前穂高岳 北尾根IV峰 松高ルート、北条=新村ルート

1999年8月19日~22日
向畑、倉田(記)

8/19

当初、屏風のトリプジョーカーに行こうとしていたが、これからの天気や装備の関係で中止。

天気は晴れていて、もったいなかったけどこの日は涸沢まで。

8/20

3時起床。

4時半出発。

5・6コル経由で、IV峰C沢入口にたどり着いた頃からガスがかかる。

ルートが良くわからずいつのまにか松高ルートの3ピッチ目取付きにいることに気づく(9時半頃)。

右下のほうに甲南テラスとT1らしいものが見える。

雨もかなり降ってきたので、当初北条・新村ルートに行くはずだったのをあきらめ、そのまま松高ルートへ。

残り4ピッチは、岩が乾いていたらきっと快適なんだろうけどなあという感じ。

始めのフェースは向畑さんリード。

次、倉田リード。

岩が濡れていて怖かったので、ピンを思いっきりつかんで登る。

次、15mを向畑さんリード。

最後左上するところ、倉田リード。

終了点に13時頃。

下降路は、IV峰まで遠かったがIV峰経由で北尾根へ。

IV峰まで、かなりの(しかも大きい)浮石があり、下で登っている人がいたらやばい感じ(地震の影響がまだ残ってるのかな)。

IV峰下り始めたのが14時半ぐらい。

5・6コルまでの下りで2ポイント悪いところがあり、クライムダウンで私は密かに泣きが入ってしまう。

16時に5・6コルで、17時に涸沢につく。

ここは天気が良く、(尾根上だけガスが掛かっている。)

生ビールがうまそうだった。

(飲まなかったのが悔まれる~)

8/21

この日は、Dフェースの都立大ルートに行こうとも言っていたが(気持ちだけデカイ^^;;)、涸沢天気予報で、(テン場の前に貼り出される予報でぴったしかんかんで当たる)また天気が良くないのがわかっていたので、確実な北条=新村ルートにする。(昨日登れなかったので悔しかったのもある。)

起床3時。

4時半出発。

9時頃、取付きから登攀開始。

1ピッチ目向畑さんリード。

次2ピッチ目、倉田リード。

登るにつれてだんだんガスが濃くなってくる。

3ピッチ目向畑さんリード。

4ピッチ目倉田リード。

核心IV.A1だがピトンも効いていて、ラダー。

しかも岩も堅い。

フォローの向畑さんは2つあるハングの最初のハングを人工ではなくフリーで越してくる。

次のハングはフリーでは無理だったとのこと。

5ピッチ目向畑さんリード。

ピナクルから右へトラバースして左上。

このピッチのトラバースでは使えるホールドが全てぐらぐらしていてさすがの向畑さんも一部人工。

このルートの実際の核心はここのような気がする。

6ピッチ目倉田リード。

フェースから凹状。

岩がぐらぐらしていてIII級らしいが気分的に悪い。

凹状登っている時にまじめに雨が降り始める。

ぶよぶよの草つきがよけいぶよぶよになって、だましだましのぼる。

2人ともここで全身ずぶぬれ。

終了点が良くわからず途中で切る。

向畑さんに登って来てもらってそのまま登ってもらうと、這い松を掻き分けて少し右上して終了点だった(14時頃)。

昨日クライムダウンした北尾根の下降は、懸垂点が右に回りこんだところにいくつかあって、懸垂で下る。

19時頃涸沢着。

私はまたもや、よれよれ。

でも明日は滝谷に行こうと言っていたが、結局天気が悪いのであきらめ、この日はやけ酒飲む。

8/22

朝ゆっくり起きて、とろとろと下山。

今回、ぶよの大群につきまとわれ、かなり刺されたが、坂巻温泉に入ったら不思議とかゆみがおさまった。

虫刺されに良く効くみたい。

 

 

日原 小川谷 カロー川谷

1999年8月22日
瀧島、関、畠中(記)

その日は暑かった。

絶好の沢日和だった。

そして、それは突然だった。

私はゆっくりと沢タビを履いた。

ハーネスを手に取りはこうとしたその瞬間、体に電気が流れたような感じがした。

キジだった。

草むらで朝日を浴びながらのんびりとキジを楽しんだ。

生きていて良かった。

さらば我がキジよ。

余韻に浸りながら満足気に車に戻ると、頭を抱えている一人の30歳目前の大人がいた。

S:「あー」

H:「どうしたんですか?」

T:「こいつよー、もー、どうしようもねえんだよ。」

H:「だからどうしたんですか?」

S:「沢靴がない。」

H:「へっ?」

S:「沢靴忘れちゃったよー。ごめーん。」

H:「また?またっスか?」

T:「太郎、おまえ帰りにソバおごれよ。」

S:「はい。」

H:「天ぷらも付けてね。」

というわけで、奥多摩まで戻り、わらじ(700円。売ってるんですねー。)を買って、ルートも小常木谷からカロー川谷と変更になった。

9時50分に取り付き、14時に長沢背稜の縦走路に抜けた。

小ぢんまりとしていてなかなか良い沢だった。

ロープは使わず。

その後、一杯水避難小屋経由ヨコスズ尾根下山。

関君、次は頼むよ。

 

 

北アルプス 錫杖岳前衛壁 左方カンテ、1ルンゼ

1999年8月20~21日
三好(記)、朱宮(千葉大学山岳部OB)

先週の屏風で順番待ちはもうやだという気分になったので、人気の左方カンテを平日に登ろうと休みを取った。

朱宮とは同じ研究室に居たのだが、まだ学生をやっていて土日も休みがないような生活をしている。

今回は気分転換に久しぶりに岩に行こうということになった。

前夜、横浜21:00に出て、中央道を使ったが新穂高には2:00に到着できた。

車の中で中で仮眠する。

8月20日(金)

朝からくもっている。

6:00には歩き出し、7:30には錫杖沢の岩小屋に到着。

半年も運動していない人に遅れをとり、バテている自分に腹が立つ。

岩小屋にテントを張ってから、左方カンテを目指す。

取りつきの北沢はどこかと思ったら、北沢は岩小屋の目の前から派生している沢であった。

うろうろして、結局左方カンテに取り付いたのは、10:00。

さすがに誰もいない。

最初の2ピッチは問題ないが、3ピッチ目でバンドをたどってチムニー状に入って行かずに、尾根状を直上してしまった。

でも、少なめだが残置ハーケンが続いていて、この後2ピッチ分、三好リードで、じりじり進む。

雨が降ったり、晴れたりだったが、フェースなのでちょっと雨宿りをすると岩が乾いてくる。

途中、傾斜もありちょっとA0してしまったのが悲しいが、この日はここが一番楽しめたかもしれない。

一般的なルートを外したとは言っても、錫杖の岩は硬く、指がカチッと決って、とてもいい感じだ。

正規ルートに戻り、板状の岩が倒れ掛かっているⅤ+のピッチの下に着くと、雨が本降りとなってしまった。

ちょうど雨宿りにいいテラスなので、じっと待つ。

小降りになったところで朱宮リードで登り始めたら、また、雨が強くなった。

フリーで行けば楽しいだろうになと思いつつ、仕方なくA1しまくりで登り、あと1ピッチを残して終了とする。

もう16:00だ。

寒い寒いといいつつ、取りつきに戻ったのは18:00。

「また天気がいい日に来るぞ、左方カンテ」と決意しつつ、さっさと寝る。

8月21日(土)

4時に起きようと言っていたのだが、朱宮が呼び掛けてもゆすってもぴくりとも動かない。

本気でどうしようかと思った。

単に、ずっと夜型生活を送っているので、夜中の2時まで寝れなかったらしいのだが。

いつでもどこでも(すごく寒い時は別)眠れる自分って幸せだなぁ。

5時半頃、仕方なく棒ラーメン(なんと、喜多方ラーメンという名前で、太麺なのだ)を作っていたら、朱宮がやっと動き出す。

今日も朝から曇っていて、いつ雨がぱらついてもおかしくないような感じだ。

左方カンテから下降してゆく踏み跡をたどると、1ルンゼのF1への取りつきがある。

7:00登り始め。

交互にリードして順調に進んで行く。

所々濡れたままだけど、ホールドがきちっとあって、簡単すぎることも難しすぎることもなく、とても楽しい。

左方カンテの方向から1パーティの声が始め聞こえただけで、岩場を独占しているような感じがたまらない。

ピッチを切れそうな支点はたくさんあり、適当に切って行ったら、核心といわれるV、A1の手前で私のリード(4ピッチめ)が終わってしまう。

9:30。

ちょうど雲が晴れたので、休憩して周りを眺めつつ、ルートをちらちら恨めしそうにみていたら、「次もリードしていいよ」と言われる。

クラック沿いはまだ濡れ濡れだったので、素直にA1したためか、難しくは感じなかった。

ただ、まだ慣れていないので時間がかかり過ぎる。

あともう1ピッチを登って計6ピッチで終了。

12:00。

ちょうど雨が降ってきたので、さっさと同ルートを下り始める。

しかし、ロープの末端側が岩の窪みに引っかかるなどして、途中2回も登り返しをするはめに。

始めは快適に登れた場所も、雨に濡れていると、あまり楽しくないということがよくわかった。

取りつきまで戻ったらすでに16:00。

F1にもちゃんと水が流れていた。

明日登る予定の3ルンゼを見に行く。

なかなか乾きそうもないルートだ。

ちょっと、温泉に行っちゃおうか気分になるが、明日の朝決めることにしてテン場に戻る。

雨がだんだん強くなってきた。

でも、テン場は岩小屋で、まったく雨がかからない。

「錫杖はいい所だねぇ」とのんびり豪勢な焚き火をして、満足感に浸る。

8月22日(日)

朝も雨。

ついでに朱宮が左目が痛くて開けないというので、おとなしく下山。

こういう時にアプローチが短いというのは大変有り難かった。

結局、月曜日に眼医者に行ったら、角膜が傷ついていたとのこと。

1ルンゼで、コンタクトレンズが外れそうになったのを入れ直した時にやってしまったらしく、連続装用なので、そのままにしておいたのもまずかったらしい。

コンタクトレンズに慣れすぎると、眼の中のゴミや汚れが気にならなくなってしまうようだが、放っておくとこんなこともあるので注意しましょう。

朝日連峰 八久和川遡行

1999年8月10~14日
関、水柿、大滝(記)

「八久和の思いで」

大きな沢は二十代中盤の頃に、同じ朝日連峰の竹の沢に行った事がある。

沢中二泊、泳ぎも入る本格的な沢は初めてだった。

真剣に雨が降らない事を祈って遡行した。

結果は新潟に1月雨が降らなかった夏だったので、増水もなく、毎日快適に泳ぎ、歩き、攀じることができた。

この時の為に渓流釣り道具を購入したが、少雨で岩魚が岩陰に隠れていて、三人パーティ全員とも坊主だった。

トホホ。

この頃から八久和の事を知り、何時か行ってみたいと憧れつつ、やっと念願が叶った。

8月9日

PM10:00

大滝車で大滝家を出発。

帰りの渋滞が心配だったので、関君の車を大滝の駐車場に置いておいた。

8月10日

AM5:30

500kmの道を三人交代で運転して、八久和湖に着いた。

夜明けの山並みは美しかった。

途中の八久和ダムへの分岐では、月山ダム建設中で進入出来ず、上田沢経由八久和峠越えで入山した。

月山ダムが完成した後には進入出来るそうだ。

AM6:30、24℃ 出発

踏跡ならぬ、しっかりした登山道を進む。

鬱蒼としたぶな林が延々と続く。

左岸から出合う沢を確認にながら歩くが判らなくなってくる。

フタマツ沢出合いでは、沢を渡ると小高いところに墓場があり、左に踏み跡があるので左折する。

しばらく行くと八久和と平行し、左を気にしていると、急な降りる道がある。

道は直進しているので、ぼうっとしていると行き過ぎてしまう。

沢には増水時用のロープが張ってある。

AM9:00

沢の足拵えをし、ザックも防水仕様にする。

わくわくしてくる。

八久和を渡渉し、再びぶな林の踏跡を進む。

ベンノウ沢手前に沢に降りる道があったので、早めに八久和に降り立つ。

いきなり泳ぐ。

ザックを浮かべて、水中で両手でポーンと先に押し出してやって、その間に泳ぎ、ザックと一緒になったら再びボーンと押して泳ぐ。

これを繰り返す。

エメラルド色の美しく明るい淵の連続を、泳ぎ、へつり、越えていく。

楽しい。

AM11:46

カクネ沢出合い通過。

延々と広い河原が続く。

芝倉沢出合い辺りで釣り師4人が下山してきた。

小国出合いでは、2人の若者が泳いで遊んでいた。

小赤沢出合い手前に3~4人泊まるのに丁度良い砂地があったので、泊まる事にした。

薪がふんだんにあった。

PM3:50

満天の星空の下、平らな砂地にシュラフカバーに入ってごろごろ寝た。

8月11日

AM5:00

起床21℃  晴れたが雲多目。

朝から焚き火をする。

AM7:00 出発

涼しいので長袖一枚で行動する。

しばらく行くと、浅瀬に尺以上ありそうな岩魚が横たわっていた。

死んでいるのかと思って、尾に触れてみると弱く動く。

死の近いことを悟って自ら浅瀬に来て、死を待つのだろう。

潔い最期に身を正すものを感じ、この大いなる川で生きて来た魚の一生を思う。

茶畑沢出合いは、立派な滝があるので分かった。

大ハグラ石滝は、滝と言う形でなかったので、良く分からなかった。

自然プールと言うのは、下流側が堰堤の様になっている。

その奧に泳げない淵が出て来たので容易な岩場を右から巻く。

下降点が分かり難かったが、最奧の地点を4m程空身でクライムダウンして、ザックをロープで降ろした。

その後、流れが速いので空身でロープを引いて泳ぎ、後続を引いた。

平七沢出合いは広い河原で、釣師のテントが一張あった。

岸にナイロン紐があったので引いてみたら、20cm位の岩魚が縛られていた。

AM9:40

河原を歩き続けると、オツボ峰と天狗ノ角力取山を結ぶ道を見る。

岩屋沢出合いのすぐ先にナイロン紐のある踏跡が確認出来たし、左岸の一段上がった所にテントが張ってあってその奧に踏跡が見えた。

オツボ沢が合流する長瀞では、泳いで行って一旦右岸に這い上がり、高巻きを考えるが、やばそうなので左岸に飛び移り、数メートルトラバースして越えた。

小鱒滝は、左に高巻き道があったので楽に巻けた。

広い河原が出てきたので2泊目とする。

PM2:50

降雨が心配になってきたので、フライ付きでツエルトを張った。

焚き火をしていたら降ってきたので、フライの片側をタープ状に張り直して炊事していたら、止んだので焚き火再開。

夜、大滝だけツエルトで寝ていたら、蚊が沢山入り込んで大変だったので、皆と河原で寝た。

深夜、ぽつりぽつりと降って来た。

起き出すのも面倒なのでゴアのシュラフカバーに入ったまま、気にせず寝ていた。

しばらくしたら水柿君がとうとう我慢出来ず、フライの下に逃げ込んだので、関君と大滝も避難した。

8月12日

朝には雨は止んだ。

何と、前夜の火種が残っていたので、焚き火に容易に火が着いた。

雨にも負けない焚き火は偉い。

AM6:45 出発

小鱒沢出合いでは、一旦、小鱒沢に入り、右に注意していると巻き道がある。

呂滝は、でかい釜を持ち堂々としている。

ただルート図には、右から沢が入っているが、認められなかった。

ここは右岸を容易に巻ける。

弁天岩滝は分からなかった。

この辺りから、上部い来た、と言う感じがしてきた。

これまでは両側は森だったが、これからはブッシュと草付きだ。

岩は赤っぽくなって千畳敷と言う感じの面白い造形が続く。

西俣沢は出合いに滝があって分かりやすい。

それを分けると本当に狭い廊下になっていて、膝から腰ぐらいまで浸かって進む。

いよいよ中俣沢に入る。

しばらく行くと、大きな釜を持った滝が出てきたので、右岸を巻いた。

次にロープが必な滝場になり、左壁のブッシュとのコンタクトラインを登る。

2ヶ所ブッシュでランニングを取る。

3級15m。

スノーブリッジが登場し、素早く潜る。

右岸から合わさる8m、C・Sは明瞭。

くの字滑滝の高巻きは、恐い岩登りでランニングも取れない。

関君リードで12m。

抜けた所にハーケンを打って迎えてくれた。

部分的に4級に感じた。

これから先、登れない滝が連続して望見されるので、右岸の大高巻きに突入する。

高度を稼ぐと、雪渓S字状が見える。

長い長い高巻きを終えると、雪渓S字状の上部に案外すんなりと降りる事が出来た。

あーしんどかった。

PM2:00 連瀑帯手前

いよいよ、ハイライトの連瀑帯に来た。

本当に10ヶ位次から次ぎへと滝を懸けている。

ぐいぐい登って行く。

物凄く楽しい。

半分辺りで右岸のカンテ状を登って行く。

一ノ倉沢中央稜の1P目をもう少し簡単にした感じ。

喜びに胸を攀じて行く。

結局ロープを出さず登ってしまった。

後で聞いたら、水柿君はロープを出して欲しかったそうだ。

すいません。

抜けた所はいきなり草原。

メルヘンの世界に早変わり。

ひたひた、ばしゃばしゃと進んで、PM3:45、登山道にでた。

小雨の中、狐穴小屋に投宿した。

小屋は綺麗な二階建てになっていて、素泊まりのみ1500円。

夏期のみ管理人有り。

夕食の後、疲れが出てきてすぐ寝てしまった。

8月13日

帰ろうと思えば、今日中に帰れるが、折角、東北まで来たのでゆっくりしようと言う事になり、ゆっくり寝てゆっくり出発した。

以東岳経由で大鳥池小屋へ、素泊まり1500円。

朝日連峰は、自然保護の為、大鳥池キャンプ場以外は、幕営禁止になっている。

8月14日

下山。

泡滝ダムから大鳥部落の民宿「朝日屋」まで臨時バス。

ここで路線バスに乗り換えて、上田沢駅下車。

朝日屋で予約しておいたタクシー(落合自動車℡0235-53-2121)で八久和湖の大滝車へ。

料金7090円。

帰路、湯殿山ホテルの(400円)温泉で汗を流し、併設の食堂で飯を食らい、東北道へ。

高速も混んで来たので、郡山で常磐道に変更したら、これが当たって夜11:30に大滝家へ着くことが出来た。

山行経費 各15000円(交通費、山小屋代)
装備: ロープφ9-40m 1本、ツエルト、フライ、コンロ、ボンベ2個、
バイル各自(実際に使ったのは、関君がくの字滝の確保でハーケンを打った。)

1999年 この夏は残雪がほんの少ししかなかった。

 

 

黒部別山チムニー状ルンゼ~丸山南東壁ダイレクト

1999年8月7日~9日
瀧島、三好、本郷(記)

8月6日

の夜、免停中の本郷の車で八王子を出発。

(もちろん運転はしていない)1時過ぎに扇沢に到着し、少し飲んでから寝た。

今回の計画は、別山チムニー状ルンゼから丸山東壁である。

暑いことは最初から解っていたが、結局最後まで苦しめられた。

8月7日

寝過ごして1番バスに乗れず、飯も食わずに8:00のバスに乗った。

あいかわらず物凄い人の数で面食らってしまう。

黒部ダムで水を汲んで出発。

先頭を行く瀧島さんは張り切ってズンズン歩き、最後尾の三好さんはコンパスの違いからずっと走っている。

内蔵助谷出合に9:00に到着。

ここから日電歩道となるがまだ開通前なのでところどころ悪い部分もある。

大タテガビン沢出合にもデカイ雪渓が残っており、通過する時涼しい思いが出来る。

大ヘツリ左ルンゼのあたりでついに通過不可能かと思えるブロックに遮られる。

ここで水汲みをして1時間くらいどうするかミーティングするが先の雪渓が悪そうで行けそうもない。

そしたら、日電歩道を整備しているオッチャンが向こうからヒョコヒョコ歩いてきた。

「そちら行けますか~」と聞いたら

「ここから先は問題ないチャ。」と言うので拍子抜けした。

そんなことで、結局チムニー状ルンゼについたのは12:30になってしまった。

さて登ろうかと思ったら、ザーと雨が降り出した。

なんでこう~なるの。

1時間以上待って小降りになってきたので瀧島さんのリードで出発するころには14:00になっていた。

全装備を背負っているが、ルートは快適で、フリクションの効くスラブが続いて気持ちがいい。

8か9ピッチ登ったあたりで二俣になり、どっちに行くか迷ったが右へ行った。

(本当は左、後で調べたらここはチムニー状ルンゼ右俣で一応ルートになっているようである。)

そろそろビバーク地を探しながら登るがいいところが無い。

本郷がロープを付けて奥壁が見える方へ2ピッチ程さらに登ってみるが傾斜が強く寝るところがない。

そこでいいところまで降りようと懸垂を始める。

1ピッチ降りたところで懸垂ロープを回収しようと引いた時、足場が崩れそこをきっかけに落石が起こる。

本郷のヒザに5、6発命中。

ヒザが伸びたところに上から当たったので、外側側副靭帯を傷めた。

そこで、明日は上に抜けるのを諦めて、同ルート下降することにしてビバーク地で酒を飲んだ。

翌日、下降に入るが残置は少なくほとんどブッシュでの懸垂であった。

足の具合を見ながら2人に遅れてゆっくり歩いて内蔵助沢出合へ向かった。

明日の丸東はなんとか登れそうだ。

14:00にテン場について、早速酒を飲みだした。

しばらく、飲んでいると大荷物を背負った寡黙な人がテン場に歩いてきた。

なんとビックリ小谷さんであった。

畠中君が付き合ってくれず一人でのデポ回収だとのこと。

ダブルボッカで往復しているとのことで真の岳人は違うなあと感動した。

その晩は小谷さんを交えての楽しい夜となった。

翌日は、気合入れて3:00に起きて、3:30に出発。

小谷さんに見送られて丸東へ向かう。

取り付きに4:30。

5:00に本郷リードでダイレクトに取付こうとするが、なんだかトポとずいぶん違う。

草付クラックで階段状となっているが、ぜんぜん階段状でなく、草が元気に生えすぎていて、しかもほぼ垂直。

古い残置ハーケンが所々草の間から見えるが、登っている感じがしない。

無理すれば登れるが、下部は登研ルートを登ることにした。

1ピッチ目と2ピッチ目は、特に悪くもなく3ピッチ目を三好さんに変ったらここがかなり悪かった。

草付をだましながら登る神経を使うピッチであった。

4ピッチ目は、島テラスまで。

この辺から太陽が昇りもの凄い暑さで、昔の岩雪に書いてあった8月の丸山はフラットソールの底が融けるようだというのを思い出した。

本当に融ける寸前であるのが解る。

以前に8月の丸東は3回登っているが、これだけの暑さは始めて。

島テラスからは、瀧島さんのリードで登りだす。

2m程のハングを超えてハンギングビレー。

三好さんは、本格的なハングは始めてということで少し時間が掛かったが乗っこしてきた。

次の5mのハングを超したら終了なのだが、あまりの暑さにここで敗退することにした。

根性無しと言われようとも、もう我慢の限界であった。

同ルートを空中懸垂で降りる。

今回は、満足の行く結果ではなかったが、暑さがある程度の充実感を与えてくれた山行であった。

特に、別山には惚れた。

帰ってからルートを見ていたら行きたい所がいっぱい出てきた。

しばらく、通いたいところだ。

最後に、瀧島さん、三好さんにはけがで迷惑をかけて申し訳なかったです。

以上

 

 

トリノ小屋 今ツアー中、唯一のイタリア体験

1999年8月3日(火)
桜井、中嶋(記)

トリノ小屋に入っていってまずチェックイン、予約はあるかと聞かれ桜井さんが「無い」

と答えると、受け付けのお兄ちゃんは「No problem!」

と軽いノリと大きなアクションで答えてくれた。

払いはリラが基本らしく、当然といえば当然なのだがこれでイタリアを実感した。

フランへの単純な計算式があるらしく紙に書いて一生懸命説明してくれて、出したフランを「ウーノ、ドゥーモ、トゥーレ、カトロ、チンクエ…」とリズミカルに一生懸命数えていた。

バーでビールを飲んでいると、さっきのお兄ちゃんを含む従業員らしき人達がとにかくみんな、ひたすら早口(に聞こえる)でしゃべりまくってじゃれたりしている。

これがイタリアかと酔った頭でひそかに感激していた。

トリノ小屋からの景色は素晴らしく、南を見るとモンテ・ビアンコやモディとそれらに突き上げるプトレイ稜やブレンバ側稜が見え、北を見れば明日登ろうと思っているダン
デュ ジュアンが見える。

でもイタリア側のアオスタの里の風景もとても素敵で、いつかは車で気ままに回ってみたいなあと思いながら、小屋のテラスから随分長い時間眺めていた。

夕食の時間をはっきり聞いていなくて、せいぜい夕方6時くらいだろうと思っていたらなんと8時からだった。

7時半くらいにはかなり良い匂いがしてくるのだが、学食のような食堂では入り口に宿泊客が並んでいるのを気にもせず、食堂のテーブルでまずは従業員が皆で夕食を食べていた。

かといって、並んでいる客がイライラしているかというとまったくそんなことは無く、誰もが楽しそうに一生懸命に会話を楽しんでいた。

ほかにもチェスをやったり山のトポをみて議論していたり、なにしろ一生懸命に自分の事をやって有意義に過ごしている感じなのだ。

待ちに待った食事はとってもおいしくて事実上おかわり自由、従業員との交渉次第でなんでも可能な感じだった。

ワインもおいしかったし、まわりの宿泊客(全員登山者)の様子を見ていても楽しかった。

食事の時間帯は日本とヨーロッパの価値観の違いを一番強く感じた。

さて、翌日無事にジュアンを登って小屋に戻ったのが13:00頃、荒天のためゴンドラが動いているか気になる。

小屋のおばちゃんに桜井さんがとりあえず「英語はなせるかい?」

と尋ねたところ、片足をイスにかけその上に肘を置いて、自信に満ちた笑みを浮かべて

「NO!」

と答えてくれた。

客のおじちゃんが通訳してくれたが、いろいろ話したあげくよくわからなかった。
しかたが無いのでエルブロンネルの駅まで行くと、案の定動いていなかった。

整備のお兄ちゃんをつかまえて「シャモニに帰らせてくれ~」

と主張しておいて、後はやることもないので駅の茶店でビールを飲んでそこらの雑誌を見たり、何故かエスキモー展をやっている駅をうろうろしたりして暇をつぶした。

2時間くらい待ってようやく動かしてくれて、他にフランス人クライマー2人と我々の計4人のためにすべてのゴンドラが動きはじめた。

風が強くてゴンドラがえらい揺れてなかなか怖かった。

ガスの切れ間からたまーにジュアンとかカピュサンが見えてかっこよかった。

また、こんな嵐の中行動している人がけっこういてびびった。

こうして無事シャモニにもどることが出来たのでした。

 

 

モンブラン山群 ダン・デュ・ジュアン一般ルート

1999年8月3~4日
中嶋、櫻井(記)

天候不順、氷河の状態、メンバーそれぞれの体調などを考えてビバークを必要とするようなルートはもうできないと判断していた。

しかし、シャモニー滞在の最後に、ある程度手応えのあるところに行っておきたいという気持ちも強くあった。

トリノ小屋はミディのケーブルカーからゴンドラに乗り継ぎエルブロンネルというイタリア国境のケーブル駅にある。

モンブランとグランドジョラスをつなぐ尾根の上標高約3400mに建っている。

このトリノ小屋をベースに2日間でグランカピサンとジュアンのふたつを登ろうという計画をたてた。

8月3日 シャモニーからトリノ小屋

朝5:00まだ暗いアパートの窓からのシャモニー針峰群はどんよりとした雲の中にある。

まだ寝ている人たちを起こさないように気使いながらキッチンで立ったまま堅くなったバゲットにスープを浸してかじって飲み込む。

ミディのロープウェイ駅までは歩いて10分かからない。

早朝の石畳の道には午後の雑踏では感じられないすがすがしさがある。

駅に着くとクライマーが20人くらい出発待ちをしている。

天気予報が悪いので、いつもと比べてとても少ない。

エルブロンネルまでのチケットを求めようとすると、悪天でミディーから先のゴンドラの予定が立っていないため、チケットは発売できないと断られる。

そうではないか、という予想があたってしまい駅の入り口の階段でぼんやりとしていると、今度は雨が降ってきた。

見知らぬフランスのクライマーと「この天気じゃねえ」と目で話をする。

「とりあえず、出直そう」ということで、アパートに戻る。

昼近くなると青空が戻りアパートからモンブラン方面も見えてきた。

残り日数もなくどうなるかわからないが、ワンチャンスに賭けてトリノ小屋まで入っておこう、と気をとりなおして昼過ぎにまた出発する。

この間の気持ちの整理とモチベーションの維持にはエネルギーが必要で、しかも繊細なこわれやすいものだった。

今度は順調にエルブロンネルまで乗り継ぐことができた。

ゴンドラの中からはモンブラン山群の主だった山をすべて見ることができた。

残り1日となった翌日のルートをカピサンとジュアンのうちどちらにするかを決めていなかったが、ここでジュアンにすることに一致した。

カピサンは技術的にはジュアンより上でムーブは楽しめるはずだが、このゴンドラから見るといかにもモンブランタキュールの前衛峰であり山としての存在感に欠ける。

一方のジュアンは支稜の上にどっしりと根を張り、青空をバックに尖塔を突き出し堂々いかにも「巨人の歯」である。

アルプスらしい、高所の山旅気分を優先することにした。

駅の展望台で展望を十分楽しみ、無料の双眼鏡でジュアンのルートをしっかり下見し、ここまでいっしょに来た妻と別れる。

トリノ小屋までは安全な雪面を200mほど歩けばいい。

ちなみにこの駅の出口の扉には

「ここから先は高山の世界であり十分な準備をし、リスクを認識した者だけがこの扉を開けることができる」

といった趣旨の警告が書かれている。

気持ちのよい、自己責任の表現だった。

トリノ小屋はイタリアだった。

従業員は皆それぞれ個性的で明るく、かたことの会話でも楽しくなってくる。

客は皆クライマでそれぞれ翌日のルートを考えている。

イタリア人、フランス人、スイス人…アジアからは我々2人だけだった。

盛り放題、お代わり放題の夕食もおいしく、楽しかった。

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翌朝、相部屋になったスイス人パーティの目覚ましが鳴った。

4:00前、ひとりが窓の外をのぞいている。

「How’s the weather?」私が聞くと

「Good」と短く返ってきた。

食堂では、若い従業員がまだ眠い目をしながら給仕をしている。

まだ高校生かもしれない、おどおどしている憎めないやつだ。

8月4日

5:00小屋発

ジュアンには不要なものを小屋の乾燥室にデポし、出発。

南の空にはやや厚い雲があるが、モンブラン山群は薄雲がすこしある程度だ。

ヘッドランプをつけて行く。

アイゼンが気持ち良く効く。

アプローチは一度ジュアンのコルから下り岩峰を右から巻き込みながら、ジュアンの支稜に取り付く。

同じ方面への5パーティーほども適度にちらばり、気分は穏やかだ。

支稜のとりつきは斧形をした雪面をシュルンドに注意しながらまっすぐ上がり、支稜の肩に出てから今度は右にガラガラの岩稜を上がっていく。

岩稜には残雪やベルグラも時々あらわれる。

ロープは使わなかったが短いⅣ級程度のムーブは出てくる。

7:30 ジュアンの基部

青空がずいぶんと少なくなって、南の雲が厚みを増してきた。

谷からも雲が湧き上がってどうみても悪化の兆候だ。

ここはもう4000m近いが、慎重にゆっくりとアプローチしたためか、頭痛などは起きていない。

モンブランを速攻してきた中嶋はもちろん体調万全だ。

あきらめるにはまだもったいない天候だ。

プラ靴とアイゼン、ピッケル、ストックをデポしロープをつける。

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8:00 登攀開始

ルートは本峰から40cmほど離れて立つ岩のトラバースを10mほどしたあと、回り込んで本峰に立ち少し上ると、立派な?形の鉄のアンカーに出合う。

このルートは要所に必ずこの鉄ペグが打たれている。

2ピッチ目、さらに左上トラバースをすると、ガラガラのクーロアールにでるのでこれを直上する。

残雪のテラスに出てピッチを切る。

3ピッチ目、有名な残置ロープがここからスラブに続く。

このころになるとジュアンは完全に雲の中、雪まじりの東風がやや強く、岩も冷たく手袋のなかの手の感覚が無く、岩に叩きつけたり脇にはさんだりして回復させる。

毛の靴下を履いてのフラットソールだったがつま先も冷えてジンジンしてくる。

こんなはずじゃなかった、という思いが強くしてくるが、あと数ピッチ、雷さえこなければなんとかなるだろう。

「雷が聞こえたら、すぐ下ろう」

櫻井 と話して、登攀続行。

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条件がよければ楽しめそうなクラックも、太いフィックス頼りにゴボウで登る。

岩も濡れてフリクションも悪くなってきた。

4ピッチ目も同じスラブ。

後半はオープンブック状なところも出てきてフィックスをつかむと体が岩から離れてバランスがとれず苦労した。

風は強く、フィックスやジャージズボンにもエビの尻尾が出来始める。

フィックスを握ると手袋にべったり霜が着く。

5ピッチ目、ルートはスラブからリッジラインになり風下にあるテラスでは一息つける。

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リッジをしばらくいくと遭難プレートが出てきてすぐに南西ピークに達した。

北東ピークにはガスに霞んだマリア像が見える。

ほとんど吹雪のなか、頂上にいたのは3分程度でマリア像に触るのも考えられずすぐに懸垂下降に移る。

3ピッチの懸垂下降で基部の高さまで降りたが、最後の回収でロープがエッジをまたいで引っかかってしまった。

これの回収に登り返し、トラバースをして基部に戻る。

このトラバースは戻るときのほうが難しい。

11:30ジュアンの基部

デポした靴やアイゼンの上にはうっすら雪が積もっていた。

下り始め主稜から支稜に移ればもう風は強くない。

あとは来た道を慎重にたどるだけだ。

ここジュアン氷河の上部は穏やかでクレバスの心配もない。

13:00トリノ小屋

風雨で心配だったゴンドラの運転もなんとか再開されて、その日のうちにアパートにもどることができた。

山旅気分が、上部ではかなり冬季登攀風になってしまった。

よく言われる「5月の北アルプスと同じ」をまた実感した。

ちなみに前後にいたパーティは皆、ガスがかかった時点で引き返しトリノ小屋からこの方面に出たパーティで粘ったのは我々だけだった。

「遠いアジアから来たジャポネは、こんな天気なのにガツガツしているねえ」

とどこかで言われていそうだ。

 

 

赤い針峰群 – シャペル・ド・ラ・グリエール

1999年7月30日
森広(記)、中嶋

アンデックスまでロープウエイとリフトを乗り継いで上がり、ランデックスの下をトラバースする踏み跡をたどって取り付きへ。

ランデックスにも人が多かったが、こっちも順番待ちになる。

ミディと異なり、岩は日本の山のように細かく割れ目の入ったものだが脆くはない。

先行3人パーティの中の一人が日本語で話しかけてくる。

凹角から2ピッチでリッジへ出て、岩峰基部までおおむねリッジをたどり、踏み跡を歩いて岩峰を右から回り、凹角から再びリッジへ出る。

対岸の山が見えれば、きっともっと楽しかったはずだが、あいにく今日は霧の中で何も見えない。

終了点のピークは岩の突起で、しっかりしたアンカーがあり、10m懸垂下降すると広場に下りる。

ランデックスの肩を経てリフトの終点に戻る。

雪合戦にはしゃいでいる3人組とか、短パンでシリセードしている奴とか、変なのがたくさん出ている。

リフトが止まってしまったので、雨が降ってきたせいかと思っていたが、そうではなくてお客が少ないときはある程度お客を溜めてから動かすことにしているらしい。

 

 

ミディ~モンブラン往復

1999年7月27日
森広(記)、中嶋

2時半に目を覚まして外を見ると、すでに遙か遠くまで光の列が続いていた。

我々は4時に歩き出す。

ずっと天気が続いていたので、氷河の上もしっかり道になっている。

モン・ブラン・デュ・タキュルの急な氷河にはいくつものクレバスがあいているが、トレースはそれを避けながら登っている。

3ヶ所ほどクレバスを渡って5時間がかりで急斜面を抜ける。

モン・モディのコルまでもう一段急斜面を登ると、あとは緩やかな、大きな斜面となる。

歩いても歩いてもただ真っ白な斜面が続いているだけだ。

雲が高くなって、いつのまにかマッターホルンも見えなくなっている。

このあたりでモンブランだけが飛び抜けて高いのだということも、頂上に着くまで感じるゆとりはなかった。

山頂は細長い雪稜になっていて、ここまできて初めて見るイタリア側は壁になって落ち込んでいる。

登りは頂上までコンテで歩いてきたが、下りはモディのコルまではザイルなしで歩くことにする。

モディのコルあたりから雪が柔らかくなり、アイゼンに団子ができ始める。

タキュルの急斜面のクレバスは飛び降りる。

急斜面を下りきると、気が抜けたせいかすっかりばてている。

テントまでのごく緩やかな登りが異常に辛かった。

テントに戻ると、まもなく雨が落ちてきた。

雨はまもなく雪に変わり、雷雪となって翌朝まで続き、積雪は30cm程度。

 

 

ミディ南壁 レビュファルート

1999年7月26日(月)
森広、中嶋(記)

シャモニには前日の夕方についたばかりだったので、まだ何の準備もしていなかった。

アパートを9:00に出て、スネルスポーツで保険を買った後森広さんと合流、食糧を買い出ししてからミディへ向かうロープウェーの駅へ向かった。

すごい混雑ぶりで切符を買うと整理券を渡されて1時間待った。

暇だからウンコをしたりサンドイッチを食べたり記録を書いたりした。

日本人観光客の多さにはまいった。

ロープウェーは往復約4000円、高いだけあってその威力はやはりすごい。

ときどき大きく揺れるたびに子供達が騒ぐのがとてもかわいらしい。

ミディの駅では、sortieの表示にしたがって行くとおもむろに氷のトンネルになり、それを抜けるとナイフリッジがはじまっている。

早速準備をして、右下の方にテント村が見えたのでそれを目指して下っていく。

気が付くと右上の方に写真で何回も眺めたミディの南壁があった。

何パーティかが取り付いていて大きさが分かったが、思っていたよりも小さかった。

登ってみると結構大きかったが。

テントを張ってすぐに取り付きに向かった。

1ピッチ目は正規のラインよりも右のラインから取り付いてしまい、これが5.9位の感じで森広さんを消耗させてしまった。

全8か9ピッチくらいですべて中嶋リード。

残置はビレーポイント以外はとても少なくて、フレンズ・エイリアンが有効、岩はカチカチ。

きれいな壁はやっぱりきれいに使った方がいい。

核心はほとんど下部に集中しているが、上部も中だるみはまったくなくて充実している。

チムニーを抜けるとほぼ終了。

エルブロンネル行きのゴンドラが真横を通過するという変なシチュエーション。

下降支点はとてもしっかりしていて5回の懸垂下降で取り付きへ戻ることが出来る。

登って降りてくるまでで、大体5時間くらいかかったと思う。

途中クラックには木のくさびが残っていたりして面白かった。

日本と違って木や草が生えていないのが不思議に思えてしまう。

夜はスーパーで買った良く分からない酒を飲んだが、翌日のモンブランに備えて早めに寝た。