北アルプス 唐沢岳幕岩S字ルート

2003年10月16日から2日間
森広、大滝(記)


幾度も計画してようやく登れた。

数年前、一度取り付きまで行ったが、取り付きが崩壊していた。
右隣の明峰ルートも判然としなかったので、更に右の雲峰ルートから合流しようとした。
しかし、2P目の2段ハングを越えようとして頭上のボルトを見たら、真っ黒に錆びた逆さボルトだったので、どうしてもアブミでぶら下がる気になれず退却した。

10月16日

7:20七倉登山補導所。

快晴12℃ 紅葉が綺麗。

8:10高瀬ダム6℃。

快晴による冷え込みで寒い。

沢沿いのアプローチは夏の大雨のせいか、荒れていた。

10:40大町の宿。

10℃ ツェルトを張る。

快晴だったのに、曇り初めて来た。

降雨が心配になってきたが、とりあえず大凹角に向かう。

いつものように右稜のコルで左に進むが、踏み跡が崩れていて、行けない。

引き返し、コルを4m程登って左を見ると何となく道っぽい。

草付に出ると取り付きの少し上に居る事が分かったので草を掴んで下ったら、ぽつりぽつりと来た。

秋の氷雨に打たれて悲惨な思いをしたくは無いので、中断し、大町の宿で長く寝た。

10月17日

4:30起床。

半月と星の空。

期待出来る。

S字初登ルートから取付く。

(出発前日、廣川健太郎さんに会えたので話を聞いたら、初登ルートが良いとアドバイスを受けた。)

B沢を詰めて行くと最後に巨大なチョックストーンが出て来た。

右から越えるか、左を登るか思案した。

ロープを結んで、初め左を少し登って見たが、ボロボロなので止めた。

右に行って見たが、恐いが、しっかりしていたので大丈夫だった。

越えたそこが取り付きの草付だった。

ロープを仕舞って運動靴のままバンド状を20m程右上する。

後はブッシュを掴みながら、適当にどんどん右上する。

垂壁の辺りの笹には氷がびっしりと着いていた。

ギアを身に着ける。

大滝、少し下って広いルンゼに出る。

図にはA0とあるがそれは無かった。

広いルンゼの何処を行ったら良いのか悩む。

登り過ぎず、下り過ぎずトラバースしてブッシュで切る。

森広、少し登りぎみに行くと、A0を使う所が有った。

雲峰のビレイ点が下に見えた。

2番目のルンゼを越えたブッシュの中でビレイ。

大滝、ルート図のとおり右上するが、右過ぎたので、一旦下って左気味に行ったら、太い枯れ木が横たわっていて、リングボルトがある所に出た。

左前方には、雲峰のルンゼとビレイ点が見える。

森広、ブッシュをカンテ基部まで登り、下り気味にトラバースするが、濡れていて悪い。

ビレイ点は雲峰のルンゼの真中だが、びしょびしょなので更に進み、スラブにあったビレイ点で切る。

大滝、広いスラブで何処を登ったら良いのか迷う。

残置ピンは見えない。

右上して左にトラバース可能か覗いてみたが、到る所濡れていて、滑りそうだ。

一旦、クライムダウンして 直上してみる。

こちらも滑りそうなので慎重に行く。

右足が一瞬滑り、ひやりとする。

バンドに出ると、ビレイ点が有った。

このまま進むとロープが足り無くなりそうだし、しっかりしたビレイ点なので切った。

森広、出だしのスラブが難しい。

小川山の5.9位の感じだ。

1本目のハーケンに足を乗せ越えて行った。

僕が後続した時、森広がアンダーホールドに使用したフレークの更に右の隙間に手を入れたらフレークが剥がれフォールした。

後は緩い溝状のスラブを進むと大岩テラスに着いた。

次の凹状スラブは到る所氷が貼り着いていてとても危ない。

即座に明峰のボルトラダーを登る事にする。

大滝、快適に乾いたA1をぐいぐい登る。

次もA1。

森広、出だし逆さハーケンなので慎重に乗ってみて越えて行く。

僕の番になった時、逆さハーケンが抜けてフォール。

幸い、アブミを掴んでいたので無くさなかった。

ハーケンを打ってあった位置よりも右のリスに打ち直して越えた。

大滝、クラックと言うよりも、狭い凹角と言う感じのピッチだが、全部濡れて居る。

見ているだけで恐ろしい。

残置もたまにしか見えない。

しかも1本目のハーケンは浅打ちでひびも入っている。

絶対に落ちられない。

昔の人がよく言った「本番では絶対に落ちてはいけない。」

と言う言葉が思い出された。

少し登るとホールドに氷が張り付いているので、ハンマーで壊しながら手を置き、足を乗せる。

息詰まる恐さだ。

時々現れる残置が非常に待ち遠しい。

空は快晴なのに、染み出しで濡れて居る。

冬に氷壁になるというのが理解出来る。

やっとの思いでハング下に着く。

物凄く長く感じたピッチだった。

ブッシュでビレイ。

落ちないで良かった。

左下にS字の振り子トラバースの支点が見える。

カラビナがセットされている。

この後が良く分からない。

図には左上クラックとあるが、そう言う物は無く左側に垂直フェースがある。

そこには1本しっかりしたハーケンがあるがその後どう登れるのか分からない。

真上は泥のハングだ。

右にブッシュをトラバースして行くのか。

森広の番だが、ビレイ点が狭くて交代し難いので大滝が行く。

右に行って見ることにする。

不安な草付きを渡り、強引にしっかりしたブッシュに抱きつく。

ブッシュにシュリンゲを巻き一安心。

すると快適なA1フェースが登場。

楽しくこなし、緩傾斜帯に出た。

そのままぐいぐいブッシュを登り、左の平らな所で切る。

登攀は実質終わった。

左上にもう1ピッチ伸ばしてから、ロープを解いた。

明峰交じりになったが、登れた。

あー、良かった。

時計を見ると、14:30遅い。

12時位なら良かったが、初めてだし、濡れていたので時間を食ってしまった。

さあ、下降だ。

岩場だけは明るい内に抜けなくてはいけない。

はやる心を抑えながら右へ右へと行く。

はっきりした踏み跡は無い。

やがてルンゼに行き当たる。

西壁ルンゼの上部ルンゼだ。

右に左に迷いながら下るが、最後に赤いテープに導かれてルンゼ自体を下ると右に見慣れた右稜下降点に着いた。

16:00。

大町の宿17:20そそくさとツェルトを畳む。

B沢と合わさる辺りからヘッドランプを点ける。

慣れた道なので特に不安は無かったが、金時の滝の高巻き道に入る所が分からず戻って探した。

高巻きルンゼの下降では懸垂ロープが残置ロープに絡まり解くのに何分も掛かってしまった。

壊れたアルミ梯子上の高巻き入り口も分からなかったが、虎ロープが目に入ったので助かった。

高瀬ダム21:20大町で下山連絡をしたのは11時。

家に着いたのは朝4時。

約24時間営業だった。

(感想と反省)

感想:ルートファインディング、濡れた岩、氷が付着した岩、長いランナウト、悪い残置ハーケン。

草付き、本番の岩登りだった。

とても充実した。

反省:セカンドとは言え、大岩テラスのピッチで確認しないで採ったアンダーホールドが剥がれて落ちた。

確認しよう。

明峰ルートの人工ピッチで逆さハーケンを森広さんが抜けなかったから大丈夫だと思いハンマーで確認しないで使用し、抜けて落ちた。

確認しよう。

 

北アルプス 鹿島槍ヶ岳 天狗尾根(北壁敗退)

2003年4月14日から3日間
森広、大滝(記)


4月14日

大谷原8:10発 晴 9℃
辺り一面雪原。クロカンしたら楽しそう。

大川沢を遡るが、途中、大高巻きを1回余儀なくされた。

9:50吊橋を渡る。

大分傾いて来ている。その先の取水口を渡った所で渡渉箇所が現れた。

うだうだと悩んだが、意を決して一番安全そうな地点を見極めて裸足になって渡った。

大滝で膝上、森広は腿の付け根まで潜った。幅は8m程。

天狗尾根に取付くが、雪が締まっておらず1歩1歩、ずぼっずぼっと潜ってしまい、疲れるし時間は浪費するしで捗らない。4月中旬ならばもっと締まっていて欲しい。

上部では、雪の亀裂が前傾壁になっており正面からは越えられない為、右の急斜面から廻りこんだ所が2ヶ所あった。

これじゃあ、帰りも怖い。ロープ無しではとても降りる気になれないし、懸垂の支点も無い。

当然、天狗の鼻まで行けるものと思っていたら、手前の2120mピークで5:20になっていた。こんな遅々としたスピードでしか進めなければ、天狗の鼻は夜になってしまう。

それは危険だ。でも、ここで泊まれば時間的に北壁はもう登れない。心なしか、北壁の雪が少なく見える。

雪質もこの高さでぐさぐさだから北壁も同じかも知れない。しばし悩んだが、ここで幕営とした。北壁は又の機会だ。

 

4月15日

5時起床 3℃ 6:40発 高曇り

第二クーロアールもぐずぐず雪で、足を蹴り込んでも5、6回目でやっと決まる有り様。

雪の蟻地獄か。

8:30天狗の鼻。

なんと、2時間もかかった。

こんな亀さん状態では、天狗尾根さえ抜けられるか心配になってきた。

北壁をカメラに収め進む。

大きい雪庇が幾つも出来ている。

前傾している雪壁が現れる。

左はかなり切り立っているが何とか越えられるかも知れないが、下がすっぱり切れている。

右は、きのこ雪の下をくぐらなければならない。

しかも廻りこんだ先の様子は分からない。

暫し逡巡していたら、下の森広さんが、ロープを出そうと言う。

少しクライムダウンして、アンザイレンする。

右のきのこ雪が崩壊する確立は殆ど無いのでくぐることにする。

潜ったあとは安定した斜面だった。

スタンディングアックスビレイで確保。

11:46 岩場に達しアンザイレンする。

1ピッチ目は残置ハーケン2本、木の根1箇所でランニングを採る。

2ピッチ目はハーケン2本。

難しくは無いが、荷が重いのでゆっくり登る。

ガスがかかり視界が無くなって来た。

こんな高い所なのに、まだ潜る。

13:50 やっとジャンクションピークに着いた。

流石にここまで来ると、雪は締まっている。

快適に歩いて北峰。

両側がすっぱり切れていてアルプス的だ。ガスで何も見えない。

地図で方向を確認して、南峰へ向かう。

15:20南峰。

冷池小屋に向かって下るが、ガスの切れ目から、剣の山並みが現れ、喜ぶ。

ガスの綾織が牛首尾根の雪面を幻想的に美しくしている。

丸々太った雷鳥が、十羽ほど姿を見せた。

巨大なクレバスがあり、縁から10mほどの所に亀裂があった。

まるで白いビルディングが山の縁から引き離されそうな様子に見える。

17:13 冷池小屋。

小屋は殆ど埋まっている。

テントを張る位置を考えたが、森広さんが、山の縁から離れてもっと小屋側にしましょうと言う。

やはり巨大クレバスにおののいたようだ。

 

4月16日

4:00起床 快晴 6:10発 -3℃
一面雪山の美景。

剣岳、爺ヶ岳、鹿島槍、ヤッホー。

赤岩尾根の上部は朝の冷え込みで締まっている。慎重にゆっくり通過し、最近のパターンである、西沢下降を選ぶ。

暫くは、壁側に向かって下り、急なデブリの跡を延々と下る。

下部の安全地帯でゆっくり休み、大谷原10:00着。

 

檜又谷 武能岳ダイレクト尾根

2003年3月29日から2日間
木下徳彦(日本山岳会青年部)、神出直也(法政大学山岳部)、
瀧島久光(記)


下山後に味わう山での緊張から解き放たれたときの開放感が好きだ。

白銀の世界と下界の新緑、山の冷たい風と下界のそよ風、山の冷気と下界ののどかな空気、数時間前まで自分がいた世界との落差は何回体験してみても心地よい。

満足できる山登りができた時のそれはさらに心地よい。

今回は最高の開放感、心地よさを味わうことができた。

1年ぶりの雪山で、暖めていた計画を予定通りにこなせたのだから。

昨年2002年3月中旬に檜又谷のススケ沢右稜を登った。

この尾根は変化に富んだ静かで楽しめる雪稜だった。

ススケ沢右稜の隣の尾根が今回のルートだ。

昨年の印象ではススケ沢右稜よりも細いリッジが主稜線まで続いていて悪そうに見えたが登って登れない事はないだろうと思った。

檜又谷には他にも魅力的な尾根や大滝沢の圧倒的な氷があるけれど、ススケ沢右稜の隣の尾根は1年間なぜか気になる存在でありつづけたのだ。

アプローチが近くて静かで楽しめる谷が檜又谷。

この谷は楽しめる雪稜の宝庫なのだ。

前回のパートナーの木下君を誘い計画を進めていた。

はじめ僕は三の沢、四の沢中間リッジなんていうぱっとしない呼び方をしていたが、木下君は武能岳ダイレクト尾根という勇ましい名前を計画書に書いた。

たしかに武能岳に直接突き上げてはいるけれど、ダイレクト尾根と呼ぶのにふさわしいか?そんなことを考えつつアプローチをした。

若い神出君が加わり、にわかパーティーは結成されたのだ。

土樽パーキングでいつものように前夜祭をして少し飲みすぎてしまった。

まったく学習が足りないのだ。

でも快適に熟睡できた。

天気予報では週末の天気はばっちりのはずだけど、ガスに覆われて小雨がぱらついているが、そのうち晴れてくるだろう。

若者たちに遅れないように頑張ろう。

すぐにワカンを付けるが雪は締まっていて快調に進む。

昨年よりも時期が半月遅いが雪の量は今年のほうが圧倒的に多い。

勝手知った谷だがこのガスの中では現在位置を確認しながら進むのが賢明だ。

各沢、尾根を丹念に確認しながら進んだ。

左岸から滝沢、大滝沢が出会い、右岸からススケ沢が出会う。

取り付きと思われる場所で大休止して天候待ちをするがガスは晴れてくれない。

一瞬の晴れ間で登るべきダイレクト尾根の取り付きにいることを確信した。

末端からいきなり急傾斜で始まった。

少し登ると左側のルンゼに自然と導かれていった。

傾斜はあるが締まった雪のルンゼを快調に高度を稼ぐ。

さらに傾斜が強まったところでロープを結び合った。

適度に締まった氷雪壁にピックは心地よく刺さる。

神出君がダブルアックスで草付きの氷雪壁を2ピッチ引張ると尾根上に出た。

やっと視界が開けて、気持ちも落ち着いてくる。

3ピッチ目は緩い尾根状を段差の基部まで。

4ピッチ目、被り気味の岩を強引に摺上がってから(Ⅲ+)緩い尾根状を小ギャップの上まで。

潅木を支点に8mの懸垂だ。

ここで大休止。

快適な幕場だが泊まるには早すぎる。

5ピッチ目、ドーム状の岩の上まで木下君がロープを延ばすが先は切れ落ちているようだ。

懸垂の支点を作ろうとするがワードホッグを1本しか決まらない。

先のコルまでは8m程なのでそのままテンションで下っていった。

6ピッチ目急な雪壁を登って少し進んだ所に快適な幕場を見つけた。

3人でウイスキーが200ccとは。

寂しいが楽しい夜は更けていった。

翌朝起きると谷側に寝ていたはずの自分はツエルトの真中付近まで侵略していた。

真中に寝ていた神出君はさぞきつかった事だろう。

おかげで熟睡できた。

まだまだ人間ができていないようだ。

おだやかな朝だった。

山の朝はいつも寒くアイゼンを付ける時は指先が痛い。

でもやっぱり春山だ。

なんとなく先が見えてきた事もあり緊張感はそれほどないが、気を引き締めて出発する。

正面の大きな岩まで雪の斜面を進み、大岩の左のルンゼ状に入る。

7ピッチ目、草付をダブルアックスで越えた。

8、9ピッチは雪稜にロープを延ばした。

稜線はもうすぐそこに見える。

後は大丈夫だろうとロープを外し、頂上を目指す。

いきなり稜線に飛び出すとまさに武能岳の頂上だった。

やっぱり頂上に直接突き上げるのは気持ちいいものだ。

三の沢、四の沢中間リッジなんていうまだるっこしい名前より武能岳ダイレクト尾根がふさわしい。

満足りた気持ちで景色を堪能して、都会でたまった体中の毒素を吐き出す。

山のエネルギーを吸収するのは最高の贅沢だ。

下山は蓬沢。

シリセードを交えながら下った。

3月29日

ガスのち晴れ
土樽パーキング発6:30 ダイレクト尾根取付き9:25~10:10  BP14:20

3月30日

晴れ
6:15発 武能岳8:45から9:20 土樽パーキング12:30

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢リッジ(2Pで敗退)

2003年3月23日
浅野、柴田(記)


駐車場を出たのは午前1時少し前だった。

前週ほど明るくはないが月も出ていてコンディションはよさそうだ。

空にはお星様がキラキラで気温も高く翌日の快晴間違い事が逆に不利だとは思うがまあ何とかなるだろうと出合いに向かい進む。

指導センターでJAC青年部の木下さんと会う。

4ルンゼを単独で登るとのこと。

抜きつ抜かれつで一ノ倉沢出合いまで1時間ほど。

前週同様美しく静かに佇む一ノ倉の壁やリッジに挨拶をして休む事無く登高を続ける。

一ノ倉尾根側の斜面や衝立スラブの雪がかなりここ1週間で落ちたみたいで本谷は前週殆ど無かったデブリで障害物競走状態。

二ノ沢出合いを過ぎてロープ2ピッチ分くらい滝沢寄りに登ったところで左にトラバースし滝沢リッジの取り付きに到着。

登攀用具を身につけて浅野さんリードでスラブとブッシュの雪壁にロープを伸ばす。

柴田はビレー中に急に腹模様が急低下、ビレー解除のコール後はちょっと待ってもらい急いで用足し。

急いでハーネスなどを付け直し、プラブーツのヒモを登攀体制に締め直していなかったことを気にしつつフォローしそのまま2P目をリードする。

雪の状態は思ったより悪く一方でやはり天候は快晴間違いなしの模様。

少しも寒くない。

オムスビ岩まで12ピッチとのことだがこの時点でワンデイでの滝沢リッジ狙いには決して条件がよくない事にいやがおうにも気づく。

自分は月曜日は休暇にしてあったので最悪ドームあたりでビバークとなってもどうってことはないが、浅野さんは明日は朝から那須工場に出張でラインの出荷判定会議との事だし、このまま突っ込むと腐った軟雪に二進も三進も行かなくなりハマる可能性が非常に高い。

2P目のビレーポイントにフォローしてきた浅野さんと状況分析して撤退で合意、登り始めたばかりなのに情けないがここで降りる事とした。

懸垂3Pで取り付きに戻り、キジ跡はピッケルで四散させ本谷をゆっくり下る頃には朝日は一ノ倉の岩壁を鮮やかに染めていた。

時刻は5時30分くらい、今から頑張れば1・2の中間稜や4ルンゼに行って行けないこともないと思ったが、一旦下がったモチベーションはやはりそのまま上昇することも無く出合いまで一直線。

二ノ沢にはトレースが残っており登っていったクライマーのモチベーションを羨ましく思う。

このあたりでヘルメットが落ちていたので指導センターに届けることにしてザックにくくりつける。

何度も後ろの一ノ倉沢を振り返りつつ出合いまで。

今日が今シーズン最後の谷川というのは初めから分かっていたので少々名残惜しいがまあ今シーズンは中央稜も3ルンゼも登れた事だし今回は滝沢リッジの下見と自分を納得させ、こうなったら早く帰って子供と遊びポイントを挽回しようと前向きに駐車場を目指す。

ピッケルもバイルもアイゼンもザックに付けてしまったので湯檜曽川に滑り落ちないように足元に気をつけつつ林道に付けられた高速道路を指導センターまで戻る。

帰路はユテルメに寄る事も無く交代で関越を飛ばし横浜を目指す。

お昼過ぎに帰宅して眠いのを我慢しつつ子供と公園で遊んだ。

 

谷川岳 一ノ倉沢 3ルンゼ

2003年3月16日
浅野、柴田(記)


前年の3月に3スラを登ったあと浅野さんが「次は3ルンゼに行きたいっすねー」

と呟いていたが自分としては危険なルートと言う認識が強かったので「そうねー、でもあそこはチャンスをつかむのが難しいと言うし、とりあえずその前に滝沢リッジが良いかなー」と呟き返していた。

1年が過ぎ前年に敗退した中央稜もほぼ完登、いよいよめくるめく谷川の3月がやってきた。

妻には以前から「3月は特別な月なのだ」と独り言のように言い聞かせており(ぜんぜん聞かれていないかもしれないが)、少なくとも2回、条件がよければ3回谷川に向かうつもりで計画を考えた。

まず手始めに一ノ倉尾根を登りその経験を生かして滝沢リッジを登る事とした。

浅野さんはやはり雪稜には興味はないということで滝沢リッジはYCCのKさんと登ることで連絡を取り合う。

3月第2週は悪天候で登れず。

谷川の風雪はこの時から結局1週間近く続き、第3週木曜日あたりでようやく収まった。

ところが今度はKさんが体調不良でとても山に行ける状態ではないとの事。

がっくりしながらそれでも「浅野さんはどうしているかなー」
とメールすると3ルンゼに行くつもりだが単独は奥さんがなかなか許してくれず困っているとの事だった。

後から考えると結構軽率なのだがとにかく3月の谷川に登りたいと言う願望が優先して
「私も同行したい」
と言うと
「了解」
との事で木曜日夜に3ルンゼの山行が決まった。

金曜日の夜仕事が終わってから車で谷川に向かい午前1-2時頃駐車場を出るいつものパターンを想定していたが浅野さんは別のタクティクスを考えていた。

それによれば雪崩の通路である3ルンゼを登るには夕方駐車場を出て夜登攀し朝になる前に国境稜線に抜けるというものだ。

と言うことで土曜日の午後3時に鶴ヶ峰に集合、多少時間はかかったが環八と関越経由で夜8時頃駐車場のいつもの場所に着く。

身繕いをして9時過ぎに駐車場を出発。

迷ったが結局カメラは置いていく事とした。

月が煌々と明るく雪面を照らし、ヘッデン無しでも問題なく歩ける。

時間が早いため残業帰りクライマー数名の帰還に遭遇するがこちらがヘッデンなしで歩いていることを不思議がっていた。

1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着く。

満月とはいかないが13夜くらいの月に照らされて一ノ倉の壁やルンゼは静かにたたずんでいた。

一ノ倉沢出合から奥壁を目指しトレースを進む。

デブリはほとんど出ておらず歩きやすい。

二ノ沢出合を過ぎ、トレースは滝沢のデルタに向かっているがデルタピーク手前で雪崩に埋もれて終わっている。

見上げると滝沢スラブは月光を反射して青白く光りその上のドームは黒い影を落としている。

この世のものとも思えない美しさだった。

デルタから右に大きくトラバースし暫く登ると大きなクレバスに出合う。

中央部からダブルアックスで頑張れば越せそうに見えたので途中までその気で取り付くが、ミスるとクレバスに吸い込まれるのは必定で冷静に考えれば何もこんなところで無理する必要はない。

思い直して右端まで回りこみ繋がっている部分から越える。

奥壁に近づいた為ずっと我々を照らしてくれていた月明かりとはお別れになったが、ヘッデンではっきりと2ルンゼ出合いを確認しそこからわずかの距離でに2ルンゼ出合いに着いた。

かすかにトレースらしきものがあるような気がしたが、雪に埋もれて確信持てず。

ここで改めて登攀準備をすると浅野さんはロープを引いてフリーで登り始め柴田がその後に続く。

すぐにF2の取り付きとなる。

4年前の秋に登った3ルンゼの記憶と地形は一致している。

ルンゼは丸2日は降雪がないはずなのにスノーシャワーがザーザーと数十秒続き、思わず浅野さんと顔を見合わせる。

降雪のあとこのルートを登るのは自殺行為だな、と思う。

柴田がセルフビレイを取るまえに浅野さんが取り付いてしまったので途中で待ってもらったがセルフ用のスクリューもピンも取れるところがない。

数メートル上でランニングを1つ浅野さんが取り、それが比較的効いているとの事を信じ、セフル無しでビレー体制をとる。

F2は左側の方が傾斜が寝ていて登りやすそうだったがそちらは雪の状態が悪いとの事で右端に近い傾斜が強い雪壁を登る。

フォローしてみると確かに傾斜は強いがラビーネンツークの為か雪はしっかり固まっていてバイルが良く効き割と登りやすい。

F2終了点から柴田がロープを引きF3をヘッデンで照らすが登れるように見えなかったので右側のルンゼ状のミックスの方向に向けトラバース、露岩にイボイボを打ち込み(半分も入らなかったが)アックスとともにセルフを取り、浅野さんを迎える。

ルンゼ状のミックスは浅野さんリード。

F2同様割とバイルは決まったが傾斜がきつくなりリード、フォローとも墜落は絶対出来ない。

途中1箇所だけ残置ボルトを確認、YCC松本氏が以前打ったボルトかな、と思いを馳せる。

F3を下にしたあとは雪の斜面を大きく左上する。

本流からは結構高くなっておりちょっと降りられない。

ロープ一杯となっても支点がないのでやむを得ずスタンディングアックスで浅野さんを迎え、その後はロープを伸ばしたままコンテで進む。

途中柴田のヘッデンの電池が切れたので交換する。

夏の終了点が終わると今度は雪壁をまっすぐ登るようになる。

一度立ったまま少憩しテルモスのお茶を飲む。

後ろを振り返ると地平線の縁がかすかにオレンジ色に彩られ、夜明けが近いことが分かる。

本谷にもヘッデンが数個動いている。

既にルンゼは抜けているので雪崩に持ってゆかれる可能性は少ないがところどころに小クレバスがあったりと気は抜けない。

凍った草付きとミックスが現れ再びスタカットに切り替える。

浅野さんにリードをお願いしたがアンカーは凍った草付きにバイルを2本差したものしか取れず、もしもリードが墜落したら二人とも本谷に落ちるのは明らかで非常に緊張した。

フォローしてみるとバイルは割としっかり決まったがアンカーとしていたのは直径3cmくらいの潅木で恐らくフォローが落ちても二人とも本谷直行だっただろう。

こういったピッチは本来はフリーソロで登るべきなのかもしれないが、ロープを着けた安心感は理屈ではないとも思う。

この草付を越え右を見ると一ノ倉岳からの国境稜線がピンクに色づいているのがとても美しく見えた。

前日のものと思われるトレースにも合流し、登攀終了が近いことが分かる。

雪壁をトラバースしブッシュを掴んで慎重に段差を越え、バイルを振るうとそこが国境稜線だった。

「抜けたよー」

と浅野さんに声をかけ、柴田の落としたスクリューを回収しフォローする浅野さんを迎える。

二人でがっちりと握手。

最高の瞬間だ。

それにしても本当に無事でよかった。

二人を守ってくれた全てのものにただただ感謝だった。

一ノ倉岳から二人のクライマーが下ってきて立ち話をすると3ルンゼをかつて登り我々も記録を参考にさせていただいたYCCの松本さんのパーティだった。

記録が参考になりましたとお礼を言って別れる。

ギアをまとめてザックに詰め込み谷川岳を目指すが、緊張感が抜けたためか左手と右足が疲れきっておりヨタヨタと歩く。

トマの耳を経由して西黒尾根を少し下ったところで駐車場を出て以降初めて腰をおろして休みレーションを食べる。

東尾根を登っている数パーティがあり、マチガ沢にはシュプールが残されている。

谷川はいいなあ、としみじみと思う。

下るにつれて腐り始めた雪に足を取られながら西黒尾根をゆっくり下り指導センターに10時に到着。

タイム
駐車場 21:07 → 一ノ倉沢出合い22:00 → 3ルンゼ登攀開始 0:15 → 夏の終了点 3:30 → 国境稜線 6:00頃 → トマの耳 7:15 →指導センター 10:00

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

 

2003年2月23日
浅野、柴田(記)


昨年4ピッチ目で敗退した中央稜のリターンマッチ。

いつもの通り上里で運転を交代し、天神平スキー場の立体駐車場まで。

身支度を整え3時頃出発。

やけに暖かく雪も昨年に比べると少な目。

1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着きそのまま本谷から衝立スラブを途中まで登りテールリッジに移り中央稜取り付きの安定したビレーポイントまで。

天候は小雪だが風はたいしたことなくまずまずの日和。

午前6時頃準備を整え昨年同様浅野さんリードで登攀開始。

1P(浅野)取り付きの雪の段差を越すのに少々苦労する。

その上は傾斜も寝た感じで昨年より登り易い。

ビレーポイント手前の左にトラバースするところも無難にクリア。

2P(柴田)カンテを左に回りこんで緩いルンゼを登るがビレーポイント手前の一手は結構緊張。

トレーニングを積んでいないと何でもないところが恐く感じる。

3P(浅野)カンテを右に戻り第2フェースを登る。

昨年はアブミまで出したがことしはA0で何とか登れた。

4P(柴田)第2フェース上部。

毛の手袋を脱ぎ素手にミトンで登ったこともあり割と快調にすぐ上のビレーポイントまで。

その上部を登りかけた所で昨年苦労した記憶が蘇り、浅野さんにリードとしてもらうべくピッチを切る。

後続パーティが近くまで迫ってきた。

5P(浅野)フェース上部をA1で進み、途中から右のルンゼに入りダブルアックスで登り、最後は凍ったチムニーを突っ張りで持たせてダブルアックスで抜ける。

リードする浅野さんからは何度か「頼むねー」のコールが入る。

フォローでも緊張消耗するピッチだった。

リードした浅野さんを尊敬する。

ここで既に12時を回っていた。

隣の烏帽子奥壁には南稜フランケあたりに女性のコールがこだましている。

6P(浅野)最初は柴田がリードしたが、5mくらい登ったところにあるピトンで暫く休んでいるうちにピトンが抜けて墜落して浅野さんに体当たり。

幸いルンゼ状だったのですぐに停止し宙吊りになることもなかったが垂壁だったら危なかった。

これでモチベーションが急低下した柴田は選手交代でフォローに回る。

7P(浅野)ルンゼ状を詰めてピナクル状のアンカーポイントに這い上がりその上のすっきりとしたフェースを登る。

ピナクル状を登り切った所で午後2時15分だったので浅野さんにここまでとしないか話し、下ることにする。

懸垂50mダブルで3ピッチ。

安全環付ビナにロープを通すのが大儀なほど手指が疲れていた。

隣の烏帽子奥壁の大氷柱は中間部がバラバラになっている。

やはり昨年よりもだいぶ氷雪は少ない様だ。

ロープを仕舞い気がつけば腹ペコ。

中央稜取り付きでレーションを一気に食し、テールリッジを慎重に下り、何度も振り返りながら出合いに戻る。

何はともあれ無事に帰れてよかった。

まあピナクル状まで抜ければほぼ完登と思いたいが、トレーニング不足により随分浅野さんに迷惑をかけ申し訳なかった。

タイム
駐車場(3:00) → 一ノ倉沢出会い(4:07) → 中央稜取り付き(6:00) → ピナクル状テラス(2:15)→ 一ノ倉沢出合(16:35) → 駐車場(19:00)

 

唐沢岳幕岩 広島ルート

2003年2月8日から3日間
向畑(記)、倉田


何回も通ったのがばれてしまうので書きたくなかったが、幕岩の広島ルートは4年ごしの課題だったのである。

99年暮れ(すぐに敗退していたので毎年年内に降りてきている)、1ピッチ目を登ったところで腰痛敗退。

2000年暮れ、2ピッチ目をパートナーが登っている時にちょっとしたアクシデントがありそこで敗退。

翌2001年暮れは腰痛が本格的に悪化して直前に中止。

その後翌2002年5月頃には、それまではだましながらも続けていたフリークライミングもできない体となり、半年ほど療養に専念した。

11月も過ぎて例年だと腰痛が最も悪化するシーズンを迎えたが、完治はしないまでも、ここ数年では最もましな状態にまで回復した。

という訳で、「今年は登れる」

と思ってそれなりに気合も入っていたが、本当に何があるかわからないのが山登りだと実感した。

2002年暮れ、幕岩に向かって唐沢を詰めていると、上部岩壁帯に三角形のつららのようなものが見えてくる。

しかも、それは近づくにつれてだんだんと大きくなってきて、そのうち、「もしあれがルート上にかかっているようだったら登れないかも」

と思えるようになってきた。

ところが、さらに近づいてみると広島ルート上に赤いヤッケが二つ動いている。

「彼ら(一人は彼女でした)が降りてこなければ登れるということか」

と思って、とりあえず取り付いてみることにした。

しかし、12月30日にフィックスするつもりで登っていくと、上から人が降りてくる。

降りてきたのは、蒼氷・山岸、JECC・畠山ペアだった。

氷柱はルート上にかかっていて、ピンが掘り出せない上にアイスギアもないので登れないという。

「山岸で登れないのに俺が登れる訳ないよな」

と言うと、パートナーの倉田に「うんうん」

と大きくうなずかれてしまった。

この時点で他のルートへの転進も考えたが、いままで不完全燃焼で敗退してきたことや、長いこと山に行けなくて苦しかった思いも胸にある。

何よりも自分の目で見ないと納得できないと思い、とりあえずは氷柱のところまで行ってみることにした。

また、氷のかかっている上部壁2ピッチ目はかなり短く、すぐにテラスに上がれることも知っていたので、「何とかなるのでは」

とも考えていた。

しかし、翌日松ノ木テラスまで上がり、さらにその翌日上部壁1ピッチ目(下からは9ピッチ目)のボルトラダーを上がっていったが、前傾壁からスラブに上がるところに氷柱がかぶさってきていて登れない。

ピンは厚い氷で覆われとても掘り出すことはできないし、上部壁1ピッチ目上のビレーポイントも完全に埋まっていてどこにあるのかもわからない。

氷柱はルートの終了点である上部緩傾斜帯から垂直に近い傾斜で落ちてきており、スラブで一旦傾斜を落として再びハングから5~6mの三角錐を形成して空中に垂れ下がっていて、全長は50m位はありそうだ。

ダブルアックスで十分に登れる厚さだが、アイスピトンはスラブ帯のベルグラ用に10㎝の短いスクリューを4本持ってきているだけだ。

上部壁に氷柱がたれるということは聞いていたが、過去2回見た限りでは上部壁のつららはほとんど問題なさそうだったので、本格的なアイスクライミングになるようなことは想定していなかった。

何よりも、ビレーポイントが使えなかったのが痛かった。

ラダーの横にボルトを打ち足してビレーポイントを作ることをよっぽど考えたが、それでも手持ちのギアでは不安が残ったし、わざわざラインからはずれた位置にボルトを打つことにも抵抗があった。

「まあ仕方がないか」

と思い、畠山さんが残してくれたカラビナを使い、我々も敗退することにした。

ここから降りるのも登る以上に大変なはずだが、先に1パーティ降りているので気が楽だった。

降りてきて、帰ってきた当初は、仕方がないことだし、通常の核心部は問題なく突破していたので「まあいいか」

と思っていた。

しかし、酔っ払うと登れなかった「つらら」

が頭に浮かんできて、そのうちにだんだんと頭から離れなくなってきた。

こうなったら、なんとしても登らなければ先に進めない。

しかも、あの氷柱が上部壁に残っているうちに。

ずいぶん前置きが長くなったが、そういう訳で私もパートナーの倉田もどちらも仕事が詰まっていて結構忙しかったが、2月の飛び石連休を4連休にして無理やり出かけることにした。

ちなみにあまり関係ないが、つららの幻影に惑わされているうちに私の方はさらに一つ年齢を重ねて、気が付けばなんと42歳になっていた。

2月8日、午前1時15分位に葛温泉に到着。

「せめて3時間位は寝たいよね」

ということで、4時起床にしたが起きれず5時半まで寝てしまう。

後から着いてとなりに車を停めたYCC・神谷、松林ペアが早起きしてくれたおかげで起きることができた。

7時頃葛温泉発、七倉を過ぎ出合から唐沢を詰め、大町の宿の前から大凹角へと向かうトレースと分かれ雪壁をラッセル。

洞穴ハングには12時頃着。

洞穴ハング下で1ピッチだけロープを出した。

お天気は晴れていて気温も高かく、日が当らない幕岩もこんな日は好都合だと思った。

1ピッチ目、12時30分頃取り付く。

洞穴ハングの人工は、夏が1回、冬が4回目で、もうこれきりにしたいもんだと思いながら登った。

2ピッチ目、ラダーの人工から草付きのダブルアックス。

今回は倉田に登ってもらってフィックスしてきてもらう。

「ビレーポイントに不安を感じたらボルトを打ち足してもいいよ」

と言ったら本当に打っていた。

洞穴ハング下に戻ってきたのは17時頃。

この日はハング下で泊まる。

2月9日、この日も4時に起きる予定であったが5時まで寝坊した。

8日夜からから9日夜中にかけて低気圧が通過、寝ている間に何回か雪崩れの音が聞こえていたが、朝起きた時にはもう雪は止んでいた。

ただ、かなりの積雪があったみたいでハングの中まで着雪で真っ白になっていた。

7時にユマーリング開始。

二人が2ピッチ目終了点についたのは8時頃だったが、フィックスロープが引っかかって上がらなくなり、倉田に一旦降りてもらって直してもらったりしてもたもたしていたら、3ピッチ目を登り始めたのは9時過ぎになってしまった。

3ピッチ目の第一スラブは雪に覆われ、正月に登った時よりも状態は良くなかった。

それでも、少しがんばれば次のピンが取れるのでまあなんとかなる。

ホールドが乏しいのでアックスによるフッキングを多用。

スラブを這い上がったところにあるビレーポイントから右の凹角に入り、ダブルアックスで直上、メガネハング下の立ち木でビレー。

4ピッチ目、メガネの鼻を人工で途中まで登り、最後のピンから渾身のダブルアックスを振るうが、ランナウトする上にベルグラが薄く緊張する。

最後はほとんどないベルグラにアックスを押し付け、アイゼンで立ちこんでぎりぎりのバランスで越える。

抜け口のビレーポイントを通り越し、第二スラブ下部の立ち木でビレー。

この日も晴れてきて、高瀬川対岸の山肌に日が当り雪崩れが頻発していた。

第二スラブの5、6ピッチ目は、雪壁から氷の凹角をダブルアックスで登り、雪で埋まった大テラスへ。

7ピッチ目は左へ大きく回り込んで雪壁から草付きの凹角へ。

第二スラブと草付き凹角は、一部氷の薄いところもあるがほとんど問題ない。

正月は1日中日が当らない正面壁にも、2月は午後になると上部には日が差すことがわかったが、気温が高くてかえって暑かった。

8ピッチ目、左のクラックからカムと残置を使い人工。

一部雪に埋まっていてピンを見つけられず不安定なフリーを強いられる。

このピッチ、カムをいくつか持っていないと冬は辛いと思う。

松ノ木テラス17時頃着。

正月は腰掛けだったが、今回は雪に埋まっていて整地すると二人が寝ることができた。

2月10日、倉田は4時から起きていたらしいが私は起きれず、またもや5時過ぎまで寝ていて顰蹙を買う。

この日は1日中曇りだった。

ハングの上に張り出しているつららを見上げると、ここのところ気温が高かったためか正月よりはやせてきている。

9ピッチ目には7時頃に取り付く。

前傾壁のボルトラダーを登り、最後のピンにアブミを残して空中に張り出したつららに乗り移る。

少し登り、やや傾斜が落ちてきたところにスクリュー3本をセットしてビレー。

下から9ピッチ上がってきたハングの上に張り付いた氷の上の、さらにその上に乗っかっているのでものすごい高度感だ。

10ピッチ目、氷は上部岩壁帯の上までまっすぐにつながっていて、上の緩傾斜帯まではおそらく40m程度、1ピッチで何とか登れそうだ。

ただ、17㎝の長いスクリューはビレーポイントで3本使っているのであと5本、その他はベルグラ用に持ってきた短いものしかない。

上部の傾斜が強い氷柱部分は85度程度、長さは20m位ありそうだ。

また、見た感じでは表面がもろそうなので、ビレーポイントのスクリューを1本回収して持っていこうとしたら、ビレーしていた倉田に「2本だけだと恐いからいやだ」

と拒否されてしまった。

仕方がないのでそのまま登るが、中間部のやや傾斜が落ちたあたりで、一回切ろうかこのまま登ろうか迷ってきょろきょろ見回していたら、右のハングにかかったつららの下にピトンラダーの一部が出ているのが見えた。

氷質がもろくなってきたこともあり、ついついそちらに吸い寄せられるように行ってしまい、ピトンを固め取りしてビレー。

11ピッチ目、ここからでも氷柱を直上した方がすっきりするとは思ったが、すぐ右上に山嶺第一ルートと合流するテラスがあるような気がしたので右に行くことにした。

ラダーはすぐに氷で隠れていて、つららが上に覆い被さっている。

ルートにかぶさっているつららをバイルで叩き落し、ハング上の氷にスクリューをねじ込みアブミをかける。

スクリューの人工2ポイントからダブルアックスでさらに真横に右へとトラバース。

山嶺と合流するテラスは雪壁となっていてビレーできそうにないので、手前の潅木とスクリューでビレー。

12ピッチ目、テラスの右にも結構立派な氷瀑がかかっていて、あたり一面氷だらけだ。

ここからだと右でも左でもどちらの氷柱でも簡単に登れてしまいそうだったが、雪壁の最上部へと登っていくと広島ルートのピトンがちょうど目の前にあり、思わずそれにアブミをかけてしまった。

結局、ハングを人工で越えて立ち木でビレー。

結果的に、最後まで広島ルートをほぼ忠実にたどった形となった。

最後は腰までのラッセルで夏の踏み後らしきところまでロープを伸ばす。

終了は14時頃。

尚、上部壁は通常3ピッチだが、荷揚げした関係で5ピッチに切った。

ストッパー付きプーリーとユマールで荷揚げとビレーを同時に行い、セカンドもフォローで登った。

再び腰までのラッセルで右稜の頭へと向かい、懸垂で右稜のコルへ。

大町の宿に17時30分頃着。

七倉経由葛温泉には21時50分着。

途中唐沢では、来た時にはなかったデブリが出ていてさらに谷が埋まっていた。

 

八ヶ岳 赤岳西壁主稜、阿弥陀岳北稜

2003年1月12日から2日間
三好、堀田、池﨑(記)


1月11日

美濃戸口-行者小屋

時間は十分にあったので、いい天気の元、行者小屋のちょっと下の樹林帯でロープワークの確認などをやっておく。

 

1月12日

行者小屋-赤岳西壁主稜-行者小屋

3:30に起床して5:30出発。

ヘッドランプを点けて、分三郎道をゆっくり登る。

取り付きへのトラバース地点で先行は3人組1パーティ。

取り付きでこの先行パーティが登るのを待っている間に、途中で抜かした団体のガイドパーティがあとからやってくる。

既に混み気味。

先行パーティのアイゼンが外れたりしてしばし待った後、池崎が登りはじめる。

1ピッチ目出だしのチョックストーンにはスリングが通してあった。

新設のビレイ点のボルトに掛かっているのと同じスリングだ。

前回あったっけ?とりあえず掴んで登っておく(!)。

そのまま上がってビクナルでランナーを1つ取って右上。

立派なボルトでビレイ。

その後もビレイ点やランナー用のボルト(全部で4箇所くらいかな?)が要所に設置されていて、自然の岩を使ったランナーはルートを通して一生懸命取っても2,3ヶ所程度だった。

ボルトが多いので、ヌンチャクも1~2個持っていても便利かも。

あとは最後の2ピッチはボルトが設置されていない(見つけられなかった?)ので岩角でビレイ点を作った。

どのみち長いスリングは必要。

登り始めはガスの中を登っていたが、途中から青空が見えてきて、山頂では快晴。

しばし小屋のかげで風を避けながら休憩の後、頂上で記念撮影して地蔵尾根から下山。

ヤマケイの記事にも載っていた通りで、ルートの要所にはボルトが設置されていてビレイ点に関してはとても安定していた。

でも混んでるとビレイ点に近づけないのがたまにきず・・・。

<行程>
05:30 行者小屋出発
07:00 主稜取付き(順番待ち)
07:40 登攀開始
11:30 終了点、頂上往復
12:10 下山開始
13:00 行者小屋

 

1月13日

行者小屋-阿弥陀岳北稜-行者小屋-美濃戸口

前日と同じ予定であったがちょっとだけ寝坊して6:40にヘッドランプを点けて分三郎道に向かう。

途中、指導標に導かれて道を右に入り、阿弥陀岳北稜の途中まで夏道を辿るが、トレースはバッチリでラッセルは皆無。

夏道のトラバースを左に分けて一登りしたところでアイゼンをつけて登攀の準備をする。

最初急な斜面はロープ無しで上がって、JPまで行くと学生さんのグループと他にもう1パーティ程が壁に取り付いていた。

ここで5~6パーティ程が取り付きに溜まるが、この学生さんパーティを待っていたら結局最後から2番目の取り付きとなってしまった。

学生さんパーティはそれこそ苦戦していて、「早くのぼってくんないかなぁ」が、そのうち「もう少しだ、がんばれ」と声を掛けたくなるくらいであった。

おつかれさんでした。

ということで、この日は三好さんトップで取り付く。

「登れなかったらはずかしーな」

とか言いながら相変わらずさくっと1ピッチ目を登っていく。

その後二人が続く。

その後は数パーティが入り乱れての大混乱状態で、訳判らずのうちに終了点。

学生時代に来たときは相方と二人っきりだったのに、こんなもんなのか。

このルートも真新しいボルトが打たれていたが、1ピッチ目のビレイ点は人が多くて近づけなかったみたいで三好さんはブッシュ(?)でビレイしていた。

この日も快晴で阿弥陀岳山頂でチョー大休止。

空気も澄んでいて360度ぜーんぶ丸見え。

2本も持っていたテルモスのお茶をがぶ飲みして、いざ見えてしまうとじつななんだかよくわからん山並みを地図で調べたりしたのち下山開始。

まだ日のあたっていない中岳沢をシリセードで一気に下り30分程で行者小屋に付いた。

撤収して美濃戸口へ。

林道をあるいていると荷物を背負ったままでときたま三好さんは走りだすのであった。

他の二人は早足で追いかける。

三好さんが走るのをやめて歩き出すと二人は追いつく。

しばらくすると三好さんはまた走る。

これを繰り返すうちに、美濃戸手前の大きなS字にたどり着く。

S字の向こうの最後の上り坂が勝負だ。

三好さんは上り坂をまたまた走る。

いままで走ってきた三好さんは体力を消耗しているはずである。

勝負するならここしかない。

上り坂の途中で三好さんが歩き出したところで、試しに池崎ダッシュをかける。

池崎がなんとか三好さんに追いつく。

それからちょっと二人とも走る。

さて、誰が最初に坂を登り切って美濃戸についたのかそれは秘密。

ちなみに残りの一名は静観・・・。

<行程>
06:40 行者小屋出発
07:40 JP取付き(順番待ち)
08:40?登攀開始
09:50 終了点
09:55 阿弥陀岳頂上
10:40 下山開始
11:10 行者小屋着

南アルプス 仙丈ケ岳 尾勝谷本谷

2002年12月30日から4日間
森広、赤井、石原、大滝(記)


予定していた農鳥岳・滝ノ沢は大量の積雪が予想され、雪崩の可能性が高いと判断し、延期した。

ROCK&SNOW・15号に発表されていた尾勝谷本谷に入る事にした。

以前、塩沢右俣、左俣は登っている。

マイナーな場所なので予想通り誰も居なかった。

12月30日

8:15戸台大橋手前の工事現場、出発。

晴れ -7℃ 凄く寒い。

仙丈を遠望するが雪は多くは感じられない。

でも谷は分からない。

林道の雪は数cm程度。

奥の方で堰堤工事をしていた。

9:15塩沢出合。

林道が伸長されていたので様子が一変していた。

2℃ ここから400m位で林道は途切れ、沢に降りる。

積雪15cm位。

道無き沢を遡行する。

凍っている石を見きわめながらこわごわ徒渉する。

倒れている木を馬乗りになって渡ったりして、面白かった。

往路は10回徒渉した。

所々、古いテープが有る。

林業関係者が付けたのかも知れない。

進むにつれて積雪が50cm程になりラッセルになって来た。

12:30口南沢出合。

広い所だ。

雪のベースがないので、時々腰まで落ち込む。

想像はしていたが本当に今シーズンは雪が多い。

鹿の足跡が沢山有る。

彼らは実に合理的なラインで歩いている。

大概はその跡を利用した。

15:20中南沢出合。

幕営予定地はこの先の1700m地点だが、この先、平らな所が余り無さそうだし、時間も押して来たし、そこはテント場に適しているので決めた。

水も近くで汲める。

この沢は、奥の右俣、左俣出合まで水は得られる。

どんな年でも得られるだろう。

夜、4人でくっ付いて寝たらとても暖かかった。

12月31日

朝寝坊して6:10起床。

8:00出発。

中南沢を詰める。

ラッセルを交替で頑張り、10:50 F1取付き。

-4℃。

記録では、90mとなっているが、40m程にしか見えない。

下部が埋まっているらしい。

それでも堂々としていてラッセルの苦労を忘れる。

グレードは下からⅣ位の連続で最後の5m程がⅤ。

段々になっているので、ランニングは採り易い。

中央が艦船の先端みたいにせり出しているので2組が左右に分かれて登れば、互いに落氷に当たる心配がない。

大滝、森広組は右側を登った。

大滝リード。

登る前にスクリュウを決める位置を考える。

最後の立っている部分はもう1本採った方が良かったが、ぐずぐず作業するより、さっさと登ってしまった方が良いと考え一気に行ってしまう。

立っている所でランニングを採るか採らないかは何時も悩む。

アイスクライミングの永遠の問題だ。

露岩が大きく段になって居る所で、スクリュウ2本でピッチを切る。

40m位。

森広がフォローして来て、そのまま4m位の氷を越えたらF1は終わった。

満足できる滝だ。

少しラッセルすると、F2 20mがある。

中央はⅢ位だが、右側が立っていて面白そうなので登った。

後半、アックスの音がどーん、どーん、として来て、抜け口に行ったら、広く隙間が空いていて、覗いたら、滝がまとった氷の鎧に自分が張り付いて居るのが見えた。

そして生暖かい空気が上がって来る。

滝の中はこんなに暖かいのか。

F3 17m Ⅲもあり登った。

更に奥に氷が見えたが時間が無いので止めた。

下降は、F3は木で懸垂し、F2は右岸を歩いて降りる。

F1は大きいので1回では届かない。

初め木で懸垂すると急なブッシュ帯で一杯になる。

そこのブッシュで下りてもいいが、右を見ると、石原が1P目終了点で登って来る赤井を確保している。

四人一緒になった方がいいと考えて、トラバースした。

時間が押しているので、皆でそこから降りた。

アバラコフではないが、氷柱に穴を開けて、シュリンゲを通して下降した。

16:00 F1取付き着 -4℃ 17:00テント場

1月1日

4:30起床 6:00出発 3℃ 小雪 本谷の奥に向けて、ラッセルに精を出す。

暫く行くと、左岸にとてつもなく立派な氷瀑が現れた。

下の方が被った氷柱状で15m位。

それが終わっても急なナメが延々続いている。

50mで終えられるだろうか。

終了点付近は下降支点を作れそうな様子が無い。

今後の夢の一つに入れよう。

また暫く行くと、岩陰にかもしかの泊まった痕跡に出会った。

草が敷き詰められていた。

8:10奥南沢出合 -6℃ 左俣に入る。

4m位の簡単な滝をロープレスで越えるとF1 13m。

これも容易そうなので、ロープレスで行く。

(赤井、石原はロープを使用)そこから延々とラッセル。

F2 10m F3 3段60mが無い。

後で分かったが、それらは雪の下になっていたのだ。

やがて左に大きな沢を分けると、立派な氷瀑が姿を見せた。

中々に良い。

F5 50mだ。

10:50 -4℃ 大滝リード。

Ⅳ位で難しさは無いが長い。

ランニングを6本採った頃、50mロープが一杯になって来た。

氷の途中でスクリュウ2本のビレー点を作る。

森広がフォローして来て、そのまま行く。

氷は数mで終わり、雪になる。

10m程先のブッシュで確保。

F6 10mは容易なのでロープレス。

最後の滝F7 35mはⅢ位。

快適な登り。

後半は堅雪壁みたいになって来て、さくさく登れ楽しかった。

記録通り、これで滝は終わったらしい。

雪の斜面が馬の背まで続いている。

13:20 下降は、右岸を歩いて下り、F6はブッシュで懸垂。

F5の上まで来たら、石原がF5の上部に来ていた。

氷上でピッチを切らずに雪のブッシュ帯まで来たが、太いブッシュまではまだ足りないので困っていた。

上の方からロープを渡し支点の一つにして貰う。

F5の下降は、右岸のブッシュ帯だが藪がひどく込んでいる。

ロープ2本を繋ぐと引っ掛かりそうなので、1本の懸垂にする。

4回でようやく取付きに着く。

F5を横から見るととても大きく惚れ惚れする。

16:50出合。

暗くなってから、テント場に着いた。

夜から雪が降り始め、朝方まで続いた。

夜中にフライシートを雪が滑り落ちる、ざ、ざーっと言う音がしていた。

1月2日

朝起きたら、フライシートと本体の隙間が雪で埋もれていた。

直ぐに除雪して酸欠にならない様にした。

雪崩の可能性が増したので、強い未練は残るが、下山を決めた。

右俣は課題の一つに入れよう。

生きて居れば又来られる。

7:25 -8℃ 快晴の中、徒渉に怯えながら下山した。

帰路は8回の徒渉で済んだ。

11:10 車の所に到着。

山に入り カモシカの床(とこ) 垣間見む 人の世ばかりに 新年(あらとし)来る   大滝明夫

甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2002年12月7日から2日間
浅野、柴田(記)


今年は結構雪が早そうだが、12月上旬ならまだ埋まってはいないだろうと読み、アイス始めとラッセルトレを兼ねて黄蓮右を計画した。

しかし結果的にはアイスが楽しめたのは奥千条の滝までで、その先は延々としたラッセルに終始した。

旬よりは2週間ほど遅かったようだ。

3年前に左俣を登ったときには足かけ3日間の余裕ある行程だったが今回は1泊2日の普通の週末なので時間的にそれほど余裕はない。

できれば初日のうちにピークか黒戸尾根の稜線に出ておきたいのでまだ暗い3時50分に竹宇駒ケ岳神社を出発した。

パートナーは5ヶ月間の残業地獄からようやく解放されたという浅野さん。

今回は残業代で購入しましたという新品の登山靴で臨んでいる。

黒戸尾根はいつもの事ながら長くていやになるが今回は5合目までなので多少は楽と自分に言い聞かせ、黙々と登り続ける。

横手からの登山道と合流したあたりでヘッデンが要らなくなり、刃渡り、刃利天狗を経てちょうど5時間で5合目に到着。

黒戸山のトラバースの部分がちょっと凍っていた以外は雪も氷もなし。

篠沢七丈瀑はしっかり凍っているように見えた。

曇り空に枯れ木と灰色の氷瀑とモノトーンの寒々とした景色が広がる。

5合目小屋裏手の明瞭な踏み跡を1時間ほど下り黄連谷に降り立つ。

最初の滝は凍っていないので左岸の巻き道から越えちょっと進むとすぐ坊主の滝が現れた。

まだ水も流れておりラインが取れるのは中央部のみ。

1P目柴田(Ⅲ+)、2P目浅野(Ⅳ-)とつるべで越える。

氷床はまだ完全に固まっていないので踏み抜かないように注意しながら進み、二俣で左俣を見送る。

その後は冬の沢登りと言った風情で1時間ほどで奥千丈の滝に出会うが、傾斜もさほど強くないのでロープを出さずに各自勝手に登る。

ここは200mほどの滑り台になっているので滑ったら止まらないが傾斜はゆるく適当に休めるのでまあ問題ない。

5年前に沢登り初めて黄蓮谷に入ったときにビバークに使った台地や滝の岩肌などが記憶のままの姿で懐かしかった。

午後3時30分にインゼルに達したころにはだいぶ雪が本格的に降りだしており、また滝も完全に埋まりアイスクライミングの要素は既に無くなっていた。

このあたりで先行パーティ(外人さん2名)に追いつき言葉を交わすが彼らは既に出発してから5日目?ということで結構お疲れの様子だった。

今日はどこまで、との問いにできれば5合目小屋と言っていたが彼らの様子からしてそれはちょっと難しいだろうと思われた。

そういう柴田も結構疲れており薄暮の5時くらいになり「適当に岩小屋を見つけてビバークをしては」と浅野さんに提案するが「雪の降り方から見て一気に抜けたほうが安全」との浅野さんの判断に従いそのままチンタラ登り続けることになった。

まあセオリーから言えばその通りなのだけど、疲れているとつい弱音が出てしまう。

外人さん2人は途中まではトレースをフォローしていたが途中で適当な岩小屋に張ったのか見えなくなった。

右俣の詰めは割と地形が複雑でおまけに既に暗闇なので2.5万図を見ても現在地は確信が持てない。

時計の高度計で凡その位置を判断し、迷うところでは左の黒戸尾根側を取るようにして更に3時間ほどヨレながら登り続けるが、大半を浅野さんがリードしてくれた(申し訳なし。)

午後8時過ぎにようやく吹雪の稜線に達したが、祠や石仏から見てどうやらピークのすぐ横に出たようだった。

できれば七丈小屋で泊まりたかったので黒戸尾根と思われるラインをそのまま数十分下るがトレースは全く無く暗闇の吹雪の中では確信持てず。勘で下るうちに赤石沢奥壁方面に下っているような気がしてきた。

これはいかん元に戻ろうと浅野さんに声をかけ、結局黄蓮谷から抜けた稜線の地点付近まで戻り、吹き溜まりをスコップで50cmほど掘り返してツェルトを張りビバークとした。

薄ツェルト1枚でも有ると無いとは大違いで夕食も済ませてそれなりに寛いだ気分になってきたが着ているもの初めツェルト内はビショビショ状態でとてもシュラフを出す気になれなかったのでフリースを着なおした以外は登攀時の格好で朝までいた。

(このときプラブーツを脱ぐべきだったのにズボラしてそのままでいた柴田は足指が軽い凍傷になっていることが下山後わかった。)

暗くして横になっても30分か1時間で寒さのために目が覚めてしまう。

前夜も2時間程度しか仮眠できなかったがこの夜も2-3時間しか実質は眠れず。

4時頃からガスで温まり朝飯のカレーうどんなども作りゆっくり用意して7時頃出発。

甲斐駒ピークとは直線距離で100mも離れていないところだった。

朝一で頂上まで往復した後は膝から時折腰くらいまでの新雪をかきわけひたすら黒戸尾根を下る。

それにしても昨日午後からよく降ったもんだ。

黄蓮谷の中にいたら雪崩の危険もあるし登ってくるのも大変だっただろう。

やはり浅野さんの意見の通り昨日のうちに抜けておいてよかった。

そういえばあの外人さんたちはどうしたのだろうか、とふと気になった。

8合目鳥居、7丈小屋、5合目小屋と通過し、刃渡り下の登山道となっても根雪で前日登ったときとはまるで別の山状態。やはり相当降ったのである。

肩と首がやけに痛く休み休み降りたので駐車場に戻ったときには午後4時を回ってしまっていた。

 

12月7日(土曜日)

竹宇駒ケ岳神社(3:30)→ 5合目(8:50)→ 黄蓮谷(10:30) → 奥千条の滝(13:05) →
インゼル(15:30) → 頂上直下の稜線(20:15) → ビバーク体制(21:30)

12月8日(日曜日)

BS(7:00) → 甲斐駒頂上(7:15) → 7丈小屋(9:20) → 5合目(12:30) → 駐車場(16:05)