小川山 有名ルート ミーハークライミング

2000年11月5日
柴田(記)、他6名


昨年11月初めに小川山に行ったところ寒くなく登れたので今年も同じ時期の小川山ツアーを企む。

朝4時頃廻り目平入りし準備していたら駐車場で本郷さん・三好さんに偶然会った。

この時期の小川山はすいている。

今回はミーハーにもこれまで混んでて登る機会がなかった小川山ストーリーと小川山レイバックという人気ルートに目標を絞りまず父岩に向かう。

(細かく書いてしまいました。まだ登っていないOS狙いの人はここで読むのを止めてください。)

小川山ストーリー (5.9) OS

父岩の取り付きには予想通り誰もいない。

西に向いているので朝は日陰になっていて少々寒いがフリースを脱ぎ、ヌンチャクを沢山ぶらさげて登り始める。

今回はデジタルビデオを持ってきており、今野さんが左側のテラスから撮影していてくれる。

カチ系のしっかりしたホールドが続き、フリクションが充分効く上、ところどころで休めるので快適に登る事が出来る。

しかし長い。

ハンガー5個目で結構登ったなあと思って上を眺めるとまだまだ終了点が遠い。

結局全部で9つにクリップしてやっと終了点にたどり着いた。

終了点では風が強いが日があたり暖かい。

50mロープではトップロープに出来ないので2番目の千代川さんにロープを引いて上まで登って来てもらい2人でラペルで戻る。

3・4番目の片山さんと今野さんには50mロープ2本を使いトップロープにしたが50mロープで登る場合はこのルートは終了点でビレーしたほうが良いのかもしれない。

日帰りなのでのんびりとは出来ない。

小川山ストーリーを登ったあとはいったん廻り目平に戻り、行動食を食べつつ飯田ファミリーと合流し7歳のりなちゃんを交えて親指岩を目指す。

小川山レイバック (5.9) OS

写真で何度も見ているがやはり美しいルートだなあ、と思いしみじみと眺める。

ナチプロで登らねばならないというプレッシャーを感じつつ準備を整える。

考えてみたらクラックを始めてまだ数回目でナチプロのリードはこれが最初だ。

それにここは案外事故が多いと言う記事がロクスノにあったなぁ、と思いつつ、今野さんにヘルメットを借り覚悟を決めて発進。

出だしをレイバックで数手登ったあとステミングに移る。

3-4m位で最初のキャメロット1番を取り出しセットしたが若干クラックには大きかったようでキャメロットは窮屈に身を縮めて何とかクラックに収まる。

数度引っ張ってチェックしたが大丈夫のようなのでこのままとする。

その後もステミングとクラックの中途半端なジャミングで登り続け中間テラスの下で2つ目のランニングをキャメロット0.75番で取ろうとしたら小さすぎてスカスカ。

「クッソー」と思いながら2番をセットする。

これも窮屈そうだが何とかクラックに収まった。

カムロックの番手を一つ間違えるだけで精神的にも疲れ、これがナチプロの厳しさか、と思う。

右のガバに手がかかり中間テラスに着いてヤレヤレである。

しばし休ませてもらう。

ここでフレンズ2.5(だったと思う)で満足の行くランニングが取れほっとする。

上を見ると終了点まではもう3-4mと言うところで結構かぶって見えるが、左右の壁にスタンスになりそうな凹凸もあるようだ。

3つ目のフレンズを信じて登り始めるが、途中でランニングを取っていると力尽きて落ちてしまいそうな気がして結局中間テラスから終了点まではランニングを取ることなく一気に登ってしまった。

(ひどいねー。)

終了点にあがるところも本来はクラックにジャムを決めて登るところなのだろうが、クラック初心者の自分にはそれが恐くて結局左のホールドを使ってしまった。

(情けない。)

下ではりなちゃんも含めて5人がトップロープを待っているので2ピッチ目はまた今度の機会としてロワーダウンで降ろしてもらう。

今野さん、片山さん、飯田さん、りなちゃん、千代川さんと順番に登る。

それぞれに個性的な登り方をするので感心してしまう。

7歳のりなちゃんは勿論登れなかったが途中まで補助で支えてあげると自力でレイバックの体勢を決めたのには感心、将来大物になるかもしれない。

(そのあとの「あいつが高校くらいになって小川山レイバックを登れてももうオンサイトとはいえないもんねー」と言う父親の飯田さんのつっこみにも笑えた。)

全員が登り終え廻り目平に戻りビールを飲むともう登る気が失せてしまった。

今回目的ルートを何とか2つともオンサイトで登れたのは嬉しいが登り方は満足できるほどではなかったので「嬉しさも中くらいなり小川山」と言うところである。

「まあでも怪我することなく登れた事だけでも感謝しなくては、よかったよかった」

と思いつつ陰りゆく屋根岩を眺めていた。

以上

 

 

利根川水系 武尊沢

2000年11月4日
森広、高橋(記)


朝起きたら,自動車の窓が凍っていた.

出発時には車が続々と駐車場に入ってきた.

入渓点から遡行を開始すると,所々凍っていることに気づく。

この季節,沢は選ばなければならない。

足跡が残っており,先行に1パーティ(1人)がいるよう。

滝も岩の表面が凍っており,凍ったなめ滝はこわい。

崩壊して谷は埋まっており,核心の4段25mの滝も半分埋まって2段15m位になっていた。

夏ならば快適であろうが,滝が凍っているために危険度がかなり上がっていた。

源頭ではつららが下がっていた。

凍っているため源頭部も手こずってしまったが,尾根沿いに笹藪を10~20m詰めたら縦走路で,頂上はすごい人だかりだった・
下山時,山葡萄をとっている人たちがいて,食べてみたら酸っぱかった。

森広さんといると,食べられるものがわかっていい。

タイム:
駐車場(武尊神社)(7時過ぎ) - 入渓点(9時過ぎ) - (11時半頃)武尊山
(12時過ぎ) - 駐車場(2時半頃)

参考にした遡行図:
「武尊沢」

(上信越の谷105ルート:山と渓谷社)

 

 

谷川岳 幽ノ沢 V字状岩壁右ルート

2000年10月22日(日曜日)
向畑、倉田、高橋、柴田(記)

タイム:
一ノ倉沢出合5:05 幽の沢5:30 V字右取付7:30終了13:45
中芝新道14:25/14:35 旧道16:00 一ノ倉沢出合17:00

以前から一度行きたいと思っていた幽の沢にようやく行ける事になった。

秋の蒼空の下黄葉に彩られた快適なスラブを登るイメージを描きつつ関越道を北に向かう。

指導センターで山行計画を提出し既提出分をチェックするとV字右が2パーティある。

明日は早く出発せねばと思いつつ一ノ倉沢出合の駐車場に着くが紅葉目当てのカメラマンのせいか既に大賑わいで車を止める場所を探すのに苦労する。

何とか道路わきに駐車し高橋さんとも無事合流、軽く飲んで1時頃寝た。

見上げれば満天の星空で「よしよし、予定通り」である。

翌朝は4時に起き5時過ぎに出発、まだ暗いのでヘッデンをつけて旧道を幽ノ沢出合まで歩くが空は曇天で天気はイマイチの模様。

幽ノ沢出合に着くと2人組が準備をしていた。

我々もここで身支度をして幽ノ沢に入る。

ナメ床や小滝を過ぎると先行した2人組が何故か戻ってきた。

「何やってんだろ、この人たち」

と思いつつ下降する2人組をやり過ごす。

沢が右に回りこむと高差4m程度のナメ滝が現れる。

釜は結構深そうで10月下旬のいま落ちたらなかなか刺激的だろう。

右岸は濡れたスラブでホールドは結構高い位置にありいやらしそうで、左岸はというと立った草付きでナヨナヨした草はホールドにならずこちらも難しそう。

4人であれこれ観察したが結局「展望台経由にしますか」と言う事になりUターンする。

「なーるほど、あの2人組が戻って来たのはこういうことか」

と思っていると2パーティ9人くらいが登ってくるのに出会い、下を向いてやり過ごす。

しばらく戻ってから左岸のルンゼに入り展望台への巻き道を探すが判然としない。

仕方なく本流に戻り再度先ほどのナメ滝の見える所まで戻るとナメ滝上に中年の男女と犬一匹が休んでいる。

ゲゲッ、犬でも登っている、そんなはずはない、とよく見ると右岸の低い位置に細かいホールドが続いていてスリングまで掛かっており、取り付いてみると問題なく滝上に立つ事が出来た。

飼い主によれば「いやぁ、犬はスラブには結構強いですよ。」との事である。

この時は気づかなかったが向畑さんは「犬でも登れるところを登れなかった」事に衝撃を受けていたようである。

(正確に言うと「登れないと思った」なのだが。)

あとは大滝を右岸から快適に登りカールボーデンに着くと紅葉とスラブが素晴らしい景観で中央壁、V字状岩壁がいらっしゃい、と出迎えてくれる。

アプローチ2ピッチはやさしいスラブ、リッジ登りで先行パーティ10人以上が登るのを待って我々もロープを結ぶ。

右股リンネをトラバースするあたりで先行のセカンドが派手に落ちており、迫力を感じつつV字の要に着く。

見上げると10人くらいがファッションショーのように思い思いのスタイルで壁に張り付いている。

中にはどういう訳か懸垂下降をしている人もいてまるでクライミングジムのような混雑ぶりである。

左ルートに転進する事も真面目に検討したが柴田と倉田さんがアブミを持ってきてない事もあって結局計画通り右ルートを登る事にした。

さて、我々はトップが登ったWロープでセカンドとサードがフォローし、サードが引いたバックアップロープでラストが登るパターンをアプローチから終了点まで続けた。

サードがトップの、セカンドがラストの確保を同時にする事で所要時間を節約出来ると言う向畑式計画だったが、前が詰まっていて4人揃っても時間待ちとなる事が多かった。

1、6、7、8ピッチを倉田さん、2、3、4、5ピッチを柴田がリードで登る。

岩は順層でホールドもしっかりしているが時々濡れて滑りやすい。

3ピッチ目の終了点で時間待ちの間に「冬の石楠花尾根の取付きはどの辺りなんですか。」と向畑さんに聞くと「さあ、私は犬も登れるところを登れなかった人間ですから。。。よく分からないです。」との返事。

結構傷ついていたようである。

4ピッチ目を登るあたりからガスが岩肌を舐めだしたのでカッパを着て登りつづける。

最後は笹薮の中の踏み跡を辿って1時45分頃登攀終了。

さすが幽ノ沢でも最も良く登られているルートだけあってピンは充分あるが古くて腐食しているのも結構多い。

また簡単なルートでも濡れているとそれなりに悪くなるのでナメてはいけないと思った。

中芝新道をスタコラと下り黄葉に彩られた旧道を約1時間歩き一ノ倉沢出合に着いた。

トイレ工事は大分進んでいるようだ。

初めての幽の沢は今ひとつの天気だったがカールボーデンの美しさは素晴らしく、今度は新緑の頃にまた来たいと思った。

向畑さん、高橋さん、倉田さん、有難うございました。

また行きましょう。

 

 

屋久島紀行

2000年10月16日から5日間
三好(記)


屋久島。

今回で8、9回目。

屋久島に行けば自分の中のもやもやが解決できるのではないかと、出かけることにする。

最近は土日の出勤が多く、代休が貯まっている。

なんとか代休を消化しないともったいない(職場の人には、代休なんて取れないのが普通と言われる)。

本当は9日~13日の予定で行くはずだったか、仕事の目処がつかず、一週間遅らせることにする。

これが雨が降るかどうかの運命の分かれ道とは知らず。

今回は屋久島で調査をしているS氏が1泊したりは出来ないとのことで、沢には入れないため、近場の岩を目当てに道具を持ってゆく。

10月16日(月)

金曜は懸命に仕事をするも終わらず、土日は黒部十字峡、月曜は早起きして、また職場に向かう。

必死の形相でなんとか一段落がつく。

さて、出かけようと思うと、S氏から電話。

データロガーのデータを読み取るのに必要だから、パソコン持ってきてよとのこと。

またバタバタし始める。

S氏のガチャまで持っているので、大変な重さだ。

持ち運ぶだけで精一杯。

なんとか、屋久島に到着。

ヨセミテ行きで荷物が全部無くなってからというもの、飛行機に荷物を預けるのが不安だったが、屋久島空港でちゃんと出てきて一安心する。

S氏が空港で待っていてくれるはずなのに、いない。

間に合わないから、どこかで時間をつぶしていてと電話が入る。

「樹林」という喫茶店に移動することにする。

重たい荷物を持ってふらふら歩いていると、ワゴンに乗ったお兄さんが乗せていってあげるよ、と声を掛けてくれた。

ありがたい。

阪神淡路の震災後に、屋久島に来て、やどりぎだかとまりぎだかのペンションをやっているという人であった。

屋久島に初めて来たのは7年前だが、どんどん変化しているのだ。

樹林でパッションフロートを飲みながら待つ。

パッションジュースはとてもうまい。

S氏がやっと迎えに来てくれたので、移動する。

今日は、もうゆっくり休みたいと思っていたら、実験室に連れて行かれて手伝いをさせられる。

しかも、日程の相談をしたら、水曜は土を採取しなくてはいけないから駄目だのなんだの、他の日も行けるかどうかわからないとのこと。

騙されたのかもしれないとやっと気付く。

せっかく持ってきたパソコンをデータロガーに繋ぐと、読み取れない。

後で業者に聞いたら、相性が悪いパソコンがあるとのことである。

私の苦労はなんだったんだ。

結局、土壌の成分抽出の準備をさせられて、0時過ぎまで作業をする。

ひたすら雨が降り続いている。

天気予報を見ると、明日も夕方から雨だとのこと。

明日はとりあえず、岩はやめて、仕事を手伝ってあげるよとなった。

宿泊は、(財)自然保護協会の小屋に移動。

麦生にあるのだが、最近は、研究者も泊まらなくなり、サブレンジャーも泊まらなくなり、だんだん荒廃が進んでいるような気がする。

アシダカグモがうろついていたり、ときどきイモリが天井から落ちてきたり、ヘビのぬけがらがころがっていたりして、味があっていい小屋なのだが。

ただ、ジャージの裾からでかくて丸いサツマゴキブリが入り込んできた時だけは、さすがにショックだった。

10月17日(火)

朝はどんよりとした天気。

岩に行きたいところだが、昨日の雨で乾いてもいなさそうなので、とりあえず、外での作業を行うこととする。

帰りは大川の滝を見物。

登るラインと言っても、それほど行きたいとは思わない。

その後、お役所に寄るとのことでついて行く。

必要な資料は揃っているというので信用していったら、全然資料も揃っていない。

手続きする部署も何もわからない。

学生を10年もやっていると手続きものは出来ないらしい。

こっちは申し訳なくて、汗かきまくり。

戻ってから、土壌の乾重測定。

また、0時まで作業させられる。

10月18日(水)

6時起き。

雨。

雨。

悲しい。

午後にでも天気がよくなるかもしれないと、期待する。

午前中に土の採取は終わるから、午後は岩に行こうと言っていたが、一向に止む気配はない。

もう、今日はだめだ。

しかも、土の採取に15:00くらいまで掛かった。

大雨の中、辛かった。

仕方がないので、気分転換に宮之浦周りで、帰ることにする。

宮之浦は台風が来たかのような暴風雨。

すごかった。

一湊で、サバブシを買えたので、まずまず満足する。

ここで買うサバブシはうまい。

ここのを食べたら、お土産用の真空パックなんて食べられない。

一杯だけ、三岳を飲んで、サバブシをつまんで、また作業。

今日も0時まで手伝わされた。

10月19日(木)

6時起き。

今日は大川(おおこう)に向かうことにする。

雨が降るのはわかっているので、花山歩道と交差する部分から入って、行けるとこまで行って、引き返そう。

以前知り合った鹿児島大出身の安ちゃんは、花山歩道をずっと登って行って、上部だけ楽しむのがいいとこどりで、最高だと言っていたが。

大川は「屋久島の山岳」に書いてある滝もあまり判然としない。

大きな石をひたすら乗り越えてゆくということになる。

こんな沢は、足がかりを作ったり、上から引っ張りあげたりと、二人が一番楽だ。

おそらくサメヤンのホテルという岩小屋でお茶をゆっくり飲んで引き返すことにする。

雨は強くなったり、弱くなったり。

実はこの天気が続いてくれてよかったのかもしれない。

S氏の使っている車は借り物で、借りた先の名前が大きく車体に書いてあるので、えらく目立つ。

後で、花山に居たでしょと、情報が回り回って聞かれたらしい。

もう、山に入るのにこの車は使えないのかも。

データロガーのバッテリーが減っているのをリセットする部品が届く。

またもや手伝いを0時まで。

10月20日(金)

5時起き。

今日は晴れている。

しかし、昨日の大雨で、スラブが乾いているとも思いにくい。

今日はしかも帰らなくてはいけないのだから。

ついでにS氏の心の中では、データロガーを交換しに花山歩道に入るのだと決まっていたらしく、岩に行けるかなぁといった言葉には耳も貸さない。

花山歩道をひたすら登って、3箇所のデータロガーの取り替え、1箇所のデータロガーの新設。

何をしてるんだろう私は、とも思うが、屋久島の原生の森に入り込むのは、いい気分だ。

大急ぎで仕事を終わらせ、下山。

汗をかいたので、尾ノ間温泉に入って帰る途中、懐かしのドクターAと出くわす。

居候もさせてもらったし、瀬切の調査の手伝いもやった。

そういえば、あの時は、S氏が沢に行ってしまったので、私は置いていかれたのだ。

それが悔しかったのもあって、その後、徒登行山岳会に入ったんだなんてことを思いだす。

土日は仕事だから帰らなくちゃならない。

なんとかギリギリ空港にたどりつき、一人、飛行機に載る。

家に帰ったら、2級土木施工技士の合格通知が届いていた。

とりあえず、山に行かずに勉強に励んでいてよかった。

岩に登れず、残念だったが、これで気分は大分よくなった。

また、屋久島は行けばいいや。

でも、なかなかパートナーが見つからないんだよなぁ。

 

 

唐沢岳幕岩 京都ルート

2000年10月7日(土)~9日(月)
向畑、倉田(記)

10月6日(金)

23:56新宿発・急行アルプス

10月7日(土)

晴れ

5時過ぎ信濃大町。

5:45に相乗りタクシーで唐沢出合へ。

7時前出合付近に私達の他に5人程いた。

徒渉が下手な私は足袋を持ってこれば良かったと後悔しつつ唐沢を詰めて大町の宿へ。

先客がいたので私たちは河原にテントを張る。

10時ごろS字に向かう。

取り付きが崩壊しているらしく岩が白く、鋭い岩がゴロゴロしている。

A1の明峰の始めもちょと遠い。

一本打ち足せば登れるが止めて、明日の京都ルートの1ピッチ目のFIXを張りに行くことにする(11時頃)。

13時、京都ルート1ピッチ目取付き。

13:30倉田が登り始める。

瑞牆の燕返しのハングより張り出しは小さく、先が少し垂れ気味。

時間がかかり、14:40終了。

向畑フォローで15:10に着く。

FIXして、テントに戻る。

河原は気持ち良く、焚き火をして星空を眺めながらビール飲んで20時ごろ寝る。

10月8日(日)

曇り

4:30起床。

5:30テント発。

6:30頃FIX登り始める。

6:45、FIX終了点着。

2ピッチ目:倉田リード。

フェースから小さいハング。

ラダ―の人工。

3ピッチ目:向畑リード。

カチのスラブ。

4ピッチ目:倉田リード。

メガネハングの人工。

5、6ピッチ目:向畑リード。

ピンほとんど無し。

スラブ。

7ピッチ目:はじめ左の方に倉田リードしたが、濡れていて悪そう。

3級なんだから悪かったらルートが違うはずだ、戻って来いと向畑さんに言われる。

でも、行って見ようと行きかけると怒鳴られ、懸垂で戻る。

結局、向畑さんがリードで右側からのぼる。

8ピッチ目:向畑リード。

左側詰める凹角のルンゼから濡れ濡れの右側の壁へ直上。

9ピッチ目:倉田リード。

松の木登って、ハングの人工。

10ピッチ目:向畑リード。

ベチャベチャの岩をラダ―の人工。

ハングから抜ける所で足をあげて立ちこむのに苦労する。

11ピッチ目:倉田リード。

すぐにブッシュ帯で、17頃に終了。

だんだん暗くなる中、右稜のコルへ。

懸垂途中、反対側の沢音がだんだん大きくなる。

正しい方に戻ろうとして、トラバースしすぎたりして、やっとテントに戻ったのが19時。

まずビール飲んで23時には倉田寝る。

向畑さんはゾロアスター教だからとかなんか良くわからないことを言って一人で夜の1時頃まで焚き火をしていたそうだ。

10月9日(月)

寝ながら6時ごろもう下山している人たちがいるなあとお互い気付いていたが、二人ともなかなか起きずやっと8時に起きる。

七倉まで帰る途中の長いトンネルの電灯の数を数えたりして下山。

七倉の温泉は500円。

信濃大町の小林でそばを食べて17:17の特急あずさで帰る。

 

 

奥鐘山西壁 中央ルンゼ

2000年10月7日
本郷(記)、三好

ついに奥鐘に行くことが出来た。

今まで、計画しては天気が悪かったり、交通事故にあったりとかでなかなか実現できなかった。

今回も大阪のクラックスで登っている時に、腰をおかしくして、これはだめかなと思ったりもしたが、歩くのは問題なくなってきたので、行くことにした。

さて今回は、天気の関係で半分フリーターの三好に、金曜に休みを取って貰って、他パーティより1日早く入山した。

6日金曜の早朝に車を飛ばして、宇奈月を目指す。

助手席の三好は、食事とトイレ以外には起きることもなく、大きな口を開けている。

孤独な旅だった。

午後1時過ぎに、宇奈月に着き、鱒寿司とビールで景気を付けてからトロッコに乗った。

平日の割にトロッコは混んでいたが、ここでも三好はずっと寝ていて、呆れるばかりであった。

欅平からは、黒部川に降りて歩き出す。

途中で沢靴に履き替えて徒渉を何度か繰り返したらあっという間に、壁の前についた。

40分から50分位ではなかったか。

京都ルートと浦島太郎ルートに取付いているパーティが見えた。

寝床を作ってから、明日登る中央ルンゼの取付きを確認しに行った。

取付きは草付の踏み跡の中であった。

その後、焚き火をして、早々に寝た。

翌日、早起きして草付の踏み跡を登ると、露岩に出て、そこからアンザイレンした。

右上にくさびの切れ目が見えるので、それを目指してスラブを右上する。

残置はほとんどないが、傾斜もないので問題ない。

くさびの切れ目は三好がリードしたが、残置もあるので難しくはない。

むしろ次のピッチが悪く、凹角から左のスラブを行ったりきたりして登った。

本郷がリードしたが、残置が無くここが一番怖かった。

次から人工が入るピッチが出てくるが、本郷は腰が痛くてアブミに乗れず、苦労する。

アブミの一番下段と二段目にしか乗れず、その上は腰が曲がらず乗れない。

痛くて痛くて、もう降りたかったが、ここで降りようと言ったら、三好が可哀相なのでとても言えずこのピッチから先は、人工のピッチは三好にリードしてもらった。

その上は、スラブが2ピッチ続くが、下のピッチでは残置ピトンが40mに1本しかないので、本郷が途中に2本ナイフブレードを打った。(回収済み)

次のピッチで三好が、「左へ」

という声を無視して、直上してはまった。

結局、ピトンを2本打って、左へ振り子トラバースする。

(2本のハーケンとシュリンゲを残置。申し訳ありません、回収不能でした。)

この上のテラスで大滝さんパーティの残したシュリンゲを発見、回収した。

最終ピッチは、屋根付バンドまで人工で登った。

懸垂下降に入って、後続パーティに「あれ、本郷さん」と言われ、見たらYCCの川端さん達であった。

このまま、途中のテラスでビバークするそうだ。

さらに降りていくと、後続がまた京都府岳連の宮永さん達で「あれ、本郷さん。なつかしいなあ」と声を掛けられた。

宮永さんと森さんは、このまま一緒に降りて、宴会することに決定。

くさびの切れ目から先の懸垂は一致和合ルートを降りる。

くさびの切れ目を出てすぐの所に、左と右の2個所に支点を発見したがハング下なのでロープ回収で引っかかりそうで、もっと下にないか捜したら、右下15m位のスラブに支点があったのでそこまで伸ばそうと降りたが、3m程足りない。

そこでロープ末端からエイト環を外して、ディジーチェーンをセットして伸ばしたが、それでも足りないので2m程上にあった新しいペツルのボルトにアブミをセットして、ビレーを取って先程の支点までアブミで連結した。

三好を迎えて、後はまっすぐ2ピッチで河原に降りられた。

降りたら、YCCのパーティがもう宴会を始めていた。

我々もすぐ焚き火の準備をして、京都、JECCの廣川さん、風来坊の大野さん、山形CCの滝口さん達と宴会。

楽しい一夜を過ごした。

翌朝、三好が「紫岳会ルートの取付きでも見に行きましょう。」と言うが、行ったら絶対登らされると思ったので、寝たふりをする。

無理すると、再起不能になりそうなので。

三好も中央ルンゼを登れたことで満足らしく、あっさり承諾してくれた。

廣川さん、大野さんと一緒にトロッコで帰る。

中央ルンゼは、永年憧れたルートで、しかも私が以前所属した岩峰登高会の海津さん達が拓いたルートなので、今回登れて大変嬉しかった。

来年は、京都ルートへ行きます。

 

 

谷川岳 幽ノ沢 V字状岩壁右ルート

2000年9月30日
本郷(記)、三好、その他2名

幽ノ沢は、中央壁以外行ったことがなかったが、左俣の方やV字など前から一度は行って見たかった。

今回は三好さん、玲峰の中澤さん、大島さんを誘って実現となった。

アプローチも良く乾いていて快調にカールボーデンに入っていったら、先行の2人パーティが石楠花尾根に取付いていた。

無雪期には珍しい人達がいるなと思って呆れていると、どうやら間違えて登っていたらしく、後から来た我々に気づいて、悪そうな所を派手な落石を起こしながらクライムダウンしてきた。

取り付きには、我々が一番のりで、他には右俣リンネ付近から右フェースを登ろうとしているパーティがいた。

このパーティも右フェースの取り付きをトラバースして通り越し、正面フェースも通過して直登ルートあたりで、はまって動かなくなっていた。

よっぽどルートを教えてやろうかとも思ったが、人のやりたいことをあれこれ言うのも何なので、取りあえず黙っていた。

さて、我々4人は取りあえず本郷トップで登り始めたが、先程の石楠花パーティが後続で付いてきた。

右俣リンネへの1ピッチからアンザイレンし、リンネを跨いで一度ピッチを切って、クライムダウンして要に着いた。

後続パーティは、ピッチを切らずに要に来たため、ロープがビンビンに張ってセカンドが中釣り状態ではまって動けなくなっていた。

我々は4人パーティだったので、後続に迷惑がかかるようなら、先に行かせようと思っていたが、その心配はまったくなかった。

途中で、リードを三好さんに変って、後はエンジョイクライミングだった。

右ルートは、テラスもいい所ばかりで、気にしていた草付も気になるほどではなかった。

最後は、石楠花尾根に飛び出して終了。

のんびりと堅炭尾根を下降し、芝倉沢に降りた。

芝倉沢にどでかいカモシカがいた。

私が先頭を歩いていたのだが、全然逃げる雰囲気もなく怖かった。

その後、都岳連の指定旅館「永楽荘」で御風呂に入り、「お好み屋」で乾杯して、湯桧曽駅で宴会した。

関さんが、翌日湯桧曽本谷に単独で入るため、合流したがその頃は宴の後で誰も起きなかった。

翌日は、雨だったので全員エナジーに転身した。

 

 

南ア 甲斐駒ケ岳 赤石沢ダイヤモンドAフランケ赤蜘蛛ルート

2000年9月27日(水)~28日(木)
森広、大滝(記)

このルートもずっと昔から登りたかった。

氷登りでは、甲斐駒に何度通ったか知れないが、赤石沢に踏み入った事はなかった。

この2年間、計画は具体化していたが雨に祟られて不戦負の繰返しだった。

奥鐘を終えて4日後、僕の車は竹宇神社に向けて疾走していた。

9月27日

夏用シュラフで寝ていたらとても寒かった。

大陸から寒気が流れ込んでいるそうだ。

ゆっくりして8:40神社出発 16:00八合目でテントを張る。

岩小屋は暗くてどうも泊まりたくない。

奥鐘ではゆっくり出発して失敗したので、真面目に4:00起床。

水も各自1L持つ。

5:30にテントを後にしたら、丁度御来光を拝めた。

しかし、寒い。

所々少々迷いながら踏み跡を辿って行く。

迷ったら左側に行ったほうがいい。

下に下る程テープや布が出てくる。

フィックスロープも沢山ある。

7:00取り付き。

初めて見る赤石沢、多くが直線で構成されている白い花崗岩、少ない草付き。

岩の王国。

わくわくしてくる。

長年、憧れてやっと来られた。

密かに2P目のディエードルをリードしたくて、「森広さん、先に行って下さい。」

と譲るが、2本目のピンが遠くアブミが届かなく交代する。

1P目終了点で合流すると、「大滝さん、次のピッチリードしたくて私に先行ってと言ったんでしょう。」

ばれていたか。

「すいませんけど、次行っていいでしょうか。」

と、お願いすると「どうぞ。」

やったぁ。

V級のディエードル、凄く楽しい。

ぐいぐい、これぞ岩登りの醍醐味。

うーん快感。

3P目 森広リード 結構難しくて恐い。

4P、5Pと快適に進み、いよいよ6P目の人工部分だ。

ハーケンを抜いてある所には、フレンズで言えば、1、1-、2、が2ヶづつあればいいだろうか。

やはり、それらに体重を預けるのは恐い。

アブミビレーで痺れを切らす。

凄い高度感だ。

白稜会ルートの振り子の部分が良く見える。

何だか行ってみたくなった。

白い壁を思いきり振り子で駆けたら楽しいかも知れない。

次のピッチの2本目のボルトが遠く見えたので、大滝が行く。

楽しくアブミをかけかえていく。

14:40 Aフランケ岩小屋に着く。

登攀用具を片付けていたら、オコジョが出てきて「こんにちわ」。

暫く目の前をちょこまかしていた。

実に可愛い。

15:30 八合目 テント撤収して16:00下山開始 20:40竹宇神社着

*大滝のヘッドランプの光量が少なくなっていた。

出発前にチェックした時はとても明るかったのに急激に減退したようだ。

予備電池を持参していなかったので、森広さんから借りた。

今回もまた反省点が出来た。

強行軍だったので3日間位足の筋肉痛が残った。

 

北アルプス 奥鐘山西壁 中央ルンゼ

2000年9月20日(水)~22日(金)
森広、大滝(記)

20年前に岩登りを始めて以来、「奥鐘」は、長くとても難しく危険な壁、充分に経験を積んだ者しか取り付いてはいけない場所。

ベテランが真剣な思いで行く神格的な壁と言う存在だった。

その姿を想像するだけで恐ろしさを感じていた。

9月19日

23:54上野駅 急行能登

9月20日

6:01富山駅 09:33檜平欅平 黒部川を1時間程遡って奥鐘の下の岩小屋に着く。

何度も川を渡るので沢靴で助かった。

水はそれほど冷たくなく、深さは股の半分くらい。

岩小屋はとても立派だが天井が低くツェルト1張りで一杯、3人までだろう。

砂地なので平らになれる。

川から数メートル高くなっているので増水の危険は少ない。

午後は昼寝をし、薪を山程集め夕方から焚き火を楽しんだ。

夜は寒くなく長袖一枚で夏用シュラフに入り、それで充分だった。

9月21日

05:30起床 07:00取り付き 話し通りブッシュをロープなしで漕いで行く。

くさびの切れ目の2ピッチ手前でロープを結ぶ。

くさびの切れ目は被り気味だがホールドが大きくて楽に越せて楽しい。

V角左壁は、大滝がコーナー沿いを行ってみるが、チムニーみたいな広いクラックが開いていて、レイバックではクラックが広すぎ、かと言って体が入る程広くない。

おまけにランニングも採れない。

諦めてアブミを出すが1ヶ所左にトラバースするがピンが遠く苦労した。

セカンドの森広さんも手間取ったがどうやって越えたのだろう。

振り子トラバースでは、トップの森広さんが「シュリンゲが古くて恐いよー」

と嘆くので、「静荷重だから大丈夫」と応援する。

次のスラブ2Pは草付きは少ないが、ピンも少なくランナウトする。

谷川岳の幽の沢にいるみたい。

真剣にルートを考える。

ブッシュ登りでなく、岩を登ってるんだ、と言う意気込みでこの2Pが一番喜びを感じられた。

次の凹角は再びブッシュ&アブミ。

この頃より天気が良すぎて頭がくらくらしてくる。

やっとこさ草付きテラスに着いたら、もう駄目。

日射病になっている。

9月中旬過ぎに日射病になるなんて想像だにしなかった。

必死の思いでロープ操作をして森広さんを引き上げると、同様にふらふらだと言う。

今回ポカリスエットを作って各自500cc持った。

相談して間に合うだろうと踏んだが、もっと持つべきだった。

起床時間についても、他に誰も居ないし、早朝は寒いだろうからとわざとゆっくりした。

もっと早く取り付いていれば良かった。

時間は14:40 最終ピッチのクラック=バンドはとてもじゃないが登れない。

回復を待って登ったとしても下降で暗くなるかも知れない。

相談し頭がはっきりしてから懸垂下降をすることにした。

下降ではシュリンゲを5、6本残置した。

特にくさびの切れ目からの下降が要注意。

切れ目を過ぎて50m一杯降りるとスラブの真ん中に着く。

でもそこには支点は無い。

左のブッシュに大きくトラバースすると根元にシュリンゲが見える。

次はしっかりしたボルトの支点。

但しシュリンゲは古い。

その次は降りて行くと河原にロープが届かずぶらぶらしているのが見える。

小ハングを過ぎた所の木の根にシュリンゲを残置した。

大ハングを空中懸垂して17:00に河原に着けた。

腹一杯黒部川の水を飲んだ。

夜は盛大に焚き火をして完登出来なかった悔しさを天に昇華させた。

*ハーケンは森広さんが1本打ったが、回収は手でぐらぐら揺すったら抜けた。

殆ど草付きを登っていた感じだった。

右方の人工ルートは登られているのだろうか。

今の時代にあってハングをぐいぐいと上っていく人工ルートに二人とも余り魅力を感じられなかった。

ボルトも古くて危険性が高くなっているだろう。

帰路、欅平の露天風呂600円で汗を流した。

 

 

錫杖岳 前衛フェース 1ルンゼ本流

2000年9月15~17日
赤井、柴田(記)

3連休はどこに行こうかと赤井さんとあれこれ相談の結果、二人とも行った事の無い錫杖岳の岩場を目指す事になった。

9月15日

朝八王子駅で待ち合わせて中央道から安房トンネル経由でゆっくり走り5時間少々で槍身温泉に着いた。

車は露天風呂用の駐車場に停めたが槍身温泉は工事中の模様だった。

ここから約1.5時間で錫杖沢に少々入った岩小屋の天場に到着。

クリヤ谷の錫杖沢出合いいにも2-3張りは張れるようだ。

まだ4時前で明るいがまあ本日はここまでとする。

サイトに着き、じゃテントを張るかとポールを出すとドーム天の2本のうち1本分しかポールが出てこない。

一応試してみたがやはりポール1本では居住性は劣悪なようなのでツェルトで代替する事にする。

まあ暑いくらいだし、大岩の陰なので別にツェルトでも問題ない。

設営後沢の流れに二人は持参のビールを2本ずつ冷やしたが赤井さんのビールは半分以上水面に出ていて冷却効果が今一つのようだったので私のビールを冷やしているゾーンの方に1本移して沈めておいてあげた。

するとしばらくして赤井さんが戻ってきて「私のビールは1本流されてしまったみたいです」

とすっかり肩を落としている。

「ふっふっふ、赤井さん。良い事をおしえてあげよう…」

9月16日

くもり

天場 5:40 1ルンゼ取付7:00 終了点11:15/11:25 取付14:15

朝起きると黒い雲が行き交っており「こりゃだめかなぁ」

と思いつつそれでも次に来た時の為に取付きだけでも確認しようと出発。

北沢に入りすぎ少し戻って目指す左方カンテの取付きに着くが、既に2パーティが準備中だったのでルートを1ルンゼ本流に変更する事にした。

大阪から来たと言うおじさんがいろいろ教えてくれたが、このおじさんに限らずここでは行き交うコールも関西弁が多かった。

東京・大阪からの距離も大体同じくらいの様だ。

安房峠を越えたらそこは関西か、と思う。

1ルンゼは左方カンテ取付きから少し北側に下った所に有るが顕著な凹角の左側にボルトでビレーポイントが出来ているのではっきりそれと分かる。

1P目凹角から左のフェースへ柴田発進。

以下8ピッチ目終了まで赤井さんとツルベで登った。

2P目:シュリンゲが数本垂れた浅いクラックが結構細かい。

3P目:カンテを左から巻いて右のルンゼに戻る。

ロープが足りなくなり少し戻るがビレーポイントはあちこちにある。

4P目:ルンゼ沿いのフェースを登る。

ここで雨がパラつく。

5P目:ルンゼ左のフェースを登ると先行パーティのビレーヤーの姿が見えたのでそこまで行ってピッチを切る。

6P目:一旦右のフェースに出てから左上しジェードル状に入る。

ジェードルを人工交じりで越えてややかぶったハングを左からリッジに抜ける。

「フリー化したら5.11?」と「日本の岩場」に記述があるところ。

7P目:左の乾いたカンテとフェースを伺うが別ルートになってしまいそうだったので、先行パーティ同様ルンゼの中を登る。

最初から濡れて滑りやすい。

上部のハングではワンポイントアブミを使い、滑りやすいホールドに閉口しながら抜ける。

8P目:出だしが少々微妙だったがあとは容易なまま横断バンドの終了点に達する。

終了点ではいつしか青空も覗いていた。

西穂高方面も下半分くらいは見えている。

終了点からは同ルートを懸垂5回で取付きに戻った。

天場に戻り冷やしておいたビールで赤井さんと乾杯。

最悪取付の確認だけかもと思っていたのがひとまず一本登れたので良かった良かった、である。

9月17日

朝起きてみるとツェルトは乾いている。

これなら今日は左方カンテに行くか、とツェルトの外に出たら岩はビチョビチョに濡れ小糠雨が降っている。

大岩の陰に張ったおかげでツェルトは雨にあたらなかったが実際には結構降っていたみたいだ。

「こりゃだめだね」

と荷物をまとめてスタコラと下山し、橋の下の無料露天風呂で汗を流して帰京する。

錫杖岳は初めてだったけど岩も堅くなかなか良い所だった。

穂高連峰が新雪の頃にまた来たいなぁ、と思った。

以上