甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2002年12月7日から2日間
浅野、柴田(記)


今年は結構雪が早そうだが、12月上旬ならまだ埋まってはいないだろうと読み、アイス始めとラッセルトレを兼ねて黄蓮右を計画した。

しかし結果的にはアイスが楽しめたのは奥千条の滝までで、その先は延々としたラッセルに終始した。

旬よりは2週間ほど遅かったようだ。

3年前に左俣を登ったときには足かけ3日間の余裕ある行程だったが今回は1泊2日の普通の週末なので時間的にそれほど余裕はない。

できれば初日のうちにピークか黒戸尾根の稜線に出ておきたいのでまだ暗い3時50分に竹宇駒ケ岳神社を出発した。

パートナーは5ヶ月間の残業地獄からようやく解放されたという浅野さん。

今回は残業代で購入しましたという新品の登山靴で臨んでいる。

黒戸尾根はいつもの事ながら長くていやになるが今回は5合目までなので多少は楽と自分に言い聞かせ、黙々と登り続ける。

横手からの登山道と合流したあたりでヘッデンが要らなくなり、刃渡り、刃利天狗を経てちょうど5時間で5合目に到着。

黒戸山のトラバースの部分がちょっと凍っていた以外は雪も氷もなし。

篠沢七丈瀑はしっかり凍っているように見えた。

曇り空に枯れ木と灰色の氷瀑とモノトーンの寒々とした景色が広がる。

5合目小屋裏手の明瞭な踏み跡を1時間ほど下り黄連谷に降り立つ。

最初の滝は凍っていないので左岸の巻き道から越えちょっと進むとすぐ坊主の滝が現れた。

まだ水も流れておりラインが取れるのは中央部のみ。

1P目柴田(Ⅲ+)、2P目浅野(Ⅳ-)とつるべで越える。

氷床はまだ完全に固まっていないので踏み抜かないように注意しながら進み、二俣で左俣を見送る。

その後は冬の沢登りと言った風情で1時間ほどで奥千丈の滝に出会うが、傾斜もさほど強くないのでロープを出さずに各自勝手に登る。

ここは200mほどの滑り台になっているので滑ったら止まらないが傾斜はゆるく適当に休めるのでまあ問題ない。

5年前に沢登り初めて黄蓮谷に入ったときにビバークに使った台地や滝の岩肌などが記憶のままの姿で懐かしかった。

午後3時30分にインゼルに達したころにはだいぶ雪が本格的に降りだしており、また滝も完全に埋まりアイスクライミングの要素は既に無くなっていた。

このあたりで先行パーティ(外人さん2名)に追いつき言葉を交わすが彼らは既に出発してから5日目?ということで結構お疲れの様子だった。

今日はどこまで、との問いにできれば5合目小屋と言っていたが彼らの様子からしてそれはちょっと難しいだろうと思われた。

そういう柴田も結構疲れており薄暮の5時くらいになり「適当に岩小屋を見つけてビバークをしては」と浅野さんに提案するが「雪の降り方から見て一気に抜けたほうが安全」との浅野さんの判断に従いそのままチンタラ登り続けることになった。

まあセオリーから言えばその通りなのだけど、疲れているとつい弱音が出てしまう。

外人さん2人は途中まではトレースをフォローしていたが途中で適当な岩小屋に張ったのか見えなくなった。

右俣の詰めは割と地形が複雑でおまけに既に暗闇なので2.5万図を見ても現在地は確信が持てない。

時計の高度計で凡その位置を判断し、迷うところでは左の黒戸尾根側を取るようにして更に3時間ほどヨレながら登り続けるが、大半を浅野さんがリードしてくれた(申し訳なし。)

午後8時過ぎにようやく吹雪の稜線に達したが、祠や石仏から見てどうやらピークのすぐ横に出たようだった。

できれば七丈小屋で泊まりたかったので黒戸尾根と思われるラインをそのまま数十分下るがトレースは全く無く暗闇の吹雪の中では確信持てず。勘で下るうちに赤石沢奥壁方面に下っているような気がしてきた。

これはいかん元に戻ろうと浅野さんに声をかけ、結局黄蓮谷から抜けた稜線の地点付近まで戻り、吹き溜まりをスコップで50cmほど掘り返してツェルトを張りビバークとした。

薄ツェルト1枚でも有ると無いとは大違いで夕食も済ませてそれなりに寛いだ気分になってきたが着ているもの初めツェルト内はビショビショ状態でとてもシュラフを出す気になれなかったのでフリースを着なおした以外は登攀時の格好で朝までいた。

(このときプラブーツを脱ぐべきだったのにズボラしてそのままでいた柴田は足指が軽い凍傷になっていることが下山後わかった。)

暗くして横になっても30分か1時間で寒さのために目が覚めてしまう。

前夜も2時間程度しか仮眠できなかったがこの夜も2-3時間しか実質は眠れず。

4時頃からガスで温まり朝飯のカレーうどんなども作りゆっくり用意して7時頃出発。

甲斐駒ピークとは直線距離で100mも離れていないところだった。

朝一で頂上まで往復した後は膝から時折腰くらいまでの新雪をかきわけひたすら黒戸尾根を下る。

それにしても昨日午後からよく降ったもんだ。

黄蓮谷の中にいたら雪崩の危険もあるし登ってくるのも大変だっただろう。

やはり浅野さんの意見の通り昨日のうちに抜けておいてよかった。

そういえばあの外人さんたちはどうしたのだろうか、とふと気になった。

8合目鳥居、7丈小屋、5合目小屋と通過し、刃渡り下の登山道となっても根雪で前日登ったときとはまるで別の山状態。やはり相当降ったのである。

肩と首がやけに痛く休み休み降りたので駐車場に戻ったときには午後4時を回ってしまっていた。

 

12月7日(土曜日)

竹宇駒ケ岳神社(3:30)→ 5合目(8:50)→ 黄蓮谷(10:30) → 奥千条の滝(13:05) →
インゼル(15:30) → 頂上直下の稜線(20:15) → ビバーク体制(21:30)

12月8日(日曜日)

BS(7:00) → 甲斐駒頂上(7:15) → 7丈小屋(9:20) → 5合目(12:30) → 駐車場(16:05)

 

甲斐駒ケ岳 Aフランケ~Bフランケ(Bフランケ3P目で敗退)

2001年9月15日~17日
浅野、柴田(記)


3日間でA/Bフランケから奥壁に3つの壁を継続だァ、と意気込んで入山したが結果的にBフランケ3P目で敗退となった。

Bフランケの状態と天気もイマイチだったが主には実力不足と準備不足でした。

 

9月15日

は3時起き4時発で霧雨の中ヘッデンで黒戸尾根を登り始める。

睡眠不足と視界不足で体調は最悪。

休憩時には少しでも睡眠をとり返そうとザックの上に横になり雨に打たれるまま目をつむる。

粥餅石経由の登山道は先日の15号台風のせいか荒れていた。

刃渡り、刃利天狗、5合目と登るにつれて柴田の体調は徐々に回復。

8合目に11時40分に着き、シャリバテの体に燃料補給の後八丈バンドを右ルンゼまで水汲みに行く。

入山前は涸れていることを心配していたがこの日は大滝状態だった。

各自Aフランケの頭のデポ分も含め4リットルの水を汲みAフランケ目指し下降開始。

途中ちょっと迷ったりと何のかんので午後2時前にAフランケ赤蜘蛛に取付き登り始める。

ビバーク予定の大テラスまでは4Pあるが何とか暗くなる前に着けるだろうと思っていた。

1P目 (浅野) A1。

2つめのピンが確かに遠い。

2P目(柴田) フリーでテラスからカンテを回り込むと有名なジェードルが一直線に天に伸びていて思わず歓声あげる。

途中のビレーポイント以降は徐々に難しくなり結局A0してしまう。

3P目(浅野) クラックから離れて左壁をA1。

比較的短い。

4P目(柴田) V字ハングを左から越えその上の被った四角フェースをボルトに沿ってアブミで登りハングを越えたらフリー。

自分では気がつかなかったがロープをZクリップにしていた為にムチャクチャ重くなっていた。

本来はこのピッチで大テラスに辿り着けるはずが短く切ってしまったために浅野さんにヘッデンで大テラスまで登ってもらう。(浅野さん、ゴメンね。)

大テラスにヘッデンで辿り着き恐竜カンテに近い壁ぎわにツェルトを張るが風がゴーゴーいっている。

V字ハングを越えたあたりで先行パーティのコールを聞いた気がしたが、彼らは何処にいることやら。

水を入れるだけで食べられる山菜おこわと海草サラダを食べ、長い1日を終える。

 

9月16日

5P目(柴田) クラックからフリーで上部レッジまで。

Ⅳくらいで容易。

6P目(浅野) 恐竜カンテ横のクラックを辿る有名なピッチ。

クラックの中には初登の際のアルミハーケンや残置フレンズが残っていて歴史を偲ばせる。

途中から残置がなくなりキャメ・エイリアンのAA1に。

リードは虚空でアブミビレー。

7P目(柴田) 恐竜カンテをクロスしボルトラダーを上部レッジまで。

2本目のボルトが確かに遠く、最上段に乗っても届かず、シュリンゲで短い足輪を作りそれに左足を入れたらようやく届いた。

やれやれ。

8P目(浅野) レッジよりワンポイント人工の後フリー。

その後5.10aくらいのフェースを人工で越えてブッシュでピッチ切る。

9P目(柴田) ブッシュの中を木の根や枝を使いながら登る。

ロープの流れを考え25mくらいでピッチを切る。

10P目(浅野)9P目と似たようなブッシュの中をしばらく進むとポンッ、という感じで岩小屋の前に出た。

時間的にこれからBフランケの第2バンドまでと言うのは少々きつそうなので今晩はここで泊り、翌日Bフランケを登って下山することとしてデポした水の回収とアプローチの偵察に向かう。

Aフランケ頭の岩小屋から少し戻って左へ降りる踏み跡でBバンドに降りられることを確認。

 

9月17日

4時起き5時発でヘッデンでBバンドを下り途中1回のラッペルをまじえ赤石沢本谷に慎重に降りる。

明けゆく空に赤石沢奥壁がひときわ美しかった。

本流でBフランケを観察。

2P目のアンカーポイントも確認し、身繕いの後出発。

1P目(柴田) 濡れた草付・泥付なのでクライミングシューズでなく運動靴でロープを引いたがランナーは取れず、Ⅲくらいだが30mほどランナウト、とっても緊張した。

2P目(浅野) 最初は古い残置ピンがあるが数手後は草取りでクラックにキャメをかませて前進となる。

暫くすると残置ボルトは現れるがおしなべて古くリングが伸びているものも多い。

ハング越えの所など間隔も遠くAフランケ赤蜘蛛よりはこっちの方が難しかった。

最後は傾斜の緩いフェースをフリーで登り、ビレーポイントへ。

赤石沢本谷では晴れていたのにいつのまにか霧ション状態で気分も暗い。

3P目(柴田) フェースをフリーで左上しその上の草付と泥まじりのフェースをだましながら登る。

V+とのことだが、濡れているので悪く感じ、下部はA0で逃れたが泥まじりのフェースをやっとの思いで登るとカムロックは使えず残置は5mほど上のフェースに古いボルトが1本見えるのみだった。

まあ行くしかないな、と思い浅野さんに声を掛けて登ろうとしたら左足がズルっと滑り危うく落ちそうになりモチが急低下、結局ここを最終到達点にロワーダウンをお願いする。

柴田敗退後浅野さんもトライするが結局同様に最終到達点から「降りましょう」

ということでランナーを回収しながらクライムダウンしてくれた。

2P目、1P目を慎重にラッペルで下り赤石沢出合いでギア整理をしながら壁を見上げるが既に霧の中で良く見えない。

天候や状態も今一つではあったがやはり実力不足と戦略不足だったなー、と食い残しのレーションを口にしながらうなだれる。

Bバンドから8合目まで登り返し、長い黒戸尾根をチンタラと下り明るいうちに竹宇の駐車場にたどりついた。

悪くても2勝1敗としたかったが結局3日間でAフランケとBの3ピッチ目までしか登れなかった。

後から考えるに2日目にAフランケを登った後ぼんやりのんびりと過ごしてしまったことが悔やまれる。

今度はBフランケから奥壁への継続でもやりますか、浅野さん。

以上

 

【コースタイム】

9月15日
竹宇(4:00) → 8合目 (10:40) → Aフランケ赤蜘蛛取付(13:30 /14:00) → 大テラス(19:20)

9月16日
大テラス(8:10) → Aフランケの頭 (13:20)

9月17日
Aフランケ岩小屋(5:00) → 赤石沢本谷(7:00) → Bフランケ3P目(10:40) → 赤石沢本谷(12:00)
→ 8合目(13:40) → 竹宇(17:35)

 

甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2001年9月15日~16日
赤井、櫻井(記)


40歳を過ぎて肩が一年ほど痛く、治ったあともスムーズに回らず油が切れたままになっている。

この夏の滝谷の帰りではつまらない所で足を挫き、剱岳でも同じところをもう1回やってしまった。

ランアウトで頑張りすぎたせいか指の筋が痛いのが続いているし、ラットプルダウンという懸垂のようなトレーニングのせいかひじがいつも疼いている。

おまけにここ数日は時々腰に電気が走る
痛みもあって、とにかく応対に非常に忙しい。

仕事は忙しくないのに...
そんな体を試してみる、ハードな刺激を与えてみるつもりで今回は一泊二日の黄蓮谷にトライしてみた。

9月15日

7時過ぎ竹宇神社を出発。

A、Bフランケの柴田、浅野パーティーはもうとっくに出発してしまったようだ。

12時半 五合目の小屋。

心配していた腰は今のところ文句を言わないでくれている。

小屋の裏手の水場からトラバースの道に入る。

10分もすると道が判然としなくなる。

左に五丈の沢が見えているので方向は悪くないのだが踏みあとはほとんどない。

赤や黄色のテープがときどきついている。

沢に沿って30分以上よくわからない下降(懸垂は不要)を続けると急にきれいな道に出る。

その道をたどって10分程度で岩小屋につく。

13時半 岩小屋。

先客が1パーティー3人。

水量が多いのと天気がはっきりしないので今日はここで泊り明日天気が良かったら一気に抜けて帰るとのこと。

一応、谷の様子を見に行ったが、暗くで水量も多くガスで見通しも悪いので岩小屋泊まりとする。

ガスと小雨が続いてうっとおしい。

酒は豊富だったので早くから飲み始め、さっさと寝た。

9月16日

5時 岩小屋発。

昨日ほどガスは濃くない。

晴れ間も出るという天気予報を信じて黄蓮谷に入る。

すぐに左岸の高巻き。

しばらくすると坊主の滝が出てきてこれも左岸の高巻き。

沢に降りるのを嫌っていたら二俣に出てしまった。

二俣からは流水に沿って快適に登る。

しかしほとんどがシャワー気味で体がとても冷えてくる。

櫻井は雨具を着る。

長いナメが見えてきた。

これが奥千丈だ。

200mというが上部は左に折れていて見えない。

1ピッチ目、赤井さんが流水沿いに25mほど登って肩がらみ確保。

アンカーは流れのなかにある。

やはり増水しているということだろう。

2ピッチ目同じように流水沿いに登り、途中から右に水流から離れテラス状のところで潅木にアンカーを取る。

3ピッチ目テラスのバンドを登って草付きの流水溝を右上し潅木でアンカー。

ここからブッシュを登って左に下降気味に滝の中段に出る。

さらにスラブを左上するバンドを伝っていけるところまで行きスリングを頼りに滝上に立つ。

これが4ピッチ目。

結局連続した3ピッチとロープなしの2ピッチ分、最後に滝上に降り立つところで1ピッチ(15mほど)の4ピッチになった。

天気が良ければ爽快な景色だろうと、晴れないガスがうらめしい。

9時、奥千丈滝上。

インゼルを超えて、30mの滝を右から巻くと黒い3段60mの奥の滝だ。

左岸を高巻くが、トラックぐらいの大きさの岩が崩壊し10mくらいずれていた。

新しい断面が見えていたが、今年の台風のせいだろうか?
3段の滝の2段目を巻いたところでポッと水流に戻る。

見ると右岸のコーナーが登れそうなので取りつく。

取りついて見るときびしくて、ロープを出して真面目なA0を5mほどやってしまった。

これが今回一番の登攀だった。

普通は左岸を巻きつづけて上に出るのだろう。

12時半 3段の滝上。

あとはスケールの落ちた谷を少し登って源頭の雰囲気になる。

小さなスラブなどを適当に巻いていくとうんざりする前に頂上から50mほど下の縦走路に出た。

13時半から14時頂上。

少し青空も見える。

16時 五合目

19時半 竹宇神社

奥の3段の滝で登攀をやることになって予想外に時間を使った以外は、順調だった。

安定した登りの赤井さんと降らずにがまんした天気に感謝。

街では出ていた腰痛も出ず、降りて来れた。

いろんな意味で気を良くしている櫻井だった。

 

南ア 甲斐駒ケ岳 赤石沢ダイヤモンドAフランケ赤蜘蛛ルート

2000年9月27日(水)~28日(木)
森広、大滝(記)

このルートもずっと昔から登りたかった。

氷登りでは、甲斐駒に何度通ったか知れないが、赤石沢に踏み入った事はなかった。

この2年間、計画は具体化していたが雨に祟られて不戦負の繰返しだった。

奥鐘を終えて4日後、僕の車は竹宇神社に向けて疾走していた。

9月27日

夏用シュラフで寝ていたらとても寒かった。

大陸から寒気が流れ込んでいるそうだ。

ゆっくりして8:40神社出発 16:00八合目でテントを張る。

岩小屋は暗くてどうも泊まりたくない。

奥鐘ではゆっくり出発して失敗したので、真面目に4:00起床。

水も各自1L持つ。

5:30にテントを後にしたら、丁度御来光を拝めた。

しかし、寒い。

所々少々迷いながら踏み跡を辿って行く。

迷ったら左側に行ったほうがいい。

下に下る程テープや布が出てくる。

フィックスロープも沢山ある。

7:00取り付き。

初めて見る赤石沢、多くが直線で構成されている白い花崗岩、少ない草付き。

岩の王国。

わくわくしてくる。

長年、憧れてやっと来られた。

密かに2P目のディエードルをリードしたくて、「森広さん、先に行って下さい。」

と譲るが、2本目のピンが遠くアブミが届かなく交代する。

1P目終了点で合流すると、「大滝さん、次のピッチリードしたくて私に先行ってと言ったんでしょう。」

ばれていたか。

「すいませんけど、次行っていいでしょうか。」

と、お願いすると「どうぞ。」

やったぁ。

V級のディエードル、凄く楽しい。

ぐいぐい、これぞ岩登りの醍醐味。

うーん快感。

3P目 森広リード 結構難しくて恐い。

4P、5Pと快適に進み、いよいよ6P目の人工部分だ。

ハーケンを抜いてある所には、フレンズで言えば、1、1-、2、が2ヶづつあればいいだろうか。

やはり、それらに体重を預けるのは恐い。

アブミビレーで痺れを切らす。

凄い高度感だ。

白稜会ルートの振り子の部分が良く見える。

何だか行ってみたくなった。

白い壁を思いきり振り子で駆けたら楽しいかも知れない。

次のピッチの2本目のボルトが遠く見えたので、大滝が行く。

楽しくアブミをかけかえていく。

14:40 Aフランケ岩小屋に着く。

登攀用具を片付けていたら、オコジョが出てきて「こんにちわ」。

暫く目の前をちょこまかしていた。

実に可愛い。

15:30 八合目 テント撤収して16:00下山開始 20:40竹宇神社着

*大滝のヘッドランプの光量が少なくなっていた。

出発前にチェックした時はとても明るかったのに急激に減退したようだ。

予備電池を持参していなかったので、森広さんから借りた。

今回もまた反省点が出来た。

強行軍だったので3日間位足の筋肉痛が残った。

 

南アルプス 甲斐駒ケ岳 赤石沢Aフランケ赤蜘蛛、奥壁左ルンゼ(途中敗退)

1999年7月24~26日
小谷、荒井(記)

7/24

駒ケ岳神社 – 5:40 黒戸尾根 – 13:00 8合目 – 15:30 Aフランケ基部

久しぶりの黒戸尾根で2人(少なくとも私(荒井))は、くたくたとなる。

8合目からAフランケ基部まで所々迷いながら下る。

残置ロープに助けられ右フェースの基部へたどり着く。

ツェルト1張り分のスペースを見つけビバークする。

水もとれ快適。

19:00消灯。

7/25

4:30発 – Aフランケ赤蜘蛛取付 – 5:10 赤蜘蛛の登攀 – 14:40 終了点 – 15:30 8合目

ビバーク地点から赤蜘蛛ルートへ向かう。

1箇所残置ロープの頼りになる。

じゃんけんで勝った小谷さんのリードで登攀開始。

奥壁まで登るつもりで荷物を持ってきたので登りに手間取る。

荷物の重ささえ気にしなければ岩は堅く、天気もよく快適。

途中フレンズが有効にきまる。

終了点に着いたのは14:40 9時間以上もかかってしまった。

予定していたBフランケ赤蜘蛛は諦め、明日は奥壁左ルンゼへ行くことにする。

8合目まで登り、ツェルトを張る。

(水は、八丈バンドをトラバースして右ルンゼの取付きでとれる。)

18:30消灯

7/26

4:30 発 – 奥壁左ルンゼ取付 5:30 – 左ルンゼの登攀 – 5P目F2へのトラバースで落石を発生させ負傷のため敗退(同ルート懸垂下降3P) – 左ルンゼ基部 – 8合目11:30 – 黒戸尾根 – 17:10駒ケ岳神社

3:00起床 必要以外のものは、岩小舎にデポ。

4:30発。

途中で水をくむ。

取付きで多少迷う。

今日は、私がリードで始める。

1P目以外と悪く手間取るがその後はペースが上がる。

5P目、私がリードでF2へトラバースしていたときに不覚にも落石を発生させ自ら手と足に負傷する。

パートナーには申し訳ないが、登攀を諦めることにする。

ここから懸垂下降3Pで左ルンゼの基部に着く。

8合目までもどり、荷物をまとめて黒戸尾根を下るが、負傷した足をかばいながらの下降なので時間がかかってしまった。

17:10 駒ケ岳神社到着。

南アルプス 甲斐駒ケ岳 戸台川本谷

1998年12月30日~1999年1月1日
浅田、櫻井、山本、荒井、井上、児矢野

12月30日

前夜の車の疲れも残って、入山の日の朝は遅い。

河原の駐車場には駐在もあって、計画書を集めている。

10:00駐車場発 12:30丹渓山荘下。

大型テントを張る。

水もとれ、便所もある快適なキャンプ。

このあと、舞姫の滝を見に行ったが、水量の少なさ、冷え込みの足りなさ、たぶん両方のために登るような氷の状態ではなくほとんど岩が剥き出しだった。

さらに本谷奥の右手上に氷が見えたのでアプローチしてみる。

鶴姫ルンゼだろうか、50mほどガレを登ると垂直を含む15mほどの氷瀑にあたる。

つららの集合体でそれぞれが細すぎるのでトップロープを試みるが、右からの巻きがまた悪く、時間もないのであきらめる。

12月31日

7:00発 8:30 F1下 12:00 F2上(駒津沢出合い)
4時半には起きよう、と話し合っていながら皆で寝過ごしてだらしなくも、結局出発は7時になってしまった。

F1は左に豊富な水量の滝がしぶきを上げて落ちており、右半分も不完全な凍結で安定してない。

これからの長丁場に備えてここは右のルンゼの氷を登る。

ここは20m・70度程度。

そのあと本谷に平行してやや不安定な高巻きをしばらくしまた本谷の河床に降り立つ。

F2は中央は薄い氷の幕の裏をバシャバシャと水が落ちているのが見えるが、右の岩に沿っては比較的厚い氷がきのこ状に伸びている。

最新ギアに身を固めたYさんがリードする。

Yさんは本当に岩に沿うラインをねらうが、結局、氷のあるほうに戻ってきてロープを伸ばした。

ジェフ・ローのビデオの見すぎか?
駒津沢出合いのF1はしっかり登れそうだった。

「ここで、遊んでテントに戻るのもいいか?」

などとも考えた櫻井だったが、パーティーの総意は「ちゃんと上まで行こう」

だったので、駒津、奥駒津とそれぞれ、よだれをたらしながら横目で見送った。

F2から上は、やや単調な谷歩きが続く。

時々出てくるナメの氷を乗り越えることと、特に左岸の枝ルンゼにいくつかあらわれる巨大な氷のシャンデリアが、刺激を与えてくれる。

アイスクライミング(白山書房)のトポでは迷わず本谷を詰めていけると思えたが、実際はいくつかの二俣状の分岐でそれぞれ判断が必要だった。

途中、新しいビバーク跡があり、ここからトレースがはっきりつけられていた。

15:00六方石ルンゼ出合い 16:00トラバース開始
六方石ルンゼの出合いを見送ると本谷の右の稜に赤テープが見え、先行のトレースもここを進んでいる。

これについていくと、尾根状をあがっている。

右には六方石の稜線が近くに見え、時間、体力を考えるとビバークなしでキャンプに戻るにはここでトラバースしたほうが良さそうだということになった。

氷と雪のつまった広いルンゼをトラバースし六方石への扇状の斜面に出る。

ラッセルが深くなり(ひざ上から腰)体力を使う。

高遠の灯火が見え西の空がオレンジから紫、そして闇に染まっていく。

しかし、この日は13夜で闇が濃くなると今度は東の空から月が照らしてくれる。

対岸の斜面の疎林には月光があたり雪面には潅木の落とした影がくっきりと見える。

18:00六方石稜線
稜線直下の岩場を回りこむと、フラッシュライトのような月明かりが顔にあたり、そこが稜線だった。

風は強いが甲府の夜景も美しく、ピークを踏めなかった甲斐駒ケ岳も月明かりの下、ヒマラヤのジャイアンツのように妖しく美しかった。

22:45丹渓山荘下キャンプ着

1日1日

深夜残業となってしまった昨夜の疲れで、さらに登る元気を無くし結局、予定を早めて帰ることにした。

 

 

甲斐駒ケ岳 黄連谷左俣

1998年12月17日~19日
平良、増子(記)、小野寺

1998年12月16日

午後10:30西国分寺集合。

白州に17日の0:20着。

甲斐駒がこんなにも近かったことに改めて驚く。

久しぶりに見る郊外の夜空は満天の星空で明日の天気も良さそう。

但し、気温が高いのでアイスクライミングをやめて縦走にするべきではと早くも寝酒をのみながら弱音がでてしまった。

12月17日

(快晴)

8:30位に白州神社を出発。

あまりの雪の少なさに、5合目での水の確保が困難ではとの不安がよぎり、各自1.5~2Lの水を荷揚げすることにした(実際には雪があり、水の荷揚げは必要でなかったがうまい水を得ることが出来た)。

13:30位に五合目の小屋に到着。

日頃怠けて(増子)いたため、山を始めた頃のふがいない体力に逆戻りしており、特に太股・尻筋の衰えが大きく、アプローチの時間を余分に費やし、二人に迷惑をかけてしまった。

五合目には学生パーティ(?)が1パーティ入っているものの、他は入山しておらず優雅な山行となりそうである。

12月18日

小屋の中に張ったテントの中は湿度が少なく霜も降りず暖かく、平日のクライミングなればこその特権で、快適であった。

3:00起床、4:00まで食事、小屋の中での準備のため快適に準備出来4:30出発。

途中道を間違えながら下降し、黄連谷に5:30到着。

案の定F1、F2は氷結しておらず、高巻いて坊主の滝に到着。

ここも氷結は甘く滝中央部を水が流れているが、両サイドは氷結しているので何とか登れると判断し6:30クライミング開始。

平良がトップ、小野寺セカンド、増子ラストの順番で登る。

途中大滝下のなめ滝でザイルを出したが、他は2~3級の小滝のアイスクライミングであるためノーザイルで通過する。

さすがに平日とあってラッセルの後がなく難儀する。

どこまであがっても、足下から水の音がして、大滝の氷結が心配。

大滝に到着。

案の定氷結が甘く、水流が見える。

しかし、よく見ると要所は氷結しているため登ることにする。

平良がトップでチャレンジするが、アイスクライミングの鍛錬が足りず、2回テンションの末、増子と交代。

大滝は、高さ60mの滝であるため1ピッチで突破出来ないので、一段下でピッチを切ることに決めて取り付くが、いざ登ってみるとアイゼンの振動が響くような薄い氷であるため決死の思いで岩のスラブをトラバーして灌木でビレーをする。

氷よりもトラバースが悪くここが核心だなどとみんなで笑い合った。


大滝をバックに


大滝を登る平良(この後何かが)

最後の滝に来てようやく十分に氷結していた。

ここを小野寺がトップでチャレンジ、バイルが思うように決まらず首を傾げながら突破。

次に、増子、平良の順番で登る。

  最後の滝を登る小野寺

アイスクライミングを(3:30)に終了して8合目を目指すが、疲れている上に腰ぐらいのラッセルでなかなか進まず、あえぎながらようやく稜線に到着(5:00)、すっかり日が陰って暗くなってしまった。

予定では2:00には稜線にでて下降する予定であったが、全体的にラッセルが多く、3人であったため時間を費やしてしまった。

しかし、楽しかったことと無事終わったことを祝い握手を交わし、下降開始。

今日中に下山する予定であったが、5合目到着時点で音を上げて(特に増子)明日早朝に下山することをCLに懇願する。

入山していた人の携帯電話を借りてそれぞれの仕事先・友達・家庭に予定変更の知らせをし、心おきなく休むことにする。

予備食は、ほとんどないものと思っていたが雑炊・ラーメン(1個を3人で分ける)があり空腹を満たし、食後は鯣を肴に前日の残りの酒・ウイスキーをのみ満足する。

12月19日

それぞれの予定のために、4:00に起床し、6:00出発。

やはり十分に休養すると力がわいてくる。

昨日の内に下山していたらばどのような苦しさだったろうかと考えてみるとぞっとする。

途中入山してくる多数の人たちを見送りながら、改めて平日のクライミングの優雅さを実感した(あれだけ人が入ったらば氷がなくなるよなあ!:小野寺談)。

白州9:30?着。