1999年7月31日~8月1日
三好(わらじの仲間)、渕上(わらじの仲間)、瀧島(記)
初めての本格的な水泳登山にわらじの仲間の三好さんが招待してくれました。
場所も初めての河内、下田山塊で気も心もうきうき気分で関越道をひた走りました。
今回は女の中に男が一人という、これも初めてのパーティー編成でした。
三好さんにおんぶにだっこで気楽に連れてってもらいました。
この山塊は北側を河内、南側を下田と呼ぶそうです。
ちなみに下田は“しただ”と発音し、“しもだ”ではありません。
だから伊豆ではありません。
ふもとの村松あたりから眺めるとぱっとしない、ただの山でした。
この山塊に林道や登山道、植林などが少ないのは山ヒルやアブが異常に多いことも関係するのではないでしょうか。
林道の終点の広場に車を置いて出発した。
アプローチの登山道を30分ほどで逢塞沢出合の取水堰堤に着く。
ここまでがこの山域でも有数の山ヒルの生息地だそうだが、ここ数日、雨もなく非常に乾燥していたせいかヒルは渕上さんの足に1匹だけ付いただけだった。
沢に下りるといきなり泳ぎからはじまる。
谷は深く切れこんだゴルジュ状で結局1日中ゴルジュの中にいることになった。
直前に上州屋で980円で買ったライフジャケットはフル出動となる。
泳ぎと言っても水流の遅いトロの泳ぎで長くても20メートルも泳ぐと足がつく。
ルート図を見るとずーとゴルジュで、実際これ以外表現のしようがない。
地図をにらめっこしても特徴的な目的物が乏しい沢で現在位置がわかりにくい。
東京近郊の小さな沢と比べるとスケールはあまりに違うので、感覚的なズレもあったと思う。
天気は快晴で雨の心配はほとんどないので泊まり場があったら泊まればいいやと気楽に進む。
アブは覚悟していったので許容範囲だった。
養蜂業者の人が宙服みたいなカッコで巣箱を開くところをテレビで見かけるけれど、まとわりつくアブの数は養蜂業者にまとわりつくミツバチの3分の1位かなと、へんな憶測をしてしまう。
右岸に泊まり場を見つけて泊まった。
秀峰では考えられないほどのご馳走を頂いた。
私は釣りに出かけるが1匹上げたのみだった。
翌朝は最低の荷物だけをザックひとつに入れて進んだ。
同ルート下降は気が楽だ。
今回の核心部は水流が強く泳ぎでは突破できない淵だった。
最初は泳ぎの突破を試みた三好さんは戦法を変更して右岸の岩を登り出した。
進める所まで進んで、5メートルくらい下の水に飛び込んだ。
僕らはロープにつかまって楽チンで突破した。
しばらく進むと川原の横にみごとな二本杉が立っていた。
これがルート図にある二本杉だ。
ということは昨夜の泊まり場は八匹沢手前のルート図ではまだゴルジュの中だったと言うことだ。
まあこんな事もある。
もう少し進み上久沢を確認して戻ることとした。
下りは泳ぎの部分はぷかぷか浮いて流れに身をあずけていれば良い。
天気も良いのでなんの不安もなかった。
眺めるのと、登るのでは大違い。
下田、河内山塊はそんな山でした。
沢登りの本に篤志家と言う言葉が載っていますが、篤志家はきっとこの辺の山にも通うのでしょう。
今回はヒルはわずか1匹、アブも許容範囲でした。
大群には出会わなかったけれど、覚悟していけば楽しく過ごせる山だと思います。
1日歩いて泊まり場は標高200メートル以下、低いけれど山の中でした。
水辺近くを飛ぶトンボを岩魚がジャンプして食べようとするのを見たのも初めてでした。
東京の気温はおそらく35度位まで上がっていたことでしょう。
そんなくそ暑い夏の1日を涼しく快適に?過ごすことができました。
今後も夏には篤志家に成るべく覚悟を決めて、また伺いたいと思います。
河内、下田の山や沢のみなさんよろしくお願いします。