1998年12月29日~1月1日
関、平松、本郷、瀧島(記)
山は恐しい。
今回は気を緩めて山の神が怒り大ハマリ。
おかげで印象深いサバイバル敗退行となってしまった。
12月29日
晴れのち風雪
なんと急行アルプスのグリーン券(4000円)を買って、超快適。
ぐっすり眠って大町まで。
七倉で登山届けを提出して、舟窪小屋目指して、ひたすら登る。
小屋に着いた時は完全な吹雪。
静岡の二人パーティーと一緒。
冬期小屋の中にも雪が舞っていた。
12月30日
風雪
天気予報によると2~3日は天気は回復しそうにない。
残念だが針ノ木岳西尾根は諦めて、サブ計画の蓮華岳までの縦走に目標変更した。
北葛岳の到着の時点で、風雪強い場合は北葛東尾根を下る事を全員で確認した。
(計画書にはエスケープルートに北葛東尾根は入れてなかった。)
七倉岳―北葛岳間は行動できる限界に近いほどの風で左頬を凍傷にやられた。
決めたとおり蓮華岳の縦走を諦めて、北葛東尾根を下ることにする。
ほとんど人の入らない尾根のため、樹林帯のラッセルは覚悟していたが、4人パーティーなので比較的楽に下山できると考えていた。
東尾根に入ると、強風から開放されてルンルン気分で下り2250m付近で泊まる。
現在地の入念な確認もせず宴会に突入。
ガスを贅沢に使い、酒、食料を食いまくった。
(この時点で現在位置は既に2000m付近まで下っていると思い込んでいた。)
12月31日
小雪
うまくすれば午前中に下山できると思い出発。
視界はきかずに迷いながらも尾根をはずさずに下る。
1965mから真南に進み、1708mを過ぎて葛温泉目指し下る。1708mと思っていたピークは実はまだ1965mだった。
尾根の薮こぎがきつくなったので左の大白沢に下れば一直線で楽に葛温泉に下れると考え、雪崩れそうな斜面を下る。
間隔を空けて1人ずつ細心の注意を払って下った。
氷瀑を巻き、途中に水流も出てきた。
懸垂、飛び石の徒渉を何回か繰り返した。
とある滝で太郎君は、懸垂下降でどじって釜に落ちてしまう。
夕暮れ前、やばそうな滝の上でビバークを決めた。
この時点で落ち着いて考えて、北葛沢に誘い込まれたことを悟った。
終日の行動で疲れきっていた。
1月1日
小雪のち晴れ
悪いトラバースから懸垂下降、そして水流を目いっぱいジャンプで渡る。
下っても下っても、ゴールの橋は見えてこない。
次のカーブを曲がればきっと橋が見えると思うとことごとく裏切られた。
既に一ノ沢を過ぎていると思った場所は実はさらに上流のニノ沢さえ過ぎていなかった。
2時頃になり、通過不可能のゴルジュに行手をはばまれる。
覚悟を決めて右岸の尾根まで大高巻きをすることにする。
全員疲労が一気に出てきたようだ。
まさに生きるために力を振り絞って、雪面を登った。
登る途中で視界が開けて、正確な現在位置を知る事ができた。
まさに北葛沢に吸い込まれるように下ってしまい、沢を徘徊していたのだ。
思えば何回の懸垂下降、悪い高巻き、ジャンプ一番の徒渉をした事か。
息も絶え絶えで標高差400mを登り1388mの尾根上に出た時は、満月が晧晧と私たちを照らしていた。
ここからは大町の灯も見える。
そして、目指す北葛沢橋にも外灯が灯り、それを目指して一直線に下っていけばよかった。
満月のおかげでヘッドライトもほとんど必要がない。
急な雪面を慎重に下り、最後の最後はトンネルの上から車道へ懸垂で下りて締めくくるという、感動のフィナーレだった。
大町で生還の祝杯をあげた。
尖がった山ばかりが危険なのではない。
のっぺりした山も違った意味で危険なのだ。
2日目に負った顔の凍傷はいまだに消えないが、この凍傷以上に後半2日間のサバイバルはあまりに刺激的だった。
読図にはかなりの自信を持っていたが、それが現在地を誤った原因になってしまった。
山は高かろうが、低かろうが危険なのである。
そんな訳で大変有意義な敗退山行でした。
今年の夏にでも北葛沢を遡行しようと思う。