインタビューに答える。
病院を後にし、防災ヘリセンター事務所、上市警察署、県警本部、黒部観光、関西電力に挨拶に行く。
色々な所で31日下山の計画だったこと、25日にヘリで発見出来なかったこと、無線連絡がなかったこと、雪が多いこと、天候が悪かったことにこだわっているのに驚く。
違和感も大きい。
計画書には予備なしで、実際にかかりそうな日程を書いておいた方がよかったのだろうか。
赤沢岳で連絡すればよかったか。
5月に無線が通じなかったことを再確認しておけばよかったか。
雪が多いのも、天候が悪いのも特に今年がというわけじゃない。
ただ、私達が進めなかっただけだと思っていた。
日数把握が甘かった。
経験が浅かった。
この日は上市鉱泉にて宿泊。
1月8日(月)
曇り
上市警察署へ挨拶後、帰京。