2001年5月3日から3日間
高橋、一之瀬、瀧島(記)
復活へ向かって
そもそも復活という言葉はもともとが活発だった場合に使うべきだろう。
だから俺の場合は、復活なんてほど立派なものではないけれど、自分を奮い立たせる意味も含んだ上で、あえて復活を使いたいと思う。
思えば去年の夏の大墜落によって被った損害は精神的にも肉体的にもけっして小さくはなかった。
2000年8月6日40歳を目前にして20メートル以上のグランドフォールだった。
原因は恥ずかしくて言えません。
悪運が強いのか足首を剥離骨折しただけで済んだ。
だけどこの剥離骨折が曲者だった。
すぐに治ることを期待したが、神様はそんなに優しくはなかった。
3週間のギブス固定のあと、すぐに歩けると思ったが松葉杖はなかなか手放せなかった。
ほぼ2ヵ月後の10月8日には富士山麓の紅葉台から足和田山に行ったが下りは悲惨だった。
その後11月4日の荒船不動尊からローソク岩の基部往復では4時間の軽い歩行が限界だった。
正月には足和田山や樹海で2回のハイクをした。
その他には高尾山や沼津の香貫山で歩行訓練した。
そして2001年からは西国分寺の地下のクライミングジムへ週2回位づつ通いだしたのだ。
クライミングに関しては全く登れない状態からの復活はめざましかった。
そして3月20日のつづら岩登攀へ。
ジムでのトレーニング成果が存分に発揮されると思ったが太陽の下でのクライミングは地下室のマットの上とは違っていた。
俺の高度感はゼロになっていたのだ。
ビビりにビビってなんと4級プラスでも紐をつかんでしまった。
ショックは大きかった。
でも青空の下、ぽかぽかの景色の良いテラスでビレーしていると、クライミングしているなーと実感できる。
ちっぽけな岩場でもそんな気持ちよさがあるのだ。
4月7日には1泊2日で奥利根の刃物ヶ崎山を目指した。
事故後初めての雪山だ。
雪にさわる前に2時間弱の舗装道路歩きがあった。
俺の足首は、この時点でかなり炎症をおこしていた。
だからその後半日の矢木沢ダムから家の串山までの雪の登りがこの山行の限界だった。
だから翌日のアタックは諦めざるをえなかった。
雪の歩行では思いの外、足首は微妙な動きをすることがわかった。
もちろんテーピングやサポーターなどいろいろ試している。
その後高尾山、金毘羅岩でのフリー、それから多摩源流の一之瀬高原から唐松尾山、笠取山の縦走をした。
歩いた後はアイシングをすることで炎症はかなり治まることがわかった。
それから歩きに欠かせないのが両手ストックだ。
足への負担をかなり軽減できる。
しばらく2本のストックは手放せそうにない。
刃物ヶ崎山での状態を考えると春の連休の剱はすこし無謀なようだ。
三ノ窓でみんなと集中ができればと思っていたがここで無理するのはやめよう。
スケールを少し小さくして、越後の荒沢岳から中の岳を目指すことにした。
越後荒沢岳から丹後山、中の岳縦走
L瀧島、高橋、一之瀬
なぜか山に行く当日はやたらと仕事が忙しい。
久しぶりの山なのに今回もそれは変わっていない。
今回は車ではなく新幹線とタクシーのアプローチだ。
是非とも計画どおりにこなして十字峡へ下山したいものだ。
そんな強い希望をもって出かけた。
ギンギンの気合だ。
5月3日
晴れときどき曇り
越後湯沢で始発の鈍行に乗り換えて小出へ。
車窓から眺める越後の山々の雪はずいぶん少ないようだ。
でも列車の窓から興味をそそる山なみがこんなに良く見えるとは。
新たな発見だ。
たまには列車で山に行くべきだ。
タクシーでシルバーラインの長いトンネルを抜けると一面銀世界だった。
銀山平の積雪は2メートルくらいか。
石抱橋でタクシーを降りた。
荒沢岳への登路は第一候補が坪倉沢の右の尾根、第二候補が坪倉沢と蛇子沢の間の尾根。
もしこの2本の尾根が雪が少なくって大変そうなときは登山道がある前クラ尾根を登ろうと決めていた。
石抱橋から見上げる第2候補の蛇子沢の右の尾根はまあまあ雪がつながっているように見える。
第一候補は坪倉沢を越えるのが大変そうだ。
だから第2候補を登ることに決めた。
取り付きやすいところから尾根に上がると、銀山平のまだ新しいログハウスがマッチ箱ののように並んで立っているのが見える。
ここから見える第1候補の尾根には行かないで正解だった。
尾根上はブッシュだらけだ。
それに比べてこの尾根は一部を除けば快適に登れそうだ。
1256mの少し先までは快適だった。
両手ストックで二人に遅れながらも順調に高度を上げていった。
1256mの先からは尾根が痩せて尾根上はブッシュがすさまじい。
左のルンゼにトラバースしてルンゼを詰めることにする。
ここで初めてアイゼンをつけてストックからピッケルに持ち替えた。
傾斜は急だけど締まった雪をルンゼまでトラバースする。
ルンゼは雪崩の通り道で引っかかっている不安定なブロックに注意しながら全速力で登る。
地形図で見ると標高差は200m以上あるようだ。
ルンゼのどんずまりで3ピッチほどロープを結んで尾根上に抜けた。
1649mで整地してテントを張った。
テントに入るのとほとんど同時に雨が降り始めて結局出発の直前まで降り続いた。
今回は足首がなんとか持ちこたえている。
計画どおり行けるような気がしていた。
石抱橋発 8:05 1649m着 16:00
5月4日
晴れ
1649m発 7:30 荒沢岳 9:35 兎岳 15:30
最近は夜、うなされて寝ながら叫ぶようだ。
定番は蛇に襲われ夢だ。
昨夜も寝ながら叫んだようだ。
パートナーの皆さんごめんなさい。
今回は足を気遣いテントに入ってからテーピングを外すて朝までシップして朝またテーピングで固めるという作業を入念に繰り返した。
春山だとこんな作業も余裕でできる。
雨が上がって元気に出発した。
猿ヶ城からの尾根を合わせる手前で急な斜面にでたがロープを結び合うほどでもない。
この急登を過ぎると荒沢岳の頂上が見えてきた。
いつのまにか快晴になっていた。
兎岳へと続く主稜線に出たところにザックを置いて空身で荒沢岳を目指した。
ここで初めて人のトレースに出会った。
頂上でゆっくりした。
うれしかった。
後は遠くに見える兎岳を目指して稜線を春うららの中散歩すればよかった。
周りにはスキーで滑ったら気持ちよさそうな斜面ばかりだ。
散歩のはずだけどなまりきった体には本当にきつかった。
兎岳の頂上直下でテントを張った。
5月5日
晴れ
兎岳発 6:30 中の岳 9:15 十字峡 13:15
天気は上々、それで気持ちが緩んだのか二つ折りにしたテントフレームを無意識に雪の上に置いて、気づいたら斜面を滑り落ちてしまった。
1本は回収できたが、1本は北ノ又源流へと落ちていってしまった。
要反省。
中の岳はでかい。
コルから快調に高度を稼ぎ頂上では存分に展望を楽しんだ。
後は十字峡へ下るだけだ。
日向山への下りは大斜面をぐんぐん高度をさげる。
日向山で大休止。
下界はもうすぐ下に見える。
だけど一番つらかったのは十字峡がすぐ下に見えて雪が消えてからだった。
雪がない急傾斜の下りは不完全な足首にはつらすぎる。
スピードがいきなり4分の1くらいに落ちた。
二人には先行してもらった。
十字峡の小屋前では二人が待ちくたびれていて、ビールをスタンバッテいてくれた。
足首はまだ不完全だけれど2泊3日、フル稼働になんとか耐えることができた。
半分は嬉しい、あと半分は完全に直るかという不安がある。
足はなんとかするとして、今回の山はなぜか新鮮で、すばらしい時間を過ごすことができた。
高橋君、一之瀬さん本当に楽しい山でした。
ありがとう。