谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第三スラブ

1999年3月7日
向畑(記、♂38歳) 中嶋(♂26歳)

当初、中嶋君とフリークライミングの予定だったが、天気予報を追っかけているうちに、日曜日(3月7日)だったらルンゼを狙えそうな感じになってきた。

中嶋君に話したら、同行してくれるとのことだったので、急遽、谷川に変更した。

休日を有効に使おうということで、土曜日(3月6日)9時、いつも通りに仏子駅集合。

榛名山・黒岩に向い、ちょっとだけ、予定通りフリーをやった。

ちなみに、中嶋君は11cのルートをオンサイトしたが、私は登れなかった。

早めに切り上げて、水上で夕食後、18時頃には土合に到着、立体駐車場の下の駐車場にテントを設営(ここは、今のところタダで使える)。

飲みすぎると中嶋君に怒られそうだったので、ビール1本だけにして19時過ぎには寝たが、私のような一般人は普通の状態でそんなに早くから寝られる訳がない。

時間帯に関係なく、みさかいなく寝ることのできる中嶋君の能力に、心の底から感心した。

3月7日

1時に起床して、2時過ぎに出発。

天候は、昨日の午後は晴れていて、沼田付近からは谷川がきれいに見えていたが、今日は曇っている。

気温が高いのが気になるが、今のところ雪は降っていない。

数日前の降雨と晴天で雪面は固く締まっており、5時頃には第三スラブ取付きの下部氷瀑下に着いた。

いつも通り右に本谷からの、左に滝沢スラブからの2本の氷瀑がかかっているが、今年も谷川は雪が少ないようで、ほとんど埋まっておらず、傾斜もかなりきつい。

下から見た感じでは、右の氷瀑の方が簡単そうに見えたが、右を登ると3年前と同じ過ちを再び犯してしまいそうな気がしたので、左側を登ることにした。

登り始めたのは5時30分位。

ラインは、左端からクレバスをまたいで取りつき、斜上後ほとんど真横にトラバースし、上部を直上。

下部から傾斜はきついが、上部の2~3mは90度ある。

中嶋君が同行してくれない場合は1人で来るつもりだったが、登っている時に、ビレイヤーがいてくれてほんとうによかったと思った。

左側を登り始めると、ほぼ同時に後続してきたチーム84の4人パーティが、右側氷瀑に取付いた。

登りきってピッチを切った時、ロープが40mほど出ていたので、氷瀑部分だけでも30m位あったと思う。

下部氷瀑は越えたが、ビレイできそうな安定した足場がない。

ナメ状の氷の斜面が、さらに上部まで続いている。

著名な某アイスクライマー編によるルート集には、アイスピトンは5本もあれば充分と書いてあったので、その通りに5本しか持って来なかったが、登はんの際に全部使ってしまっていた。

仕方がないので外傾した狭いスタンスに立ち、ピッケルのピックを氷に叩き込み、バイルからもセルフを取って、肩がらみで「支点がないから落ちるな」

と叫んでいたら、右氷瀑上からベルグラの乗った悪いスラブをトラバースして来た84パーティのトップが、見かねて「ビレイポイントを使って下さい」と言ってくれた。

彼のセットしたビレイポイントからも、有り難くセルフを取らせてもらってビレイしていたら、中嶋君が墜落、ロープにテンションがかかった。

抜け口に打ったスナーグを回収しようとして、ピッケルにテンションをかけたらピッケルがはずれたらしい。

いったんは墜落を止めたが、悪い足場で体重を支えきれなくなり、よろけてアックスに2人分のテンションをかけたら2本とも吹っ飛び、84パーティのビレイポイントにぶら下がって止まった。

もし、支点を使わせてもらっていなかったら、下にいた中嶋君より、上から落ちた私の方が、確実に致命的なダメージを受けていたと思う。

下部氷瀑上は、緩い傾斜の氷と雪壁がF4まで続く。

F4自体は難しくないが、中嶋君から「支点を作りましょうか」

と言われた時に、「支点で2本使ったら、3本しか残らなくなる」

と言った会話を聞いていたみたいで、先に取付いた84パーティが、「使って下さい」と言ってビレイポイントを残していってくれた。

ビレイポイントのスクリューは回収して、その後も使わせてもらったのでずいぶん助かった。

ただ、ピトンが充分にあっても、氷が薄くて効かないことや、雪壁上でまともなビレイができないことの方が多く、トップ、セカンドともに、絶対に落ちれない状況に変わりはない。

F4から上も、ナメ状の氷壁と雪壁が続くが、氷が薄かったり、岩が出ていて岩登りをしたりと、状態はあまり良くはないようだった。

上部は、通常登られている第二スラブとのリッジのコルには向わず、三スラをほぼ最後まで詰めてしまったみたいで、草付き帯は1ピッチ程度しか登らなかった。

草付き帯の上は急な雪壁がしばらく続き、ドームのかなり滝沢リッジよりに出たようで、ドーム基部を20mほどトラバースし、Aルンゼへの下降点へ。

懸垂でAルンゼに降り、ルンゼの途中から左側のドームのコルへ上がり、雪壁を登って国境稜線に抜けた。

稜線上はホワイトアウトで、何度かルートをはずしそうになりながら、13時30分、トマの耳に到着。

逆算すると、稜線に抜けたのが13時頃、ドームの基部に到着したのが12時~12時30分頃だと思う。

西黒尾根をかなり下ったころから吹雪いてきて、16時頃に到着した土合では、雨のような湿った雪が降っていた。

センターに、84のメンバーの1人が残っていて、借りっぱなしになっていた、スクリューの持ち主の鈴木さんの連絡先が聞けたので一安心した。

水上で、雨の中、露天風呂につかり、スキーヤーとスノーボーダーで渋滞する関越道に乗ったが、帰りの車の運転が核心となった。

途中、休憩した時に中嶋君が、ほとんど寝たままの体勢で薄目を開けて、「運転変わりましょうか」と言ってくれたが、かえって身の危険を感じたので、がんばって全部自分で運転した。

途中、何度か意識を失いそうになったが、無事に帰れてほんとうによかった。

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~最後に反省~

中嶋君は、自分が落ちたことにかなり責任を感じていたみたいで、めずらしく、しおらしくなって反省していたけど、どちらかというと問題の多くは私の方にあったように思うので、自分なりにいろいろ考えてみたことを書いておきます。

まず、持参したピトンの本数についてですが、本には5本で充分と書いてあっても、この手のルートはその時の状態によって全然違ってくる位の判断力はあるつもりですが、3年前にとなりのスラブを登った時や、上部草付き帯から眺めた感じ、さらにその数年前に滝沢リッジから見た感じからも、そんなもんだろうなというふうに、軽く判断していました。

それと、これまでアイスクライミングにはあまり真剣に取組んで来なかったので、取付く時も、5本あれば登れるという計算はできたけど、上に抜けてからのビレイポイント用に、ピトンを残しておかなければならないという当たり前のことが、感覚として充分には身に付いていませんでした。

また、上に行けばなんとかなるだろうという意識があったことも、事実だと思います。

上でビレイする時も、ほとんどどうしようもなかった状態には変わりはなくても、もう少し何とかしようと、とりあえず、いろいろと試みることも必要だったのかも知れませんが、ビレイについても、同様になんとかなるだろうと考えていました。

何とかなるだろうからとりあえず突っ込むというのは、アルパインクライマーの悪いところであり、逆に、いいところでもあると個人的には思っていますが、とりあえず突っ込む時にも、起こり得るあらゆる危険を想定する、より深い洞察力が必要だとつくづく感じました。

最後に、ビレイポイントを使わせてくれた84の鈴木さんには、ほんとうにお礼を言わないといけないんですが、貸していただいた支点も、氷質があまり良くなかったため、2本のうちの1本は効きがあまく、実質1本のスクリューで止まったんだと思います。

もし、その1本が抜けていたら、関係のない、他パーティまで巻込んだ事故になるところであったことが、最も深く反省しないといけない点だと思います。

 

 

八ヶ岳 赤岳西壁主稜

1999年2月28日
小谷、畠中(記)

3時45分に月明かりの中、美濃戸を出発。

満天の星空と遠く街の灯りが美しい。

外気はよく冷えている。

6時に行者小屋着。

文三郎尾根をつめ、7時30分に取り付く。

初めのチムニーで畠中てこずる。

かっこわるい。

風が強く寒いため手足の指先は痛い。

顔も痛い。

10時30分に赤岳に到着。

景色が美しい。

寒いのでそそくさと地蔵尾根を下降し、11時40分に行者小屋着。

春山のような陽気だったので、1時間ほどのんびりとする。

美濃戸には13時30分着。

私は、久しぶりの山登りだったが、今回の山行で「山登りは痛い」ということを思い出した。

 

 

鋸岳 第2高点中央稜右岩稜

1999年2月20日~21日
瀧島、中嶋(記)

雪山は本当に久しぶりだった(2年ぶり?)ので時間が少ないこともあって準備が大変だった。

三鷹に集合して、高遠の「道の駅」で車中泊。

道の駅の便所はなんと暖房が夜中もはいっていてとても快適だ。

熊穴沢の出合いまでのアプローチは1時間半くらい、運動靴で行ったせいか楽に感じた。

角兵衛の出合いに運動靴はデポしておいて、熊穴沢を登山道を探しつつ登っていった。

熊穴沢は非常に幅が広く、雪に埋まった夏道は登りではほとんどトレースすることができなかった。

これを忠実にたどれるかどうかでアプローチの時間が大幅に変わってくる。

それでもテン場の予定地がそれほど遠くなかったので4時にはテントを張ってしまった。

取り付きは尾根を末端から右に回りこんで、2本目のわりと大きなルンゼを詰めると簡単に尾根上にでる。

ルート中特筆すべきことはなし。

状態が良ければロープはいらない。

壁は右から回り込めばだいたい上手く巻ける。

左には以前に登った第2尾根が見えるが、こちらはとてもかっこ良い。

稜線上にはけっこうな数の登山者がいて、これを避けるために熊穴沢を下ることにしたが、とてもいやらしい雪の量といやらしいクラスト具合で本当に不快な下りだった。

高遠では町営のさくらの湯にはいって、ついでにビールとおでん、夕飯の高遠そばも食べて、杖突峠経由で夜景を満喫しながら帰った。

たまにはこんな旅行も良いものだ。

八ヶ岳 横岳西壁 無名峰南稜

1999年2月21日
宮嶋、関、板橋(記)

7時45美濃戸
9時30 赤岳鉱泉
10時45取付き
15時45終了点

前日のマークⅡスタック事件と宴会のおかげで起床が6時を回ってしまい、あわてて出発する。

三叉峰ルンゼに入りしばらくして、左側の無名峰北尾根を目指し、ラッセルで雪壁を登っていく。

尾根上でアイゼンをつけるが雪が深く、腰まで埋まるところもある。

尾根がやせてきて、ザイルをつける。

雪辱戦の関がトップで登攀開始。

1ピッチ目は岩稜から木登り。

2ピッチ目はハングに突き当たり右の凹状を登るが悪い。

セカンドの板橋の泣きが入る。

3ピッチ目は草付ダブルアックスで中間雪稜に出る。

コンテに切り替え、岩稜混じりの雪稜を歩く。

正面にチムニーのある上部岩壁が見えてきて、スタカットに戻す。

板橋トップでやせた雪稜から、草付登りで上部岩壁基部へ。

エイリアンでビレイ点を作り核心部へ。

最初のⅢ級の凹状はノーピンで15m、チムニー下のテラスで、腐ったハーケンをエイリアンとキャメロットジュニアで補強しチムニーへ。

2、3手登ると古い残置シュリンゲが掘り出せる。

ここから、バックアンドニーでチムニーを抜け、カンテ状を登ると縦走路が目前に見えてきて登攀終了。

感想 横岳西壁の雪稜系のルートはほとんど登ったが、この無名峰南稜は1番楽しかった。

一緒に登ったメンバーが年齢も近く、気心も知れていて、足並みも揃っていたこともあるが、ラッセルありそこそこのナイフエッジあり岩のグレードも4級以上で、手応え充分の本当にお勧めのルートである。

時期的には、積雪の多くなる2月頃が楽しめるのではないか。

中山尾根や阿弥陀北西稜より1グレード上の難しさはあると3人

yatu1下部雪稜を登る関、宮嶋

yatu2上部岩壁へ向かう板橋

yatu3中間雪稜を登る宮嶋、関

八ヶ岳 横岳西壁石尊稜(これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ~八ヶ岳解説と懸賞付)

これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ
八ヶ岳解説と懸賞付

1999年 2月2日
板橋(記)、嶋崎

6時30美濃戸 – 8:15赤岳鉱泉 – 9:45取付き – 12:15 終了点

強烈な冬型で、上空5000mでマイナス40度以上の寒波がやってきます。

美濃戸からいつもは見える阿弥陀岳が見えません。

美濃戸の小屋の前のおじさんも少しさびしそうにポーズを決めてます。

幸いまだ雪は降っていませんが、時間の問題でしょう。

八ヶ岳は太平洋側の気候とはいえ、冬型が強いと天気は悪い。

その辺は十分理解しておきましょう。

赤岳鉱泉への柳川北沢沿いの道を歩き、しばらくすると左側にショートカットコースの入口があります。

多分5分くらい短縮できます。

でも御用心。

沢沿いなので、雪の下はナメ氷です。

こんな所でこけてはダサいので、慎重に。

カットの後はまた、林道です。

鉱泉の車が頻繁に入っているので、運動靴でも行けちゃいます。

左に大きくカーブする所でもカットができます。

ここの堰堤はアイスができるくらい凍ることもありますが今年はだめそうです。

しばらく歩くと林道終点。

ここで一本とってしまうようではアカンですな。

橋を渡り登山道に入りますが、ここも運動靴でも大丈夫でしょう。

一回目の橋を渡る所で後ろを振り返るとそこには登れそうな氷が見える。

これは「大岩ルンゼ」と呼ばれるアイスのゲレンデです。

しばらく沢の左側の歩きますが、右に渡り返し、もう一度左に渡ったあたりでパラレルツインの氷柱が見えます。

これが「赤岩の氷柱」です。

この辺は「峰の松目沢」

の出合いらしく、赤岩の氷柱を登りにトレースを追っかけたら峰の松目を登ってしまった事もある。

ダサー。

正面に、大同心や小同心が見えます。

その間のルンゼが大同心ルンゼ。

大滝も良く見えます。

大滝の左や正面は歯が立つが、右のラインは難しかったです。

赤岳鉱泉に着きました。

ここでアイゼン以外のガチャを着けてしまいましょう。

忘れ物はないか最終チェック。

食料や燃料などはここでも購入できます。

でも高そうです。

さあ出発しましょう。

行者小屋への道をじゃらじゃら音を立てて歩いていきます。

10分も歩くと左にトレースが分かれます。

このトレースは柳川北沢沿いにつけられています。

少し、雪が深そうなので、もう少し一般道を進みましょう。

指導標が立っているところにも左へ行くトレースがあります。

このトレースに入り、古いロープをくぐると柳川北沢に降りれます。

トレースが無いとラッセルになってしまいますが、三叉峰ルンゼや石尊稜など人気ルートが奥にあるのでトレースが消えることはないでしょう。

左へカーブして倒木に覆われたルンゼが、「小同心ルンゼ」の出合です。

「無名峰北尾根」へはここをつめていきます。

更に進み、左にカーブして出合うのが「三叉峰ルンゼ」です。

新雪期には、氷が出ているのですが、今は雪の下になっています。

大滝の手前でアイゼンをつけ、右の雪壁を登りましょう。

簡単に「石尊稜」に上がれます。

右から回り込み少し登ると下部岩壁です。

我々は1ピッチ50mで抜けきりましたが、ぎりぎりなので、途中で切ったほうが無難でしょう。

ビレイ点は潅木で取り放題です。

中間雪稜は所々露岩が出ていますが、ロープ無しでも進めます。

ロープをつけていると6~7ピッチになるでしょう。

眺めのいい雪稜のつきあたりが上部岩壁です。

右を回り込めるらしいですが正面のカンテ状を登るのが自然です。

1ピッチ目は伸ばせるだけ伸ばして、岩角をうまく使ってビレイ点を作りましょう。

岩角支点と草付アイスフックは八ヶ岳では必須の技術です。

2ピッチ目で岩稜帯を抜けてしまい、縦走路に出て終了です。

風が強いので、岩陰に隠れて、ガチャをしまいましょう。

下山は地蔵尾根経由がよろしいでしょう。

このあたりの縦走路は、雪山歩きとしては手強いらしいですが、吹雪かれようがヘッデンをつけようが下山できるようになれれば、精神的にも余裕が出てきます。

ほとんど左側を巻くのですが、1ヵ所だけ右を大回りで巻くところがあります。

ここは、ヘッデンでは判りづらいので、周囲の地形を頭に叩き込んでおきましょう。

45分ほどで地蔵尾根の分岐です。

地蔵尾根も吹雪かれると西風をもろに受けたり、雪崩れたりするので注意が必要です。

途中で2ヵ所ほど、尾根が分かれて迷いやすいところがありますが、右に行けば道を外さないでしょう。

雪に埋もれた階段のところから尻セードで一気に下ると樹林帯に入ります。

ここでアイゼンを外し、グリセードとスケートを屈指すれば10分もかからず行者小屋へ到着します。

ここから直接美濃戸への道を下るより、中山乗越から赤岳鉱泉に戻ったほうが道も良く早く下れるでしょう。

赤岳鉱泉からは美濃戸まで走って下るのもよいでしょう。

秀峰登高会若手諸君へ

赤岳鉱泉から美濃戸まで30分を切ったらルノアールでコーヒーをおごりましょう。

板橋は無名峰南稜の登攀後30分で降りました。

健闘を祈ります。

 

 

甲斐駒ヶ岳 篠沢七丈瀑

1999年1月21日~22日
大滝(記)、板橋、森広

1月21日

8:30 竹宇神社駐車場出発 晴

雪は少ないが地面が凍っていて時々滑る。

対岸の尾白川林道には積雪は認められない。

14:40 五合目着

小屋の中にテントを張ってから、取り付きの方へ行ってみる。

20分程登山道を登った所にある橋が降り口だ。

かなり急で滝までは遠そうなので、小屋へ引き返した。

夕食は板橋君 入魂のおでんと、ビール、いいちこ、森広さんの蜂の巣酒でおおいに満足。

1月22日

4:30 起床 6:20 出発  快晴

橋より急なルンゼを下って行く。

途中左より一本ルンゼが合流するので地形を覚えておく。

下の方に来ると氷瀑が出て来るが上手く回り込みながらアイゼンなしで取り付きまで行けた。

8:10

1P目30m
容易なので各自ザイルなしで勝手に登る。

2P目20m
右上ぎみのトラバース。

3級程度だがアンザイレンする。

大滝リード。

ランニング2本で岩壁のビレイ点に着く。

このビレイ点は、ずっと心配していたのだが、ロックハーケン4枚にシュリンゲもまあまあだったので、安心出来た。

さあ、これからが本番。

どどーんと20mぐらい聳えている。

氷の大きさと傾斜に畏怖を感じながら気を引き締める。

辿るルートは計画段階では、右の凹角が中央よりは少し容易そうなので、凹角を登るんだろうなと考えていたが、中央がそんなに難しくないように感じたので、折角来たんだから一丁やったろかと決心を固め、左上しながら中央を登った。

3P目 25m
ランナーはスクリュー4本。

右手には気にいっているシモンのナジャ。

左手にはカジタのスーパーバナナピック。

アイゼンは今回の為に前爪を新調したグリベルのランボー。

ナジャは良く刺さるが、深く入ると抜け難い点に注意。

カジタ、スーパーバナナピックは今季の物で、良く刺さり良く抜ける。

体を上げた時に脇を締める事に集中して登って行ったら、疲れずに登れた。

傾斜が落ちた所で、アイススクリューでピッチを切る。

最終ピッチは、右のブッシュ帯へ森広リード。

2級+ 20m。

11:15

終了ブッシュに残置シュリンゲがあったので懸垂。

2P目終了点に楽々届いた。

更に1回の懸垂で取り付きに着く。

11:50 着

登山道を登り返して

13:10 登山道着

13:50 五合目着

17:30 竹宇駐車場着

*ガイドブックには、午前中陽が当たって水が流れると書いてあったが、そんな事はなくてむしろ暖かくて登り易かった。

装備  スクリューハーケン、核心部の3P目でランニング4本、終了点で2本打った。

もっと打つ人で計8本位か?

 

 

雪崩講習レポート(八ヶ岳中山乗越し赤岳鉱泉側斜面)

1999年1月17日
講師:本郷
参加者:山本、児谷野、関、平松、岸、倉田、櫻井

埋没体験

50cm程度の穴を堀りそこに体験者が横たわり、雪を上から掛ける。

外の人はゾンデの感触など確かめてから数分後掘り出す。

<体験してみて>

埋まってみると、まず胸が締めつめられて横隔膜がほとんど広がらず、息が吸い込めなくなる。

その後、吸える空気の酸素も少なくなるように感じられ、どんどん苦しくなる。

体を動かすことはほとんど不可能。

実際に埋まっていた時間は2分程度だろうが、暗く苦しくとても恐ろしい。

呼吸をゆっくり無駄なく酸素を使うべき、などと聞いていてもそんなことを意識する余裕はまったくなかった。

外からの呼びかけの声はなんとか聞こえる。

外からは中の声がほとんど聞こえない。

耳を雪面にぎりぎり近づけても中で怒鳴っている声をやっと聞き取れる程度。

岸君や倉田さんが埋められていたときは上で笑いながら見ていたけれど、実際埋められてしまうと本当に冗談ではない気分で、かなり恐ろしい経験だった。

最後に埋められた関君はきっと私以上に怖い思いをしたはずで、その気分は本人から直接聞いてみてください。

ビーコン使用体験

ビーコンを入れた袋を雪に埋め(深さ50cm程度)50m程度はなれたところで反対を向いて待っていた体験者がこれをビーコンの反応だけで探し出すというもの。

<体験してみて>

水色のオルトボックスのF1フォーカスを使ってもうひとつの雪に埋められたビーコンを探したが、初めてにしては2分半という時間で探し出せた。

使い方はざっと良く反応する方角へ小走りに移動しながらレンジを小さく(感度を落として)しそれでも良く反応する方向をめざして移動すればいい。

最後に2mレンジ(もっとも感度が落ちた状態)でもっとも反応する雪面を探したらそこを掘る。

私の場合、間違いも無くこれだけですぐ埋められたビーコンを掘り当てることができた。

これは簡単!

バーアンテナから出る電波とその受信パターンなど聞いていたが、やってみると、とにかく電波の強い方角へどんどん進めばなんとかなってしまった。

ビーコンの種類と感想

今回はオルトボックスF1フォーカスとアルペンビーコン1500のふたつを使ってみることができた。

2つの間での比較ではあるが、とにかくすぐに見つけ出したい場合、オルトボックスが良い。

矢印の形をしたメータになったLEDと近づくと大きくなる音のふたつで大変わかりやすい。

アルペンビーコンのほうは、1500時間発信を続けるその電池寿命に特徴がある。

この製品開発のきっかけが、埋まってしまった仲間を残雪期に探し出す体験からということで、むしろ遺体の捜索に重点がおかれているようだ。

オルトボックスでアルペンビーコンを探す、あるいはアルペンビーコンでオルトボックスを探すことの問題はないようだ。

本郷先生の話では国際規格として電波の方式が統一されているとのこと。

大きさはどちらもほぼ同じ。

手のひらから、はみだすことはないがすっぽりおさまるほどでもない。

厚みもちょっと気になる。

体につけてみてももうひとまわり薄く小さくなったらなあ、という感じ。

重さはそれほど感じない。

断面観察

スコップで丁寧に断面を作り積雪の層を観察する。

<体験してみて>

八ヶ岳の西面の中腹で積雪の層がこれほどにはっきりといくつにも分かれているとは思っていなかった。

これはとくに指先でツンツンしてみるとわかりやすくて、一番上の新雪からだんだん硬いしまり雪になって20cm程度でとつぜん霜ざらめの層が5cmほど出てくる。

その下はざらめになっていた。

この講習の場所自体デブリの斜面であったのだけれど、まさにこの霜ザラメの弱層がこのデブリを作った雪崩の原因なのだということが現実のものとして理解できた。

ここは過去何度か実際に事故が起きているということも教えられた。

ハンドテスト

自分でハンドテストをして弱層の存在を確かめてみる。

<体験してみて>

手の届く範囲に直径40cm程度の輪を描きながら溝を掘っていき50cm程度の深さにする。

そして真中に輪になって残った雪の筒をやさしく抱え込むように手前に引いてみる。

これでずれた層があったらその層の深さ、ずらすのにかかった力を知ることでこの雪面の弱さ、雪崩れやすさが推定できるというものだ。

実際断面観察でもわかった弱層で雪がずれた。

力は中の下程度。

ビーコンとスコップ

生還へのタイムリミットは15分。

この間に仲間が探し出し、掘り出してくれないことには助からないわけで、ビーコンによって居場所の見当がついても、掘り出すのに時間がかかってはどうにもならない。

50cmから1mの深さの穴を掘るのに素手でやっていたらどのくらいかかるだろうか。

というわけでスコップの登場。

ゾンデ棒

ゾンデはフランス語で調査、探索の意味があって、つまり探索棒ということ。

雪の中をツンツンして雪ではない硬さの人体を探すためにある。

ビーコンで1~2m四方に埋まっていると限定したときゾンデ棒があれば、推定ではなく確信をもって掘り始めることができる。

<体験してみて>

たしかに雪の中の人体をツンツンしてみると硬いくせに妙な弾力があり、雪との違いははっきりわかる。

ただ体験は、あまり硬くない雪の50cm程度の深さの人体を探っただけなので、硬いデブリがあったり木や岩がまざっている場合はどうかなどは不明。

全体を通して

埋没体験のインパクトはすごかった。

こんなしんどいのに実際の行動中に出合ったらもうおしまいだろうな、と思った。

雪崩での生還率は掘り出しが15分以内かどうかでおおきな違いが出るというが、2分程度アソビで埋まってみても半死の状態になってしまったのだから、とにかくえらいことだ。

ビーコンが雪崩で埋まった仲間を見つけるのに有効だということははっきりとわかった。

広いデブリの一角に埋まっているはずの仲間をビーコン無しで探そうといっても、生還のリミットの15分などで見つかるはずもなく、これは助けるのではなく助からなかったのを掘り出すだけになるだろう。

それでこれからどうしようか。

もし私が雪崩にあって埋められ身動きもとれず、呼吸も苦しいとする。

ビーコンとスコップ(ゾンデも?)を皆がもっているパーティーだったら、かなりの確信を持って生きている間に掘り当ててくれることを待てるだろう。

しかし、ビーコンがなかったら、絶望でいっぱいになり、暗く苦しい中で…。

ビーコン、スコップ、ゾンデ棒は雪崩のセルフレスキュー3点セットだ。

これらがあるかないかは、雪崩で埋められたときに生還できるかどうかとかなりの確率でイコールといえる。

問題は荷物になることと、値段だ。

3点セットの携行は、めったに起きないが起きたらたいへんだから、用心のために持っていこう、というものだからこれは、一種の保険だ。

保険は必需品ではない。

必需品がそれなりに準備できた上で、どうしようかと考える性質のものである。

食料やガスを不充分なところまでしぼって軽量化し、きびしいクライミングをしようとしている人に3点セットを持っていけよ、というのはどこかバランスがおかしい。

2月の一ノ倉の二の沢に入る人に3点セット持って行ったら、というのは悪くないように思える。

この保険を妥当だと思うかどうかの境界線は、人によって違うだろう。

「わらじ」のように冬山だったら携行が当たり前になっている会もある。

今のところ言えるのは、この保険の意義を正しく知らないままでは始まらないということだ。

実際に本を読み講習を受けることを薦めていきたい。

その上で各人の判断があるべきだと思う。

もうひとつビーコンの値段の高さにも問題があるので、これは会装備として購入に貸し出していく体制を作りたい。

まず読んでおきたい本

最新雪崩学入門 山と渓谷社 1854円 ISBN4-635-42009-4

 

甲斐駒ヶ岳 赤石沢Aフランケ赤蜘蛛ルート

1999年1月15日~1月17日
向畑(記♂38歳)、杉浦(♂29歳)

~最初に感想~

赤石沢は全く初見で取付いたため、アプローチ等の状況がよくわからなかったことや、15日に着いた新雪の処理に手間取ったことなどから、登はんに2日を要し、下山も遅い時間になってしまった。

しかし、壁の概要を把握した上で、もう少しいろいろと考えて登れば、充分1日でも抜けられる壁だと思う。

ルート自体は、クラック、リス等の弱点をつなげたラインで、しかも、巻いたり、回り込んだりせずに、壁の中心部を攻撃的に突いている。

その昔、某クライマーが余分なボルトをたたき落とした気持ちも、個人的には大変よく理解できた。

1月14日

100m先からでも来たことがわかると言われている、騒音が近所迷惑なスカイラインで杉浦君に迎えに来てもらい、竹宇駒ヶ岳神社手前にあるという、無料駐車場を目指す。

1月15日

寝たのがかなり遅かったため、6:30起床、8:00頃からのんびり歩き始める。

8合目の岩小屋がわからない、というよりも、8合目自体がどこだかわからないことや、多分明るくならないと、Aフランケへの下降路がわからないから、7合目に泊まっても同じだということで、非常に快適だとのうわさを聞いていた七丈小屋を目指す。

神社を過ぎ、山道になってきた頃から雪がちらつき、高度が上がるにしたがい、だんだんと積もり始めた。

15:00頃、7合目に着く頃には結構な積雪になっていた。

1月16日

5:30出発。

天気は晴れ。

甲斐駒往復の登山者の他、左ルンゼ、中央稜、Aフランケ白稜会ルートなどに向うパーティが泊まっていたが、既に小屋には誰もいなかった。

8合目からはトレースを追い、Aフランケ基部へと下降。

白稜会ルート1ピッチ目に取付く先行パーティにお礼を言って、となりの赤蜘蛛ルートを登り始めた時には、既に9:00を過ぎていた。

この段階で、早くもビバークを覚悟していたが、ただ、この時点では、大テラスから1~2ピッチはフィックスできて、翌17日には余裕を持って抜けることができると考えていた。

1ピッチ目、杉浦リード。

フォローは全ピッチユマーリング。

ラダーの人工だが、ビレーポイントのテラスに雪がどかっと乗っており、払い落としに苦労していた。

2ピッチ目、向畑リード。

2~3ピッチ目は、70mほど続くジェードルにクラックが走っている。

残置は少ないが、フレンズ、エイリアン、キャメロットなどから選んだサイズがおもしろいように決まるので、普通の人工とそれほど大差なく登れる。

3ピッチ目、ビレーポイントが狭く、入れ代わりが面倒なので、そのまま向畑リード。

内容は2ピッチ目と同様だが、残置が増え、ずいぶんと楽になる。

4ピッチ目、杉浦リードでカンテを人工で回り込み、ワンポイントのフリーから再び人工、さらにハングの乗っ越しに果敢に挑むが、ここではまる。

ハング上には新雪が乗っており、ホールド、スタンスとも乏しいみたいだ。

最後のアブミからハング上に立ち込もうとするが、ついつい足がアブミに戻って来てしまう、ということを5~6回繰り返し、あえなく敗退。

ロワーダウンでビレーポイントに戻って来た。

リードを交代し、気合を入れてハング上に立ち込むが、目の前のスラブには30cmほどの新雪が乗っている。

ピッケルを振り回して除雪しながら、細かいスタンスに立ち込み少しずつ進むが、ふくらはぎがしびれてくるので、浅打ちナイフブレードのタイオフからスカイフック、再びナイフブレードのネイリングと、アブミに乗って休みながら除雪を続ける。

スラブから小ハング上の残置ハーケンにピッケルを引っかけ、アブミをかけてさらに除雪。

結局、ハング上から、大テラスまでの約20mくらいは、除雪と、ふくらはぎがけいれんしそうな立ち込み、抜けそうなネイリングでの休憩の連続だった。

冒頭に登場した、某クライマーの同じクラブの後輩にあたる、ある先鋭的クライマーが執筆した「氷雪テクニック」には、冬季登はんにもちいるピッケルは、「長ければ長いほど良い」と書かれていたが、この時ほど短身のピッケルがもどかしいことはなかった。

この結果、大テラスにフォローを迎え入れたのは、ビバークタイムとしては最適な16:30となっていたので、余計なことはせずに、さっさとビバークの準備を始めた。

シェラフカバーしか上げていなかったので、夜はさすがに寒かった。

1月17日

天気は快晴だが、寒くて体がなかなか動かず、登り始めたのは8:00を過ぎていた。

5ピッチ目、向畑リード。

短いクラックからスラブ、さらに短いクラックからビレーポイントへ。

クラックの部分はフレンズ類の人工。

6ピッチ目、杉浦リード。

出だしのラダーからリスが延々と続く。

ロープスケールも40mほどあり、とても見栄えのするピッチ。

ただし、リスには最初からハーケンが打ってある。

部分的にリスがフレアーするところだけ、エイリアンやロックスを使っていたみたい。

7ピッチ目、向畑リード。

カンテを人工で回り込み、やや右上。

8ピッチ目、杉浦リード。

ワンポイントの人工からフリー、再び人工で樹林帯に突入。

9ピッチ目、向畑リード。

木登りでロープを目一杯伸ばし、Aフランケ頭の岩小屋の下でピッチを切る。

15:00頃終了。

そこでロープをたたみ、白稜会ルートから赤蜘蛛ルート上部につなげたらしい先行パーティのトレースをたどる。

8合目の稜線には16:00頃着。

七丈小屋着17:00、デポを回収、荷物を整理し、17:30下山開始。

満天の星空のなか、甲府の夜景に向って黒戸尾根を下った。

駐車場着23:30頃。

根子岳 スキー登山

1999年1月16日
瀧島(記)、飯嶋(上田の建具や)

晴れのち曇り

計画では、峰の原スキー場から根子岳そして四阿山まで足を延ばす予定だったが、根子岳と四阿山の間は尾根が痩せていて、スキーではしんどそうなので諦めた。

峰の原スキー場の上まで車で入り、ゴルフ場の中を登っていった。

途中から奥ダボスゲレンデ空の雪上車のトレースに出合う。

このトレースは頂上の手前のヘリの着陸地点まで続いていた。

奥ダボス方面からは蟻の行列のように人が上がってくる。

そのうちヘリがピストンでスキーヤーを運び初めて、頂上には20人くらいいた。

という事で、かなり興ざめのスキー登山でした。

テレマークの板にシールを付けて登り2時間、下り30分ほどでした。

ヘリは頂上まで8、000円とのことでした。

 

 

前穂高岳 屏風岩雲稜ルート

1998年12月30日~1999年1月3日
向畑(記、♂37歳)、富安(♂25歳)、倉田(♀25歳)

~最初に感想~

雲稜ルートは、当初比較的軽く考えていたが、T4尾根を含めて部分的に悪く、結構登りがいがあった。

積雪状況は、いろいろな人の話を総合すると、平年よりは少なく、寡雪であった昨年よりはかなり多いという感じだが、入山前夜の29日夜から30日、31日夜から1日未明、2日とかなりの量の降雪があり、割と充実した冬壁登りとなった。

年齢が1回り離れた若手2名は、次々と浴びせ掛けられる小言にもいやな顔一つせず、重荷にもめげすよくがんばっていた。

おかげで、良い正月山行になったと思う。

12月29日

夜行で松本へ。

12月30日

タクシーで釜トンネルゲートへ、途中から小雪がちらつき、釜トンネルでは本格的な降雪となり、上高地では吹雪。

横尾の冬季小屋には13:00過ぎに付いたが、やることもないので、明るいうちからさっさと寝てしまった。

12月31日

3:00起床、4:30出発。

天気は曇り、たまに晴れるが一時雪。

1ルンゼをつめ、7:00頃にはT4尾根取付きに到着。

順番待ちの場合は、ディレッテシマルート経由でT4まで登るつもりだったが、先行は1パーティのみ、しかも2人パーティなので、そんなに時間はかからないだろうと思い待つことにした。

結果はかなりの時間を待つことになってしまったが、スラブには氷はなく、ホールドには氷雪の付着が激しく、登ってみるとかなり悪かった。

1ピッチ目、アブミからダブルアックスでビレイポイントへ、一気に2ピッチ目の終了点までロープを伸ばしたかったが、上がつかえているので細かく切って行くことにする。

2ピッチ目はさらに悪く、先行パーティはセカンドまではまっている。

おまけにアブミが1台と、プレート1枚だけの簡易アブミがヌンチャクとともに残置されている。

残置アブミ最上段から、さらに支点にかかっているカラビナにアイゼンの前爪をねじ込んで立ち込み、フリーからダブルアックスで潅木帯に抜ける。

アブミは後続のユマーリング隊に回収してきてもらう。

さらに潅木帯と尾根上を2ピッチ、ルンゼ状の岩場1ピッチでT4へ。

時間は既に14:00を回っている。

しかも、別パーティが雲稜ルートを登っている。

蒼稜ルートを登っているパーティもいるため、大テラスをあきらめT4泊りとし、荷物を置いてフィックス工作を開始。

せめて2ピッチはフィックスしておきたかったが、上に人がいるため、1ピッチ目終了点から下降、16:00ごろ終了。

1月1日

夜から降雪が激しくなり、何度か除雪を考えたがそのまま朝まで寝てしまった。

4:00に起きるが、ツェルトが埋まって身動きが取れない。

1人ずつ靴を履き除雪、ツェルトをはり直し、再び潜り込んで朝食。

快晴のなか、登り始めたのは8:00近かった。

フィックスをユマーリングし、2ピッチ目へ。

5mほど登ったところで、フリーを1ポイント省略しようと思いアングルピトンを打ったが、カラビナにアングルがたくさん通るよう携帯用に付けてあった4mmスリングに、不用意にアブミをかけたらスリングが切れて墜落、せっかく登ったのにビレイヤーのすぐ上まで戻ってしまった。

再び登り直し、ピナクルを回り込んで3ピッチ目のビレイポイントへ。

3ピッチ目は最初ピンが全然見当たらなかったが、雪を払うと次々と現れ、ほぼ人工でピナクルへ。

さらに雪の詰まったバンドをダブルアックスで扇岩テラスへ。

時間は既に14:00、この時点で当初計画していた屏風の頭経由での下山をあきらめ、テラスに不要な荷物をデポする。

4ピッチ目はA1の人工、5ピッチ目は後続のユマーリングを考え、オリジナルの直上ルートを登ろうと思っていたが、気が付いたら既に右トラバースルートに入っていた。

ハング下をトラバースし、東壁ルンゼに回り込んだところでピッチを切る。

後続2名は、斜上のユマーリングにかなり苦労しながら上がってきた。

17:00を回っていたので本日はここまでとし、50m目いっぱいの懸垂で扇岩テラスへ戻る。

後続2名は、今度は斜め懸垂のランナーの架け替えで苦労している。

さらに大テラスに下り、19:00ごろビバークに入った。

1月2日

寝たのが22:00と遅かったため、5:00起きにした。

今日は朝から雪が降っている。

扇岩テラスに登り返し、50mのユマーリングで昨日の到達点へ。

6ピッチ目、東壁ルンゼ内の1ポイントのフリーが悪く、エイリアンの人工でテラス状のビレイポイントに這い上がる。

続く最後の2ピッチが核心となった。

7ピッチ目、ルンゼ状スラブに氷がびっしりと張り付いている。

傾斜は約60度、アイスグレードで4級程度だと思うが、何分氷が薄い。

多分使えないと思うが、アイスハーケンのたぐいは1本も持参しておらず、残置地支点も下から見る限り1本も見当たらない。

何よりも、満月のような前爪の岩専用のアイゼンが心もとない。

ビレイポイントは浅打ちボルト3本だが、周辺にハーケン、ボルトが数本乱れ打ちされているうえ、テラスの下部には立派な立ち木まである。

一応ロングフォールに備え、立ち木にテンションが掛かるように上のビレイポイントと分散荷重にしてもらい、周辺のハーケン、ボルトを連結し、最初の衝撃はそこにかかるようにロープをセットして出発。

10mほど登り、傾斜が一段と強まる手前でアックスにテンションを取り休憩、ぶら下がりながら右側壁の氷雪を叩き落としたら残置ハーケンを発見。

ついでにクラックにエイリアンをねじ込み、固め取りする。

使える氷の幅は狭く、流心をはずれると、アックスが岩をたたき火花が散る。

このころから降雪が一段と激しくなり、ものすごい量のスノーシャワーを一発食らった。

さらに10mほど登ったところで右側壁にボルトを発見、さらにロープを伸ばし、左露岩の雪を払ったらボルトが出てきたところで「あと5m」のコール。

ハーケン2枚をねじ込んだが、1枚の効きがあまい。

しかたなく、生涯使わないと心に決めていたボルトを1本打ち足した。

8ピッチ目、ルートは氷から雪交じりになってくる。

傾斜は幾分落ちてきたが、氷雪は安定しておらず、だましながらの登はんが続く。

残置支点も発見できなくなり、あまりにも頼りないブッシュを掘り出し、一応ランナーをセットする。

25mほど登ったところで金属物のようなものを発見。

待望の支点かと思って雪を払ったら、バイルが氷雪壁に刺さっていた。

リストループにはカラビナがかけてあり、ここまで来て行き詰まり、バイルを支点にして下降したらしい。

有り難く回収させていただき、さらにロープを伸ばす。

「あと10m」のコールがかかったころ、雪壁のどん詰まりにある最初の潅木に到着。

掘り返して見ると、下からハーケン、ボルトが連打された岩も出てきた。

正確な終了点はどうもよくわからないが、この辺で多分終わりだろうと思い、ここから下降開始、13:30。

東壁ルンゼ沿いに2ピッチ、そこからルンゼを離れ、オリジナル直上ルートどおしに2ピッチの懸垂で、ほぼダイレクトに扇岩テラスに到着、15:00。

かなりの降雪量で、朝登り始めた時よりテラスが一段上がっている。

テラスで上の2人を待っている時、朝から気になっていた1ルンゼの雪崩の一発目が出た。

大テラスに下って大急ぎで装備を撤収。

大テラス下側の支点からだと1回の懸垂でT4に届くが、埋まっていて使えないため、通常の支点から目いっぱいスリングを伸ばし、その末端から懸垂したら下まで届いた。

T4の支点は埋まっているので、1本目の立ち木までクライムダウンし、そこから懸垂。

さらにブッシュを支点に1ピッチ下るが、尾根の形状が変わるほどの雪で、途中から左に寄り過ぎたため、腰までの深雪にあえぎながら軌道修正、40mほど伸ばしたらロープが引けなくなってしまった。

富安君に途中まで降りてもらいロープを掛け直したら、今度は引きロープと反対側のロープがブッシュにからまって来なくなった。

仕方がないので富安君に尾根を少し登り返してもらい、できるだけ上の方でロープを切ってもらったら40m以上回収できた。

もたもたしているうちに真っ暗となり、ヘッドライトを付けての下降となる。

50mロープシングルでT4尾根2ピッチ目の終了点へ。

1ピッチ目上の支点に行くには、かなり左に寄った斜め懸垂となるため、回収できた40数mのロープをフィックス、末端に八の字を作り、そこからさらに懸垂するという荒業を敢行。

しかし、降雪と尾根上からのスノーシャワーで、2日前に登り始めた時より取付きが2m近く上がっており、1回目のフィックスロープの懸垂で、あっけなく下まで届いてしまった。

続いて倉田さんが降り立った時に、1ルンゼ上部から轟音が聞こえてきた。

2人で側壁に張り付いていると、約30秒間程度、暗闇と風雪で何も見えないが、背後を雪崩の音が通り過ぎて行った。

規模の大きなものはしばらく出ないとは思うが、降雪は続いており危険な状態に変わりはない。

デブリの跡を下るのが最も早いが、恐ろしいので、左側の樹林帯沿いに下降する。

途中からトップを代わってもらった富安君が、腰までのラッセルを物ともせず、ものすごい勢いで駆け下って行く。

「1分1秒を争うから急げ。」

と言っていた本人は、最も荷物が軽いのにもかかわらず、2人から遠く遅れながらよたよたと付いて行く。

樹林帯に入ると、2人の姿は完全に見えなくなった。

もう大丈夫かと思ったが、5年ほど前、当時はまだあった樹林帯の岩小屋の中で休んでいたら、上を雪崩が通過していったことや、出合いの川原に達する規模の雪崩も出る事を聞いていたので、休まないで下降を続けた。

ふらふらになって川原を渡り、対岸の登山道についたら、2人はずいぶんと長い間、荷物も置かずに待っていてくれた。

横尾の小屋に入ったのは、20:00近かった。

1月3日

8:00ごろ起きたが、なかなか誰も寝袋から出ようとしない。

ゆっくりと朝食をとり、装備を整理して10:30ごろ出発。

天気は晴れたり曇ったりで、たまに雪もぱらついていた。

途中、徳沢、明神、上高地、大正池ホテルと、各お休みポイントごとにのんびり休憩しながら帰路についた。

釜トンネルゲート着15:00ごろ。

~最後に~

収穫:
バイル = 1本(ブラックダイヤモンド製)
アブミ+簡易アブミ = それぞれ1台
ヌンチャク = 1本
カラビナ = 7~8枚(どういう訳かいっぱい残置されており、あちこちにぶら下がっていた)

損失:
ロープ = 1本(50m)
カラビナ = 2枚(落とした)
アングルピトン = 1本(前進用、「抜いてきてくれー」と主張するのを忘れた)
ナイフブレード = 1本(懸垂支点用)
リングボルト = 1本(アンカー用)
スリング = 多数