剱岳 剱尾根

1999年5月1日~5月3日
向畑、倉田(記)

4月30日(金)

23時54分上野発急行能登に乗り込むが、すごい人。

運良く座れる。

5月1日(土)晴れ

5時半頃魚津着。

富山地鉄に乗り換え6時半頃に上市着。

タクシーで7時頃、馬場島に着く。

小窓パーティーのテントを発見し、なんとなく嬉しく、皆を起こしにかかる。

県警に計画書を提示し、初めて見るヤマタンを手にする。

思っていたより小さかった。

今日は、明日の核心に備えて、行けるとこまでつめないと行けないので、気合が入る。

気合が入っている割に体がついていかず、年かしらなどと無駄なことを考えながら、白萩川左俣をつめ、タカノスワリにて休憩。

ここから、池ノ谷ゴルジュが見える。

今年のゴルジュは雪で埋まっていて歩ける。

天気は晴れ、Tシャツ一枚でも暑い。

剣尾根末端に、10時20分に着く。

岩小屋のツララがとてもおいしい。

休憩して、12時半に出発。

そこから少しで、R10につき、雪壁をつめ、尾根上に出る。

雪は少ないらしくやぶやぶしている。

さすが連休だけあってか、トレースがはっきりとついていた。

途中、部分的に悪いところがあって、何度かロープを使う。

ちなみに、テントを張るのに適したところがいくつかあった。

15時40分、コルE~コルD間で行動終了。

場所がはっきりせず。

5月2日(日)晴れ

6時に出発。

ブッシュが出ていたり、嫌なところがいくつかあった。

コルDはよくわからず通過。

9時半頃ドームや門がよく見える所に着く。

小窓尾根を歩く人がよく見えた。

(途中、こちらのほうに叫ぶ人がいた。小窓パーティーのような気がして、返事をする。)

11時にはコルCに着く。

ここから先は渋滞となる。

先行が1パーティー、後続が2パーティー。

はじめの1ピッチと草付120mの次の1ピッチはⅣ・A1で、人工登攀になる。

岩壁の向こうには小窓の王などが見え、気持ちがいい。

はじめユマーリングをするつもりは全くなかったけど、後続を待たせるといけないから、と言われ、ほとんど経験のない人工登攀に自信がゆらぎ、結局、人工のところは、ユマーリングにする。

はじめの1ピッチは、右上して、カンテを回り込み、右のフェースを右上してのぼる。

一部難しいらしく、先行が苦労しているように見えた。

わたしは、そこをユマーリングで通過し、カンテを越す。

すると、上のロープが支点ではなく枯れた木に引っ掛かっているのがわかった。

そこまでユマーリングで大丈夫そうに見えたので、2回程ユマーリングすると一瞬のことで、枯れた木が抜け、横に振られ岩にぶつかってしまった。

腰をぶつけたらしく、しばらく仰向けで身動きがとれない。

気を取り直してとりあえず上にたどり着く。

ここからは、腰が立たなくて、ピッケルを杖代わりにして登る。

次の120mⅡリッジ、腰が痛くて辛い。

ここら辺の景色はいい。

ちょうど門にあたる次のピッチは、高度感があり、人工でクラックからバンドで左上する。

先のピッチより難しいとのこと。

次のピッチはフェースから岩のもろいルンゼ30mⅢ。

雪はほとんどついていなく、フェースは傾斜がゆるい割に、スタンスが少なく、右のリッジをつかいながら登る。

上部はからがらがらの岩を押さえつけながら慎重に手足をおく。

そこから少しで、ドーム頂上。

ここからは、剣本峰がよく見える。

(約15時)ドームより先も所々悪いところあった。

はじめのワンピッチのみをスタッカットでちょっとへつる、その後はコンテで岩稜を進む。

わたしが、かなり遅くしか歩けないため時間かかるが、わりとコルAに近いところで18時にテントをはる。

5月3日(月)曇り

昨日ほど痛くない腰に少しほっとしながら、7時出発。

岩稜づたいに、基本的に左俣側をいく。

雪壁、ナイフエッジ、もろい岩稜を一歩一歩踏みしめながら進む。

思っていたよりも早く8時半に長次郎の頭。

小窓方面から歩いてくる人をみて、ああ抜けたと感動。

剣本峰まで、歩いては休んでの繰り返しで、9時頃に頂上を踏みしめることが出来た。

時折雲がきれ、別山などが見えた。

早月尾根をゆっくりと下る。

途中で、今まで登ってきた剣尾根が見渡せ、何度も足を止めては見入ってしまう。

12時にチンネ登攀中の小窓パーティーと無線交信し、私が自力下山できることを告げる。

たたでさえ下山が下手なのに、腰が痛くて、途中転びながら、のろのろと下山する。

向畑さんには、ロープを持って頂き、何回も待たせてしまい申し訳なく思う。

休憩を何度かして、15時に馬場島に着く。

<感想・反省>

いつかは行きたいと思っていた剣岳なだけに、私が本当に剣尾根を登れるのかと、真面目に不安で、正直、胃が痛くなるほどでした。

結局なんとか登ることが出来、向畑さんには、本当に感謝しております。

反省として、まず、私の技術、体力、経験が十分でなかった為スピードが遅くなってしまった。

もっといろいろやらなくてはと痛感する。

次に、ユマーリング中の事故で、いろいろなことを考えさせられ、教えられました。

いろいろと目に余ることが多かったはずなのですが、温かく見守って頂いた向畑さんには頭があがりません。

最後になりましたが、腰を打ったことで、小窓パーティーの皆さんに大変ご心配をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。

 

 

北アルプス 小窓尾根~チンネ

1999年5月1日~3日
中嶋、桜井、森広、瀧島(記)

今年のGWは、1日休めば、普通の人は7連休が取れるという近年まれな、よい暦だったので、是非横断をして剣の頂に立ちたいと考えていた。

ところが五龍岳と利尻での2件の遭難の後始末などで黒部横断は今回も夢と散った。

言わばサブ計画的に出来上がったのが今回の山行計画だ。

計画ではチンネだけでなく小窓王の尾根や前剣尾根なども入れており、いつもの重箱のすみをほじくる病は治っていない。

関越道から長野経由で夜中の1時半に馬場島着、運転嫌いの瀧島にしてはたいへんに気合の入ったハンドルさばきだった。

5月1日

快晴

夜汽車できた剣尾根に向かう向畑、倉田パーティーに起こされる。

お互いの健闘を誓い合い県警に挨拶をしてからゆっくりと出発8:30。

白萩川の取水口のあたりで川原にも雪が見えてきた。

ここから始まるタカノスワタリは当然高巻くものと思っていたが、なぜかトレースは川原の雪の上に続いている。

2年前の夏に微妙な高巻きと水流に戻されつつも必死で通過した核心部も、スタスタと雪の上を歩いて通過してしまった。

川原に雪が現れたと思ったら、最も雪には埋まりにくそうなタカノスワタリの激流を残雪は見事に埋め尽くしている。

登山者にとってはこんなにありがたい事はない。

池の谷の出会いから見上げるゴルジュも雪が詰まっていて夏の悲壮感は微塵も感じない。

なんと下部ゴルジュは30分ほどでアイゼンもつけずに歩いて通過できてしまった。

2年前の夏にこの池ノ谷下部ゴルジュを突破を試みて、核心部を見通しただけで逃げ帰ってきた。

夏のこのゴルジュは両岸が100メートル近く垂直に切り立って50メートルクラスの垂直の滝をいくつも要している。

激流が猛り狂い人間が入っては行けない領域に思えた。

季節によってこんなにも谷の表情が違うものか?大自然に畏敬の念を感じずにはいられなかった。

富高岩屋から小窓尾根に上がると尾根上は予想通りトレースばっちりであとはそれをたどって2,121Mの台地まで。

15:00ウイスキーを飲みながらテントを張って寒くなるまで外で春山を満喫した。

5月2日

快晴

前夜、早立ちを誓ったが朝テントから出てみるとほかのパーティーはすでにいなかった。

出発6:00早月尾根から見るとニードル、ドーム、M状ピーク、マッチ箱と続く小窓尾根の核心部も注意しないと判らずに通過してしまう。

右には向畑、倉田パーティーが取り付いている剣尾根が左には北方稜線が手に取るようによく見える。

剣尾根にはクライマーが数パーティー取り付いている。

2年前の夏にトレースしたので当時のことが思い出される。

いつか行きたいアルパインアイスルートのR4にもクライマーが取り付いていた。

なんやかんやで三ノ窓には12:30に着いた。

この時点で計画にあった小窓王の尾根や前剣尾根はあきらめてチンネに翌日取り付くことにした。

小窓王や前剣には、いつか近い将来にまた来よう。

長い午後は雪洞堀りとチンネの偵察そしてウイスキーをちびりながらゆっくりと過ごした。

冬山の悲壮感なんか微塵もない。

まさに陽光の春山を骨の随まで楽しんだ1日だった。

5月3日

高曇り

今日はチンネの日。

詳細は中島が記します。

久しぶりのクライミングでこんなにも充実感を味わえたのは幸せだった。

手の指先からつま先まで全身にみなぎる緊張感がたまらない。

体脂肪率22%を認定されたなまりきった肉体には格好の刺激になった。

チンネの頂上ではパートナーと無事に登らせてくれた剣岳とチンネに心の中でお礼を言った。

三の窓に戻り、腹痛で雪洞キーパーとなった森広さんと合流して池ノ谷を2時間半ほどですべり下り馬場島には18:15着。

警備隊の詰所にいた岩峰登高会の星野さんの粋な計らいで畳の上に寝ることができた。

翌日、朝早く出発して途中、日本海の浜辺を散策し、上越市の国分寺という雰囲気のあるお寺、それから高田城址公園を回って家路についた。

というわけで、「春の剣岳と北陸ロマンと感動の旅」

は無事に終了しました。

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5月3日

(月)チンネ 中央チムニー~aバンドbクラック  登攀編(中嶋記)

雪洞から外をのぞくとかなりガスがかかっていたが、準備をするうちにチンネ全体が見通せるようになってきた。

左稜線の案もあったが、何よりも混んでいそうだったたので中央チムニーに行くことにした。

前日に北条・新村を登った加藤泰平さんから「中央チムニーが面白そうだ」

と聞いていたのも大きかった。

桜井・森広、瀧島・中嶋で組み取り付きに向かう。

森広さんがトップで登り始めたがすぐにお腹が痛くなったということで、一人で懸垂下降して三の窓の雪洞に戻っていった。

珍しいこともあるものだ。

結局残った三人でロープを組んで、登り始めたのが6:30。

1ピッチ目、2ピッチ目は中嶋リード。

1ピッチ目はチムニーの中を5mほど登ったところで右のカンテに出ていく。

まずはカンテに出る一手がけっこう難しい。

その後も何かと難しく一手ごとに躊躇してしまう場面が多く、情けないがかなりの時間をかけてしまった。

アブミは本気で2回だした。

チムニー状を抜ける少し手前でハーケンが固めうちしてあったので、ランナーが少なくなったこともありピッチを切る。

2ピッチ目はここから数m伸ばすと傾斜が緩くなるとともに狭い雪のジェードルになり、そのままベルグラ登りになっていく。

ちなみに雪のジェードルに入ってすぐにまあまあのビレーポイントがあった。

ベルグラのラインは夏の3級のラインからはずれているので支点に乏しく、かなりびびった。

登り切ってから改めて、かなり攻撃的かつ刺激的なラインだと感じた。

ロープいっぱいに近い所で、残置ハーケン2本にアイスフック2本とアングルを打ち足してビレーポイントにする。

3ピッチ目で中央バンドに達し、トラヴァースして上部壁に入っていく。

ここは桜井さんのリード。

ピナクルのテラスで小休止し、丁度正午だったので剣尾根パーティと無線で連絡を取る。

剣尾根パーティは早月尾根のかなり下の方にいることが分かり、自分たちの方がよっぽどハマっていることを認識した。

4、5、6ピッチ目は瀧島さんのリード。

aバンドからbクラックをたどり終了点まで。

下部のピッチ比べると極端に難しくは感じなかったが、これはこれで傾斜もあり迫力のある良いクライミングだった。

やはり岩が堅いというのは良いことだ。

終了点ではわりかし本気の握手を交わしてしまった。

登攀終了2:15くらい。

3:00には三の窓に戻り、そのまま雪洞で寝ていた森広さんを起こして撤収。

3:30過ぎに池の谷をグリセード・尻セードで下りはじめて、馬場島についたのが6:00ちょっと過ぎ。

速い!

<感想:登攀編>

家にかえってから白山書房の「アイスクライミング」

を見たら、中央チムニーについて「岩というよりも時期が遅くなると完全に氷のルートとなる」

とコメントしてあった。

相変わらず自分の装備はカジタの10本爪アイゼンにカジタのピッケル・バイル(ノーマルピック)、スクリュー無しというものだったので氷にはちょっと恐かった。

今度こそバナナのピッケルを買おうと心から思った。

それと3級の岩登りが自分にはかなり難しかった。

前の晩に丁度良い感じの新雪が積もっていたのも時間がかかった理由のひとつではある。

2級とか3級のピッチには過去にも何度か苦い思いをさせられている気がする。

アイゼン登りももう少し上手くならなければならないと思った。

上部壁は傾斜が強いのに、瀧島さんには随分頑張ってもらった。

正直言って中嶋は下部の2ピッチで神経を消耗してしまったので、パーティの期待に応えることが出来なかった。

申し訳ない。

でも久しぶりに本当に面白い冬壁(春壁?)を登ったと思う。

 

 

鹿島槍ヶ岳 東尾根

1999年4月17~18日
向畑、杉浦、井上、倉田(記)

4月16日(金曜)

21時半仏子駅出発→17日2時ごろ大谷原公園着

4月17日(土曜)晴れ

8時に出発。

大冷沢左岸の林道を少し歩くと、赤布がありそこから、東尾根に取り付く。

既に3パーティ程入山しているらしくしっかりとしたトレースが着いた尾根筋をてくてくとひたすら歩くと、一ノ沢の頭に着く。

鹿島槍南峰、冷尾根~爺が岳などが良く見渡せる。

そこからは、やせた尾根になり、春らしい陽気も伴って、楽しい雪稜歩きとなる。

穏やかな温かい天気の中、沢筋で雪崩れの音がしていた。

11時半ごろに二ノ沢の頭に着く。

先行パーティの様子が良く眺めることができ、第一岩峰手前で2パーティ、それより少し下った所で1パーティ、テントを張っていた。

二ノ沢の頭より少し下った所で、テントを設営し酒宴となる。

18時に就寝。

4月18日(日曜)曇りのち雪

2時に起床したが、昨日の酒が抜けないせいか、4時半にやっと出発する。

それでも、頑張て一番のりで第一岩峰に6時に取り付く。

空には、高層雲が張り出し、天候悪化を示し出す。

雪の付着のほとんどない第一岩峰を特別悪いところもなく、3ピッチでぬける。

そこから、雪稜をつめると、第二岩峰に、8時半に着く。

ここは1ピッチでぬけるが、ワンポイント悪いチムニーがある。

私は残置シュリンゲを頼りにして、やっと攀じることができた。

ここから先は気持ちいい雪稜となる。

荒沢の頭を過ぎ、北峰に10時半につく。

五竜から白馬まで良く見渡せた。

そこから、11時に鹿島槍南峰、このころから風とともに雪が舞い出す。

赤岩尾根分岐12時20分。

西沢に降りて下山するかと話が出たが、安全に、尾根筋を下る。

私にとってここからが核心となる。

はじめは調子に乗って、すたすた降りていたが、こけてひやっとする。

向畑さんが水を得た魚のように遥かかなたに下りていく姿を横目にして、緊張しながら降りる。

13時50分高千穂平、15時15分西俣出合、16時大谷原公園に着く。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 一ノ沢左稜~東尾根

1999年3月28日
向畑、倉田(記)

3月28日(日曜)快晴

3時45分スキー場駐車場を出発し、5時頃一ノ倉沢出合に着く。

一ノ沢左稜の雪壁&やぶの中を進む中、5時半頃朝日が昇る。

雲一つない快晴である。

雪が少なく、所々岩ややぶが露出している。

今回の目的は、私のアイゼントレーニングなので、岩を選んでそこをガリガリとのぼる。

アイゼンで岩に立ちこむのに四苦八苦しながらすすみ、左稜つめたところで、懸垂で、シンセンノコルに8時頃つく。

一ノ沢~東尾根に取り付くパーティが4つ程あり、順番待ち気味になるが、向畑さんがズンズン進んで先行を追い抜きつつ、犬の散歩みたいに私が引っ張られながら進む。

第二岩峰は、ホールド、スタンスが豊富で、あっという間に終わってしまう。

雪壁つめて第一岩峰につく。

向畑さんがスルスル登っていくので簡単かなと思いきや実際取り付いてみるとスタンス、ホールドは小さくじりじりと一歩を踏み出す感じになる。

左手を伸ばすと、残置シュリンゲを発見し思わずつかんでA0でぬける。

すかさず、向畑さんに「降りてもう一度登ったら?」と言われる。

結局降りず、あとで、そうしとけば良かったと後悔する。

そこから、雪壁をつめ、小さい雪庇から顔をひょいと出すとオキの耳に11時に着いた。

360度のパノラマに目を見張りつつ休憩し、西黒尾根経由でセンターに13時につく。

 

 

鹿島槍ヶ岳~十字峡~黒部別山北尾根

1999年3月20~3月27日
畠中[21才]、小谷(記)[38才]

3月20日 土曜日 入山

大谷原7:40(雨)-赤岩尾根8:07(雪)-高千穂平10:55(吹雪)稜線2:54(吹雪)-冷小屋3:20
大谷原は車で賑わい、赤岩尾根は、14+2+3+2+3+5=29人と我々で31人が取り付く。

高千穂平までは先行者のラッセルがあり、しかも5月のような雪質で楽々入山。

快調に高千穂平まで進むが、ここらへんから吹雪模様。

我々以外全員幕営。

ここから二人でわかんを付けすね位のラッセル。

途中でアイゼンに履き替える。

視界はまあまあだが、風が強く時折目をふさぐ。

雪質はクラストした雪面に新雪が10~20cm載っている感じ。

雪がさらに降ると稜線に上がるのが難しくなるので頑張って登る。

稜線直下のトラバースポイントは雪崩れの跡があり、また視界が悪くそのままトラバースせず直登する。

稜線直下(雪尻ではないが2m位の雪壁)が怖かった。

稜線上は樹林帯のラッセルが結構きつく、新雪が30cm位積もっていた。

雪の状態は年末っぽく、歩くたんびに表面の積雪が雪崩れ落ちるという感じ。

畠中はこの雪質に非常に不安を感じたようで、黒部へ下るなどもってのほかと、不安いっぱいであった。

が、とにかく鹿島槍まで行かないと状態がわからないとなだめる。

冷小屋泊。

他には爺が岳から来た単独行が二人。

やはり吹雪で爺が岳に2度も登り返した と嘆いていた。

夕方は雪・風もやみ、剱がよく見えた。

3月21日 日曜日

5:40出発(曇り)-鹿島槍8:22(曇り・ブリザード強くさ寒い)-16:00牛首支稜1470m
単独行の人が結構早く登っていき、頂上往復後、すれ違う。

頂上は風が強く、天気は曇りだが、ブリザードがひどい。

剱がよく見える。

早々に牛首尾根へ下る。

心配していた雪質はまったく問題なくクラストしている。

新雪はとっくに吹き飛ばされいた。

黒部別山がすばらしい。

牛首尾根は、ほとんど時々クラストしていたが時々膝下のラッセル。

ラッセルする所では風で雪が舞い上がり閉口した。

鹿島槍の稜線には、赤岩尾根からの大部隊が歩いているのが見えた。

稜線は風で雪が舞い上がっている。

11:20支稜分岐2060m。

このころより雪が降り始める。

黒部別山見えず。

15時頃1470mピークからの下降を間違え登り返す。

風強く雪がひどくなってきた
ので、1470mピークに戻り幕営する。

3月22日 月曜日

風がやたら強く、雪も降っている。

雪も30~40cm位積もり、稜の形が変わっている。

何とか十字峡までは下れるだろうと撤収し、昨日間違えた下降点へ。

出だしが急なので懸垂ザイルをセットしたが、風が強く時々視界が無くなる。

空はそれほど暗くもなく、むしろ吹雪いているのはここだけですぐ上に青空が有るのではないかと思わせる。

吹き止むと行けてるやないか と思うがすぐに凄まじく吹雪く。

どうしても下降する気になれず15分位 下を睨んでいたが、諦めもとの幕営地にテントを張り直す。

風向きは昨日とは全く反対方向に変わっていた。

1470mピークは四方木に囲まれしっかりテントを張れたので安心してシュラフに入る。

午後遅くには風も吹き止む時間が長くなり、これなら行けてかな?と畠中に話したら「寝ていたからわからないでしょうけれど、ついさっきまで凄まじい風でした」とのこと。

夕方には完全に風も弱まっていた。

3月23日 火曜日

6:30出発-十字峡2:45-北尾根末端大地17:15
終始快晴。

風もなく晴れ渡っている。

雪がいやらしく積もり、下降に時間がかかる。

途中ヘリが何回か上空を飛ぶ。

十字峡下流屈曲部にスノーブリッジがあり片道50分かけて雪壁をへつり横断。

後立上空でやけにヘリ飛んでいる。

いやな感じで、何かあったかな と話していた。

以後、24日(曇り)北尾根泊

25日(朝雪で後晴)別山コル手前泊

26日(晴午後雨)黒部別山-はしご谷乗越し経由で黒部ダム泊

27日(雨)大町へ下山。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第三スラブ

1999年3月7日
向畑(記、♂38歳) 中嶋(♂26歳)

当初、中嶋君とフリークライミングの予定だったが、天気予報を追っかけているうちに、日曜日(3月7日)だったらルンゼを狙えそうな感じになってきた。

中嶋君に話したら、同行してくれるとのことだったので、急遽、谷川に変更した。

休日を有効に使おうということで、土曜日(3月6日)9時、いつも通りに仏子駅集合。

榛名山・黒岩に向い、ちょっとだけ、予定通りフリーをやった。

ちなみに、中嶋君は11cのルートをオンサイトしたが、私は登れなかった。

早めに切り上げて、水上で夕食後、18時頃には土合に到着、立体駐車場の下の駐車場にテントを設営(ここは、今のところタダで使える)。

飲みすぎると中嶋君に怒られそうだったので、ビール1本だけにして19時過ぎには寝たが、私のような一般人は普通の状態でそんなに早くから寝られる訳がない。

時間帯に関係なく、みさかいなく寝ることのできる中嶋君の能力に、心の底から感心した。

3月7日

1時に起床して、2時過ぎに出発。

天候は、昨日の午後は晴れていて、沼田付近からは谷川がきれいに見えていたが、今日は曇っている。

気温が高いのが気になるが、今のところ雪は降っていない。

数日前の降雨と晴天で雪面は固く締まっており、5時頃には第三スラブ取付きの下部氷瀑下に着いた。

いつも通り右に本谷からの、左に滝沢スラブからの2本の氷瀑がかかっているが、今年も谷川は雪が少ないようで、ほとんど埋まっておらず、傾斜もかなりきつい。

下から見た感じでは、右の氷瀑の方が簡単そうに見えたが、右を登ると3年前と同じ過ちを再び犯してしまいそうな気がしたので、左側を登ることにした。

登り始めたのは5時30分位。

ラインは、左端からクレバスをまたいで取りつき、斜上後ほとんど真横にトラバースし、上部を直上。

下部から傾斜はきついが、上部の2~3mは90度ある。

中嶋君が同行してくれない場合は1人で来るつもりだったが、登っている時に、ビレイヤーがいてくれてほんとうによかったと思った。

左側を登り始めると、ほぼ同時に後続してきたチーム84の4人パーティが、右側氷瀑に取付いた。

登りきってピッチを切った時、ロープが40mほど出ていたので、氷瀑部分だけでも30m位あったと思う。

下部氷瀑は越えたが、ビレイできそうな安定した足場がない。

ナメ状の氷の斜面が、さらに上部まで続いている。

著名な某アイスクライマー編によるルート集には、アイスピトンは5本もあれば充分と書いてあったので、その通りに5本しか持って来なかったが、登はんの際に全部使ってしまっていた。

仕方がないので外傾した狭いスタンスに立ち、ピッケルのピックを氷に叩き込み、バイルからもセルフを取って、肩がらみで「支点がないから落ちるな」

と叫んでいたら、右氷瀑上からベルグラの乗った悪いスラブをトラバースして来た84パーティのトップが、見かねて「ビレイポイントを使って下さい」と言ってくれた。

彼のセットしたビレイポイントからも、有り難くセルフを取らせてもらってビレイしていたら、中嶋君が墜落、ロープにテンションがかかった。

抜け口に打ったスナーグを回収しようとして、ピッケルにテンションをかけたらピッケルがはずれたらしい。

いったんは墜落を止めたが、悪い足場で体重を支えきれなくなり、よろけてアックスに2人分のテンションをかけたら2本とも吹っ飛び、84パーティのビレイポイントにぶら下がって止まった。

もし、支点を使わせてもらっていなかったら、下にいた中嶋君より、上から落ちた私の方が、確実に致命的なダメージを受けていたと思う。

下部氷瀑上は、緩い傾斜の氷と雪壁がF4まで続く。

F4自体は難しくないが、中嶋君から「支点を作りましょうか」

と言われた時に、「支点で2本使ったら、3本しか残らなくなる」

と言った会話を聞いていたみたいで、先に取付いた84パーティが、「使って下さい」と言ってビレイポイントを残していってくれた。

ビレイポイントのスクリューは回収して、その後も使わせてもらったのでずいぶん助かった。

ただ、ピトンが充分にあっても、氷が薄くて効かないことや、雪壁上でまともなビレイができないことの方が多く、トップ、セカンドともに、絶対に落ちれない状況に変わりはない。

F4から上も、ナメ状の氷壁と雪壁が続くが、氷が薄かったり、岩が出ていて岩登りをしたりと、状態はあまり良くはないようだった。

上部は、通常登られている第二スラブとのリッジのコルには向わず、三スラをほぼ最後まで詰めてしまったみたいで、草付き帯は1ピッチ程度しか登らなかった。

草付き帯の上は急な雪壁がしばらく続き、ドームのかなり滝沢リッジよりに出たようで、ドーム基部を20mほどトラバースし、Aルンゼへの下降点へ。

懸垂でAルンゼに降り、ルンゼの途中から左側のドームのコルへ上がり、雪壁を登って国境稜線に抜けた。

稜線上はホワイトアウトで、何度かルートをはずしそうになりながら、13時30分、トマの耳に到着。

逆算すると、稜線に抜けたのが13時頃、ドームの基部に到着したのが12時~12時30分頃だと思う。

西黒尾根をかなり下ったころから吹雪いてきて、16時頃に到着した土合では、雨のような湿った雪が降っていた。

センターに、84のメンバーの1人が残っていて、借りっぱなしになっていた、スクリューの持ち主の鈴木さんの連絡先が聞けたので一安心した。

水上で、雨の中、露天風呂につかり、スキーヤーとスノーボーダーで渋滞する関越道に乗ったが、帰りの車の運転が核心となった。

途中、休憩した時に中嶋君が、ほとんど寝たままの体勢で薄目を開けて、「運転変わりましょうか」と言ってくれたが、かえって身の危険を感じたので、がんばって全部自分で運転した。

途中、何度か意識を失いそうになったが、無事に帰れてほんとうによかった。

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~最後に反省~

中嶋君は、自分が落ちたことにかなり責任を感じていたみたいで、めずらしく、しおらしくなって反省していたけど、どちらかというと問題の多くは私の方にあったように思うので、自分なりにいろいろ考えてみたことを書いておきます。

まず、持参したピトンの本数についてですが、本には5本で充分と書いてあっても、この手のルートはその時の状態によって全然違ってくる位の判断力はあるつもりですが、3年前にとなりのスラブを登った時や、上部草付き帯から眺めた感じ、さらにその数年前に滝沢リッジから見た感じからも、そんなもんだろうなというふうに、軽く判断していました。

それと、これまでアイスクライミングにはあまり真剣に取組んで来なかったので、取付く時も、5本あれば登れるという計算はできたけど、上に抜けてからのビレイポイント用に、ピトンを残しておかなければならないという当たり前のことが、感覚として充分には身に付いていませんでした。

また、上に行けばなんとかなるだろうという意識があったことも、事実だと思います。

上でビレイする時も、ほとんどどうしようもなかった状態には変わりはなくても、もう少し何とかしようと、とりあえず、いろいろと試みることも必要だったのかも知れませんが、ビレイについても、同様になんとかなるだろうと考えていました。

何とかなるだろうからとりあえず突っ込むというのは、アルパインクライマーの悪いところであり、逆に、いいところでもあると個人的には思っていますが、とりあえず突っ込む時にも、起こり得るあらゆる危険を想定する、より深い洞察力が必要だとつくづく感じました。

最後に、ビレイポイントを使わせてくれた84の鈴木さんには、ほんとうにお礼を言わないといけないんですが、貸していただいた支点も、氷質があまり良くなかったため、2本のうちの1本は効きがあまく、実質1本のスクリューで止まったんだと思います。

もし、その1本が抜けていたら、関係のない、他パーティまで巻込んだ事故になるところであったことが、最も深く反省しないといけない点だと思います。

 

 

八ヶ岳 赤岳西壁主稜

1999年2月28日
小谷、畠中(記)

3時45分に月明かりの中、美濃戸を出発。

満天の星空と遠く街の灯りが美しい。

外気はよく冷えている。

6時に行者小屋着。

文三郎尾根をつめ、7時30分に取り付く。

初めのチムニーで畠中てこずる。

かっこわるい。

風が強く寒いため手足の指先は痛い。

顔も痛い。

10時30分に赤岳に到着。

景色が美しい。

寒いのでそそくさと地蔵尾根を下降し、11時40分に行者小屋着。

春山のような陽気だったので、1時間ほどのんびりとする。

美濃戸には13時30分着。

私は、久しぶりの山登りだったが、今回の山行で「山登りは痛い」ということを思い出した。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁 無名峰南稜

1999年2月21日
宮嶋、関、板橋(記)

7時45美濃戸
9時30 赤岳鉱泉
10時45取付き
15時45終了点

前日のマークⅡスタック事件と宴会のおかげで起床が6時を回ってしまい、あわてて出発する。

三叉峰ルンゼに入りしばらくして、左側の無名峰北尾根を目指し、ラッセルで雪壁を登っていく。

尾根上でアイゼンをつけるが雪が深く、腰まで埋まるところもある。

尾根がやせてきて、ザイルをつける。

雪辱戦の関がトップで登攀開始。

1ピッチ目は岩稜から木登り。

2ピッチ目はハングに突き当たり右の凹状を登るが悪い。

セカンドの板橋の泣きが入る。

3ピッチ目は草付ダブルアックスで中間雪稜に出る。

コンテに切り替え、岩稜混じりの雪稜を歩く。

正面にチムニーのある上部岩壁が見えてきて、スタカットに戻す。

板橋トップでやせた雪稜から、草付登りで上部岩壁基部へ。

エイリアンでビレイ点を作り核心部へ。

最初のⅢ級の凹状はノーピンで15m、チムニー下のテラスで、腐ったハーケンをエイリアンとキャメロットジュニアで補強しチムニーへ。

2、3手登ると古い残置シュリンゲが掘り出せる。

ここから、バックアンドニーでチムニーを抜け、カンテ状を登ると縦走路が目前に見えてきて登攀終了。

感想 横岳西壁の雪稜系のルートはほとんど登ったが、この無名峰南稜は1番楽しかった。

一緒に登ったメンバーが年齢も近く、気心も知れていて、足並みも揃っていたこともあるが、ラッセルありそこそこのナイフエッジあり岩のグレードも4級以上で、手応え充分の本当にお勧めのルートである。

時期的には、積雪の多くなる2月頃が楽しめるのではないか。

中山尾根や阿弥陀北西稜より1グレード上の難しさはあると3人

yatu1下部雪稜を登る関、宮嶋

yatu2上部岩壁へ向かう板橋

yatu3中間雪稜を登る宮嶋、関

鋸岳 第2高点中央稜右岩稜

1999年2月20日~21日
瀧島、中嶋(記)

雪山は本当に久しぶりだった(2年ぶり?)ので時間が少ないこともあって準備が大変だった。

三鷹に集合して、高遠の「道の駅」で車中泊。

道の駅の便所はなんと暖房が夜中もはいっていてとても快適だ。

熊穴沢の出合いまでのアプローチは1時間半くらい、運動靴で行ったせいか楽に感じた。

角兵衛の出合いに運動靴はデポしておいて、熊穴沢を登山道を探しつつ登っていった。

熊穴沢は非常に幅が広く、雪に埋まった夏道は登りではほとんどトレースすることができなかった。

これを忠実にたどれるかどうかでアプローチの時間が大幅に変わってくる。

それでもテン場の予定地がそれほど遠くなかったので4時にはテントを張ってしまった。

取り付きは尾根を末端から右に回りこんで、2本目のわりと大きなルンゼを詰めると簡単に尾根上にでる。

ルート中特筆すべきことはなし。

状態が良ければロープはいらない。

壁は右から回り込めばだいたい上手く巻ける。

左には以前に登った第2尾根が見えるが、こちらはとてもかっこ良い。

稜線上にはけっこうな数の登山者がいて、これを避けるために熊穴沢を下ることにしたが、とてもいやらしい雪の量といやらしいクラスト具合で本当に不快な下りだった。

高遠では町営のさくらの湯にはいって、ついでにビールとおでん、夕飯の高遠そばも食べて、杖突峠経由で夜景を満喫しながら帰った。

たまにはこんな旅行も良いものだ。

八ヶ岳 横岳西壁石尊稜(これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ~八ヶ岳解説と懸賞付)

これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ
八ヶ岳解説と懸賞付

1999年 2月2日
板橋(記)、嶋崎

6時30美濃戸 – 8:15赤岳鉱泉 – 9:45取付き – 12:15 終了点

強烈な冬型で、上空5000mでマイナス40度以上の寒波がやってきます。

美濃戸からいつもは見える阿弥陀岳が見えません。

美濃戸の小屋の前のおじさんも少しさびしそうにポーズを決めてます。

幸いまだ雪は降っていませんが、時間の問題でしょう。

八ヶ岳は太平洋側の気候とはいえ、冬型が強いと天気は悪い。

その辺は十分理解しておきましょう。

赤岳鉱泉への柳川北沢沿いの道を歩き、しばらくすると左側にショートカットコースの入口があります。

多分5分くらい短縮できます。

でも御用心。

沢沿いなので、雪の下はナメ氷です。

こんな所でこけてはダサいので、慎重に。

カットの後はまた、林道です。

鉱泉の車が頻繁に入っているので、運動靴でも行けちゃいます。

左に大きくカーブする所でもカットができます。

ここの堰堤はアイスができるくらい凍ることもありますが今年はだめそうです。

しばらく歩くと林道終点。

ここで一本とってしまうようではアカンですな。

橋を渡り登山道に入りますが、ここも運動靴でも大丈夫でしょう。

一回目の橋を渡る所で後ろを振り返るとそこには登れそうな氷が見える。

これは「大岩ルンゼ」と呼ばれるアイスのゲレンデです。

しばらく沢の左側の歩きますが、右に渡り返し、もう一度左に渡ったあたりでパラレルツインの氷柱が見えます。

これが「赤岩の氷柱」です。

この辺は「峰の松目沢」

の出合いらしく、赤岩の氷柱を登りにトレースを追っかけたら峰の松目を登ってしまった事もある。

ダサー。

正面に、大同心や小同心が見えます。

その間のルンゼが大同心ルンゼ。

大滝も良く見えます。

大滝の左や正面は歯が立つが、右のラインは難しかったです。

赤岳鉱泉に着きました。

ここでアイゼン以外のガチャを着けてしまいましょう。

忘れ物はないか最終チェック。

食料や燃料などはここでも購入できます。

でも高そうです。

さあ出発しましょう。

行者小屋への道をじゃらじゃら音を立てて歩いていきます。

10分も歩くと左にトレースが分かれます。

このトレースは柳川北沢沿いにつけられています。

少し、雪が深そうなので、もう少し一般道を進みましょう。

指導標が立っているところにも左へ行くトレースがあります。

このトレースに入り、古いロープをくぐると柳川北沢に降りれます。

トレースが無いとラッセルになってしまいますが、三叉峰ルンゼや石尊稜など人気ルートが奥にあるのでトレースが消えることはないでしょう。

左へカーブして倒木に覆われたルンゼが、「小同心ルンゼ」の出合です。

「無名峰北尾根」へはここをつめていきます。

更に進み、左にカーブして出合うのが「三叉峰ルンゼ」です。

新雪期には、氷が出ているのですが、今は雪の下になっています。

大滝の手前でアイゼンをつけ、右の雪壁を登りましょう。

簡単に「石尊稜」に上がれます。

右から回り込み少し登ると下部岩壁です。

我々は1ピッチ50mで抜けきりましたが、ぎりぎりなので、途中で切ったほうが無難でしょう。

ビレイ点は潅木で取り放題です。

中間雪稜は所々露岩が出ていますが、ロープ無しでも進めます。

ロープをつけていると6~7ピッチになるでしょう。

眺めのいい雪稜のつきあたりが上部岩壁です。

右を回り込めるらしいですが正面のカンテ状を登るのが自然です。

1ピッチ目は伸ばせるだけ伸ばして、岩角をうまく使ってビレイ点を作りましょう。

岩角支点と草付アイスフックは八ヶ岳では必須の技術です。

2ピッチ目で岩稜帯を抜けてしまい、縦走路に出て終了です。

風が強いので、岩陰に隠れて、ガチャをしまいましょう。

下山は地蔵尾根経由がよろしいでしょう。

このあたりの縦走路は、雪山歩きとしては手強いらしいですが、吹雪かれようがヘッデンをつけようが下山できるようになれれば、精神的にも余裕が出てきます。

ほとんど左側を巻くのですが、1ヵ所だけ右を大回りで巻くところがあります。

ここは、ヘッデンでは判りづらいので、周囲の地形を頭に叩き込んでおきましょう。

45分ほどで地蔵尾根の分岐です。

地蔵尾根も吹雪かれると西風をもろに受けたり、雪崩れたりするので注意が必要です。

途中で2ヵ所ほど、尾根が分かれて迷いやすいところがありますが、右に行けば道を外さないでしょう。

雪に埋もれた階段のところから尻セードで一気に下ると樹林帯に入ります。

ここでアイゼンを外し、グリセードとスケートを屈指すれば10分もかからず行者小屋へ到着します。

ここから直接美濃戸への道を下るより、中山乗越から赤岳鉱泉に戻ったほうが道も良く早く下れるでしょう。

赤岳鉱泉からは美濃戸まで走って下るのもよいでしょう。

秀峰登高会若手諸君へ

赤岳鉱泉から美濃戸まで30分を切ったらルノアールでコーヒーをおごりましょう。

板橋は無名峰南稜の登攀後30分で降りました。

健闘を祈ります。