谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第3スラブ

2002年3月14日
浅野、柴田(記)


今年は滝沢第3スラブが登りたいな、と言うことで浅野さんと意見が一致し3月第2週の週末を予定し、ルートの情報を入手したり(特に3年前に登っている向畑さんのアドバイスは実践的かつ貴重でした)谷川の天気を1週間前くらいから追いかけたりしていた。

期待と不安のうちに迎えた週末ではあったが、急な事情でその週は行けなくなり予定した日曜日は爽やかな青空の下、子供と遊んで過ごした。話を聞くと浅野さんも子守りをしていたようだった。

我々が空振りしたその週に谷川に入ったパーティの報告だと今年は春の訪れが例年より早そうだ。モタモタしていると条例に基づく入山禁止になってしまう可能性もありそれでは悲しすぎる。二人で相談の結果条件の良い平日に仕事を休んで行ってみる事になった。

3月13日(水曜日)

夜東京発。

関越を交代で運転しながら午前1時30分過ぎに駐車場に着。

準備を整え指導センターに計画書を提出の後一ノ倉沢出合に向かう。

駐車場で一緒になったノコ沢に向かうというパーティの話では3スラに単独の人が入っているとの事。

我々を含めて3パーティ、平日でも結構いるもんだと思いながら一ノ倉沢出合から本谷方面を見上げるとはたしてヘッドランプが一つ光っている。

本谷は一ノ倉尾根からのデブリが沢筋を埋めており半月前とはすっかり変わった姿になっている。

東尾根に向かうトレースと一ノ沢で別れ、滝沢下部氷瀑下で先行のソロの人が登っているのに追いつく。

我々もここで登攀準備をしアンザイレン、ヘッデンをつけて柴田リードで発進。

半月前に観察した通り右側は氷瀑が大きく発達し被っているので左側を登る事にする。

雪と氷を混ぜて固めたような壁だがアックスの食い込みは良く登りやすい。

所々で岩が出ておりうっかりアイゼンを蹴り込むと線香花火のような火花が飛ぶ。

右下から左上しその後直上するようなラインを取る。

ほぼ50mいっぱい伸ばして浅野さんにコールをかける頃にはだいぶ明るくなってきた。

次のピッチは浅野さんがリードするが50mでランナー1つ、アンカーポイントも不安定なスタンディングアックスなので「落ちないで登って来てね」とのコールに「了解」の返事をする。

まあ傾斜も緩く、気をつければどうと言う事はない。

見上げるとドームが意外な近さで見える。

以後F4まではロープを引きずりながらの同時登攀。

F4はハングを右に回りこんで2ピッチで抜ける。

F4でビレー中に小規模なチリ雪崩が数度起き、第2スラブとの境界のリッジにスノーシャワーが舞い降りるがしばらくするとおさまった。

前日午後からは好天が続いていると言う事でB~Dルンゼ方面も小規模なのが一発出た以外は静かだ。

F4から上はまたロープを引きずっての同時登攀で進む。

氷を交えた緩い雪壁が続き、容易だが絶対落ちられない。

やがて上部草付帯が近づくが確かにスラブ内よりはこちらの方が傾斜も立っていて危険そうだ。

雪を払い除けて現れた氷にスクリュー3本でアンカーをセットしてセルフを取り浅野さんを迎え、草付帯1P目を浅野さんリード。

正面の大きな露岩を右から回り込んで抜けるが雪は顆粒上で踏み固めてもスタンスが崩れる事が多くなり、結構悪い。

柴田が残りロープの目測を誤りアンカーポイントの選定がやり直しになり迷惑をかける。

2P目は柴田が登るが緩い雪壁でどうと言う事は無い。

それにしてもあれだけ近くに見えたドームがなかなか近づかない。

「無理するな、近くに見えてもドームは遠い、か」と一人ごちるが面白くも何ともない。

ビレーポイントが取れないのでやむなく中指くらいの太さの潅木3本とアックスでセルフを取るがリードの墜落には到底耐えられない事は最初からミエミエ。

3P目浅野さんリード。

傾斜も所々垂直になり多少太めの潅木でランナーは取れるもののアックスも効かずスタンスも崩れるところがありフォローでも緊張した。

ようやくドームが目の前に姿を現す。

4P目はドーム正面までの雪のリッジで傾斜はあるがスタンスがわりと決まるようになり緊張感は少ない。

見下ろすと滝沢リッジが美しいラインでドームまで延びている。

ようやくドームに辿り着きシュルンドの内側で岩壁を背に浅野さんを迎える。

我々はドーム正面の横須賀ルート付近に出たが上部草付帯はあとから人の記録を読むとみんな色々なところを登っていて、また年によって条件も変わるようだ。

ドーム基部で小休止の後Aルンゼへの下降点まで短いトラバース。

確かに余り気持ち良くないがドームに打たれたボルトが使えたので上部草付帯に比べれば精神的には楽。

秋野・中田のレリーフに心の中で合掌し、懸垂下降点からAルンゼを見下ろすと着地点まで結構遠い。

50m一本で足りるか心配になるがまあ最悪はロープをシングルでフィックスすれば帰れるしそもそもダブルでないと届かないと言う記録など読んだ事ないぞ、と浅野さんと話す。

先に降りた浅野さんの「末端が雪面に届いている」の声にほっとするが着地した浅野さんの足下で大きなシュルンドが突然開き浅野さんが落ちかけるのを見て驚く。

表面に積もった雪がシュルンドを隠していたようだ。

幸い懸垂ロープを離す手前だったので大事には至らず。

Aルンゼは北向きである事と新雪が降っていないことで安定していた。

先行した単独の人のトレースが点々と残っている。

向畑さんのアドバイス通り途中から左に折れドームのコルを経由し気持ちの良い雪のリッジを登り国境稜線に抜けた。

浅野さんと握手し、ギアもハーネスもザックに仕舞いこんでオキの耳経由で西黒尾根を下る。

急に重くなったザックと安全地帯に抜けた安心感でヨレるが途中休んでパンを食べ水を飲んだら急に元気が出てきた。実は単なるシャリバテだったのでした。

樹林帯に入り在京の櫻井さん宅の留守電に状況を入れる。

ついでにアイゼンも外すが2年前の片山さんの骨折事故はそういえばこの辺りだったなあと、ふと思い出す。

シリセードで先行する浅野さんに追いつき、腐りかけた雪の上にステップが縦横に踏まれて無茶苦茶になったトレースを一気に下る。ヘッデンになるかと思われたが何とか明るいうちに指導センター着。

【タイム】
指導センター(2:15) → 一ノ倉沢出合(3:05)→ 下部氷瀑取付(4:40) → 上部草付帯(9:30) → ドーム基部(13:15) → オキの耳 (15:15) → 指導センター (17:45)

【主な携行ギア】

・ スクリュー8本(maxでも6本までしか使わず)

・ スノーバー1本(使わず)

・ 50mロープ1本(1本で十分と感じた)

・ エイリアン2本(使わず)

・ シュリンゲ適数(実際に使用したのは上部草付帯で数本程度)

 

足尾 松木沢 ウメコバ沢左岸尾根から皇海山

2002年2月9日から3日間
深沢、三好、瀧島(記)


クライマーに足尾松木沢と言えば、普通はアイスエリアとして思い浮かべるだろう。

私も初めての松木沢は87年の1月に黒沢でのアイスクライミングだった。

その後も数回、松木沢にはアイスに行ったことがあると思う。

89年の9月に初めてアイスではない松木沢を体験した。

宇都宮白峰会の水口君に案内してもらいウメコバ中央岩峰の凹角ルートを登り、余った時間でスーパーフレークの1P目に触った。

この時に松木沢の魅力はアイスだけではないことを知った。

中央岩峰の岩は堅く豪快なムーブを楽しめてアプローチも短い。

おまけに人が少なくいたって静かだ。

うまい、安い、早いは吉野家。

近い、堅い、静かは松木。

吉野家も好きだけど、松木はもっと好きだ。

東京近郊でこれだけのスケールと内容がありながらこんなに静かなのはなぜだろうか?ガイドブックや雑誌にはあまり載らないのが大きな理由だろう。

それだけではなくアイスクライミングで松木沢を訪れたクライマーは荒涼とした風景と、入り口から見えるジャンダルムのいかにももろそうな岩場のおかげで食指がわかないのかもしれない。

その後もウメコバ沢の両側のルートには数回訪れたが、毎回満ちたりた気持ちで帰ってきた。

凹角ルートはお気に入りで5回くらい登っている。

自分にとっての松木沢はお気に入りの岩場なのだ。

気がついたらすでに40歳を過ぎていて自分が今までやみくもに登っていた山とはなんだったのかなと考えていたのだ。

そこでこれからはしばらくの間なんとなく好きな松木沢周辺を四季折々、さまざまな方面から深めて楽しんでみよう。

幸い松木沢は家からも比較的近く、日帰りでも楽しめて今の自分の生活リズムで十分にやれる山域なのだ。

今回の計画はその第1段階のもので中央岩峰からいつも見上げていた岩尾根を辿って、未だ見たことのない皇海山まで行ってみようと考えた。

 

2月9日

快晴

間藤駅でビバークしてからゲートの少し先まで車で入った。

以前は松木川の林道はすぐに崩れるが復旧も早かった。

ウメコバ沢出合まで車で入れたことも何度もあったがここしばらくはゲートを越えてすぐの川原を車で越えることはできない。

これも公共事業削減の影響なのだろうか?ウメコバ出合まで本流に注ぐ沢と岸壁の写真を撮りながら歩いた。

目標のウメコバ沢左岸尾根はオロ山から北に延びるオロ山尾根の1682m台地から一気に高度を下げている。

松木川の広い川原から700m強の標高差がある。

ウメコバ沢は出合の奥にすぐにF1が見えるがそのすぐ右側の岩場は悪そうだ。

出合から本流を80m位進んだあたりの薄い樹林帯から取り付いた。

本流の広い川原からいきなり急登だ。

この尾根の下部は岩が露出しているが岩を避けてグングン高度を上げる。

樹林がほとんどなく風当たりが強いので雪は飛ばされて余り付いていない。

岩の部分は木があってもほとんどが立ち枯れなので支点を作るには頭を使う。

途中1ヵ所念のためにロープを使った。

弱点をついて登っていく。

慣れ親しんだ中央岩峰を見下ろし、対岸にはウメコバ尾根に突き上げるチャンピオン岩稜あたりがゴジラの背のようだ。

振りかえれば松木川の広い河原に注ぐ小足沢が深く切れ込みゴルジュの壮絶さを想像してしまう。

1682m台地に上がるとこの尾根は豹変する。

まるでどこかの高原の雰囲気だ。

木々の間からはじめて見る皇海山も姿を見せた。

ここでワカンをつけた。

あとは歩いてオロ山へ。

ラッセルも苦にはならない。

オロ山を過ぎて、広い尾根を少し南に回りこんで風を避けて幕場とした。

8:30車発、9:20~40ウメコバ沢出合、12:30~13:00 1682台地直下、16:30オロ山泊

 

2月10日

高曇り~晴れ

朝なのに誰も起きずに出発が8時になった。

関東平野を横切る利根川が光っているのが見える。

松木沢には何度も通っているが思えば稜線に立ったのは今回が初めてだ。

東南を見れば関東平野が広がっているけれど北西方面には雪雲が沸いている。

今日の前半の庚申山までは広い尾根を濃い樹林帯を避けながら進む。

時折、赤布もある。

庚申山で銀山平からの登山道に出会った。

ここから先は夏道を進む。

いくつか小さなピークを越えると鋸山の岩峰群に差し掛かった。

2.5万図以外の情報は調べずに来た訳だがここから6Pもロープを使う事になるとは。

鋸山という名前からこの山はかなりギザギザしているのかなと思っていたが、2.5万図を見る限り稜線がそんなに痩せているとは思えなかった。

庚申山あたりから見てもそんなに険しそうには見えない。

1P目懸垂25mでコルへ。

2P目雪壁を左にトラバース40m。

3P目雪壁を直上し小ピークへ50m。

4P目細いリッジを進む。

5P目リッジを進んで梯子を下ってから上り返し。

6P目懸垂20m。

難しくはないが落ちたら止まらない。

新人の深沢君を連れているので迷わずロープを着けた。

支点はすべて潅木が使えるから安心だ。

予想に反して岩峰群の登高を楽しめたのがうれしい。

少し進んで狭いコルを均してテントを張った。

オロ山BP8:00鋸山頂上直下のコル16:45

 

2月11日

晴れ時々曇り

コルからほんの一登りで鋸山の頂上に着いた。

ここまで来てテントを張れば良かったけど後の祭りだ。

南に袈裟丸山と関東平野。

北には皇海山がでかい。

今日も冬型で皇海山は雪雲に隠れたり出たりしてしている。

皇海山までの道は夏道があるもののはっきりはしていない。

等間隔で赤テープがある。

鋸山からの下りはロープを出さないで済んだ。

下り切った鞍部が不動沢のコルで、ここまでは西側の栗原川林道の終点から登り出して2時間くらいで辿り着くそうだ。

100名山ハンターも楽チンだ。

コルからは樹林帯にルートを探しながら皇海山を目指した。

途中、振り返ると鋸山の岩峰群カッコよく見えた。

カメラを出して移そうとしたが突然のトラブルでシャッター落ちない。残念だけど諦めよう。

コルから250mを登ると頂上に着いた。

ここで大休止。

後は下るだけだが下山路は西に伸びる尾根を考えていたが見た感じブッシュがすごそうなので北に伸びる縦走路を下ってから松木川の本流に下ろうと考えた。

もし沢に入ってしまったらそれもOK。「ロープも持ってるし懸垂すればいいや」と気軽に考えていた。

急なブッシュの中をどんどん下った。

左に見える縦走路に戻るのもしんどそうだ。

「はまったら、その時に考えればいいや」という雰囲気で沢を下りる事にした。

これがはまりの始まりだった。

初めの懸垂は40m位で氷のない涸棚だった。

その後も次々と懸垂して20mから30mクラスの適度なアイスが4つ位あった。

最後の涸棚を含めて皇海山を目指すアイスルートとしてもいいかもね。アプローチをいとわない立派な岳人にお勧めです。

滝の数だけ懸垂をした。

やっと傾斜が緩くなり滝も無くなると当然のごとく水が出てくる。

広い河原をラッセルと飛び石の渡渉をワカンを着けたまま何度も繰り返す。

もういいかげんにしてくれと思っていた時にウメコバ沢の出合にやっと辿り着いた。

放心状態でワカンを外そうとするが、凍ったワカンのバンドはこれが外れないんだよ。

何度も谷を下っているけれど、今回は谷を下ったおかげで楽しめたけれど、ルートを探しながら尾根を下るのが順当だったのだろう。

今回も失敗はあったけれど会心の山ができたと思う。

BP7時頃、皇海山10時30分ころ、松木沢ゲート19時頃

思えば18歳の深沢君と年の差は倍以上、20代のみっちょんが加わってくれたから年の差は平準化された。

今後も登っていれば自分の孫と一緒のようなパーティーも結成できるかも。

こんな事を考えるのは早すぎるかもしれないが20年後に是非実現したいものだ。

その時まで体力と気力を持ち続けていたいものだ。

マイナーな山域で自分で思い描いたルートをトレースできたことがうれしい。

 

富士山(馬返し~吉田口ルート)

2002年2月3日
浅野、柴田(記)


湯河原幕岩からいったん待ち合わせの八王子まで戻りそこから浅野号で富士吉田に向かう。

高速の終点手前では富士急ハイランドの恐ろしげなコースター「フジヤマ」がライトを浴びて夜空に浮かんでいる。

岩登りはするがああいうのは恐くて嫌いだ。

浅野さんはどうか、と聞くと「自分もイヤですね。恐いです。」と同類のようである。

中の茶屋でチェーンを着け、馬返し少し手前の空き地で2時間ほど仮眠。1時に起きる。

天気予報によれば南岸低気圧が接近し下り坂だがまあ体力トレーニングとして7、8合目あたりまで行くだけでもいいか、風が強くなってきたらとっとと帰ろっと思いつつ眠い目をこすりながら支度をし2時に出発する。

荷物は軽いが睡眠不足にヘッデンの灯かりもぼんやりかすみ雪まで降り出す始末で低調なプロムナード。

1時間に1回は休憩を要求し、その度にヘタヘタと座り込んで睡眠を補充する。

こういうアプローチを今年は甲斐駒と北岳で2回やったがいずれも浅野さんと一緒だった。

睡眠不足は苦手である。

3時間ほど歩きようやく佐藤小屋に到着。

小屋の人によれば昨日単独の人がひとり登ったのみで今日はいまのところ我々だけとの事。

六角堂で再度睡眠補充の後膝前後のラッセルで登高を続ける。

このあたりでようやく明るくなってきてヘッデンを消す。

6合目を越えるとラッセルは随分浅くなり、かわってクラストした雪面が出てきたのでアイゼンを着ける。

ようやく眠気がとれて頭も平常状態に戻ってきた。

甲斐駒黒戸尾根の5合目状態に相当か。

ずっと小雪で風は比較的穏やか。

ラッセルはスネから膝くらいで大した事はないがなるべくクラストした所を選んで登高を続ける。

9時過ぎに7合目着。

吉田大沢をはさんでガスの向こうに屏風尾根が見える。

浅野さんによるとあそこはロープは出さないがずっと休める所がないとの事で風が吹くととんでもなく恐い所らしい。

7合目以降は乱立する小屋や防砂堰堤を縫ってチンタラと登り続ける。

8合目は上から下までずいぶん幅が有りどこが本当の8合目なのかよくわからん。

9合目から上を仰ぐと雪煙に霞む鳥居が見え、あと少し、と自分を励ましかつだましゆっくりと登り続ける。

浅野さんはタイムリミットを1時と設定したが頂上着はこのペースだと丁度そのくらいか。

このあたりは通常ならブルーアイスの危険地帯のはずだが降り続く雪のため蒼氷は隠れキックステップで簡単に登る事が出来、風も穏やかでいささか拍子抜け。

鳥居手前の最後の斜面は高度の影響かゼーゼー言いながらカメのような歩みでようやく石碑のある頂上に着いた。

時計は1時を数分回った所だった。

ヤレヤレ疲れた。

でも頂上まで来れてよかった。

風に吹かれながらレーションを少々食し子供たち用に頂上の石を数個拾う。

これで少しは尊敬してくれるだろうか。

お鉢巡りの元気も時間も無しで来たルートをそのままスタコラと戻るが降り続く雪のためトレースはかなり不明瞭になっている。

まあ夏道の鎖や建造物がずっと続いているので道迷いの心配は全くない。

不意の事故だけは気を付けようと自分に言い聞かせる。

雪はもう少し多いと雪崩がまじめに心配になる所だがいまのところそこまでの気配はないようだ。

ヨレながら雪を蹴散らし8合目・7合目とゆっくり高度を下げる。

終始元気が良かった浅野さんもここに来て結構ヨレ始めている模様。

佐藤小屋に4時着。

既に閉っているが喉が渇いたので水を作る事としてしばし小休止。

学生っぽい10人以上のパーティが上がってくる。

これから雪訓のため合宿との事。

休んで水を飲んでたら元気が回復した。

雪は依然として降り続いているがここからはトレースも有り黙々と下り続け夕闇迫る5時40分に車止めに到着。

約16時間行動。

これでも北岳の時よりは1時間少ない。

浅野号は50cmほど雪をかぶりダルマ状態になっていた。

車が出せるかどうか少々心配だったがチェーンの威力はたいしたもので無事脱出成功。

コンビニで食料を調達し下山報告した後はベチャ雪の富士吉田を後に中央道で東京を目指した。

 

大谷不動

2002年1月30日から3日間
森広、大滝(記)


1月30日

峰の原スキー場10:10発 快晴 13:30不動尊着 本流へ下見に行く。
17:00テント場着。

1月31日

午前 雪
11:30発 右側壁の氷瀑へ向かう。
13:30取り付き
15:30終了
17:20テント場

2月1日

5:20起床 晴れ
7:00発 不動裏の氷瀑へ向かう。
11:30テント場着
12:00発 15:00峰の原スキー場

 

去年初めて大谷不動に行って虜になってしまった。

今回で2回目だ。

東京から須坂は遠いので、中央道梓川Pで仮眠した。

スキー場の端でスキーシールを外し順調に林道を行く。

去年、森広さんの板がワックス不足で雪が付着して苦労した。

しっかり準備したらしく今回は問題ない。

わかんらしき跡がある。

ここはスキーのほうが楽だ。

不動尊に着いたらテントが1張あった。

後で会ったら、2人パーティで1人は森広さんの知人だった。

わかんとスノーシューでの入山で1日かかったそうだ。

13:30中途半端な時刻なので、本流へ下見に行く。

早目に沢に降り詰めて行く。

F1が大きい。

去年はたいしたことがなかったのでノーザイルで越したが、8M程垂直。

下は壷が口を開けている。

そのまま行こうかと思ったが、森広さんがロープを欲しがったので、アンザイレンした。

ここを越すと本流F2と右側壁の氷瀑が現れる。

F2は去年より下部が易しく見える。

前回、右側壁に取り付こうと思って近づいたら、雪の塊がぼたぼた落ちてきてそそくさと逃げ帰った。

近くで観察すると、中央は良く凍ってはいるが少し雫が垂れている。

右端が登れそうだ。

右端の垂直を登り、左にトラバースし、切れればピッチを切って直上する。

そう言う作戦で行こう。

テントに帰って美味しいおでんを食べた。

 

1月31日、起きたら雪が降っていた。

天気待ちをして、昼前に出発。

F1を越し、右側壁に着く。

本当は中央を行くべきだろうが、ぶっ立っているし、でこぼこしていてランニングが採り難そうだし、雫も落ちている。

ここは右に逃げよう。

力が付いたらいつか中央を登ろう。

右端に取り付く。

10m程垂直に近い。

途中、オフィズスみたいにへこみがあったので身体を入れて休んだりした。

緩傾斜になり左上する。

上部垂直部の下に着く。

ピッチを切ろうと思ったが、下から見るより傾斜があるし、氷がすかすかしていて、ビレー点には心許ない。

このまま登ろう。

一休みして登り始める。

段々と腕が疲れて来る。

うー、辛い。

うー、苦しい。

うー、まずい。

手首で振ると言うよりも、腕全体で振る。

はあー、なんとか垂直部は抜けた。

良かった。

ビレー点の木は10m位先の左だ。

遠くてコールが聞き取り難い。

後で森広さんの言うには、ロープが一杯になったので登ってきたそうだ。

懸垂したら50m一杯だった。

右から登ったので足りなくなったんだ。

使用スクリュウ6本

 

2月1日、帰る日なので早く起きた。

不動裏に向かう。

去年は左だけ登った。

今年は右ルートを登ろうと考えていたが、会ったパーティに聞くと、右ルートをトップロープで登ったそうだ。

左ルートを登って、回り込んでロープセット出来るらしい。

左ルートは前回より垂直部が短く見えた。

それでもやはり緊張する。

上部で容易に右に歩いて行って、立木にトップロープをセットする。

下降してみたら、ハングになっていた。

とてもじゃないがリード出来ない。

上で確保してもらって、トライしたが、疲れて、疲れて、2回程、ぶら下がって休んだ。

森広さんは5回程休んだ。

暫く前から、ペツルのルベルソーを使っているが、セカンドのビレー時にフルロックするので、この様な時はとても楽が出来た。

今回も満足した。

来年の計画を思案しながら、快調にスキーを滑らして、明るいうちにスキー場に着き、「湯っ蔵んど」の温泉に入って帰京した。

 

戸台川 上ニゴリ沢、舞姫の滝、歌宿沢

2002年1月12日から3日間
森広、神谷(同流山岳会)、柴田(記)


1月12日

急行アルプスと飯田線を乗り継いでようやくたどり着いた北伊奈駅の待合室はクッション付の椅子で暖かそうに見えたが「朝7時30分まで閉鎖」との張り紙にガックリ。

寒さに震えながら1時間以上バスを待つのも気乗りしないので3人で協議の結果戸台までタクシーで行く事にする。

7650円を支払い放り出された戸台はまだ薄暗くて寒々しいが支度をしているうちに大分明るくなってきた。

河原に沿ってチンタラ進むと1時間少々で上ニゴリ沢出合いに着き、登山道脇にベース設営後上部の上ニゴリ沢に向かう。

赤い鉄製堰堤を越えて暫く進むと左から小百合沢F1が出合うのでウォームアップでここを3人で登る。(このときはここがカミニゴリ沢F1と思っていた。)

Ⅲ+くらいで難しくはないが氷はもろい。

今回は年末に買ったライトマシンの筆おろしなのだが期待を込めて振っているのに5回に1回くらいしか決まらず「おっかしいなー」。

小百合沢F1を全員が登った後本当のカミニゴリF1に移動。

2パーティほど先行しており、左のV+はある一番難しいラインを立った所を神谷さんリード。

フォローの気楽さで「これで登れるか」といろんなムーブをためしてみたら全部NGで何度も落ちてしまった。

氷は岩と違いだましだまし、というのは通用しない事が良く分かった。

左にトラバースしてスーパー林道に上がりF2を森広さんが難なくリード。

やや氷は薄い。

F3は10m程度で短く易しく茶色がかったF4は結構大きく左下から右上のライン20mくらいを柴田リード。

ここで元秀峰会員の杉浦さんに会う。

今は箕輪付近に住んでいてここから1時間ですよ、と言っていた。

下りは途中からヘッデンになってしまったがF1をヘッデンつけてトレーニングしているパーティもいた。

1月13日

赤河原を経由して舞姫の滝に向かう。

出合いからきれいな姿のF3が上に見えている。

F1~F2は森広さんによれば普通ロープなしで行ってしまうとの事だが今回はロープを付けて短いが立った所を選んで登る。

舞姫の滝F3に着くとちょうど先行パーティが取付いた所で、トップは核心3本目の支点を飛ばして登っている。

先行のセカンドがフォローした後は神谷さんの是非との希望でリード。

フリーで要所にきちんと支点を取りきれいに抜けていった。

柴田・森広と続く。

氷結状態は概ね良好だが時々ピックを打つと氷がまとめてはがれてくる。

F4、F5はなんと言う事なく、F6は右の氷柱部を登り左にトラバース、中央の氷柱部をまた登る。

雪でおおわれた急斜面のガレを登りタッチの氷柱にタッチ。

森広さんは何やら氷の彫刻をタッチの氷柱の下にピッケルで製作していた。

舞姫はF3で帰ってしまうパーティが多いようだが最後まで詰めるのはそれなりの達成感がある。

出合いにザックをおいてきたので空腹を抱えて懸垂を繰り返して出合に戻る。

時間が余れば舞姫ルンゼでもと思っていたがこれからだと前日に続いてのヘッデンになりそうなのでおとなしくテン場に戻る。

1月14日

歌宿の沢に入り歌姫の宿を捜すがトレース通りだと氷瀑に出ないままスーパー林道に出てしまいそうだ。

途中から一本左の沢に入った所でにぶく光る氷瀑が現れたのでそちらに進むが、更に右手にそれよりも大きなガイド本通りの氷瀑が現れこれが歌姫の宿である事が分かる。

小滝とナメ状を越えて取付きで支度を終え「さあて、リードしたい人は」となるが神谷さんは「私は昨日舞姫をやらせてもらったので今日は結構です」と控え目である。

森広さんに希望を聞くと「先に登って」との事なので1P目柴田、2P目森広ということで登攀開始。

中央部の氷柱状はしずくが垂れているので傾斜の緩い下部15mくらいを終えた後でやや左にトラバース。

前日ガレをガシガシ歩いたせいかここまでの緩傾斜帯でもアイゼンのフロントポイントが全然決まらず蹴り込んでもつるつる滑り焦る。

またスクリューは7本のうち既に3本を使ってしまっておりどうも足りそうもないので下から3本補給してもらう。

できればフリーでリードしたかったがこのゴタゴタであっさりフィフィ使用。安全第一と言い訳しつつ実力不足でした。

堅い氷質の立った所を5mほど登ると傾斜が緩み今度は右にトラバースし直上する。

左の潅木で切る事が出来るかな、と思っていたが少々遠くまた簡単でもなさそうなのでもう一段上の潅木を目指す事とする。

氷質は水氷に変り食いつきが良くなっている。

ライトマシンも2回に1回は決まるようになってきた。

下からは「あと10m」のコールがかかるが10mあれば何とか届くだろうと登り続ける。

IV級程度を7mほど登ると左手に潅木の生えた雪を付けない斜面と右手すぐ上部にスーパー林道が突然現れ、終了点直前まで登ってしまった事が分かった。

左手の潅木でセルフを取り森広さん、神谷さんの順番でフォロー、そのままスーパー林道まで上がる。

2P目リードのはずだった森広さんはルートが殆ど終わっているのを見ると「あれーっ」と驚いていた。

3人が林道に揃った所でお疲れさまと握手。

時計を見ると既に12時45分。

ずいぶん時間が掛かってしまった。

大急ぎで左岸の尾根を下降し歌宿沢経由でテン場に戻る。

テン場を撤収のして2日前に歩いた道を戸台に戻るが暖かで春のような陽気だった。

 

【タイム】

1月12日:戸台 6:45→カミニゴリ出合 8:15

1月13日:テン場 8:00→舞姫の滝出合 9:20→F3上12:00→タッチの氷柱13:30→F1下15:00

1月14日:テン場7:30→歌姫の宿取付9:30→終了点(スーパー林道)12:45→テン場 14:10/14:30→戸台15:30

 

北アルプス 屏風尾根~赤沢岳北西尾根~黒部別山南尾根~ハシゴ谷乗越

2001年12月22日から16日間
朱宮(日本山岳会青年部)、三好(記)


12月22日(土)

雪、時々突風 昼頃少し晴れ間

日向山ゲート~扇沢~大沢小屋

16日間分で、歩き出しの重さは二人とも35kg前後か。

扇沢までは除雪された歩道をひたすら歩く。

時々除雪車や関電の乗用車が通過していく。

扇沢からのラッセルはずっと腿から腰程度。

始めは荷物を持ってラッセルしていたが、途中まである林道から離れると雪が段々重くなってきたので、空荷でラッセル、荷物を取りに戻るを繰り返す。

はじめは川の左岸を進むが,途中で橋を渡り右岸を進む。

幾つか堰堤の脇を越えていくが、雪崩れそうな斜面が所々あり緊張する。

風はいっそう強くなり心ばかりが焦るが、一向に進まない。

暗くなりかけた頃にようやく大沢小屋に着いた。

12月23日(日)

朝雪、昼から曇り時々晴れ、夕方快晴

大沢小屋~2200m

寝坊する。

大沢小屋のすぐ裏側の樹林帯の斜面から取り付く。

はじめは尾根の左側の斜面をゆくが、尾根に上がる部分は傾斜が強く、灌木を握りしめ乗り越していく。

尾根上に上がると、腿から腰、傾斜がきついと胸くらいのラッセルが続く。

空荷でラッセルするが、ラッセルよりも荷物を上げるのが大変だった。

朱宮が1996年の正月に屏風尾根を通過した時に比べて(大沢小屋から爺の肩の小屋まで1日で到達)格段に速度が遅く、積雪量がその時の2倍か3倍くらい違うのではないかと思う。

12月24日(月)

8:00くらいまで晴れ、その後雪

2200m~稜線上~赤沢岳頂上~北西尾根2320m

携帯が繋がるので電話してみようかと言うが、朝早いのでやめてしまった。

腿から腰のラッセルが続く。

雪崩危険個所があると聞いていたが、実際には雪質も比較的安定しており不安は感じなかった。

上部は下降する場合に視界がないと尾根をはずしそうなので、赤布を数カ所つける。

稜線上に上がると風が強く、雪は飛ばされていて少ないが、ハイマツに薄く乗った雪に時々足がはまって歩きにくい。

北西尾根は始め傾斜がきつく、露岩が多く見えて怖そうだが、クラストした雪を拾うようにして下れる。

すぐに雪が多くなり、樹林帯が出てくる箇所で幕営。

12月25日(火)

快晴、16:00くらいから曇り始め

2320m~赤沢側に派生する尾根~赤沢出合

下りだが、腿から腰くらいのラッセル。

樹林帯の中で見通しが悪く、派生する尾根に入り込みそうになる。

間違えるとちょっとした登り返しがつらい。

一番わかりにくそうな場所には赤布があった。

赤いヘリがはじめは別山の上空を飛んでいたが、やがて赤沢岳周辺を旋回していたので、私達を捜しているのだろうか、樹林帯の中なので見えないだろう、でも屏風尾根のトレースは確認できるだろうと話しながら下る。

途中傾斜の強いところでは、露岩混じり草付きに雪が乗っているだけで下りにくく、始めはクライムダウンするが時間がかかるため、1935mの後あたりでは懸垂する(30m)。

1791mの後の岩場も1箇所懸垂(5m)。

ここはウサギの足跡を見たら尾根の左側を巻いても行けた。

赤沢に派生する尾根に入ってからはなるべく尾根沿いに懸垂4回で赤沢に付く。

赤沢岳北西尾根は登り返すとなるとルート取りを考えてしまう。

出合の樹林帯の中で幕営。

12月26日(水)

雪、昼頃少し太陽がのぞく

赤沢出合~内蔵助出合~尾根上~1350m

雪崩そうな斜面を避けるようにして、右岸、左岸、右岸伝いに内蔵助出合まで進む。

水量はそれ程多くなく石を伝って行けるので、足は濡れない。

膝から腿のラッセルで、一昨年より少し多いか変わらないか。

ものすごく多いとは感じない。

日程もまだ十分にあり特にここからのエスケープは考えていなかった。

年内中には南尾根を抜けられるだろうと考えていた。

年明けは天候悪化が予想されていたので年内中にここを抜けたいと考えていたし、また十分に抜けられると考えていた。

内蔵助出合から下流は進みにくく、橋を渡ったすぐの斜面から取りつくことにする。

下部の雪壁は塊状の雪塊が堆積した上に新雪の乗った所もあり、気持ちのよいものではない。

急な壁状で薄く雪が載っているだけの箇所では、この重荷で通過できる場所を探すのに左、中央、右と苦労した。

結局右側のブッシュを掴んで強引に登るが、腕がすぐパンプしてつらい。

さらに進んで側壁にぶつかったところで右へトラバースし、尾根上に出る。

尾根上は傾斜の強い岩場に当たるため、ブッシュを伝うように、黒部川側をトラバース後、急な雪壁を直上して尾根に戻る(50m)。

この雪壁は黒部川に直接落ち込んでおり高度感がある。

ナイフリッジを少し進み、岩場の基部で幕営。

雪が多くの水分を含んでいて、体が濡れる。

12月27日(木)

雪、昼頃少し晴れ間(雪は降り続いていた)

1350m~くの字雪原~P6

幕営地が狭く、物を落とさないようにパッキング。

初めは尾根沿いを行くが、すぐに通過が困難な岩稜となり、尾根の左側をひたすらトラバース。

尾根に戻れる場所を探しながら進むがなかなかいいところがない。

やっと適当な場所が見つかって登って行くと、くの字雪原手前で尾根に戻れた。

過去の記録の適当に左にトラバースして尾根へと言うのはこういうことかと妙に納得した。

P6ルンゼには顕著な弱層なく、トラバース後、ルンゼの左側に沿って進む。

尾根に上がる直前は傾斜が強く、草付きも出てくるので荷物を上げるためにロープを出す。

先行した朱宮は二段岩壁手前まで偵察。

雪の水分で、全身がずぶぬれとなった。

12月28日(金)

雪。

P6~二段岩壁取付~1800m

ハーネスもヤッケもバリバリに凍る。

緩い雪稜から一箇所の懸垂、傾斜の強いブッシュ帯を進むと二段岩壁に着く。

1P目はブッシュを掴んで急な凹状を直上右後、傾斜の緩いスラブ。

2P目は直上後、右上してハングに挟まれた傾斜の強い凹角に入り、細いナイフリッジに乗り上げる。

左上にもピンが見えるが敗退用らしい。

荷物がまだまだ重く、また、一つユマールを紛失してしまったのもあって、傾斜の強い箇所での背負っての荷上げに時間がかかる。

インクノットもがちがちに固まってなかなか取れない。

次の岩場の基部で幕営。

今日木下君たちが入山の筈だが無線は何も入らなかった。

多分入山しなかっただろう。

進み具合、今後の天候を考えると気が重くなる。

12月29日(土)

快晴

1800m~ピナクル群終了~P5~P4~1780m

さらにハーネスが凍って履けず、溶かすのが大変だ。

テントの中でハーネスを履くようにしよう。

3段あるピナクルでは左から回って直上後、下降し、トラバースに入る。

このトラバースの雪質がふかふかで悪い。

P5ルンゼは右端を樹木伝いに進んで、ハングの下を左にトラバースし、樹木の間を直上する(70m)。

快晴のため、雪がくさってきて足に張り付き歩きにくいが、日陰に入った途端に雪がさらさらとなり、今度は固めて歩くのに時間がかかる。

時々ハング上の木々の上に堆積した雪が溶けて落ち、ルンゼを他の雪塊を従えて落ちていって、少々緊張する。

次のハングは右にトラバースし、P5の肩に出る。

P4まで進むが、荒天に備えて戻って雪洞を掘る。

選んだ場所が悪く、半雪洞となる。

無線は、遠くのインターでのトラック無線しか入らない。

12月30日(日)

風雪。

沈殿。

最初の半雪洞は吹き溜まりとなり、となりに新しい雪洞を掘り、テントを入れる。

食事は半分だけ取る。

快適だが、外の状況がわかりにくい。

無線を色々と合わせてみるが入らない。

南尾根のトラバースの悪さを考えると、戻ることは選択肢の中から消えていた。

また進行状況やルートの不確定性から馬場島へはもう考えていなかった。

この時点では二つの選択肢すなわち真砂尾根経由室堂か、内蔵助谷経由赤沢岳北西尾根を考えていた。

状況から考えて後者の方か。

だが内蔵助谷は今後の積雪を考えると通るのが難しくなる。

真砂尾根とすれば3~4日間程度で行けるかどうか、しかし仮に室堂までその日程で行けたとしてそこから立山駅まではさらに2~3日かかるだろう、もっと予備を持ってくればよかったと後悔した。

12月31日(月)

小雪のち快晴

1780m~P4~大キレット~P2P3のコル

雪が小雪となり、視界もよくなってきた。

一昨日のトレースはなくなり、ラッセルし直しで、ルート取りも変えてP4まで忠実に尾根上の樹林帯を進む。

一昨日通ったP4直下の雪面は幾つか切れ込みが入り、雪崩れそうだった。

2回の懸垂で大キレットに着く。

キレットの位置が上からでは全くわからず、やや右寄りに懸垂したため、最後は40mで急雪壁に着地した。

急雪壁(昔の固定ロープあり)からルンゼ、見事なナイフリッジ。

いつの間にか快晴となる。

次のコルへはナイフリッジを切り崩しながら慎重にクライムダウン。

ザックだけロープをつけて降ろす。

正面の雪壁は頭以上のラッセルとなり、進まない。

後は胸から腰ラッセル。

P2P3へのコルへは最後懸垂で降りる(15m)。

雪庇を避けて風が当たらないようにブロックを積んで幕営。

行動食は残ったら貯めるようにする。

無線入らない。

1月1日(火)

曇りのち風雪

コル~P1~南峰~2315m

頭以上の雪壁を堀って進み(20m)、雪稜へ。

雪庇を避けつつ、尾根上もしくは尾根の左側を進む。

大タテガビン第一尾根はとても行けそうに見えない。

P2は懸垂15m。

岩稜帯を左から巻き、ブッシュを強引に掴んで登り、ちょっとした岩場の直登をする。

あとはただただ腿から腰までのラッセルを繰り返す。

見えるコルから少し進んで風が弱い所で幕営。

疲れが溜まっているのか思ったよりも進まない。

必要の無いものはハシゴ谷でデポして軽くするしかない。

それでも進めるだろうか。

やはり、年始の寒気到来は免れない。

雪に捕まってしまった。

相変わらず、無線は入りもしない。

5月だってすぐ近くに居てもほとんど繋がらなかったのだ。

仕方ないんだろうと思う。

1月2日(水)

風雪

2315m~ハシゴ谷乗越

朝テントを出ると、雪煙を上げた後立が見えた。

視界がよいうちに、空荷でハシゴ谷乗越への分岐まで急いでラッセルし、分岐を確認する。

下りでも大体腰くらいのラッセルで、胸まではまって身動きが取れなくなると、セカンドがラッセル交代するを繰り返す。

所々に赤布があり視界は悪くなっても道をはずすことはない。

ハシゴ谷乗越に着いた時点で風が猛烈に強くなり、風雪に備えて雪洞を掘って中にテントを張る。

ダム下山は、この降雪では雪崩の危険が多すぎて停滞して状況を見るしかないと考えた。

一方、真砂尾根から室堂経由立山駅にしてもこの積雪では最終下山日を過ぎてしまうが、雪崩の心配は少なく、じりじりと稜線前までは進めるのではないか。

しかし無線は4日か5日までに入れなければ相当に心配するだろう。

少しでも上に行けば、連絡出来るだろうか。

食い延ばしすれば日程は延ばせる。

連絡が取りたいと思う。

とにかく明日は進んでみて様子を見ようと考えた。

1月3日(木)

風雪

ハシゴ谷乗越~2226m

高層天気図でも猛烈な寒気が入っている。

ただ、気温は低いが、風は弱くなり、真砂尾根に出発することにする。

全然固まらない雪質で、胸から腰ラッセルが続く。

まる一日で進めた距離は標高差200m、ほんのわずかだ。

黒部だからこんなものなんだろうなと思いつつも、進めないのも事実だ。

テントに入った後に三好の足を見ると親指の側面が少し黒くなっていて(感覚はある)、朱宮も手がしびれていると言うし、そもそもこの進行状況では戻って、天候待ち、ダム下山しか選択肢がない。

明日の行動距離も少ないため、食事は半分ずつとする。

無線が通じないかと試そうとしたところで、ラジオで「連絡取れず行方不明」と報道されていて驚く。何が起こったんだろうか。

ひたすら無線を試みるが、受信は出来ても送信は全く通じないようだ。

捜索願いが出てしまっている以上は、とにかく連絡を付けなくてはならない。

翌日は降りるにしても、結局天気待ちすることや無線の通りやすさを考えて、ハシゴ谷乗越までにしようということになる。

連絡がとれたら、昨年の内蔵助谷の雪崩事故、その後にハシゴ谷停滞パーティがピックアップされたことを考えれば、もうヘリのピックアップを待つしか私達には選択肢が残されないんだろう。

これ以上の迷惑をかけないためには、その指示に従うしかないんだろう。

連絡がつかなければ天気の回復と雪の状態を見てダム下山しかない。

1月4日(金)

風雪つよし

2226m~ハシゴ谷乗越

夜中から風が強いのが続いている。

朝も半分だけ食べる。

ラジオから県警が午前3時に出発と流れて、申し訳ない気持ちでやるせない。

朝から無線をずっと続けるが相変わらず受信はあっても送信は通じない。

無線をお腹に入れ、乾いた靴下で出発。

昨日のトレースは全くなく、ラッセルし直し。

さすがに下りなので楽だ。

13:00に無線を入れると、大観峰からという声が入るが、こちらから呼びかけても何も返答なし。

届いていないようだ。

毎時開局とのことなので、とりあえず雪洞探しをする。

ハシゴ谷の雪洞は積雪で埋もれてどこにあるかわからなくなっている。

一昨日よりもかなり下方に雪洞を発見し、整備し直す。

15:00、やっと無線が通じる。

松原さんで、黒四ダムからとのこと。

ハシゴ谷乗越で停滞と連絡。

「すみませんが、すでに緊急体制に入っています、今後はこちらの指示に従ってください」との連絡を受ける。

二人で顔を見合し、了解と答えることしか出来ない。

18:00、食料、燃料、怪我の状態、電池残量を伝えて欲しいとの連絡。

電池(アルカリ)を新しく交換したが、低温のせいかすぐ送信できなくなる。

しかし、受信はできたので、そのまま暖める。

三好の足の親指はすでに水泡になっていて、水泡が潰れないように乾いた靴下に履き替え、象足、シュラフに入る。

食事は、朝食のラーメンとレーション、夕食のジフィーズ等を二人で一食ずつもしくはそれ以下とする。

これくらいは食べないと手足が冷えてくる。

1月5日(土)

風雪、のち風弱くなる

色々考えすぎてなかなか寝付けなかったためか、起きたら7:00を過ぎていて、交信が終わってしまっていた。

雪洞の入り口が埋まっていたので掘り出す。

一時間ごとに開局するが、12:00になってやっと交信できた。

12:00、ヘリが飛んだ時の注意、ハーネスをつけておくこと、物をまとめておくこと、荷物はデポの可能性高いとの連絡。

食事燃料ともに7日分、電池はリチウム4本、三好は両足親指に水泡、朱宮は両手指にしびれと状況を報告する。

無線、電池共に暖めていたが、やはり送信が出来ず、リチウム電池に変えると通話状況自体もよくなったらしい。

結局アルカリ電池は全く使えない。

16:00、明日からの交信は7、12、16時。

毎時開局はしている。

黒部平の捜索隊は撤収、黒四ダムに松原、宗像、木下、上市警察に浅田、櫻井が待機していると連絡。

1月6日(日)

小雪 のち太陽がのぞく

積雪もあまりなかったようで、今日は除雪しないで済んだ。

落ちてきた雪洞の天井だけ削って出す。

7:00、状況がよければ、ヘリが飛ぶかもしれないと連絡、毎時開局することになる。

10:00、太陽がのぞいている。

視界は真砂尾根で2200m上まで、別山は斜面の途中まで見える程度。

尾根までラッセル。

雪がしまってきている。

富山側からのヘリ進入失敗、長野側では東邦航空が準備しているとの連絡。

こんな視界でも動いてくれているのかと驚く。

12:50、ラジオの天気予報で、今日曇り時々雪、明日曇り時々晴れとの予報。

13:30、無線でも明日の天気の連絡が入る。

以降、特に無線連絡入らず。

16:00前後も何か無線に入ったが、聞こえなかったので確認するが、特にないとのこと。

時計の気圧計でも上昇傾向にあり明日はヘリが飛ぶだろう。

しかし、ラジオで篠原さんの事故の報が入り、改めてこんな危険を冒して救助してもらっていいんだろうかと思う。

自分達で下山できなかったか。

いや、これ以上の迷惑はかけられない。

考えて眠れない。

1月7日(月)

晴れ

6:50、ヘリが7:00に飛ぶとの連絡。

一応大まかに出発の準備をしていたが、15分後に到着すると聞いて大慌てでテントをたたみ荷物をまとめる。

稜線上は雪煙が上がっており、上空の風が強そうだ。

回りに何もない所へ出るよう聞いていたので、カンバの木が近い雪洞から離れて立っていると、ヘリから何か言っているが聞こえない。

無線を通じて、ホバリングに備えてテント(雪洞)の近くで伏せるように言っているとの連絡。

7:30頃、風が強いため、燃料消費するまで待機と無線を通じて連絡が入る。

8:00頃、ヘリから一人が降りる。

吊り上げ用のチューブを装着し、一緒にヘリに上げられる。

三好、朱宮の順でピックアップされ、毛布で包まれる。

20分あまりの飛行ののち富山県立中央病院まで運ばれる。

集中治療室で医師の診察を受ける。

朱宮は症状も軽く両手両足の湯煎のみ、三好も湯煎と足の水泡は水を抜いて消毒のみ。

浅田、桜井、瀧島、倉田、朱宮(父)、三好(母)と会う。

県警の方から行動の概要を聞かれる。

また、三好が治療中に、治療の終わった朱宮が報道陣のインタビューに答える。

病院を後にし、防災ヘリセンター事務所、上市警察署、県警本部、黒部観光、関西電力に挨拶に行く。

色々な所で31日下山の計画だったこと、25日にヘリで発見出来なかったこと、無線連絡がなかったこと、雪が多いこと、天候が悪かったことにこだわっているのに驚く。

違和感も大きい。

計画書には予備なしで、実際にかかりそうな日程を書いておいた方がよかったのだろうか。

赤沢岳で連絡すればよかったか。

5月に無線が通じなかったことを再確認しておけばよかったか。

雪が多いのも、天候が悪いのも特に今年がというわけじゃない。

ただ、私達が進めなかっただけだと思っていた。

日数把握が甘かった。

経験が浅かった。

この日は上市鉱泉にて宿泊。

1月8日(月)

曇り

上市警察署へ挨拶後、帰京。

 

 

赤岳 天狗尾根から真教寺尾根

2002年1月1日から3日間
一ノ瀬、池﨑、瀧島(記)


そもそも八ヶ岳に来るはずではなかった。

大晦日に五竜岳を目指してまさに歩き出そうとしてザックを背負った瞬間に池崎のザックがバキッと嫌な音を発した。

点検してみると背負うために一番大切な背負い紐が背中の中心部分から切れている。

このザックで予定通りに計画をこなすことは不可能だし今後の天気も好天は期待薄だし、この時点で五竜岳の計画は中止した。

今回は止めとけという、天の声だったのか?こんな事で中止とは昔ならば腹の虫が収まらなかっただろうけど、年とったのか、丸くなったのか。すぐに気持ちを切り替えることができた。

松本でザックとその他の装備を揃えて、いろいろ考えた末、短期間で十分にこなせる八ヶ岳東面の天狗尾根に転進することにした。

 

1月1日

晴れ

美しの森駐車場で奥秩父の山々の上に昇った初日の出をしっかりと目に焼き付けてから出発。

地獄谷に続く林道をつめ途中から沢通しに進む。

トレースを追いかけて堰堤をいくつか過ぎて地獄谷の小屋を通過する。

さらに進むと目指す天狗尾根を登ってツルネ東稜を降りてきた3人パーティーと出会った。

彼らのものと思われるトレースは右の赤岳沢に延びていた。

今回は地獄谷の本流側から天狗尾根に取り付こうとしていたので、地獄谷本流をしばらく進んだ。

本流の川原はラッセルが深く、樹林の少ない斜面から天狗尾根の尾根上に出た。

しばらく進むと先行パーティーのトレースに出会った。

風も防げる樹林の中で快適なテントスペースを見つけ、少し早いけれどテントの中にもぐり込んだ。

樹間からキレットが見えるが現在地はキレットより少し低いようだ。

 

1月2日

風雪

テントから外を覗くと視界はほどほどだったが、出発時には遠景は全く見えなくなっていた。

しばらく樹林帯を進んだ。

はじめは先行パーティーのトレースも残っていた。

樹林帯では雪も風もほとんど気にならない。

最初の10m程の岩場は左のバンド状から簡単に巻けた。

次の30m程の岩場で初めてロープを使った。

ここには右側を巻くフィックスロープがあったが正面左側から右上する凹角を登って抜けた。

このあたりで森林限界を抜けたようだが東面なので風はそれほどでもない。

しばらくガスの中を登ると大きな岩場にぶつかった。

ルートを探ると50mくらい右下に岩場の弱点を発見した。

ビレー点にちょうど良い岳樺にはテープが張ってある。

かぶり気味の凹角に残置ハーケンも見える。

ここを強引に超えて一段上のバンドに上がりバンドを右に抜けた。

きっとこのあたりが大天狗や小天狗の岩峰のあたりだろうか。

後は風雪の中ひたすら高きを目指した。

銃走路に出てからも意外と長い。

頂上では誘惑に負けて小屋で休憩してお汁粉を食べた。

山頂小屋は年末年始には営業しているのだ。

ここは正月の赤岳山頂、でも小屋にはお客はいないみたいだ。

こんな天気には誰も登ってこないのか?

権現岳まで縦走してからツルネ東稜を下ろうと思っていたが、風の強い銃走路を避けて真教寺尾根を下ることにした。

東面の真教寺尾根に入ると風はかなり弱まってくれた。

後は尾根を外さないように慎重に下る。

1ヵ所、不安定な雪壁で懸垂した。

風は弱まったけれど風下の東面の雪の量は想像以上だ。

腰から胸まで潜りながらも傾斜があるので雪崩に気をつけながらどんどん下った。

もちろんトレースはなかった。

途中に懸垂も1回。

2500m付近で少し傾斜が緩みテントを張れる場所を発見。

テントに入ったらすぐにヘッドランプが必要だった。

 

1月3日

小雪のち晴れ

この日も下りラッセルを続ける。

傾斜がなくなってくると空荷でのラッセルで進む。

牛首山を過ぎると雪も大分減ってちょうど12時頃に美しの森駐車場に着いた。

今回は予想以上の充実感を味わうことができた。

それは正月なのにほとんど人に会わない静かな山であったこと。

二日目の風雪で先行パーティーのトレースも無くなり、冬山の厳しさを味わえたこと。

下山路の真教寺尾根は予想を超える雪の量だったこと。

この3点が充実した理由だと思う。

40才過ぎた体にはよい刺激になった。

自分にとっては新鮮味の薄い八ヶ岳で新しい発見ができたのがうれしい。

鉱泉や行者小屋で定着したり、軽荷の日帰りで駈足で登るだけが八ヶ岳ではないのだ。

慣れた山だからできる創造的な山登りを八ヶ岳では目指してみたい。

 

槍ヶ岳 北鎌尾根(途中まで)

2001年12月30日から4日間
石原(愛媛大WV山岳部OB)、赤井(記)


12月30日

大町駅6:15 葛温泉6:45 七倉7:30 高瀬ダム9:30 湯俣13:50

朝から予想通り雪、週間予報もほとんど雪。

心配ながらもタクシーで葛温泉まで行く。

30分ほど歩いて、登山届を七倉の指導センターに提出、お茶をご馳走になる。

昨日10パーティ、今日5パーティ入ったとのこと。

湯俣までひたすら単調な歩き。

荷物が重い。

千天出合まで今日中に行きたかったが時間がかかりそうなため、湯俣にて幕営。

他に3張りあった。

1日めだけでも豪華にと飯は鍋物。

もって来たビールをすべて飲み、明日に備え軽量化をする。

 

12月31日

曇りのち晴れ

湯俣7:30 千天出合10:00 P2基部11:00 P2、P3中間14:50

北鎌のルート中で1番悪いと聞いたアプローチだったが、結構雪が積もっていたがトレースもバッチリあり。

それほどでもなかった。

渡渉はアイゼンをつけ飛び石にて4箇所とも濡れずに越え、吊橋も残っていた。

P2へののぼりにて途中、1箇所50mいっぱいロープを出して登る。

(赤井リード)途中、悪天を予想してか6パーティ程が引き返してくのとすれ違った。

前のパーテイ(墨田山の会?)がP3を登っていくのを見たが途中にテントを張れる場所もなさそうなため少し戻ってP2、3中間部で幕営。

ラジオにて天気予報を聞くと元旦の西日本はすべて雨、名古屋も昼から雨。

明日の天気が心配だ。

 

1月1日

P2、3中間7:00 P4手前8:50(撤退) P2基部 11:00 千天出合12:00 湯俣14:00 無名避難小屋16:00

撤収すべきか進むべきか迷ったが、とりあえずP5まで行こうと出発した。

途中、旧知の緑山岳会の広島パーティすれ違う。

話を聞くとやはり天気が荒れそうなため撤収とのこと。

とりあえず、進むことにする。

昼まではもってくれるかと思った、天気もすぐに崩れだし、P4手前で私らも撤収することにした。

P2のくだりで昨日ロープを出した場所にて懸垂2回。

無名避難小屋にてとまる。

広島パーティが先にいて寝ていた。

薪ストーブに火をつけようとしたがうまくいかず。

残った、ウイスキーを飲みながら自分のガスを使いまくってウエア類を乾かす。

私のヤッケが中まで濡れて乾かず、”シミテッククスどころかゴミテックスですね?”と私のヤッケは石原君にボロクソ言われてしまった・・・。

 

1月2日

無名避難小屋7:30 高瀬ダム9:30 七倉10:30 葛温泉11:20

朝、ウイスキーの飲みすぎで少々頭が痛かったが、小屋はやはり快適だった。

適当に出発。

高瀬ダムから先は行きよりも路面が凍結していて歩きずらかった。

葛温泉にて温泉に入り(500円)登攀終了。

今年の正月も去年に引き続き敗退山行となってしまった。

残念。

 

南アルプス 農鳥岳 大井川東俣滝ノ沢(敗退の記)

2001年12月30日~2002年1月1日
森広、櫻井、大滝(記)


12月29日

深夜、奈良田第一発電所に着く。

車5~6台あり。

テントが張りにくいので、少し戻って奈良田橋の袂に張った。

 

12月30日

7:50発 小雪ちらつく。

林道や登山道に雪10センチ程あり。

小尾根を巻く辺りでスパッツ着用。

大門沢小屋手前5分位の右から入り込んだ沢に、氷瀑があった。

つららの集合体だが、段々になっているので登れそうだ。

1ピッチ分ありそうだ。

小屋を覗くとテントが1張りあった。

窓が大きく明るい小屋だ。

水も流れている。

しばらく山腹を巻いて行くと広い河原に出る。

そこからラッセルが始まった。

膝下、膝上、樹林帯に入ると、急斜面になるので腰くらいまである。

一気にぺースは落ち、労多く時間だけが過ぎていく。

なかなかテントスペースが見つからないが、4時、2200mと言う看板の所が、かろうじて3人用テントが張れた。

ここ以下にもここ以上にもいい所は無かった。

一晩中吹雪いていた。

大変なラッセルと、今後の悪天候予報とで、我々の意気は消沈した。

翌日進んでも、滝ノ沢まで辿り着かないかも知れない。

着いたとしても、谷に入ってから雪になるかも知れない。

そうしたら、雪崩が怖い。

降雪が無くても、氷の部分が終わってからのラッセルでどれだけ時間がかかるか知れない。

風雪のテントの中で各人、心境悶々とした。

結論は、稜線まで、行ければ農鳥岳まで行こう、と言うことになった。

朝まで吹雪いていたので、ゆっくりと起きて準備をしていたら、若い男性二人が上がってきて、そのままラッセルに突入して行った。

8:40発 僕達も直ぐ後を追ったが、追いつけない。

ラッセルしている人に追いつけない。

凄いパワーだ。

空はどんどん晴れて快晴になった。

富士山や、駿河湾、伊豆半島も見える。

・・田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ・・
猛烈なラッセルを抜きつ抜かれつして、12時頃稜線に着いた。

半端じゃない強風だ。

塩見岳、荒川岳が良く見える。

大井川方面を遠望し、相談の結果、下山することにした。

大門沢小屋には15時に着いた。

小屋の上の方で45センチ位の積雪があった。

小屋の中から富士山が見える。

 

2002年1月1日

謹賀新年 8:30発。

晴れ。

午後から曇り。

例の氷に向かう。

近づくと左にもあった。

右が25m、左が15m。

全体的に氷は薄い。

段の所でランナーを採って行けば大丈夫だろう。

右の滝をスクリュウ4本25mで抜け、左の潅木でビレー。

Ⅳ級?潅木で懸垂。

左の滝は15m位だが良く凍っている。

ここも段々になっている。

抜ける所が難しく、右アックスのブレードを氷と岩の間に噛ませて、左足を高い位置の氷から飛び出している岩に苦労して持ち上げ、左のアックスを薄氷にコチンとあてがい、乗り越した。

Ⅳ級?
スクリュウ3本 右の潅木で懸垂。

12時頃止めて下山。

14:20駐車場に着いた。

 

マチガ沢~シンセン左俣~東尾根~谷川岳~天神尾根

2001年12月1日から2日間
瀧島、倉田、三好、一ノ瀬、池﨑(記)


11/30の22時に車で府中を出発。

水上を降りると途中から雪が降り出す。

道を登っていくにつれて道路に雪が積もってくる。

立体駐車場はスキー場の駐車場だけの事はありものすごく快適。

持参したビールを飲んでぬくぬくと寝る。

 

12/1は7:30に駐車場を出発、約30分でマチガ沢出会い着。

巌剛新道を登り見晴台で一本。

ここでフル装備になりマチガ沢に下降。

マチガ沢伝いにしばらく登りシンセンへの分岐で1本。

ここから見上げるとシンセンのコル部分はガスっている。

しばらくガレが続くが、斜度がきつくなってくると雪の斜面に変ってくる。

雪面を横切ってささやかな鞍部状の場所に付く。

ここからコルまでの2ピッチをロープを出して倉田さんリードで登る。

シンセンのコルから三好・倉田さんトップでガンガン登る。

第2岩峰はロープを出して三好さんトップで取り付く。

が、悪いらしくなかなか進めない。

しかし空身になって結局登ってしまう。

さすが。

その後、倉田・瀧島・一ノ瀬・池崎の順に登る。

いざ自分が登ってみると結構いやな感じ。

でだしでいきなり奥側の足元が切れ落ちてて、まずは体を壁に預けるまででちょっとびびる。

取り付いてからは広がらない足を無理やり広げて両側面のホールドに爪を引っ掛け2~3mくらい登る。

すると草付きがあり、ダブルアックスでぐいっと上がる。

ここから少し傾斜がゆるくなりブッシュにつかまりなんとか登る。

秀峰の過去の記録にも一人で登った記録とかあるが、ここはなんだかいやらしかった。

ルート間違えてたのか??この後、しばらく登った岩陰で16時頃ビバーク準備。

吹き溜まった雪を均してツエルトを2つ張る。

 

12/2は6時過ぎ起床。

ラーメンを食べて準備して8時出発。

ガスってて視界は良くない。

第1岩峰(?)は右から大きく巻いて雪の斜面を登り、ナイフリッジ状の尾根で小休止。

ガスの向こうにかすかに岩峰が見えて「もしや実はこれが第1岩峰か」なんて心配をよそに、その最後の岩峰を左から巻いて稜線に出る。

ちょっと右に上ってオキノ耳12:45着。

風があり視界も効かず、皆でお疲れ様でしたの握手をして小屋に向けてすぐ出発。

トマノ耳まではトレースが無く膝下くらいのラッセル。

トマノ耳から小屋までは打って変わって沢山のトレースがついており、あっという間に小屋着。

小屋で休憩していると櫻井さんが入ってきた。

雪訓パーティは30分くらい前からすぐ下の斜面で雪訓を始めているらしい。

一息ついた後、雪訓に合流。

14時過ぎに下山開始。

西黒尾根を下山予定であったが、時間が押してきていたので天神尾根からゴンドラを使って下山することとなる。

下から見ると山頂は天気はいいが、登ってきた東尾根はガスの中。

ずっとこんな感じだったのかな。

天神平スキー場で30分ほどビーコンの実践をしたが、ノイズが多いのか皆苦戦。

その後ゴンドラに乗り下山。

そして温泉に浸かり、とんかつを食べて帰宅。

ひれかつ定食¥1300はマスクメロンの切れ端とファイブミニ付きであった...不思議。

私にとってはちょっとスパイシーな東尾根だった。

もっと登り込まねばいかん。