黒部横断記録

1999年4月29日~5月7日
小谷、児矢野、杉浦(記)

赤岩尾根-鹿島槍-牛首尾根-十字峡-大滝尾根-仙人池-八ッ峰-馬場島

[4/28]

23:00 新宿に集合、23:20発の急行アルプスの臨時便に乗る。

客はまばらで、各々4つのシートを一人で使って、快適に大町へ。

自分は前日の睡眠不足からか、ぐっすり眠れた。

[4/29]

大町駅からタクシーで大谷原へ。

他のパーティは、S字峡からガンドウ尾根に行くというチーム84の1パーティしかいなかった。

大谷原6:00発。

天気は曇り。

寒気が入っているようで、少々寒い。

赤岩尾根は、結局我々だけでトレースしていく。

11:40稜線直下。

少々不安ではあったが、まだ雪が締まっており大丈夫であろうということで、稜線までトラバースする。

12:45冷池小屋。

ここから鹿島ピークまでが、思った以上に長かった。

16:15鹿島槍ピーク着。

頂上付近だけ雲がかかって吹雪いていて、ちょっとだけ冬山気分を味わえた。

ピークからはすぐ牛首尾根の下降に入り、17:00、牛首山の手前でテントを張る。

5月ということで、シュラフカバーしか持って来なかったが、この日はちょっと寒かった。

[4/30]

ちょっと寝坊して、3:20起床。

5:45出発。

天気は晴れ。

誰もいない雪稜を歩くのは気持ちがいい。

2300mくらいから、地形が複雑になり、視界がなかったらかなり苦労しそうだと思った。

6:50、2061m分岐着。

雪が締まっていて、意外に早く進む。

1849m辺りからブッシュが多くなり、逆になかなか進まなくなる。

途中、新鮮な熊の足跡らしきものがあり、時々叫びながら進む。

9:15、1476mピーク。

だんだんと尾根が急になって、悪くなってくる。

13:40、さすが小谷さんのルートファインディングで、さして大きな間違いもなく懸垂点に出れた。

それにしても、この下りは結構悪く、核心を一つ越えた感じがした。

1ピッチの懸垂で十字峡に降りる、14:00。

ここで第一の核心十字峡徒渉となる。

服を全部脱いで、ヤッケだけ着る。

小谷さんが気合いを入れて、最初に渡りだす。

途中確保していてちょっとヒヤッとするが、さすが無事徒渉。

次に自分が渡る。

流れは結構早く、水は深いところで胸まであり、かなりたいへんだった。

最初に徒渉してたら多分やばかった。

児矢野さんも、無事徒渉、16:10。

ここから水平歩道まで登り、十字峡まで出て幕営、17:10。

黒部川無事徒渉、天気はこのあと数日晴れの予報、ということで、改めて気合いが入ってくる。

[5/1]

2:30起床。

5:00出発。

天気は快晴。

約20分ほど北尾根を登ってから、雪稜をトラバースして、懸垂点に着く。

そこから2ピッチ懸垂して、剣沢に降り立つ、6:30。

沢には雪が多く残っていて、楽々歩いて大滝尾根の取り付きに至る、7:10。

ここで、小谷さんの「大滝を見に行きませんか?」

という提案で、ザックを置いて大滝を見に行く事にする。

冬は雪崩の巣、夏は厳しい沢登りが必要なこの幻の滝は、今はあっさり雪の上をただ歩くだけでその下まで行けた。

轟々と落ちる幻の大滝は、たしかにすごい。

小谷さんは、ミーハーギャルのように写真を撮りまくっていた。

大滝の前で修学旅行生のように記念撮影をして、取り付きへ戻る。

ここから第二の核心、大滝尾根。

気分を登攀に戻して、気合いを入れる。

[大滝尾根登攀編1日目]
[杉浦リードで取り付く、8:20。

1ピッチ目、垂直に近いブッシュ、空荷で取り付く。

ブッシュはしっかり生えていて、ホールドとして十分使える。

気合いが入っているせいかあまり怖さは感じない。

45mでザイルをフィックスする。

3人でザイルが2本の為、荷揚げをすると後続が別々に登らなければならず、時間が掛かってしまう。

2P目、急傾斜のブッシュ、まだ1週間近くの荷が入っているザックを背負っての登攀はちょっとつらい。

途中土壁にバイルをさして登る。

45mでフィックス。

3P目、ブッシュ、ドーム基部まで(20m)。

4P目、ドームは、トポにある左上するリッジの奥を所々生えているブッシュを頼りに空荷で登る。

30mほど登るとリッジの大滝側へ出て、剣大滝が上から見渡せ大変気持ちがよかった。

そこから少し登ったところでフィックスする。

天気が良くちょっと暑いぐらいだが、ここは大滝の方からくる風が気持ちいい。

5P目、3級程度の岩を20mほど登るとビバークできそうなテラスへ出る。

途中残置ハーケンがあり、ルートは間違ってないと安心する。

テラスで、ザイルの流れを考えてピッチを切る。

ここで時間はまだ2時頃(だったような)で、まだ時間は有るということで、次のビバークポイントの出現を期待してピッチを伸ばすことにする。

6P目、右から回り込み、雪の付いたやせた岩稜帯へ出て(雪のテラスだと思われる)、次の急なブッシュ帯の前で切る(45m)。

7P目はブッシュ、薮の中のリードは、ザイルがだんだん流れなくなってきて、最後のほうはかなり重たくてつらい(45m)。

8P目、急傾斜のブッシュ(40m)。

9P目、急傾斜のブッシュ、垂壁が出てきたので、その前で切る(35m)。

10P目、たいしたことないと思ってザックを背負ったまま垂壁に取り付くが、途中ではまる。

1ムーブがこなせず、たぶん使わないであろうと思っていたアブミを出す。

ちょうど残置ハーケンがあり、まずそこにアブミを掛け、次に細いブッシュにシュリンゲを巻き、アブミを掛けて乗ろうとするが、そのブッシュごと落ちそうになり、慌ててハーケンのほうのアブミに戻る。

仕方がないので気分を変えて別のムーブに変えてみたら、結構すんなりいき、垂壁を抜けることができた。

トポにもこんな垂壁のことは載っていなく、見た目も簡単そうだったので、なめてかかってしまったのが、ちょっとまずかったようだ、40mでフィックス。

11P目、傾斜の緩いブッシュ帯から、雪稜に出る(35m)。

ここの雪がちょうどテラス状になっていて、ぎりぎりテントが張れそうなスペースがあった。

細い稜にちょこっと雪が乗っかっている、というような感じでかなり不安ではあったが、小谷さんが慎重に(?)下検分した結果、大丈夫であろうということで、ここに張ることにする。

17:40。

テントに入ってしまえば、あまり気にならなくなって、ぐっすり眠ることが出来た。

[5/2]

2:30起床。

5:00出発。

天気は快晴。

[大滝尾根登攀編2日目]

引き続き杉浦リードで登攀開始。

12P目、雪稜を歩いてブッシュ帯の前で切る(40m)。

13P目、ブッシュ、緩い傾斜からだんだんと急になってくる。

傾斜がほぼ垂直に近くなってきたところでピッチを切る(45m)。

14P目、少し登るとブッシュ混じりの垂壁が出てきたが、その垂壁は難しそうだったので、その下を右斜めにバンド伝いに登り、そのあと木登りをする。

が、途中でザックが引っかかり、どうにも登れなくなって、ピッチを切って、フィックス(35m)。

15P目、空荷で登り出すが、荷揚げは時間が掛かると思い、すぐにピッチを切る(10m)。

16P目、右のブッシュ帯か、左の岩のリッジかどちらに行くか迷ったが、様子見ということで左に行ってみたら行けそうだったのでそのままリッジ状の岩稜帯を登る。

傾斜が緩くなり、視界の開けた垂壁の前でピッチを切る。

大滝がかなり下のほうに見え、気分は爽快(35m)。

17P目、垂壁を右側から取り付き、次に中央を抜けて、奥のジェードル状の垂壁の手前でピッチを切る(35m)。

18P目、ここで、トポに左へトラバースすると書いてあることを、小谷さんに言われ、そちらの様子を見に行く。

確かに行けそうなので、トポに書いてある太い杉の木のところまで行き、ピッチを切る(15m)。

トポは十分読んであるつもりであったが、そんな事はなかったようだ。

まだ、読みが足らなかった。

19P目、空荷で杉の木を木登りして抜け、そこでザックを手で上げ、フォロー用にアブミをセットして、再びザックを背負って登り始める。

巨岩を累積したような岩場を抜けると、岩が累積したテラスである岩の広場に出た(50m)。

20P目、岩稜帯を右から登り、傾斜が緩くなったところで雪から水が滴っているところがあり、水が簡単に取れそうだったのでピッチを切る(25m)。

21P目、やせた岩稜帯を登る、傾斜はあまりない(50m)。

ザイルを引く筋肉が痙攣してきて、だんだんと引く力がなくなってきたようだ。

再三のアップのコールに、なかなか応えられない。

22P目、岩稜帯からブッシュ(45m)。

23、24P目、急なブッシュ(だったと思う)でやせた岩稜帯に出る。

ここに、また雪がちょこっとだけ乗っかっているようなところがあったので、この雪を切り崩して、テントサイトを作る。

昨日よりも更に狭いところだが、寝るだけの幅があるだけもありがく、ここにテントを張る。

17:30頃。

[5/3]

2:30起床。

5:00出発。

朝は曇り。

今日一日天気が持つことを祈りながら出発。

[大滝尾根登攀編3日目]

引き続き杉浦リードで登攀開始。

25P目、天場から少し歩いて、5mほどクライムダウン、そのまま岩稜帯を行く(45m)。

26P目、最初の少しだけスラブが悪く、そこだけザックを降ろして登り、ランナーを取って戻って、再びザックを背負って登り、次の垂壁の前で切る(30m)。

27P目、垂壁を左の方に登り、その後木登りをするが、その木登りがちょっと悪く、ザックを置いて登る(30m)。

28P目、今にも崩れそうな巨岩を累積した岩場を20mほど登って、その後の岩場を右から回り込んで登る(45m)。

29P目、ブッシュから岩稜帯に出て、7~8mほどクライムダウンして、ガレた垂壁の下に出る(35m)。

30P目、見た目がちょっと悪そうだったので、空荷で登り出す。

どこが登られているのか判然としなかったが、感性に従って真ん中よりに登っていくと、残置ハーケンがあり、ここが正しいとわかる。

下部は脆かったが、上部はそうでもないようだ。

ハーケンのところから、5.9くらいのムーブを越えると垂壁の上に出て、そこでフィックス(40m)。

31P目、ブッシュの稜線(45m)。

32P目、雪のついた岩稜から急なブッシュ帯の前に出る(45m)。

33P目、急傾斜のブッシュを登り、雪稜の下に出る(30m)。

34P目、広々して平らな雪稜を歩く(50m)(天幕可能)。

35P目、ブッシュの生えた緩い傾斜の岩場を登り、垂壁に出る。

ここで、なぜか力が入らないと思っていたら、朝棒ラーメンを食べてから、何も口にせず登り続けていた事に気づく。

失礼して、セルフを取って行動食をがつがつ食べる。

腹がおさまったところで、再度登り始めるが、垂壁が見た目より悪い。

ここにザックをフィックスして、空荷で登る。

ルートが判然としなかったが、また感性に従って真ん中寄りを5.9くらいのムーブから、木登りに移行して越えて、ザイルをフィックス(45m)。

36P目、少し雪稜を登ってから、ブッシュの生えた緩い岩稜帯に入る(50m)。

ここで、さすがに疲れが出ているようで、なかなかスピードが上がらなくなってきた。

リードを小谷さんに交代してもらう(これ以降はフォローのため、かなり記憶がとんでます・・・)。

37、38P目、岩稜帯。

39P目、一旦雪稜に出て、そのあと急なブッシュを登る。

40P目、ブッシュからまた雪稜に出る。

この辺りから、やっと雪が登りを助けてくれる感じがした。

41~45P目、雪稜、ブッシュが交互に出てきて、広いピークに出た。

17:00。

高度計は遥かに1600mを越えているが、トポから推測すると1600mピークと思われる広いピークだ。

取り合えず、昨日、一昨日と比べるとかなり広くて、今日は安心して眠れそうなところだった。

雲はたくさん出てきたが、今日一日天気が持って良かった。

でも明日からは天気が崩れるかもしれないと言う天気予報を聞いていたので、停滞してもいいようにとしっかりと整地して、ブロックも積み上げる。

[5/4]

2:30起床。

5:00出発。

天気は曇り。

まだ、雨は降っておらず、何とか行けそうな感じの天気だ。

[大滝尾根登攀編4日目]

小谷さんリードで登り始める。

46P目、雪稜を下る。

47P目、雪稜を登る。

48P目、急傾斜のブッシュ交じりの岩登り。

49P目、緩い雪壁。

50P目、垂直の木登りから、ブッシュ、最初の木登りがちょっと悪かった。

51~55P目、雪稜、所々ブッシュと言う感じで、大滝の頭へ出る。

12:00]

大滝尾根の頭は、ピークという感じではなく、ガンドウ尾根の登りの途中に出たという感じで、自分は最初それとは分からなかった。

そこから2ピッチザイルを伸ばして、ザイルをしまう。

途中一度ザイルを出すが、あとは広い稜を歩いて仙人小屋へ着く、14:00。

仙人小屋へ向かう途中から雨が降りだして、着いたころは結構よく降っていた。

急いで二つの小屋の間にテントをたて、中に入る。

既にみんな全身びしょぬれで体は気持ちが悪いが、大滝尾根を無事抜けた事と、ガス、食料も十分残っている事などで気分的にはかなりいい。

ガスをがんがんたいて、何とかある程度物を乾かす。

天気予報は、かなり荒れる予報をしている。

明日は、朝の天気を見て考えることにする。

[5/5]

天気予報通り、朝から天気が悪い。

また、ここ連日の行動の疲れも出ており、今日は停滞と決め込む事にする。

朝飯を食って、しばらくテントの中で寝ていると、昼過ぎころから、だんだんと空が明るくなってきた。

外に見てみると予報に反して空は晴れ間が出てきていた。

少し待っていると、ほんとに晴れてきて、ぽかぽかしてきた。

昨日濡れたものを小屋の屋根に広げて、乾かすことにする。

日差しが暖かく、気分ものんびりしてほんとに気持ちがよかった。

明日は、天気はこのまま回復しそうだが、日数も残り少なくなってきたことなどで、一二のコルから八つ峰に取り付くことにする。

[5/6]

2:00起床。

4:30出発。

天気は曇り。

小屋の直下のルンゼを降りる事にする。

最初は急雪壁をダブルアックスで下り、その後は剣沢まで歩いて下りる、5:10。

それから剣沢を登り出すが、途中から雪がちらほらしたり、晴れ間がちょっと出たりと天気は安定していないようだ。

8:55、一二ルンゼの基部。

ここからはトレースは全くない。

コルまでは、結構な急雪壁で、11:25、八つ峰稜線に出る。

少し登って、ちょっと悪いところを抜けたところで、ザイルを出す。

小谷さんと杉浦がザイルの末端を結び、交互にザイルを伸ばす。

2峰は一ピッチクライムダウンしてトラバース。

そこからは忠実に稜線をたどる。

自分達でトレースをつけていくのは気持ちいいが、なかなか時間が掛かってしまう。

途中から雪がちらほら交じってきて、また風も強くなってきて、ちょっと冬山気分になってきた。

三峰、四峰下りはちょっとだけ懸垂、五峰は2ピッチの懸垂で五六のコルに出た、18:00。

ここにはいくつかテントサイト跡が残っていて、その一つを改良してテントを張る。

[5/7]

2:00起床。

5:00出発。

天気は晴れ。

ここから先もトレースは全くない。

昨日と同じシステムで、杉浦から六峰を登り出す。

他のパーティはおらず、我々だけでトレースしていくのはほんとに気持ちがいい。

が、3人という事もあって、なかなか進まない。

六峰の登りは結構長かった。

でも、ふと後ろを見ると三峰の方から我々だけのトレースがずっと続いており、たいへん贅沢な気持ちになる。

六峰を懸垂下降して、七峰はトラバースする事にする。

天気は快晴でぽかぽかしてきたが、雪はだんだん緩まってきていて、ちょっとひやひやしながらここを通過する。

で、七八峰のコルに出る頃には、もう昼になっていた。

ここで、この後の下降の事を考えると、もう時間切れという事で、涙を飲んでここから長次郎谷側へ下りて池ノ谷乗越へ出る事にする。

一ピッチクライムダウンしてザイルをしまい、乗越まで登る、13:45。

ここでまた、早月尾根か池ノ谷ガリーかどちらに行くか相談する。

数日前、桜井さん達のパーティから無線で、まだ大丈夫という話を聞いていたので、多分まだ大丈夫だろうということで、池ノ谷ガリーに行く事にする。

今日中に寿司が食いたい、という思いも大きかった。

最初の三ノ窓まではダブルアックスで下り、そこから少し下りたところでアイゼンを脱いで、シリセードに入る。

むちゃくちゃ早かった。

が、ガリーの核心の手前で、やはり状態は万全ではなく無理はできない、という判断で登りかえして小窓尾根に出る事にする。

雪が少し残っているルンゼを登って、小窓尾根に出る。

出た所は非常に景色がよく、富山湾とそこに落ちる夕日が大変きれいだった。

ここから小窓尾根を忠実に下りていくが、途中から懐電行動になってしまった。

この頃から、今日はたぶん寿司は無理だろう、という思いが強くなり、自分の中でだんだん気分が落ち込んできて、急に疲れが足に出てきてしまっていた。

沢に出た頃にはあたりは真っ暗になっていて、何度か迷ってしまったが、21:00、ついに最終目的地、馬場島に着いた。

多分まだ夜行に間に合うという事で、タクシーを呼ぶ。

でも、このタクシーが今回の中で一番恐かったかもしれない。

細い山道をタイヤを鳴らしながら、所々120Km/h以上の速度で飛ばしていた。

で、結局そのまま滑川駅前でやきそばだけ食って、夜行に飛び乗った。

(注)
大滝尾根登攀編では、ちゃんと記録を取っていたわけではないので、ピッチの距離などは結構いい加減です。

あと、特に2、3日目は、記憶が飛んでピッチがずれていたり、入れ違っていたり、抜けていたりという所があるかもしれません。

御参考にされる場合はご注意ください。

[感想]
これだけ長い山行は大学の合宿以来で、最初は体が持つかどうかちょっと不安でしたが、何とか体が動いてくれて、大変充実した山行になりました。

結局、冷池小屋で小屋の人から声をかけられて以来、馬場島まで誰一人とも合わず、なにか秘境を旅してきたという感じがあったのもよかったです。

長い山行は、やはり土日の山行にない楽しみがあってほんとに充実しました。

大滝尾根はとにかく薮薮薮・・・という感じでたいへんでしたが、登攀技術的にはあまり難しくなく、どれだけスマートに登攀をして早く抜けられるか、というのがポイントになるでしょう。

今回は悪そうな所で何回かザックを降ろして登ってしまいましたが、力量のある方であればもっと空荷の部分を減らして、もっと時間を短縮できるのではないかと思います。

最後に寿司が食えなかったというのは、かなり遺恨でしたが、児矢野さん同様、次へのモチベーションにしようと思っています。

では、最後まで読んでいただきありがとうございました。(^^)

 

 

前穂高岳 屏風岩 雲稜ルート、東稜(フリー)

1999年5月1日~4日
富安、増子

増子(記)

5/1

朝、出発し、上高地にpm1:00着、横尾3:30着。

以下、横尾ベース。

5/2

雲稜ルート:朝4:00出発、7:00取り付き、11:30頃に上部凹角部につくが拳だいの落石、落氷が定期的に発生していたためここから懸垂下降とした。

12:30T4到着。

終了。

核心部のグレードは11なのでオンサイトだろうと思い取り付くが、冨安テンション、増子に交代するがやはりテンションする。

どうしても指先を酷使する1ムーブが出来ずA0で上がり、上部(10c~)をクリアーする。

5/3

東稜ルート:朝3:00出発、6:00取り付き、12:30終了。

懸垂下降として14:30T2到着。

終了。

2ピッチ目の核心部(12ー????)は、力量がとんでもなく及ばずクラシックルートに変更して突破。

このほかピッチは、10b~11bだったのでオンサイト又は1テンション程度で登ることが出来た。

5/4

雨のため下山。

松本駅近くの信州会館で風呂にはいる。

屏風山行終了。

最後に、東稜ルートにチャレンジして思ったことは、ルートには当然チョークの跡がなく、1ピッチのゲレンデに比べ時間及び視野の制限があり、難しくなる様に思う。

特に、ついつい早く登らなくてはと思い、モチベーションを高めるまもなくトライしてしまい、テンションしてしまった様に思う。

また、1ピッチのゲレンデで登れたといって有頂天になっている私であるが、ルートを読む眼力は実際には育っていなかった様に思う。

今後、東稜ルートのようなマルチピッチのデシマルグレードのルートが増えるといいなあと思う。

楽しい山行でした。

追伸
連休後半戦は有笠山(5/7)、嵩山(5/8)に、冨安、増子でフリーに行って来ました。

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富安(記)

5/2

雲稜ルート 4:00に横尾出発。

ちらほらと雪が降っており、フリーができる状態なのか心配。

が、ガンガン進む。

岩屋を超えたあたりはまだ雪があり、ジョギングシューズではつらい。

7:00に取り付くころには晴れ上がっており、岩も暖かい。

釣瓶式に上る。

扇岩の核心は11。

冬に見た時、カチの連続するフェースとイメージしていた。

結構やる気で、増子さんとのジャンケンに勝利し、取り付く。

が、一手も進まずテンション。

実際に取り付いてみると、微妙な足が必要なスラブの感じで、ここしばらく人工壁しか相手にしてなかった自分には不可能。

すぐ増子さんに交代。

さすがに巧くこなすが、二本目のクリップを超えたあたりでフォール。

苦手なタイプらしく、再トライもなく諦めが早かった。

トップロープになった状態で再度試みるが、二本目のクリップで、行き詰まり、結局、人工。

フリーをやりにきて、唯一のデシマルグレードのピッチをできないのは間抜けだった。

それから2ピッチ上り凹角部に入る手前で、氷、石が落ちてくるため、ここで終了、11:30。

同ルート懸垂下降、12:30T4着。

5/3

東稜 3:00に横尾出発。

6:00取付。

取付手前の雪渓はロープを出す。

ここは気温が上がると氷、石が「ブーン」

と跳んでくる為、結構危ない。

取付で30分程モチべ-ションを高め、6:30より登攀開始。

出だしは5.10+。

出だしから悪く、増子さん1テンションで抜ける。

私はさっぱりホールドが解らず、下部2手をA0。

開始早々、すでにリードする気をなくす。

核心の2ピッチ目は12-。

すっと立った壁で、上部は青空に隠れており、美しい。

増子さんは下部を巧くこなしたが、上部で行き詰まり、左に脱出。

私は下部からフォールの連続で、足がさっぱりあがらない。

あぶみにお世話になる。

3ピッチ目10b。

トラバースがよく解らず、A0。

4ピッチ目11b。

ザックデポ。

増子さんは核心のスラブを越え、ガバをとってからフォール。

惜しかった。

私はもちろん最初からフォール。

核心部は非常に微妙なムーブで、指一本動かせなかった。

このピッチは岩がもろく、ちょっと恐い。

私は顔面大の岩をはがしてしまった。

5ピッチ目10c、6ピッチ目10+。

増子さんはオンサイト。

私は何度トライしてもできなかった。

終了点12:30。

同ルート下降 T4 14:30着。

力及ばなかったが、東稜のフリーは歯ごたえのある楽しめるルートだった。

大きな壁、人工壁のみでは対応できない細かいホールド、微妙なムーブのプレッシャーは満足できるものだった。

こういう歯ごたえのあるデシマルグレードの続くマルチピッチの壁をもっと楽しんでみたい。

今回の山行で、特に懸垂下降の最中、支点取り、セルフビレイ等で大事故一歩手前のへまなことをやってしまった。

増子さんのおかげで事故にはいたらずにすんだ。

全般的に増子さんに頼りっきりの山行だった。

次は、お互いの技術を信頼してない仲間と、持っている知識で十分対応できるクラスの山行をしてみよう。

 

 

剱岳 剱尾根

1999年5月1日~5月3日
向畑、倉田(記)

4月30日(金)

23時54分上野発急行能登に乗り込むが、すごい人。

運良く座れる。

5月1日(土)晴れ

5時半頃魚津着。

富山地鉄に乗り換え6時半頃に上市着。

タクシーで7時頃、馬場島に着く。

小窓パーティーのテントを発見し、なんとなく嬉しく、皆を起こしにかかる。

県警に計画書を提示し、初めて見るヤマタンを手にする。

思っていたより小さかった。

今日は、明日の核心に備えて、行けるとこまでつめないと行けないので、気合が入る。

気合が入っている割に体がついていかず、年かしらなどと無駄なことを考えながら、白萩川左俣をつめ、タカノスワリにて休憩。

ここから、池ノ谷ゴルジュが見える。

今年のゴルジュは雪で埋まっていて歩ける。

天気は晴れ、Tシャツ一枚でも暑い。

剣尾根末端に、10時20分に着く。

岩小屋のツララがとてもおいしい。

休憩して、12時半に出発。

そこから少しで、R10につき、雪壁をつめ、尾根上に出る。

雪は少ないらしくやぶやぶしている。

さすが連休だけあってか、トレースがはっきりとついていた。

途中、部分的に悪いところがあって、何度かロープを使う。

ちなみに、テントを張るのに適したところがいくつかあった。

15時40分、コルE~コルD間で行動終了。

場所がはっきりせず。

5月2日(日)晴れ

6時に出発。

ブッシュが出ていたり、嫌なところがいくつかあった。

コルDはよくわからず通過。

9時半頃ドームや門がよく見える所に着く。

小窓尾根を歩く人がよく見えた。

(途中、こちらのほうに叫ぶ人がいた。小窓パーティーのような気がして、返事をする。)

11時にはコルCに着く。

ここから先は渋滞となる。

先行が1パーティー、後続が2パーティー。

はじめの1ピッチと草付120mの次の1ピッチはⅣ・A1で、人工登攀になる。

岩壁の向こうには小窓の王などが見え、気持ちがいい。

はじめユマーリングをするつもりは全くなかったけど、後続を待たせるといけないから、と言われ、ほとんど経験のない人工登攀に自信がゆらぎ、結局、人工のところは、ユマーリングにする。

はじめの1ピッチは、右上して、カンテを回り込み、右のフェースを右上してのぼる。

一部難しいらしく、先行が苦労しているように見えた。

わたしは、そこをユマーリングで通過し、カンテを越す。

すると、上のロープが支点ではなく枯れた木に引っ掛かっているのがわかった。

そこまでユマーリングで大丈夫そうに見えたので、2回程ユマーリングすると一瞬のことで、枯れた木が抜け、横に振られ岩にぶつかってしまった。

腰をぶつけたらしく、しばらく仰向けで身動きがとれない。

気を取り直してとりあえず上にたどり着く。

ここからは、腰が立たなくて、ピッケルを杖代わりにして登る。

次の120mⅡリッジ、腰が痛くて辛い。

ここら辺の景色はいい。

ちょうど門にあたる次のピッチは、高度感があり、人工でクラックからバンドで左上する。

先のピッチより難しいとのこと。

次のピッチはフェースから岩のもろいルンゼ30mⅢ。

雪はほとんどついていなく、フェースは傾斜がゆるい割に、スタンスが少なく、右のリッジをつかいながら登る。

上部はからがらがらの岩を押さえつけながら慎重に手足をおく。

そこから少しで、ドーム頂上。

ここからは、剣本峰がよく見える。

(約15時)ドームより先も所々悪いところあった。

はじめのワンピッチのみをスタッカットでちょっとへつる、その後はコンテで岩稜を進む。

わたしが、かなり遅くしか歩けないため時間かかるが、わりとコルAに近いところで18時にテントをはる。

5月3日(月)曇り

昨日ほど痛くない腰に少しほっとしながら、7時出発。

岩稜づたいに、基本的に左俣側をいく。

雪壁、ナイフエッジ、もろい岩稜を一歩一歩踏みしめながら進む。

思っていたよりも早く8時半に長次郎の頭。

小窓方面から歩いてくる人をみて、ああ抜けたと感動。

剣本峰まで、歩いては休んでの繰り返しで、9時頃に頂上を踏みしめることが出来た。

時折雲がきれ、別山などが見えた。

早月尾根をゆっくりと下る。

途中で、今まで登ってきた剣尾根が見渡せ、何度も足を止めては見入ってしまう。

12時にチンネ登攀中の小窓パーティーと無線交信し、私が自力下山できることを告げる。

たたでさえ下山が下手なのに、腰が痛くて、途中転びながら、のろのろと下山する。

向畑さんには、ロープを持って頂き、何回も待たせてしまい申し訳なく思う。

休憩を何度かして、15時に馬場島に着く。

<感想・反省>

いつかは行きたいと思っていた剣岳なだけに、私が本当に剣尾根を登れるのかと、真面目に不安で、正直、胃が痛くなるほどでした。

結局なんとか登ることが出来、向畑さんには、本当に感謝しております。

反省として、まず、私の技術、体力、経験が十分でなかった為スピードが遅くなってしまった。

もっといろいろやらなくてはと痛感する。

次に、ユマーリング中の事故で、いろいろなことを考えさせられ、教えられました。

いろいろと目に余ることが多かったはずなのですが、温かく見守って頂いた向畑さんには頭があがりません。

最後になりましたが、腰を打ったことで、小窓パーティーの皆さんに大変ご心配をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。

 

 

北アルプス 五龍岳 北尾根

1999年5月2~3日
浅田、関(記)

今回は、平松・石原の事故の手掛かりを探しに行くという目的がありました。

現在のところ、事故原因について詳細は不明であり、当事者のいない今、究明は消去法によるしかありません。

北尾根をトレースしたところで新事実を発見できる可能性は低いと思いましたが、我々に残された最後の手掛かりだったと思います。

5月2日 快晴

テレキャビンの運行が8:30~なので、7:30頃ゆっくりと起床。

行列を10分ほど並んで切符を買いテレキャビンからリフトへと乗り継ぐ。

最終駅を出発してすぐ、慰霊碑が立ち並んでいるところで慶応の3人組に合う。

彼らは遠見尾根から検証にあたるとの事。

互いの行動と無線の交信時間を確認し合う。

西遠見尾根までは特筆すべきことはなく、なだらかな尾根が続くのみである。

北尾根への取り付きへは遠見尾根から白岳沢に下降するのだが、下降のポイントは大遠見からのものと西遠見からの2つある。

我々は西遠見からルンゼ状斜面を尻セードで白岳沢に降り立った。

ここから北尾根取付きまで白岳沢を下って行く。

途中いくつか装備が落ちていたが、いずれも関係なさそうなものばかりだった。

{①ダンロップテントの外張り。水色のナイロン袋に入っており「’97チェック済み OK」との記載有り。

②赤色のナイロン袋。中にゼロポイントの下半身用アンダーウェアー(緑色)とウールのロングソックス1組。

③テントシューズ片足(紫色)}

北尾根取付きアイゼン、ハーネス等を装着しルンゼの急登で北尾根に這い上がる。

北尾根下部は雪がだいぶ落ちており藪まみれになる。

藪のほこりのせいか呼吸をする度に咳き込むようになる。

雪壁状の急斜面をひたすら登り2119メートル地点をテントサイトとした。

夜の交信で慶応パーティは西遠見尾根周辺を探索したとの事だった。

9:15 リフト終点

- 12:00 西遠見 - 12:40 北尾根取付 - 5:20

2119m地点(泊)

5月3日曇り

天気予報では明日から悪天を告げていたので今日中に下山することとする。

北尾根はGWともなれば雪が安定しているので問題となるようなところはでてこない。

ロープを使用するようなところもなくひたすら急斜面を登り主稜線へ抜ける。

主稜線からは黒部や剱が良く見え、浅田さんにいろいろ教えてもらう。

五龍岳では頂上直下のビバーク地点を探したが、事前に富山県警撮影の現場写真を慶応側からもらっていたので簡単に特定出来た。

頂上から約100m下の最初のコルである。

ここで線香をあげ燃え尽きるまでの間、しみじみと現場を眺める。

平穏な今は「何故こんなところで」

と思わずにはいられない。

けれども彼らの死亡推定時刻である22日には、同じ遠見尾根上で身動きが取れなくなり死亡したパーティがいることを考えると相当な悪天候だったんだろう。

ここで慶応パーティと交信し、互いに新事実は無かったことを確認してから遠見尾根を下山した。

6:00 出発 - 8:20

主稜線 - 11:10~12:10 五龍岳 - 15:20

テレキャビン駅下山

北尾根については平松と何度か計画が持ち上がっていたルートで、今年にはいってから3月の連休にと誘いをうけていたのですが、私は社員旅行があるからと断ったのでした。

このような形で登る事になるなんて・・・。

私は自分の山登りは死とは無縁だと思っていましたが、そんな私と等身大の山登りをしていた平松は死んでしまいました。

同じ状況だったら自分はどうだったろうと考え込んでしまいます。

「山は恐い」

というのは言い尽くされていますが、今はその言葉が心に響いています。

北アルプス 小窓尾根~チンネ

1999年5月1日~3日
中嶋、桜井、森広、瀧島(記)

今年のGWは、1日休めば、普通の人は7連休が取れるという近年まれな、よい暦だったので、是非横断をして剣の頂に立ちたいと考えていた。

ところが五龍岳と利尻での2件の遭難の後始末などで黒部横断は今回も夢と散った。

言わばサブ計画的に出来上がったのが今回の山行計画だ。

計画ではチンネだけでなく小窓王の尾根や前剣尾根なども入れており、いつもの重箱のすみをほじくる病は治っていない。

関越道から長野経由で夜中の1時半に馬場島着、運転嫌いの瀧島にしてはたいへんに気合の入ったハンドルさばきだった。

5月1日

快晴

夜汽車できた剣尾根に向かう向畑、倉田パーティーに起こされる。

お互いの健闘を誓い合い県警に挨拶をしてからゆっくりと出発8:30。

白萩川の取水口のあたりで川原にも雪が見えてきた。

ここから始まるタカノスワタリは当然高巻くものと思っていたが、なぜかトレースは川原の雪の上に続いている。

2年前の夏に微妙な高巻きと水流に戻されつつも必死で通過した核心部も、スタスタと雪の上を歩いて通過してしまった。

川原に雪が現れたと思ったら、最も雪には埋まりにくそうなタカノスワタリの激流を残雪は見事に埋め尽くしている。

登山者にとってはこんなにありがたい事はない。

池の谷の出会いから見上げるゴルジュも雪が詰まっていて夏の悲壮感は微塵も感じない。

なんと下部ゴルジュは30分ほどでアイゼンもつけずに歩いて通過できてしまった。

2年前の夏にこの池ノ谷下部ゴルジュを突破を試みて、核心部を見通しただけで逃げ帰ってきた。

夏のこのゴルジュは両岸が100メートル近く垂直に切り立って50メートルクラスの垂直の滝をいくつも要している。

激流が猛り狂い人間が入っては行けない領域に思えた。

季節によってこんなにも谷の表情が違うものか?大自然に畏敬の念を感じずにはいられなかった。

富高岩屋から小窓尾根に上がると尾根上は予想通りトレースばっちりであとはそれをたどって2,121Mの台地まで。

15:00ウイスキーを飲みながらテントを張って寒くなるまで外で春山を満喫した。

5月2日

快晴

前夜、早立ちを誓ったが朝テントから出てみるとほかのパーティーはすでにいなかった。

出発6:00早月尾根から見るとニードル、ドーム、M状ピーク、マッチ箱と続く小窓尾根の核心部も注意しないと判らずに通過してしまう。

右には向畑、倉田パーティーが取り付いている剣尾根が左には北方稜線が手に取るようによく見える。

剣尾根にはクライマーが数パーティー取り付いている。

2年前の夏にトレースしたので当時のことが思い出される。

いつか行きたいアルパインアイスルートのR4にもクライマーが取り付いていた。

なんやかんやで三ノ窓には12:30に着いた。

この時点で計画にあった小窓王の尾根や前剣尾根はあきらめてチンネに翌日取り付くことにした。

小窓王や前剣には、いつか近い将来にまた来よう。

長い午後は雪洞堀りとチンネの偵察そしてウイスキーをちびりながらゆっくりと過ごした。

冬山の悲壮感なんか微塵もない。

まさに陽光の春山を骨の随まで楽しんだ1日だった。

5月3日

高曇り

今日はチンネの日。

詳細は中島が記します。

久しぶりのクライミングでこんなにも充実感を味わえたのは幸せだった。

手の指先からつま先まで全身にみなぎる緊張感がたまらない。

体脂肪率22%を認定されたなまりきった肉体には格好の刺激になった。

チンネの頂上ではパートナーと無事に登らせてくれた剣岳とチンネに心の中でお礼を言った。

三の窓に戻り、腹痛で雪洞キーパーとなった森広さんと合流して池ノ谷を2時間半ほどですべり下り馬場島には18:15着。

警備隊の詰所にいた岩峰登高会の星野さんの粋な計らいで畳の上に寝ることができた。

翌日、朝早く出発して途中、日本海の浜辺を散策し、上越市の国分寺という雰囲気のあるお寺、それから高田城址公園を回って家路についた。

というわけで、「春の剣岳と北陸ロマンと感動の旅」

は無事に終了しました。

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5月3日

(月)チンネ 中央チムニー~aバンドbクラック  登攀編(中嶋記)

雪洞から外をのぞくとかなりガスがかかっていたが、準備をするうちにチンネ全体が見通せるようになってきた。

左稜線の案もあったが、何よりも混んでいそうだったたので中央チムニーに行くことにした。

前日に北条・新村を登った加藤泰平さんから「中央チムニーが面白そうだ」

と聞いていたのも大きかった。

桜井・森広、瀧島・中嶋で組み取り付きに向かう。

森広さんがトップで登り始めたがすぐにお腹が痛くなったということで、一人で懸垂下降して三の窓の雪洞に戻っていった。

珍しいこともあるものだ。

結局残った三人でロープを組んで、登り始めたのが6:30。

1ピッチ目、2ピッチ目は中嶋リード。

1ピッチ目はチムニーの中を5mほど登ったところで右のカンテに出ていく。

まずはカンテに出る一手がけっこう難しい。

その後も何かと難しく一手ごとに躊躇してしまう場面が多く、情けないがかなりの時間をかけてしまった。

アブミは本気で2回だした。

チムニー状を抜ける少し手前でハーケンが固めうちしてあったので、ランナーが少なくなったこともありピッチを切る。

2ピッチ目はここから数m伸ばすと傾斜が緩くなるとともに狭い雪のジェードルになり、そのままベルグラ登りになっていく。

ちなみに雪のジェードルに入ってすぐにまあまあのビレーポイントがあった。

ベルグラのラインは夏の3級のラインからはずれているので支点に乏しく、かなりびびった。

登り切ってから改めて、かなり攻撃的かつ刺激的なラインだと感じた。

ロープいっぱいに近い所で、残置ハーケン2本にアイスフック2本とアングルを打ち足してビレーポイントにする。

3ピッチ目で中央バンドに達し、トラヴァースして上部壁に入っていく。

ここは桜井さんのリード。

ピナクルのテラスで小休止し、丁度正午だったので剣尾根パーティと無線で連絡を取る。

剣尾根パーティは早月尾根のかなり下の方にいることが分かり、自分たちの方がよっぽどハマっていることを認識した。

4、5、6ピッチ目は瀧島さんのリード。

aバンドからbクラックをたどり終了点まで。

下部のピッチ比べると極端に難しくは感じなかったが、これはこれで傾斜もあり迫力のある良いクライミングだった。

やはり岩が堅いというのは良いことだ。

終了点ではわりかし本気の握手を交わしてしまった。

登攀終了2:15くらい。

3:00には三の窓に戻り、そのまま雪洞で寝ていた森広さんを起こして撤収。

3:30過ぎに池の谷をグリセード・尻セードで下りはじめて、馬場島についたのが6:00ちょっと過ぎ。

速い!

<感想:登攀編>

家にかえってから白山書房の「アイスクライミング」

を見たら、中央チムニーについて「岩というよりも時期が遅くなると完全に氷のルートとなる」

とコメントしてあった。

相変わらず自分の装備はカジタの10本爪アイゼンにカジタのピッケル・バイル(ノーマルピック)、スクリュー無しというものだったので氷にはちょっと恐かった。

今度こそバナナのピッケルを買おうと心から思った。

それと3級の岩登りが自分にはかなり難しかった。

前の晩に丁度良い感じの新雪が積もっていたのも時間がかかった理由のひとつではある。

2級とか3級のピッチには過去にも何度か苦い思いをさせられている気がする。

アイゼン登りももう少し上手くならなければならないと思った。

上部壁は傾斜が強いのに、瀧島さんには随分頑張ってもらった。

正直言って中嶋は下部の2ピッチで神経を消耗してしまったので、パーティの期待に応えることが出来なかった。

申し訳ない。

でも久しぶりに本当に面白い冬壁(春壁?)を登ったと思う。

 

 

鹿島槍ヶ岳 東尾根

1999年4月17~18日
向畑、杉浦、井上、倉田(記)

4月16日(金曜)

21時半仏子駅出発→17日2時ごろ大谷原公園着

4月17日(土曜)晴れ

8時に出発。

大冷沢左岸の林道を少し歩くと、赤布がありそこから、東尾根に取り付く。

既に3パーティ程入山しているらしくしっかりとしたトレースが着いた尾根筋をてくてくとひたすら歩くと、一ノ沢の頭に着く。

鹿島槍南峰、冷尾根~爺が岳などが良く見渡せる。

そこからは、やせた尾根になり、春らしい陽気も伴って、楽しい雪稜歩きとなる。

穏やかな温かい天気の中、沢筋で雪崩れの音がしていた。

11時半ごろに二ノ沢の頭に着く。

先行パーティの様子が良く眺めることができ、第一岩峰手前で2パーティ、それより少し下った所で1パーティ、テントを張っていた。

二ノ沢の頭より少し下った所で、テントを設営し酒宴となる。

18時に就寝。

4月18日(日曜)曇りのち雪

2時に起床したが、昨日の酒が抜けないせいか、4時半にやっと出発する。

それでも、頑張て一番のりで第一岩峰に6時に取り付く。

空には、高層雲が張り出し、天候悪化を示し出す。

雪の付着のほとんどない第一岩峰を特別悪いところもなく、3ピッチでぬける。

そこから、雪稜をつめると、第二岩峰に、8時半に着く。

ここは1ピッチでぬけるが、ワンポイント悪いチムニーがある。

私は残置シュリンゲを頼りにして、やっと攀じることができた。

ここから先は気持ちいい雪稜となる。

荒沢の頭を過ぎ、北峰に10時半につく。

五竜から白馬まで良く見渡せた。

そこから、11時に鹿島槍南峰、このころから風とともに雪が舞い出す。

赤岩尾根分岐12時20分。

西沢に降りて下山するかと話が出たが、安全に、尾根筋を下る。

私にとってここからが核心となる。

はじめは調子に乗って、すたすた降りていたが、こけてひやっとする。

向畑さんが水を得た魚のように遥かかなたに下りていく姿を横目にして、緊張しながら降りる。

13時50分高千穂平、15時15分西俣出合、16時大谷原公園に着く。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 一ノ沢左稜~東尾根

1999年3月28日
向畑、倉田(記)

3月28日(日曜)快晴

3時45分スキー場駐車場を出発し、5時頃一ノ倉沢出合に着く。

一ノ沢左稜の雪壁&やぶの中を進む中、5時半頃朝日が昇る。

雲一つない快晴である。

雪が少なく、所々岩ややぶが露出している。

今回の目的は、私のアイゼントレーニングなので、岩を選んでそこをガリガリとのぼる。

アイゼンで岩に立ちこむのに四苦八苦しながらすすみ、左稜つめたところで、懸垂で、シンセンノコルに8時頃つく。

一ノ沢~東尾根に取り付くパーティが4つ程あり、順番待ち気味になるが、向畑さんがズンズン進んで先行を追い抜きつつ、犬の散歩みたいに私が引っ張られながら進む。

第二岩峰は、ホールド、スタンスが豊富で、あっという間に終わってしまう。

雪壁つめて第一岩峰につく。

向畑さんがスルスル登っていくので簡単かなと思いきや実際取り付いてみるとスタンス、ホールドは小さくじりじりと一歩を踏み出す感じになる。

左手を伸ばすと、残置シュリンゲを発見し思わずつかんでA0でぬける。

すかさず、向畑さんに「降りてもう一度登ったら?」と言われる。

結局降りず、あとで、そうしとけば良かったと後悔する。

そこから、雪壁をつめ、小さい雪庇から顔をひょいと出すとオキの耳に11時に着いた。

360度のパノラマに目を見張りつつ休憩し、西黒尾根経由でセンターに13時につく。

 

 

鹿島槍ヶ岳~十字峡~黒部別山北尾根

1999年3月20~3月27日
畠中[21才]、小谷(記)[38才]

3月20日 土曜日 入山

大谷原7:40(雨)-赤岩尾根8:07(雪)-高千穂平10:55(吹雪)稜線2:54(吹雪)-冷小屋3:20
大谷原は車で賑わい、赤岩尾根は、14+2+3+2+3+5=29人と我々で31人が取り付く。

高千穂平までは先行者のラッセルがあり、しかも5月のような雪質で楽々入山。

快調に高千穂平まで進むが、ここらへんから吹雪模様。

我々以外全員幕営。

ここから二人でわかんを付けすね位のラッセル。

途中でアイゼンに履き替える。

視界はまあまあだが、風が強く時折目をふさぐ。

雪質はクラストした雪面に新雪が10~20cm載っている感じ。

雪がさらに降ると稜線に上がるのが難しくなるので頑張って登る。

稜線直下のトラバースポイントは雪崩れの跡があり、また視界が悪くそのままトラバースせず直登する。

稜線直下(雪尻ではないが2m位の雪壁)が怖かった。

稜線上は樹林帯のラッセルが結構きつく、新雪が30cm位積もっていた。

雪の状態は年末っぽく、歩くたんびに表面の積雪が雪崩れ落ちるという感じ。

畠中はこの雪質に非常に不安を感じたようで、黒部へ下るなどもってのほかと、不安いっぱいであった。

が、とにかく鹿島槍まで行かないと状態がわからないとなだめる。

冷小屋泊。

他には爺が岳から来た単独行が二人。

やはり吹雪で爺が岳に2度も登り返した と嘆いていた。

夕方は雪・風もやみ、剱がよく見えた。

3月21日 日曜日

5:40出発(曇り)-鹿島槍8:22(曇り・ブリザード強くさ寒い)-16:00牛首支稜1470m
単独行の人が結構早く登っていき、頂上往復後、すれ違う。

頂上は風が強く、天気は曇りだが、ブリザードがひどい。

剱がよく見える。

早々に牛首尾根へ下る。

心配していた雪質はまったく問題なくクラストしている。

新雪はとっくに吹き飛ばされいた。

黒部別山がすばらしい。

牛首尾根は、ほとんど時々クラストしていたが時々膝下のラッセル。

ラッセルする所では風で雪が舞い上がり閉口した。

鹿島槍の稜線には、赤岩尾根からの大部隊が歩いているのが見えた。

稜線は風で雪が舞い上がっている。

11:20支稜分岐2060m。

このころより雪が降り始める。

黒部別山見えず。

15時頃1470mピークからの下降を間違え登り返す。

風強く雪がひどくなってきた
ので、1470mピークに戻り幕営する。

3月22日 月曜日

風がやたら強く、雪も降っている。

雪も30~40cm位積もり、稜の形が変わっている。

何とか十字峡までは下れるだろうと撤収し、昨日間違えた下降点へ。

出だしが急なので懸垂ザイルをセットしたが、風が強く時々視界が無くなる。

空はそれほど暗くもなく、むしろ吹雪いているのはここだけですぐ上に青空が有るのではないかと思わせる。

吹き止むと行けてるやないか と思うがすぐに凄まじく吹雪く。

どうしても下降する気になれず15分位 下を睨んでいたが、諦めもとの幕営地にテントを張り直す。

風向きは昨日とは全く反対方向に変わっていた。

1470mピークは四方木に囲まれしっかりテントを張れたので安心してシュラフに入る。

午後遅くには風も吹き止む時間が長くなり、これなら行けてかな?と畠中に話したら「寝ていたからわからないでしょうけれど、ついさっきまで凄まじい風でした」とのこと。

夕方には完全に風も弱まっていた。

3月23日 火曜日

6:30出発-十字峡2:45-北尾根末端大地17:15
終始快晴。

風もなく晴れ渡っている。

雪がいやらしく積もり、下降に時間がかかる。

途中ヘリが何回か上空を飛ぶ。

十字峡下流屈曲部にスノーブリッジがあり片道50分かけて雪壁をへつり横断。

後立上空でやけにヘリ飛んでいる。

いやな感じで、何かあったかな と話していた。

以後、24日(曇り)北尾根泊

25日(朝雪で後晴)別山コル手前泊

26日(晴午後雨)黒部別山-はしご谷乗越し経由で黒部ダム泊

27日(雨)大町へ下山。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第三スラブ

1999年3月7日
向畑(記、♂38歳) 中嶋(♂26歳)

当初、中嶋君とフリークライミングの予定だったが、天気予報を追っかけているうちに、日曜日(3月7日)だったらルンゼを狙えそうな感じになってきた。

中嶋君に話したら、同行してくれるとのことだったので、急遽、谷川に変更した。

休日を有効に使おうということで、土曜日(3月6日)9時、いつも通りに仏子駅集合。

榛名山・黒岩に向い、ちょっとだけ、予定通りフリーをやった。

ちなみに、中嶋君は11cのルートをオンサイトしたが、私は登れなかった。

早めに切り上げて、水上で夕食後、18時頃には土合に到着、立体駐車場の下の駐車場にテントを設営(ここは、今のところタダで使える)。

飲みすぎると中嶋君に怒られそうだったので、ビール1本だけにして19時過ぎには寝たが、私のような一般人は普通の状態でそんなに早くから寝られる訳がない。

時間帯に関係なく、みさかいなく寝ることのできる中嶋君の能力に、心の底から感心した。

3月7日

1時に起床して、2時過ぎに出発。

天候は、昨日の午後は晴れていて、沼田付近からは谷川がきれいに見えていたが、今日は曇っている。

気温が高いのが気になるが、今のところ雪は降っていない。

数日前の降雨と晴天で雪面は固く締まっており、5時頃には第三スラブ取付きの下部氷瀑下に着いた。

いつも通り右に本谷からの、左に滝沢スラブからの2本の氷瀑がかかっているが、今年も谷川は雪が少ないようで、ほとんど埋まっておらず、傾斜もかなりきつい。

下から見た感じでは、右の氷瀑の方が簡単そうに見えたが、右を登ると3年前と同じ過ちを再び犯してしまいそうな気がしたので、左側を登ることにした。

登り始めたのは5時30分位。

ラインは、左端からクレバスをまたいで取りつき、斜上後ほとんど真横にトラバースし、上部を直上。

下部から傾斜はきついが、上部の2~3mは90度ある。

中嶋君が同行してくれない場合は1人で来るつもりだったが、登っている時に、ビレイヤーがいてくれてほんとうによかったと思った。

左側を登り始めると、ほぼ同時に後続してきたチーム84の4人パーティが、右側氷瀑に取付いた。

登りきってピッチを切った時、ロープが40mほど出ていたので、氷瀑部分だけでも30m位あったと思う。

下部氷瀑は越えたが、ビレイできそうな安定した足場がない。

ナメ状の氷の斜面が、さらに上部まで続いている。

著名な某アイスクライマー編によるルート集には、アイスピトンは5本もあれば充分と書いてあったので、その通りに5本しか持って来なかったが、登はんの際に全部使ってしまっていた。

仕方がないので外傾した狭いスタンスに立ち、ピッケルのピックを氷に叩き込み、バイルからもセルフを取って、肩がらみで「支点がないから落ちるな」

と叫んでいたら、右氷瀑上からベルグラの乗った悪いスラブをトラバースして来た84パーティのトップが、見かねて「ビレイポイントを使って下さい」と言ってくれた。

彼のセットしたビレイポイントからも、有り難くセルフを取らせてもらってビレイしていたら、中嶋君が墜落、ロープにテンションがかかった。

抜け口に打ったスナーグを回収しようとして、ピッケルにテンションをかけたらピッケルがはずれたらしい。

いったんは墜落を止めたが、悪い足場で体重を支えきれなくなり、よろけてアックスに2人分のテンションをかけたら2本とも吹っ飛び、84パーティのビレイポイントにぶら下がって止まった。

もし、支点を使わせてもらっていなかったら、下にいた中嶋君より、上から落ちた私の方が、確実に致命的なダメージを受けていたと思う。

下部氷瀑上は、緩い傾斜の氷と雪壁がF4まで続く。

F4自体は難しくないが、中嶋君から「支点を作りましょうか」

と言われた時に、「支点で2本使ったら、3本しか残らなくなる」

と言った会話を聞いていたみたいで、先に取付いた84パーティが、「使って下さい」と言ってビレイポイントを残していってくれた。

ビレイポイントのスクリューは回収して、その後も使わせてもらったのでずいぶん助かった。

ただ、ピトンが充分にあっても、氷が薄くて効かないことや、雪壁上でまともなビレイができないことの方が多く、トップ、セカンドともに、絶対に落ちれない状況に変わりはない。

F4から上も、ナメ状の氷壁と雪壁が続くが、氷が薄かったり、岩が出ていて岩登りをしたりと、状態はあまり良くはないようだった。

上部は、通常登られている第二スラブとのリッジのコルには向わず、三スラをほぼ最後まで詰めてしまったみたいで、草付き帯は1ピッチ程度しか登らなかった。

草付き帯の上は急な雪壁がしばらく続き、ドームのかなり滝沢リッジよりに出たようで、ドーム基部を20mほどトラバースし、Aルンゼへの下降点へ。

懸垂でAルンゼに降り、ルンゼの途中から左側のドームのコルへ上がり、雪壁を登って国境稜線に抜けた。

稜線上はホワイトアウトで、何度かルートをはずしそうになりながら、13時30分、トマの耳に到着。

逆算すると、稜線に抜けたのが13時頃、ドームの基部に到着したのが12時~12時30分頃だと思う。

西黒尾根をかなり下ったころから吹雪いてきて、16時頃に到着した土合では、雨のような湿った雪が降っていた。

センターに、84のメンバーの1人が残っていて、借りっぱなしになっていた、スクリューの持ち主の鈴木さんの連絡先が聞けたので一安心した。

水上で、雨の中、露天風呂につかり、スキーヤーとスノーボーダーで渋滞する関越道に乗ったが、帰りの車の運転が核心となった。

途中、休憩した時に中嶋君が、ほとんど寝たままの体勢で薄目を開けて、「運転変わりましょうか」と言ってくれたが、かえって身の危険を感じたので、がんばって全部自分で運転した。

途中、何度か意識を失いそうになったが、無事に帰れてほんとうによかった。

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~最後に反省~

中嶋君は、自分が落ちたことにかなり責任を感じていたみたいで、めずらしく、しおらしくなって反省していたけど、どちらかというと問題の多くは私の方にあったように思うので、自分なりにいろいろ考えてみたことを書いておきます。

まず、持参したピトンの本数についてですが、本には5本で充分と書いてあっても、この手のルートはその時の状態によって全然違ってくる位の判断力はあるつもりですが、3年前にとなりのスラブを登った時や、上部草付き帯から眺めた感じ、さらにその数年前に滝沢リッジから見た感じからも、そんなもんだろうなというふうに、軽く判断していました。

それと、これまでアイスクライミングにはあまり真剣に取組んで来なかったので、取付く時も、5本あれば登れるという計算はできたけど、上に抜けてからのビレイポイント用に、ピトンを残しておかなければならないという当たり前のことが、感覚として充分には身に付いていませんでした。

また、上に行けばなんとかなるだろうという意識があったことも、事実だと思います。

上でビレイする時も、ほとんどどうしようもなかった状態には変わりはなくても、もう少し何とかしようと、とりあえず、いろいろと試みることも必要だったのかも知れませんが、ビレイについても、同様になんとかなるだろうと考えていました。

何とかなるだろうからとりあえず突っ込むというのは、アルパインクライマーの悪いところであり、逆に、いいところでもあると個人的には思っていますが、とりあえず突っ込む時にも、起こり得るあらゆる危険を想定する、より深い洞察力が必要だとつくづく感じました。

最後に、ビレイポイントを使わせてくれた84の鈴木さんには、ほんとうにお礼を言わないといけないんですが、貸していただいた支点も、氷質があまり良くなかったため、2本のうちの1本は効きがあまく、実質1本のスクリューで止まったんだと思います。

もし、その1本が抜けていたら、関係のない、他パーティまで巻込んだ事故になるところであったことが、最も深く反省しないといけない点だと思います。

 

 

八ヶ岳 赤岳西壁主稜

1999年2月28日
小谷、畠中(記)

3時45分に月明かりの中、美濃戸を出発。

満天の星空と遠く街の灯りが美しい。

外気はよく冷えている。

6時に行者小屋着。

文三郎尾根をつめ、7時30分に取り付く。

初めのチムニーで畠中てこずる。

かっこわるい。

風が強く寒いため手足の指先は痛い。

顔も痛い。

10時30分に赤岳に到着。

景色が美しい。

寒いのでそそくさと地蔵尾根を下降し、11時40分に行者小屋着。

春山のような陽気だったので、1時間ほどのんびりとする。

美濃戸には13時30分着。

私は、久しぶりの山登りだったが、今回の山行で「山登りは痛い」ということを思い出した。