南アルプス 甲斐駒ケ岳 赤石沢Aフランケ赤蜘蛛、奥壁左ルンゼ(途中敗退)

1999年7月24~26日
小谷、荒井(記)

7/24

駒ケ岳神社 – 5:40 黒戸尾根 – 13:00 8合目 – 15:30 Aフランケ基部

久しぶりの黒戸尾根で2人(少なくとも私(荒井))は、くたくたとなる。

8合目からAフランケ基部まで所々迷いながら下る。

残置ロープに助けられ右フェースの基部へたどり着く。

ツェルト1張り分のスペースを見つけビバークする。

水もとれ快適。

19:00消灯。

7/25

4:30発 – Aフランケ赤蜘蛛取付 – 5:10 赤蜘蛛の登攀 – 14:40 終了点 – 15:30 8合目

ビバーク地点から赤蜘蛛ルートへ向かう。

1箇所残置ロープの頼りになる。

じゃんけんで勝った小谷さんのリードで登攀開始。

奥壁まで登るつもりで荷物を持ってきたので登りに手間取る。

荷物の重ささえ気にしなければ岩は堅く、天気もよく快適。

途中フレンズが有効にきまる。

終了点に着いたのは14:40 9時間以上もかかってしまった。

予定していたBフランケ赤蜘蛛は諦め、明日は奥壁左ルンゼへ行くことにする。

8合目まで登り、ツェルトを張る。

(水は、八丈バンドをトラバースして右ルンゼの取付きでとれる。)

18:30消灯

7/26

4:30 発 – 奥壁左ルンゼ取付 5:30 – 左ルンゼの登攀 – 5P目F2へのトラバースで落石を発生させ負傷のため敗退(同ルート懸垂下降3P) – 左ルンゼ基部 – 8合目11:30 – 黒戸尾根 – 17:10駒ケ岳神社

3:00起床 必要以外のものは、岩小舎にデポ。

4:30発。

途中で水をくむ。

取付きで多少迷う。

今日は、私がリードで始める。

1P目以外と悪く手間取るがその後はペースが上がる。

5P目、私がリードでF2へトラバースしていたときに不覚にも落石を発生させ自ら手と足に負傷する。

パートナーには申し訳ないが、登攀を諦めることにする。

ここから懸垂下降3Pで左ルンゼの基部に着く。

8合目までもどり、荷物をまとめて黒戸尾根を下るが、負傷した足をかばいながらの下降なので時間がかかってしまった。

17:10 駒ケ岳神社到着。

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

1999年7月4日(日)
本郷、畠中、高津、三好(記)

天気予報では雨だったが、日曜日は時折雨がぱらつくものの、まずまずの天気。

これは行くしかないと、前夜のしゃぶしゃぶとお酒でずっしり重たくなった体と頭を抱えて、中央稜に向かう。

実は3年前に敗退、ビヴァークのおまけつきという恥ずかしくも懐かしい思い出があるので、ガスのかかった一ノ倉が近づくにつれてちょっと緊張してくる。

開山式に出たりしてたので、取りついたのは10:00前だったと思う。

1P、2Pめは本郷さんがリード。

時々岩を叩いて確かめるのが、パンパーンととてもいい感じに響く。

3Pめは私がリード。

少しだけトラバースした後は、ぐいぐい登れるので気持ちよい。

ただ、岩が所々ぬるぬるしてたり、グラグラするのはいやな感じだ。

4Pめもリードさせてもらう。

核心、右側のチムニーがぬれてたので左側フェイスをいったのだが、あやしい残置スリングをちょびっと掴んでしまった。

使わなくても登れそうな所だったので、反省。

4Pめが終わった頃には、ガスがやる気をみせつつ下ってきて、雨もぱらついてきたのでここで終了。

それにしても、3年前は高さに頭がクラクラ、足がガクガクで全然きちんと登れなかったのが、不思議なほど、すんなり登れてしまった。

色々自分なりにもたついてしまった場面、反省点のほうが印象に残っているくらい。

4P終了点からの懸垂では、ロープが引っかかってしまったので(以前も同じ場所でひっかかった)、公平にジャンケンして、畠中さんが華麗な登り返しを見せてくれることとなった。

それでも取付に戻ったのは14:00。

それからのテールリッジの下りが一番の核心だった。

お酒も飲めたし、登れたし、とても楽しい週末だった。

さて、次はどこに行こう。

 

 

奥多摩 多摩川水根沢谷

1999年6月26日
森広(記)、三好、中嶋、井上、倉田、関

総会前にちょっと遊ぶ計画。

水根に移動する頃には雨も上がった。

最初のゴルジュ入口に釣り屋が二人いて、態度が悪かったらしい。

最初は悪いことしたかな、とも思わなかったが、やな奴だったと聞いて水の中で暴れてよかったと思った。

だいたい魚に比べて釣り屋が多すぎる。

奥多摩の魚は、ほとんど放流したものだ。

それも数日で釣りきってしまうのだと聞いている。

渓流釣りといっても、釣り堀とたいして変わらない。

二つ目の滝の下で沢に戻り、めいめい勝手に滝を登り、釜を泳ぐ。

先に登った奴が上から水をかけたり、石を投げたり、やりたいほうだい暴れて、気が付けば半円の滝。

真ん中を登るのは、最後が悪い。

下降点からここまで1時間20分ほど。

左岸の道に上がって15分程で道路に戻る。

すばらしき里山、足拍子岳(ホソドノ沢ダイレクトスラブ)

1999年6月13日
関、瀧島(記)

晴れ。

足拍子岳はせこい里山である。

でもその中には日本土着の山の楽しさが凝縮されていて日帰りでも十分に楽しむことができる。

また、悪いスラブや雪渓、ルートファインディングの難しさなど、はまる要素もたくさんありそれがまた楽しみのひとつだと思う。

今回も楽しく充実した1日を過ごすことができた。

旭原の手前の林道をゲートまで車ではいる。

車発(5:40)足拍子本谷はすぐに雪渓となり、ホソドノ沢出会いで水筒に水を入れ忘れていることに気づき側壁のしずくの滴りで何とか水筒を満タンにすることができた。

(6:40から7:10)ホソドノ沢を10分上ると取り付きである。

ダイレクトスラブの取り付きのF1(40m)の正面はへたな左官屋さんがコテでならしたようなスラブでボルト連打でもしないと無理だ。

左岸のカンテからガリーをたどる。

雪渓から岩に取り付くところが少し怖くて、堅い雪渓にバイルを打ち込み確保し太郎君がトップで取り付く。

左岸を4ピッチでF1の上のスラブの中央に立つ。

6ピッチ目が核心のF2で堅いフェースを登る快適なピッチだった。

ダイレクトスラブは上部が3本に分かれて、今回は向かって右側の右方ルンゼに入ったようだ。

稜線まで11ピッチのクライミングだった。

稜線は昼過ぎ。

ここから前手沢を下るか、縦走してから足拍子本谷を下るか迷ったがこの山域の概念をつかむ意味も含めて縦走してから足拍子本谷を下る事にした。

稜線上にはかすかな踏跡がある。

足拍子岳本峰のふたつ手前くらいのコルから懸垂を1回と後は歩いて雪渓の上に降り立つことができた。

安心したのもつかの間、雪渓の状態はやっぱり悪い。

今にも崩れそうな幅1メートル程のスノーブリッジの上を懸垂で下ったり、ぶったぎれた雪渓をいかにして渡るかなど、いろいろと課題を与えてくれる。

なんやかんやで車に戻ったのは夕方になっていた。

旭原に続く車道に出てから、今一度、夕暮れの足拍子岳を心地よい疲れを感じながら眺めた。

幸せな気分だ。

本谷の雪渓がぶった切れているのがよく見える。

コンパクトにまとまった荒々しい姿。

こんな山が好きだ。

太郎君、誘ってくれてありがとう。

富士山 サミットフォール(見ただけ)

1999年5月29日~30日
森広、三好、中嶋(記)

朝の7時に高尾山口に集合。

有楽町線の始発に乗ってなんとか間に合った。

三好さんの車で富士山の富士宮口5合目に向かう。

富士吉田からの有料周遊道路ははじめて利用した。

10時半ころ登り出して、だいたい4時間半位で頂上。

頂上直下までは運動靴だったが、気温が下がってきて雪も堅くなってきたので念のためプラブーツにはきかえた。

8合目くらいからは気温も氷点下になり、風もかなり強まってきたので本格的にヤッケや目出帽をかぶってしまった。

前日の東京の気温は30度に迫る勢いだったので、まさかフル装備になるとは思ってもみなかった。

あなどりがたし、富士山。

富士宮口は吉田口と比べると、心身の疲労がかなり軽減される。

頂上からサミットフォールを眺めたら、とても登れるような感じではなかった。

2年前に途中まで登った森広さんは、氷の量が3分の1位だと言っていた。

覚悟はしていたがやっぱりがっかりした。

しかたが無いので今回の目的は高度順化と云うことにして、日頃の睡眠不足を補うべく少しお酒を飲んで早々に寝た。

朝は6時くらいに起きて、ご飯を食べたらまずお鉢一周ダッシュ、続いてお釜におりてサミットフォールの記念撮影。

退屈したときにまた来てもいいかなと思った。

その時は是非スノボを背負って来よう。

帰りはシリセードで6合目まで一気に滑り下りる。

この長大なシリセードで森広さんの雨具は破れてしまったのだった。

山中湖マラソンのおかげで帰りは渋滞に巻き込まれてしまったが、時間はいくらでもあったので道志村経由でのんびり帰った。

気持ちの良い春の週末だった。

<fin>

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

1999年5月29日(土)
本郷、井上、倉田(記)

5/28(金)

谷川に向け21時30分北坂戸駅を出発。

ポンコツ倉田車で、0時に一ノ倉沢出合に着く。

5/29(土)晴れのち曇り

5時に起床、5時40分出発。

私は恥ずかしながらこのルートを約6年前に敗退した経験があるので、絶対終了点まで行くんだと密かに思いながら、ヒョングリの埋まった雪渓をすたすたといく。

ちなみに底の薄い運動靴を取り付まで使用したところ、雪渓でも、テールリッジでも、とても歩きやすかった。

途中水を汲んだりして、7時頃南稜テラスに着く。

テラスで、かなりの順番待ちとなり、日向ぼっこしつつ待つ。

8時20分頃、はじめの1ピッチ目フェースを倉田がリード。

混んでいるので、前のパーティーを追い越しつつチムニーへ。

チムニー奥に入り込まず、右側を選んでのぼるがちょっと緊張した。

2ピッチ目フェースも続いて登るが記憶に残らないくらい。

草付を普通に歩いて、3ピッチ目フェース、又倉田がリード。

上に行くにつれて混雑がひどくなり、だんご状態。

追い越すことも出来ないので、しばらく先行が抜けるまで待つ。

ビレー点から最終ピッチのフェースが良く見え、先行パーティーがにっちもさっちも行かず、へばりついてるのが見えた。

4ピッチ目井上リード。

緊張感が欠け気味の私は、ダブルロープの片方を反対ビレーしそうになりあせる。

途中でカンテ手前でピッチを切る。

5ピッチ目井上リード。

カンテは横をへつろうとすると難しくカンテ上に思いきって出ると簡単だった。

最終6ピッチ目井上リード。

垂直なフェースで、高度感もあり、登って気持ちがいい。

真っ直ぐ登ると出口のところにガバがあるので、それをつかんでぐいっと登れる。

また右側に抜けると少し簡単だそうだ。

終了点にはおそらく11時半ぐらい。

そのまますぐ6ルンゼ側から懸垂下降する。

馬の背リッジで、ザイルが切れたことがあると聞いていたので、リッジには出ないように降りる。

途中の懸垂で、末端を遠くに投げなくてはいけないのに手前のほうに投げてしまい、岩に引っ掛かり、登ってくるYCCの人に取って頂く。

穴があったら入りたい気分だった。

今回の山行で、私は緊張感と判断力の欠如があり、もっと経験を積み、勉強しないとと新たに思う。

 

 

鹿島槍ヶ岳 東尾根第2岩峰南尾根

1999年5月8日
関(記)

今シーズンの雪稜の締めくくりとして、変なところに行ってきましたので報告します。

山域は、鹿島槍ヶ岳の北俣本谷から東尾根につきあげる支稜で、登山大系をめくると、ルートの記述はないものの概念図に第2岩峰南尾根と名付けられています。

昨年杉浦さんとダイレクト尾根を登った時に、対岸になんとなく気になる尾根を見つけてから鹿島槍へのラインとして意識していたものです。

南面の急傾斜の尾根なので雪がだいぶ落ちていましたが、変化に富んでいて充足の山行となりました。

この尾根が完全に雪でコーティングされた時に登ると一層面白いのではないでしょうか。

5月8日

天気予報では快晴を告げていたが起きると雨が降っている。

大気の状態が不安定なのだろうか。

4時の出発予定だったが、雨=中止という考えが染み付いている私にとって雨具を着て出発するという考えはなかなか起きず5時まで車の中でグズグズしていた。

小降りになったところで雨具を着て出発、30分も歩き出すと次第に大町の方から晴れ出して来た。

北俣本谷に入り間もなくすると目指す第2岩峰南尾根が見えてくる。

末端はヤブ壁になって本谷に落ち込んでいる。

一番の弱点となるラインは対岸の鎌尾根の取り付きとほぼ同じ所まで稜がのびており、これをつめてヤブ壁の末端にたどり着く。

(7時)ここでハーネス、アイゼン等を装着する。

尾根に這い上がるまでは密度の濃いヤブの木登りとⅡ,Ⅲ級の岩稜が交互に続く。

急傾斜のヤブに腕は引っかき傷だらけとなり、腕の筋肉も張ってくる。

尾根上に這い上がると、鹿島の主稜線が目に飛び込んできた。

(9時頃)ここからルートは雪稜らしくなり、ナイフリッジの急登が続くが、雪が少ないのでやはりヤブまみれになることとなる。

それでもこの尾根の核心部である下部をぬけたので幾分ほっとしていた。

上部に行くに従い雪も増え、途中に5~10mの小ギャップが2箇所ありいずれもクライムダウンとなる。

ここには古い残置シュリンゲがあった。

東尾根を右手に睨み早く合流しないかなと期待しつつひたすら雪壁状の斜面を登ると、1時半頃ようやく東尾根の第2岩峰上に合流した。

北峰に着いたときには疲れきっていたので(2時半)北俣本谷経由で下山すると2時間で大谷原に戻ることが出来た。

下山して薬師の湯に入ると前日はほとんど寝ていないこともあって疲れがドッと出て、ロビーのソファで寝てから帰途についた。

翌日は平松の49日でした。

 

 

黒部横断記録

1999年4月29日~5月7日
小谷、児矢野、杉浦(記)

赤岩尾根-鹿島槍-牛首尾根-十字峡-大滝尾根-仙人池-八ッ峰-馬場島

[4/28]

23:00 新宿に集合、23:20発の急行アルプスの臨時便に乗る。

客はまばらで、各々4つのシートを一人で使って、快適に大町へ。

自分は前日の睡眠不足からか、ぐっすり眠れた。

[4/29]

大町駅からタクシーで大谷原へ。

他のパーティは、S字峡からガンドウ尾根に行くというチーム84の1パーティしかいなかった。

大谷原6:00発。

天気は曇り。

寒気が入っているようで、少々寒い。

赤岩尾根は、結局我々だけでトレースしていく。

11:40稜線直下。

少々不安ではあったが、まだ雪が締まっており大丈夫であろうということで、稜線までトラバースする。

12:45冷池小屋。

ここから鹿島ピークまでが、思った以上に長かった。

16:15鹿島槍ピーク着。

頂上付近だけ雲がかかって吹雪いていて、ちょっとだけ冬山気分を味わえた。

ピークからはすぐ牛首尾根の下降に入り、17:00、牛首山の手前でテントを張る。

5月ということで、シュラフカバーしか持って来なかったが、この日はちょっと寒かった。

[4/30]

ちょっと寝坊して、3:20起床。

5:45出発。

天気は晴れ。

誰もいない雪稜を歩くのは気持ちがいい。

2300mくらいから、地形が複雑になり、視界がなかったらかなり苦労しそうだと思った。

6:50、2061m分岐着。

雪が締まっていて、意外に早く進む。

1849m辺りからブッシュが多くなり、逆になかなか進まなくなる。

途中、新鮮な熊の足跡らしきものがあり、時々叫びながら進む。

9:15、1476mピーク。

だんだんと尾根が急になって、悪くなってくる。

13:40、さすが小谷さんのルートファインディングで、さして大きな間違いもなく懸垂点に出れた。

それにしても、この下りは結構悪く、核心を一つ越えた感じがした。

1ピッチの懸垂で十字峡に降りる、14:00。

ここで第一の核心十字峡徒渉となる。

服を全部脱いで、ヤッケだけ着る。

小谷さんが気合いを入れて、最初に渡りだす。

途中確保していてちょっとヒヤッとするが、さすが無事徒渉。

次に自分が渡る。

流れは結構早く、水は深いところで胸まであり、かなりたいへんだった。

最初に徒渉してたら多分やばかった。

児矢野さんも、無事徒渉、16:10。

ここから水平歩道まで登り、十字峡まで出て幕営、17:10。

黒部川無事徒渉、天気はこのあと数日晴れの予報、ということで、改めて気合いが入ってくる。

[5/1]

2:30起床。

5:00出発。

天気は快晴。

約20分ほど北尾根を登ってから、雪稜をトラバースして、懸垂点に着く。

そこから2ピッチ懸垂して、剣沢に降り立つ、6:30。

沢には雪が多く残っていて、楽々歩いて大滝尾根の取り付きに至る、7:10。

ここで、小谷さんの「大滝を見に行きませんか?」

という提案で、ザックを置いて大滝を見に行く事にする。

冬は雪崩の巣、夏は厳しい沢登りが必要なこの幻の滝は、今はあっさり雪の上をただ歩くだけでその下まで行けた。

轟々と落ちる幻の大滝は、たしかにすごい。

小谷さんは、ミーハーギャルのように写真を撮りまくっていた。

大滝の前で修学旅行生のように記念撮影をして、取り付きへ戻る。

ここから第二の核心、大滝尾根。

気分を登攀に戻して、気合いを入れる。

[大滝尾根登攀編1日目]
[杉浦リードで取り付く、8:20。

1ピッチ目、垂直に近いブッシュ、空荷で取り付く。

ブッシュはしっかり生えていて、ホールドとして十分使える。

気合いが入っているせいかあまり怖さは感じない。

45mでザイルをフィックスする。

3人でザイルが2本の為、荷揚げをすると後続が別々に登らなければならず、時間が掛かってしまう。

2P目、急傾斜のブッシュ、まだ1週間近くの荷が入っているザックを背負っての登攀はちょっとつらい。

途中土壁にバイルをさして登る。

45mでフィックス。

3P目、ブッシュ、ドーム基部まで(20m)。

4P目、ドームは、トポにある左上するリッジの奥を所々生えているブッシュを頼りに空荷で登る。

30mほど登るとリッジの大滝側へ出て、剣大滝が上から見渡せ大変気持ちがよかった。

そこから少し登ったところでフィックスする。

天気が良くちょっと暑いぐらいだが、ここは大滝の方からくる風が気持ちいい。

5P目、3級程度の岩を20mほど登るとビバークできそうなテラスへ出る。

途中残置ハーケンがあり、ルートは間違ってないと安心する。

テラスで、ザイルの流れを考えてピッチを切る。

ここで時間はまだ2時頃(だったような)で、まだ時間は有るということで、次のビバークポイントの出現を期待してピッチを伸ばすことにする。

6P目、右から回り込み、雪の付いたやせた岩稜帯へ出て(雪のテラスだと思われる)、次の急なブッシュ帯の前で切る(45m)。

7P目はブッシュ、薮の中のリードは、ザイルがだんだん流れなくなってきて、最後のほうはかなり重たくてつらい(45m)。

8P目、急傾斜のブッシュ(40m)。

9P目、急傾斜のブッシュ、垂壁が出てきたので、その前で切る(35m)。

10P目、たいしたことないと思ってザックを背負ったまま垂壁に取り付くが、途中ではまる。

1ムーブがこなせず、たぶん使わないであろうと思っていたアブミを出す。

ちょうど残置ハーケンがあり、まずそこにアブミを掛け、次に細いブッシュにシュリンゲを巻き、アブミを掛けて乗ろうとするが、そのブッシュごと落ちそうになり、慌ててハーケンのほうのアブミに戻る。

仕方がないので気分を変えて別のムーブに変えてみたら、結構すんなりいき、垂壁を抜けることができた。

トポにもこんな垂壁のことは載っていなく、見た目も簡単そうだったので、なめてかかってしまったのが、ちょっとまずかったようだ、40mでフィックス。

11P目、傾斜の緩いブッシュ帯から、雪稜に出る(35m)。

ここの雪がちょうどテラス状になっていて、ぎりぎりテントが張れそうなスペースがあった。

細い稜にちょこっと雪が乗っかっている、というような感じでかなり不安ではあったが、小谷さんが慎重に(?)下検分した結果、大丈夫であろうということで、ここに張ることにする。

17:40。

テントに入ってしまえば、あまり気にならなくなって、ぐっすり眠ることが出来た。

[5/2]

2:30起床。

5:00出発。

天気は快晴。

[大滝尾根登攀編2日目]

引き続き杉浦リードで登攀開始。

12P目、雪稜を歩いてブッシュ帯の前で切る(40m)。

13P目、ブッシュ、緩い傾斜からだんだんと急になってくる。

傾斜がほぼ垂直に近くなってきたところでピッチを切る(45m)。

14P目、少し登るとブッシュ混じりの垂壁が出てきたが、その垂壁は難しそうだったので、その下を右斜めにバンド伝いに登り、そのあと木登りをする。

が、途中でザックが引っかかり、どうにも登れなくなって、ピッチを切って、フィックス(35m)。

15P目、空荷で登り出すが、荷揚げは時間が掛かると思い、すぐにピッチを切る(10m)。

16P目、右のブッシュ帯か、左の岩のリッジかどちらに行くか迷ったが、様子見ということで左に行ってみたら行けそうだったのでそのままリッジ状の岩稜帯を登る。

傾斜が緩くなり、視界の開けた垂壁の前でピッチを切る。

大滝がかなり下のほうに見え、気分は爽快(35m)。

17P目、垂壁を右側から取り付き、次に中央を抜けて、奥のジェードル状の垂壁の手前でピッチを切る(35m)。

18P目、ここで、トポに左へトラバースすると書いてあることを、小谷さんに言われ、そちらの様子を見に行く。

確かに行けそうなので、トポに書いてある太い杉の木のところまで行き、ピッチを切る(15m)。

トポは十分読んであるつもりであったが、そんな事はなかったようだ。

まだ、読みが足らなかった。

19P目、空荷で杉の木を木登りして抜け、そこでザックを手で上げ、フォロー用にアブミをセットして、再びザックを背負って登り始める。

巨岩を累積したような岩場を抜けると、岩が累積したテラスである岩の広場に出た(50m)。

20P目、岩稜帯を右から登り、傾斜が緩くなったところで雪から水が滴っているところがあり、水が簡単に取れそうだったのでピッチを切る(25m)。

21P目、やせた岩稜帯を登る、傾斜はあまりない(50m)。

ザイルを引く筋肉が痙攣してきて、だんだんと引く力がなくなってきたようだ。

再三のアップのコールに、なかなか応えられない。

22P目、岩稜帯からブッシュ(45m)。

23、24P目、急なブッシュ(だったと思う)でやせた岩稜帯に出る。

ここに、また雪がちょこっとだけ乗っかっているようなところがあったので、この雪を切り崩して、テントサイトを作る。

昨日よりも更に狭いところだが、寝るだけの幅があるだけもありがく、ここにテントを張る。

17:30頃。

[5/3]

2:30起床。

5:00出発。

朝は曇り。

今日一日天気が持つことを祈りながら出発。

[大滝尾根登攀編3日目]

引き続き杉浦リードで登攀開始。

25P目、天場から少し歩いて、5mほどクライムダウン、そのまま岩稜帯を行く(45m)。

26P目、最初の少しだけスラブが悪く、そこだけザックを降ろして登り、ランナーを取って戻って、再びザックを背負って登り、次の垂壁の前で切る(30m)。

27P目、垂壁を左の方に登り、その後木登りをするが、その木登りがちょっと悪く、ザックを置いて登る(30m)。

28P目、今にも崩れそうな巨岩を累積した岩場を20mほど登って、その後の岩場を右から回り込んで登る(45m)。

29P目、ブッシュから岩稜帯に出て、7~8mほどクライムダウンして、ガレた垂壁の下に出る(35m)。

30P目、見た目がちょっと悪そうだったので、空荷で登り出す。

どこが登られているのか判然としなかったが、感性に従って真ん中よりに登っていくと、残置ハーケンがあり、ここが正しいとわかる。

下部は脆かったが、上部はそうでもないようだ。

ハーケンのところから、5.9くらいのムーブを越えると垂壁の上に出て、そこでフィックス(40m)。

31P目、ブッシュの稜線(45m)。

32P目、雪のついた岩稜から急なブッシュ帯の前に出る(45m)。

33P目、急傾斜のブッシュを登り、雪稜の下に出る(30m)。

34P目、広々して平らな雪稜を歩く(50m)(天幕可能)。

35P目、ブッシュの生えた緩い傾斜の岩場を登り、垂壁に出る。

ここで、なぜか力が入らないと思っていたら、朝棒ラーメンを食べてから、何も口にせず登り続けていた事に気づく。

失礼して、セルフを取って行動食をがつがつ食べる。

腹がおさまったところで、再度登り始めるが、垂壁が見た目より悪い。

ここにザックをフィックスして、空荷で登る。

ルートが判然としなかったが、また感性に従って真ん中寄りを5.9くらいのムーブから、木登りに移行して越えて、ザイルをフィックス(45m)。

36P目、少し雪稜を登ってから、ブッシュの生えた緩い岩稜帯に入る(50m)。

ここで、さすがに疲れが出ているようで、なかなかスピードが上がらなくなってきた。

リードを小谷さんに交代してもらう(これ以降はフォローのため、かなり記憶がとんでます・・・)。

37、38P目、岩稜帯。

39P目、一旦雪稜に出て、そのあと急なブッシュを登る。

40P目、ブッシュからまた雪稜に出る。

この辺りから、やっと雪が登りを助けてくれる感じがした。

41~45P目、雪稜、ブッシュが交互に出てきて、広いピークに出た。

17:00。

高度計は遥かに1600mを越えているが、トポから推測すると1600mピークと思われる広いピークだ。

取り合えず、昨日、一昨日と比べるとかなり広くて、今日は安心して眠れそうなところだった。

雲はたくさん出てきたが、今日一日天気が持って良かった。

でも明日からは天気が崩れるかもしれないと言う天気予報を聞いていたので、停滞してもいいようにとしっかりと整地して、ブロックも積み上げる。

[5/4]

2:30起床。

5:00出発。

天気は曇り。

まだ、雨は降っておらず、何とか行けそうな感じの天気だ。

[大滝尾根登攀編4日目]

小谷さんリードで登り始める。

46P目、雪稜を下る。

47P目、雪稜を登る。

48P目、急傾斜のブッシュ交じりの岩登り。

49P目、緩い雪壁。

50P目、垂直の木登りから、ブッシュ、最初の木登りがちょっと悪かった。

51~55P目、雪稜、所々ブッシュと言う感じで、大滝の頭へ出る。

12:00]

大滝尾根の頭は、ピークという感じではなく、ガンドウ尾根の登りの途中に出たという感じで、自分は最初それとは分からなかった。

そこから2ピッチザイルを伸ばして、ザイルをしまう。

途中一度ザイルを出すが、あとは広い稜を歩いて仙人小屋へ着く、14:00。

仙人小屋へ向かう途中から雨が降りだして、着いたころは結構よく降っていた。

急いで二つの小屋の間にテントをたて、中に入る。

既にみんな全身びしょぬれで体は気持ちが悪いが、大滝尾根を無事抜けた事と、ガス、食料も十分残っている事などで気分的にはかなりいい。

ガスをがんがんたいて、何とかある程度物を乾かす。

天気予報は、かなり荒れる予報をしている。

明日は、朝の天気を見て考えることにする。

[5/5]

天気予報通り、朝から天気が悪い。

また、ここ連日の行動の疲れも出ており、今日は停滞と決め込む事にする。

朝飯を食って、しばらくテントの中で寝ていると、昼過ぎころから、だんだんと空が明るくなってきた。

外に見てみると予報に反して空は晴れ間が出てきていた。

少し待っていると、ほんとに晴れてきて、ぽかぽかしてきた。

昨日濡れたものを小屋の屋根に広げて、乾かすことにする。

日差しが暖かく、気分ものんびりしてほんとに気持ちがよかった。

明日は、天気はこのまま回復しそうだが、日数も残り少なくなってきたことなどで、一二のコルから八つ峰に取り付くことにする。

[5/6]

2:00起床。

4:30出発。

天気は曇り。

小屋の直下のルンゼを降りる事にする。

最初は急雪壁をダブルアックスで下り、その後は剣沢まで歩いて下りる、5:10。

それから剣沢を登り出すが、途中から雪がちらほらしたり、晴れ間がちょっと出たりと天気は安定していないようだ。

8:55、一二ルンゼの基部。

ここからはトレースは全くない。

コルまでは、結構な急雪壁で、11:25、八つ峰稜線に出る。

少し登って、ちょっと悪いところを抜けたところで、ザイルを出す。

小谷さんと杉浦がザイルの末端を結び、交互にザイルを伸ばす。

2峰は一ピッチクライムダウンしてトラバース。

そこからは忠実に稜線をたどる。

自分達でトレースをつけていくのは気持ちいいが、なかなか時間が掛かってしまう。

途中から雪がちらほら交じってきて、また風も強くなってきて、ちょっと冬山気分になってきた。

三峰、四峰下りはちょっとだけ懸垂、五峰は2ピッチの懸垂で五六のコルに出た、18:00。

ここにはいくつかテントサイト跡が残っていて、その一つを改良してテントを張る。

[5/7]

2:00起床。

5:00出発。

天気は晴れ。

ここから先もトレースは全くない。

昨日と同じシステムで、杉浦から六峰を登り出す。

他のパーティはおらず、我々だけでトレースしていくのはほんとに気持ちがいい。

が、3人という事もあって、なかなか進まない。

六峰の登りは結構長かった。

でも、ふと後ろを見ると三峰の方から我々だけのトレースがずっと続いており、たいへん贅沢な気持ちになる。

六峰を懸垂下降して、七峰はトラバースする事にする。

天気は快晴でぽかぽかしてきたが、雪はだんだん緩まってきていて、ちょっとひやひやしながらここを通過する。

で、七八峰のコルに出る頃には、もう昼になっていた。

ここで、この後の下降の事を考えると、もう時間切れという事で、涙を飲んでここから長次郎谷側へ下りて池ノ谷乗越へ出る事にする。

一ピッチクライムダウンしてザイルをしまい、乗越まで登る、13:45。

ここでまた、早月尾根か池ノ谷ガリーかどちらに行くか相談する。

数日前、桜井さん達のパーティから無線で、まだ大丈夫という話を聞いていたので、多分まだ大丈夫だろうということで、池ノ谷ガリーに行く事にする。

今日中に寿司が食いたい、という思いも大きかった。

最初の三ノ窓まではダブルアックスで下り、そこから少し下りたところでアイゼンを脱いで、シリセードに入る。

むちゃくちゃ早かった。

が、ガリーの核心の手前で、やはり状態は万全ではなく無理はできない、という判断で登りかえして小窓尾根に出る事にする。

雪が少し残っているルンゼを登って、小窓尾根に出る。

出た所は非常に景色がよく、富山湾とそこに落ちる夕日が大変きれいだった。

ここから小窓尾根を忠実に下りていくが、途中から懐電行動になってしまった。

この頃から、今日はたぶん寿司は無理だろう、という思いが強くなり、自分の中でだんだん気分が落ち込んできて、急に疲れが足に出てきてしまっていた。

沢に出た頃にはあたりは真っ暗になっていて、何度か迷ってしまったが、21:00、ついに最終目的地、馬場島に着いた。

多分まだ夜行に間に合うという事で、タクシーを呼ぶ。

でも、このタクシーが今回の中で一番恐かったかもしれない。

細い山道をタイヤを鳴らしながら、所々120Km/h以上の速度で飛ばしていた。

で、結局そのまま滑川駅前でやきそばだけ食って、夜行に飛び乗った。

(注)
大滝尾根登攀編では、ちゃんと記録を取っていたわけではないので、ピッチの距離などは結構いい加減です。

あと、特に2、3日目は、記憶が飛んでピッチがずれていたり、入れ違っていたり、抜けていたりという所があるかもしれません。

御参考にされる場合はご注意ください。

[感想]
これだけ長い山行は大学の合宿以来で、最初は体が持つかどうかちょっと不安でしたが、何とか体が動いてくれて、大変充実した山行になりました。

結局、冷池小屋で小屋の人から声をかけられて以来、馬場島まで誰一人とも合わず、なにか秘境を旅してきたという感じがあったのもよかったです。

長い山行は、やはり土日の山行にない楽しみがあってほんとに充実しました。

大滝尾根はとにかく薮薮薮・・・という感じでたいへんでしたが、登攀技術的にはあまり難しくなく、どれだけスマートに登攀をして早く抜けられるか、というのがポイントになるでしょう。

今回は悪そうな所で何回かザックを降ろして登ってしまいましたが、力量のある方であればもっと空荷の部分を減らして、もっと時間を短縮できるのではないかと思います。

最後に寿司が食えなかったというのは、かなり遺恨でしたが、児矢野さん同様、次へのモチベーションにしようと思っています。

では、最後まで読んでいただきありがとうございました。(^^)

 

 

前穂高岳 屏風岩 雲稜ルート、東稜(フリー)

1999年5月1日~4日
富安、増子

増子(記)

5/1

朝、出発し、上高地にpm1:00着、横尾3:30着。

以下、横尾ベース。

5/2

雲稜ルート:朝4:00出発、7:00取り付き、11:30頃に上部凹角部につくが拳だいの落石、落氷が定期的に発生していたためここから懸垂下降とした。

12:30T4到着。

終了。

核心部のグレードは11なのでオンサイトだろうと思い取り付くが、冨安テンション、増子に交代するがやはりテンションする。

どうしても指先を酷使する1ムーブが出来ずA0で上がり、上部(10c~)をクリアーする。

5/3

東稜ルート:朝3:00出発、6:00取り付き、12:30終了。

懸垂下降として14:30T2到着。

終了。

2ピッチ目の核心部(12ー????)は、力量がとんでもなく及ばずクラシックルートに変更して突破。

このほかピッチは、10b~11bだったのでオンサイト又は1テンション程度で登ることが出来た。

5/4

雨のため下山。

松本駅近くの信州会館で風呂にはいる。

屏風山行終了。

最後に、東稜ルートにチャレンジして思ったことは、ルートには当然チョークの跡がなく、1ピッチのゲレンデに比べ時間及び視野の制限があり、難しくなる様に思う。

特に、ついつい早く登らなくてはと思い、モチベーションを高めるまもなくトライしてしまい、テンションしてしまった様に思う。

また、1ピッチのゲレンデで登れたといって有頂天になっている私であるが、ルートを読む眼力は実際には育っていなかった様に思う。

今後、東稜ルートのようなマルチピッチのデシマルグレードのルートが増えるといいなあと思う。

楽しい山行でした。

追伸
連休後半戦は有笠山(5/7)、嵩山(5/8)に、冨安、増子でフリーに行って来ました。

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富安(記)

5/2

雲稜ルート 4:00に横尾出発。

ちらほらと雪が降っており、フリーができる状態なのか心配。

が、ガンガン進む。

岩屋を超えたあたりはまだ雪があり、ジョギングシューズではつらい。

7:00に取り付くころには晴れ上がっており、岩も暖かい。

釣瓶式に上る。

扇岩の核心は11。

冬に見た時、カチの連続するフェースとイメージしていた。

結構やる気で、増子さんとのジャンケンに勝利し、取り付く。

が、一手も進まずテンション。

実際に取り付いてみると、微妙な足が必要なスラブの感じで、ここしばらく人工壁しか相手にしてなかった自分には不可能。

すぐ増子さんに交代。

さすがに巧くこなすが、二本目のクリップを超えたあたりでフォール。

苦手なタイプらしく、再トライもなく諦めが早かった。

トップロープになった状態で再度試みるが、二本目のクリップで、行き詰まり、結局、人工。

フリーをやりにきて、唯一のデシマルグレードのピッチをできないのは間抜けだった。

それから2ピッチ上り凹角部に入る手前で、氷、石が落ちてくるため、ここで終了、11:30。

同ルート懸垂下降、12:30T4着。

5/3

東稜 3:00に横尾出発。

6:00取付。

取付手前の雪渓はロープを出す。

ここは気温が上がると氷、石が「ブーン」

と跳んでくる為、結構危ない。

取付で30分程モチべ-ションを高め、6:30より登攀開始。

出だしは5.10+。

出だしから悪く、増子さん1テンションで抜ける。

私はさっぱりホールドが解らず、下部2手をA0。

開始早々、すでにリードする気をなくす。

核心の2ピッチ目は12-。

すっと立った壁で、上部は青空に隠れており、美しい。

増子さんは下部を巧くこなしたが、上部で行き詰まり、左に脱出。

私は下部からフォールの連続で、足がさっぱりあがらない。

あぶみにお世話になる。

3ピッチ目10b。

トラバースがよく解らず、A0。

4ピッチ目11b。

ザックデポ。

増子さんは核心のスラブを越え、ガバをとってからフォール。

惜しかった。

私はもちろん最初からフォール。

核心部は非常に微妙なムーブで、指一本動かせなかった。

このピッチは岩がもろく、ちょっと恐い。

私は顔面大の岩をはがしてしまった。

5ピッチ目10c、6ピッチ目10+。

増子さんはオンサイト。

私は何度トライしてもできなかった。

終了点12:30。

同ルート下降 T4 14:30着。

力及ばなかったが、東稜のフリーは歯ごたえのある楽しめるルートだった。

大きな壁、人工壁のみでは対応できない細かいホールド、微妙なムーブのプレッシャーは満足できるものだった。

こういう歯ごたえのあるデシマルグレードの続くマルチピッチの壁をもっと楽しんでみたい。

今回の山行で、特に懸垂下降の最中、支点取り、セルフビレイ等で大事故一歩手前のへまなことをやってしまった。

増子さんのおかげで事故にはいたらずにすんだ。

全般的に増子さんに頼りっきりの山行だった。

次は、お互いの技術を信頼してない仲間と、持っている知識で十分対応できるクラスの山行をしてみよう。

 

 

北アルプス 五龍岳 北尾根

1999年5月2~3日
浅田、関(記)

今回は、平松・石原の事故の手掛かりを探しに行くという目的がありました。

現在のところ、事故原因について詳細は不明であり、当事者のいない今、究明は消去法によるしかありません。

北尾根をトレースしたところで新事実を発見できる可能性は低いと思いましたが、我々に残された最後の手掛かりだったと思います。

5月2日 快晴

テレキャビンの運行が8:30~なので、7:30頃ゆっくりと起床。

行列を10分ほど並んで切符を買いテレキャビンからリフトへと乗り継ぐ。

最終駅を出発してすぐ、慰霊碑が立ち並んでいるところで慶応の3人組に合う。

彼らは遠見尾根から検証にあたるとの事。

互いの行動と無線の交信時間を確認し合う。

西遠見尾根までは特筆すべきことはなく、なだらかな尾根が続くのみである。

北尾根への取り付きへは遠見尾根から白岳沢に下降するのだが、下降のポイントは大遠見からのものと西遠見からの2つある。

我々は西遠見からルンゼ状斜面を尻セードで白岳沢に降り立った。

ここから北尾根取付きまで白岳沢を下って行く。

途中いくつか装備が落ちていたが、いずれも関係なさそうなものばかりだった。

{①ダンロップテントの外張り。水色のナイロン袋に入っており「’97チェック済み OK」との記載有り。

②赤色のナイロン袋。中にゼロポイントの下半身用アンダーウェアー(緑色)とウールのロングソックス1組。

③テントシューズ片足(紫色)}

北尾根取付きアイゼン、ハーネス等を装着しルンゼの急登で北尾根に這い上がる。

北尾根下部は雪がだいぶ落ちており藪まみれになる。

藪のほこりのせいか呼吸をする度に咳き込むようになる。

雪壁状の急斜面をひたすら登り2119メートル地点をテントサイトとした。

夜の交信で慶応パーティは西遠見尾根周辺を探索したとの事だった。

9:15 リフト終点

- 12:00 西遠見 - 12:40 北尾根取付 - 5:20

2119m地点(泊)

5月3日曇り

天気予報では明日から悪天を告げていたので今日中に下山することとする。

北尾根はGWともなれば雪が安定しているので問題となるようなところはでてこない。

ロープを使用するようなところもなくひたすら急斜面を登り主稜線へ抜ける。

主稜線からは黒部や剱が良く見え、浅田さんにいろいろ教えてもらう。

五龍岳では頂上直下のビバーク地点を探したが、事前に富山県警撮影の現場写真を慶応側からもらっていたので簡単に特定出来た。

頂上から約100m下の最初のコルである。

ここで線香をあげ燃え尽きるまでの間、しみじみと現場を眺める。

平穏な今は「何故こんなところで」

と思わずにはいられない。

けれども彼らの死亡推定時刻である22日には、同じ遠見尾根上で身動きが取れなくなり死亡したパーティがいることを考えると相当な悪天候だったんだろう。

ここで慶応パーティと交信し、互いに新事実は無かったことを確認してから遠見尾根を下山した。

6:00 出発 - 8:20

主稜線 - 11:10~12:10 五龍岳 - 15:20

テレキャビン駅下山

北尾根については平松と何度か計画が持ち上がっていたルートで、今年にはいってから3月の連休にと誘いをうけていたのですが、私は社員旅行があるからと断ったのでした。

このような形で登る事になるなんて・・・。

私は自分の山登りは死とは無縁だと思っていましたが、そんな私と等身大の山登りをしていた平松は死んでしまいました。

同じ状況だったら自分はどうだったろうと考え込んでしまいます。

「山は恐い」

というのは言い尽くされていますが、今はその言葉が心に響いています。