谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩ダイレクトカンテ、烏帽子奥壁変形チムニー

2001年6月9日から2日間
赤井、柴田(記)


昨年9月の午前様の下山遅延以来の谷川だ。

メンバーはその時と同じ赤井さんとの二人きり。

きっとまた何か不幸なことが起きるのではとの悪い予感が。。。

6月9日

曇り時々晴れのちガス

湯檜曽駅で一晩明かし途中指導センターに登山届けを提出し6時過ぎに出合を出発。

トイレは建て替えられチップトイレになっているが男性用個室は1つしかなく以前に比べて落ち着かない気がした。

アプローチはよっぽど運動靴にしようかと思ったが迷った末に軽登山靴にした。

(正解だった事が後からわかる。)

快適にテールリッジ取付きまで雪渓を歩き、汗をかきかき約1時間で中央稜の取付き着。

ここで身支度をして衝立スラブをトラバースし、アンザイレンテラスに向かう。

二人ともアンザイレンテラスに行ったことが無いのでトポを見ながら見当をつけて草付まじりを登りアンザイレンテラス着、右斜め下に懸垂でダイレクトカンテ取付きらしき所につく。

頭上には見間違い様ない顕著な大カンテが延びておりルートが正しいことを確信。

1P(柴田)

取付きから直上するボルトラインも見えるが右斜めに登りブッシュでランナーを取り、フェースを直上したあと左に大きくトラバース。

ロープの流れがやや悪い。

2P(赤井)

小ハングの下までフリーでそこから人工が始まる。

大ジェードルの下を平行して左上にラインがのびており、古い残置ボルトのリングものびている。

さわると一部砂鉄化してこぼれる腐食ハーケンもいくつか。

途中遠いからとリードした赤井さんが打ったピンは素手で簡単に回収。

数手のフリー有り。

股間には衝立スラブが広がる。

久しぶりの人工に興奮しながら2P目終了点に到着。

3P(柴田)

レッジから延びるクラックに沿ってアブミの掛け替え。

フィフィを使うと随時休めるので楽チン。

時折現れるペツルには必ずランナーを取り「こんなとこフリーで登るなんてすげーなー」と感動しつつ進む。

右側のカンテに回り込む手前はややピンが遠くターザンのようになりながらアブミを掛け3P目終了点に到着。

残置5つくらいから支点を取りハンギングビレーで赤井さんに「登っていいよ」のコール。

赤井さんが登っている間にすっかり尻と腰が痛くなってしまった。

4P目(柴田)

順番では赤井さんリードだがモチも今一の様子でまた自分としても早くハンギング状態から解放されたいので代わってリードさせてもらう。

ビレーポイント右のカンテを越え傾斜の落ちたフェースを途中まで人工まじりで登り途中でアブミを手仕舞いフリーで終了点まで。

中吊りが恐いのでこまめにランナーを取る事を心がけた。

終了点でシューズを脱ぎ裸足でビレーしていたらこの近辺に住むブヨから大歓迎を受け、水虫のCMに出てくるオジサン状態でビレーを続ける。

終了点から少し上がると北稜の踏み跡に合流、懸垂4回でコップスラブ上のルンゼに降りる。

衝立前沢の雪渓の状態が悪く、ランナー無しのスタカットで各自必死のトラバース。

運動靴にしなくて良かったと思った。

その後も途中まで薮を進んだりと遅くなり出合に戻ったら真っ暗になっていた。

出合(6:15) → ダイレクトカンテ取付(8:15) → 終了(15:30) → 出合(20:30)

6月10日

曇り後雷雨

前日に引き続き湯檜曽駅で夜を明かす。

きっと雨で休めるだろうと踏んでいたが朝起きると雨は降っていない。

仕方ないと前日と同様のパターンで一ノ倉沢出合まで。

所沢ナンバーのシビック(向畑車)がチョコンと停っている。

彼らは何処に行ったかなー、と赤井さんと話しながらテールリッジを登る。

雪渓を歩いていた時は涼しかったがテールリッジに上がると突然暑くなる。

ブッシュの葉の朝露で顔を洗ったり喉を潤したりしながら歩く。

沢屋出身の自分は渇きに非常に弱いことを実感。

変チ取付が濡れていて水が流れているといいなーなどと妙な願望を抱いたりしてる。

変チには先行2パーティが取付いておりのんびりと身支度をしながら待つが残念ながら水は流れていない。

昨年中央カンテを登っているし天気も早めに崩れそうなので今日は中央カンテと合流する手前の変チを抜ける所まで、と決めて赤井さんリードで登攀開始。

1P(赤井)

大まかなフェースを直上。

前が混んでいることもありわりと短めにピッチを切る。

2P(柴田)

濡れたフェースを左上する。

残置が思ったより少なく途中ランナウト。

途中濡れたフェースを水が流れている所で喉を潤し横断バンド右寄りのレッジまで。

3P(赤井)

レッジ右側の濡れたクラックを滑らないよう注意しながら登る。

(先行のおばさんは滑っていた。)

あとは階段状の容易な岩場を越えて変形チムニーの下まで。

トポの3Pと4Pをまとめて登った事になる。

4P(柴田)

変チは赤井さんリードと思っていたが自分の順番になってしまったので赤井さんに「いいの?」

と聞くが「気にしないからどーぞ」との事。

先行のセカンドのおばさんが登り始めるのをのんびりと二人で見物する。

おばさんは出だしでいきなりフォール、バラバラと落石が起き3人で下に向かい「ラックー!!」

その後もなかなか進まずチムニー出口で左に抜ける所で何度もフォールし苦労している。

ビレイヤーから蜘蛛の糸のようにお助けシュリンゲが降りて来るが、それを掴むが力が残っていないのかそれでも登れない。

何度も我々に「ごめんねー」と声を掛けてくれるがどうせ我々はここを抜けるまでなのだからと「いえいえ、のんびりやって下さい」と応じる。

それでも幾度となくフォールを繰り返すおばさんを見ているうちに「そんなに難しいんだっけ」

と不安になってきた柴田は『IV、A1 or V+』とトポにあるのを見て「フリーで登りたいし」

と言い訳しつつザックを置いて登る事にした。

ようやくおばさんが登り終え我々の番になった。

チムニー手前の浮いている大岩に注意しつつ濡れたチムニーに入る。

要所に残置が有り途中からバックアンドフットでおばさんが苦労していた出口手前まで。

手の平サイズのクラックに左手を決め、濡れた岩角に右足を決め暗いチムニーから明るい外へ出る。

チムニーの亀裂を慎重にまたいで右側に戻りビレーポイントへ。

赤井さんも問題なく登ってくるが最後の所で腰のバイルハンマーが岩に引っかかっていた。

さて、予想通り天候も悪化の前兆が見えてきたのでスタコラと登った所を懸垂で下る。

登っている最中もそうだったが中央カンテ、凹状方面では頻繁に落石が起き「ラクーッ!」の絶叫がこだましている。

こんなところに長居は無用と中央稜取付きまではクライミングシューズを履いたままスピーディに戻る。

中央稜取付きでポツポツ降り始めテールリッジから雪渓に移る所でとうとう豪雨・あられ・雷の大合唱になる。

赤井さんは有名な変色した元ゴアのカッパを取り出して着ているが自分はもういいや、と濡れるに任せる。

振り返ると烏帽子スラブが一条の滝になっている。

出合に戻り着のみ着のままで一ノ倉沢を後にした。

向畑車がまだそのままだったことが気になったがまあ途中から倉田さんの携帯に電話すればいいや、と思っていた。

結局帰途では倉田さんの携帯は留守電のままでしたが、あの時間どこでどうしていましたか?

出合(6:15) → 変チ取付(7:45) → 変形チムニー上(11:00) → 出合(13:40)

 

 

黒伏山 南壁中央ルンゼ蒼山会ルート

2001年6月2日から2日間
朱宮、三好(記)


6月2日(土)

中央ルンゼ

黒伏山は全員がはじめてだったので、藪をこぎ右往左往しながら取り付き基部を探し、登り始めたのは9時。

しかも中央ルンゼに登るという2人組の先行パーティーが既に取り付いており、一人は地元の人で何度か来ているような話ぶりだったので、ちょっと位置が違うよなと思いつつ、藪の中でこれ以上右往左往するのも面倒で、次の順番を待った。

時折「これ渋いよー」というリードのおじさんの叫び声が聞こえてきたが、特に気にしなかった。

しかし5級+なのに登ってみるとかなり悪く、プロテクションはたくさんあってしっかりしているがホールドがほとんどなくA1をあっさり使った。

1P終わる頃におかしいと思い始め、後の三好がもう一度取付きを探したところ、だいぶ右の方にトポの写真通りのルートがあるという。

早速ロワーダウンしてやり直した。

実はそこは象の鼻カンテ(見ればそれとわかる)の左側の名も無き凹角ルートだった。

既に10時を回っていた。

1P (朱宮・30m)

快適なフェース、ホールドもたくさんある。

顕著なハングを左から巻く当たりがやや難しい。

2P (三好・30m)

傾斜も緩く容易なスラブから3人テラスへ。

3P (朱宮・40m)

クラックに沿って右上する。

プロテクションもしっかりしており問題はない。

ブッシュに頭を押さえられたら、プロテクションに従って左へトラバースするがやや悪い。

出だしの下につきだしたホールドは動くので注意。

すぐ上に見えたビレイ点で終了。

4P (三好・50m)

右上する凹状のスラブを登る。

傾斜も緩く快適だがプロテクションはやや少ない。

正面に核心部のフェースが見えてくる。

スラブの右側にビレイ点あり。

5P (朱宮・20m)

逆層スラブで気持ちが悪い。

ビレイ点から右の側壁に向かって直上し、垂壁部分に達したらの基部を左へトラバースする。

ルンゼの中央部でビレイ。

6P (三好・35m)

実はルートの核心部はここなのではないかと思われるほどボロかった。

ルートそのものはホールドもたくさんあり、傾斜の割にはそれ程難しくないが、出だしの数メートルは落石に気が抜けない。

実際、朱宮が一個落として、後続パーティー(さっきの人たち)をひやひやさせてしまった。

この時点で1時半。

7P (朱宮・25m)

垂直のフェースの一番最後が問題。

トポには垂直のフレークをヒールフックからマントリングして・・とあったができなかった。A0使用。

直上するのではなく、中間のバンドを左から巻く方が楽だった。

ここをのっこすと傾斜が落ち、階段状のスラブ帯になる。

通常のビレイ点はもう少し上だと思ったが、なんか眠くなってきたので、ここで一旦切った。

8P (三好・25m)

中間の垂直のフェースがフリーではやや難しい。

あとは若干の木登りを交えて最後の垂壁へ。

9P (朱宮・15m)

最初はフリーで越えようと思ったが、あっさり断念した。

細かいホールドがあるので行けなくは無かったかもしれないが、人工混じりで越えた。

このころ眠気はピークに、ビレイしている夢まで見て、下からの声にはっとさせる。

10P (三好・40m)

踏み後のある灌木帯をひたすら上に。3時頃。

11P (朱宮・10m)

一応ロープを出した。

黒伏山南峰頂上まではここから10分くらい。

頂上は藪に覆われておらず、眺めがいい。

特に山形市方面。

帰りはエアリアに載っていた南峰からの裏側を回る登山道を探して降りようとしたが見つからず、尾根上を西に向かって適当に下降した。

所々かなり傾斜が強く滑りやすいので注意。

傾斜が緩くなりしばらく笹藪をこいでいくと、顕著な沢と合流しそのままその沢を下降していくと、本来の登山道に出た。

4時半。

(記・朱宮)

6月3日(日)

柳沢小屋は登山者で一杯だったため、酒をのんびり飲んで騒ぐ(?)こともできず、早々に眠ったが、木下・村岡Pは風の軌跡の残りのピッチとあともう一本登ると言っていたので、蒼山会ルートに取り付く予定の私達は、のんびり出発し、8:30登り始め。

1P (三好)

「ユニット藪と苔」にいつのまにか入っているらしいので、藪は三好の担当となる。

悪い!ざれざれで、傾斜も強く、過重をかければ引き抜けそうな藪を掴み、バランスを取りながら登る。

少し太めのブッシュが出てきて一安心と思って、藪こぎしてゆくと、今度はロープが摩擦で全然のびなくて苦労する。

目の前のビレイ点になかなか届かない。

疲れた。

2P (朱宮)

フリーで行くぞと、息巻いている。

テンションをかけてしまったが、なんとか抜け、4cmクラックのビレイ点で切る。

三好は、なさけない登りっぷりを披露する。

ホールドがザレザレでまるっこいのは怖い。

3P (朱宮)

本来の2Pめの途中で切ってしまったので、次も朱宮が行くという。

またフリーでと頑張るが、すぐにアブミが出てきた。

おじさんと呼ばれる年齢になって、あきらめも早くなったか。

それにしてもほこりっぽい。

まともに目も開いていられない。

ビレイしていると、木下くんが落ちて怪我したと言う村岡さんの声が聞こえた。

結構ひどいらしいので、このピッチを終えて、すぐに懸垂して様子を見に行くことにした。11:00。

木下くんの怪我は手の指が血まみれで、足の小指は打撲っぽかったが、なんとか歩けるとのこと。

指の肉がえぐれたーえぐれたーと叫んでいるし、血も止まった様子だし、傷はそのままで下山して、村岡奥様の治療を受ける。

皮が向けただけよ、皮が邪魔なら歯で引きちぎって登るのよと言いながら、皮を切り、傷口をがしがし、ごしごしと洗っている。

さすが看護婦さん。とても素敵だ。

結局、この夜は山形の栗谷川さん宅でまた酒盛りし、仮眠してから帰ることになった。

栗谷川さん、おじゃましました。

また(?)よろしくお願いします。

蒼山会ルートは全部フリーできっちり進めるくらいうまくなって、ついでに1Pめは他の人がリードしてくれるんだったら、また行ってもいいかなぁ。。。

 

奥多摩 大雲取谷

2001年5月26日から2日間
赤井、櫻井(記)


大雲取谷は、苔むした岩の間の豊かな水流、ブナやかえでの木漏れ日の明るさを喜ぶために行く谷だ。

大きな滝の登攀や息詰まるようなゴルジュの突破を求めて入るとがっかりすることになるだろう。

夜行日帰りで充分な行程だけれど、土曜の午後から登りはじめると他のパーティーといっしょになることもなく谷の奥で一泊することで山に浸ることができる。

私には、ときどきこんな山をやりたくなることがある。

5月26日

13:00唐松谷出合い吊り橋、16:30熊穴窪出合い、17:00ヒタゴヤ窪出合い、泊

何ヶ所か緊張する高巻きやへつりがあったが、ロープは出さずに終わってしまった。

途中、流れの中にカモシカの死体が3つ。

うち2つは毛皮を残して白骨化していた。

天気は曇りで時々弱い日差しがある程度。

日向窪から先にはテントひとつ程度なら張れるところがたくさんある。

上等な日本庭園のような景色のなか、かつぎあげたビールで今年初めての沢に乾杯。

5月27日

7:30発、9:30雲取山、富田新道を下って唐松谷出合い、11:30林道

なるべく頂上に近い所まで沢筋を詰めていったら、山小屋の取水場に出た。

ここまで、思ったよりも滝があったりしてアスレチックだった。

もちろん源頭の苔むした美しさも満喫した。

岩に付く苔にも新緑があるようで、非常に明るい緑が新鮮だった。

この日もカモシカの死体2つに出会った。

さんざん飲んできた沢の水になにか味でもあったかな?と思い出してしまった。

2月の大雪で食糧に不足して餓死したのだろうか。

この5月の命溢れる明るい沢からは想像できない厳しさだったのだろう。

ちょっと急になった斜面をやぶこぎも無く登ると、主稜線にポッと出る。

頂上はすぐそこに見えていた。

重荷でふーふー言った剱の春山から3週間ほどしか経ってないのが不思議な感じだ。

こんな、浸る山もたまにはいいでしょう、赤井さん?

 

丸山東壁 左岩稜・Appendix(敗退)

2001年5月19日
向畑、倉田(記)


去年から数えて何回目になるのかわからないが丸東への計画を立てた。

今回は付き合ってくれそうな人たちを何人か誘ってみたが断られてしまい、また向畑師匠だけ付き合って下さることになった。

腰が悪いのに何時も付き合っていただき本当に感謝。

初めて足を踏み入れる山域なのでいろいろ思いを馳せていた。

ぽかぽかした中、黒部川をてくてく詰め、雪渓で埋まっている川を越え、内蔵助谷へ。

背中のアメリカンエイドの道具が重く向畑さんに遅れ、体力の無い自分が情けない。

思いを馳せていた丸東を見ると体とはうらはらに、登ってやるぞと思う。

1ルンゼ出合いにテントを張っていると、中央壁のダイレクトルートに取付いている2人が見える。

12時ごろ?取付きにつくと、今まで晴天だった天気が一転、雲が張りだし雨雲らしいものも見えてくる。

天気予報では夕方から夕立の予定。

まだ大丈夫だろうと向畑さん。

取付きにはボルトがいくつか。

アペンディックスやメイズのルート途中にも残置がちらほら。

話に聞いていた通りとはいえ、うーん。

壁を前に、準備している最中にぽつぽつ。

向畑さんが、「これ雨かな?。」

私が、「そうですねー。」

と言っていると、結構でっかい音が鳴り響く。

向畑さんが、「これって雷かな?。」

私が、「そうですねー。」

すると、雨が降りだし、本降りに。。

仕方ないので、雨具を着るが、それでも止まなそうなので、ツェルト被って待つ。

待つ…。

雨脚が弱まった間に晴れ間が見えてきた。

私が、せめて1ピッチ。

と言う思いで、岩に取付く。

始めフレンズ、次、ロックス、次、アングルを決めようとした時、願いもむなしく、雨が又降り始めた。

向畑さん、「下りてきたら?。」

私が、「そうですよねー。」

クライミングダウンしてもどると。

向畑さん、「テントへ戻りましょう。」

私が、「そうですね…。」

雨は止む気配も無く、梅雨のような降りに感じる。

(実はこの週から梅雨のような天気が続いたのであった。)

ダイレクトルートの2人組も降りてきた(4ピッチ登って降りてきたとのこと)。

雷雨の中、濡れた岩を見るともうみんな下ることしか頭に浮かばなかった。

最終のトロリーは17時35分。

又来た道を今度は濡れ鼠になりながら、とぼとぼと戻る。

私はヨレヨレになり17時35分ちょうどにバスに倒れこみながら乗り込む。

乗客の人が面白そうにみていた。

うう、恥ずかしい。

計画を立ててもなかなか行けない所ってあるよね。癖がついちゃったみたいに。

とある人に言われたことがある。

今は、あーそれそれと言う感じ。

でもなんで、、、取付きで天候が急変するんだ?岩の神様の天罰だろうか。。

「しばらくは岩を触らない方がいいんじゃない?」

と面白そうに話す向畑さんが私の目の前にいた。

くそー。

次の日、小川山に新たな活路を求めるが、打ちのめされたのであった。

くそー。。

 

剱岳 小窓尾根~剱尾根R4~早月尾根

2001年5月3日から4日間
森広、大滝(記)


R4に昔から憧れていた。

ガイドブックで見るその姿は、急峻で陰惨な印象だ。

幾ら「実際に取り付いてみると見た目ほどの傾斜はなく、、、、」

と書かれていても怖い写真を見せられては、恐怖心は拭えない。

去年、登ったことのある人から話を聞く機会があり、技術的には難しい所はないとの事。

これでR4が一気に射程距離に入った。

2日 23:54 急行能登

3日 上市駅よりタクシー(6,790円) 7:40 馬場島 曇り 9:30小窓尾根取り付き 尾根に上がる最後の草付が怖かった。

のそのそ歩いて11:45 1614m台地 昼前からテントを張っているパーティがいた。

ここからは池ノ谷と剱尾根方面が一望の元に見渡す事が出来る。

初めてなので興奮する。

12時のトランシ-バ-交信で、櫻井、柴田組が1日、2日で八峰を登って、今日は天気が悪い為、雪洞の中で休養するとの事。

登り続けていたら、雨が降り出し、身体を濡らし始めた。

暫く我慢していたが、1900m辺りの台地に他のパ-ティが幾つもテントを張っていたので、ここに泊まることにした。

13:40 台地の奥に窪みがあったので、そこに張ったら風も当たらず快適だった。

水も雪の雫で取れた。

小雨降り続く。

4日 6:05出発 無風 快晴

森広さんはここが二度目なので、「アイゼンは必要ですか。」

と聞くと「要りません。直ぐに雪が腐るでしょう。」

トレースもしっかりしているし、そのまま登って行く。

高度が上がるに従い、赤谷尾根の向こうから猫又山がその威容を現して来る。

どっしり落ち着いた大いなる山塊だ。

やがて岩場になって先行パーティがロープを出しているが、森広さんが「ロープを出した覚えはない。」

と言うので、隙間を行かせてもらう。

岩の痩せ尾根だが落ちる気はしない。

渡り終えると7、8m懸垂し、一旦コルに降りる。

正面の雪の無いブッシュ壁を何人もロープを使って登っているが、前のパーティが左の雪壁を巻いて行った。

のこのこついて行ったら、問題なく尾根に出られた。

ラッキー。

暫くすると、また、雪なし壁に何人も張り付いている。

しかも動きが遅い。

右を観察すると雪線どうしで行ける気がしてきた。

前のパーティも同じ事を考え、右から行ったのでついていく。

急なブッシュ壁を15m程ぐいぐい登ると雪上に出た。

後は容易な露岩とハイマツ帯を行く。

他のパーティはロープを使っている。

マッチ箱と言う所に来たらしい。

らしい、と言うのは、今山行はR4の事ばかり調べていて、小窓尾根については、森広さんが経験者なのでほとんど調べていない。

多くの人がロープとアイゼンで越えていくが、我々は何も無し。問題もない。

マッチ箱を終えた地点で12時の交信。

櫻井PはR4に行くべく谷を降りたが、その谷は池ノ谷ではなく、行きづまってしまって、下山することにし、早月尾根にいるそうだ。

向畑、倉田、浅野Pは4日入山し池ノ谷の二俣まで行くそうだ。

三好、木下、榎並Pは黒部横断、八峰、そして、今、早月を下山中。

一緒になった人から、「R4はびしょびしょと水が流れていると馬場島の掲示板に書かれていました。」と聞かされた。

そうだろうか、そうだとしても高い所だから、冷え込めばまた氷が出来るのじゃないか。

駄目でも取り付きまで行ってみよう、と考えた。

疲れた体に鞭打って歩き、R4と正対する所でじっくり観察する。

確かに薄いが氷は着いているように見える。

取り付きにロープを巻いている人が見える。

三人位だ。

と言う事は途中まで行けると言うことだ。

少し、希望が出てきた。

小窓ノ王の岩場の下から、雫が沢山落ちていた。

4リッターも汲んでしまった。

長い時間、順番待ちをしたので、三ノ窓には、15:15着 テントは10張位。

5日 4:17 起床 薄曇り いよいよ本番だ。

アイゼンを着け5:30出発 良く締まった池ノ谷をとことこ降る。

5:45取り付き 上がハングでバンド状になっているので直ぐ判る。

天気は快晴になった。

取り付きにハーケンが一本だけだったので、森広さんが一本打ち足し、 6:00登攀開始。

大滝が行く。

森広さんが調子悪かったので、結果的には、大滝が殆どリード。

右にトラバースして行くと、ボルト、すぐ近くにハーケンがある。

4級位のせり出した岩を、よいしょっと乗り越し更にトラバース、ベルグラが張り、バンド幅が狭くなり微妙な動きを強いられる。

ハーケン2本にランニングを採り、氷壁に突入。

最中氷と言う感じで表面は堅いが中は雪だ。

ピッケルのピックが岩に当たらないか気になる。

1P目終了点に3人Pがいた。

信州大の人達。

ボルト一本で確保。

先行はがんがん行く。

2P目 氷をトラバースし狭まった滝の下の残置ハーケンで採る。

シュリンゲが束になっているので、下降点になっているらしい。

1P目をここまで伸ばしてもいい。

もう一回残置ハーケンから出ているシュリンゲで採る。

入口は容易だが5mほど立っている氷が出てくる。

でも、でこぼこしているし、両側の岩に足を突っ張れば、疲れずに登れる。

傾斜が落ちどんどん登る。

ロープが一杯になったので、少しでも厚い場所を探してスクリュー2本とピッケルでビレー点を作る。

心許ないが森広さんなら落ちないだろう。

3P目 森広さんがハング下まで伸ばす。

傾斜は緩い。

4P目 右開きのチムニー。

氷は薄いが、有る。

先行はスクリュー2本で「楽しい、面白い」と叫びながら登っている。

傾斜が緩いので、落ちる感じがしない。

先行が穿った窪みに弱い力でアックスを打ち込み、幸せに登っていく。

チムニーを抜けると広くなる。

途中、左にあるボルトで採り、ロープ一杯でボルトとスクリューで切る。

5P目 広く、浅いルンゼを行く。

氷と言うより堅雪。

陽光を浴びて幸せだ。

また右開きチムニーがある。

スクリュー2本で楽しく登る。

このチムニーもさっきのチムニーも3級程度に感じる。

楽しいだけだ。

雪面に出てぐいぐい歩いて、スタンディングアックスビレーで切る。

6P目 森広さんが行くが、先行Pが草付壁で難渋している。

時間が掛かりそうだ。

昨日、小窓尾根から観察していたら、右巻きの雪ラインで行ける気がした。

トップ交替し大滝が行く。

ドーム裏を回り込んで適度な間隔のブッシュでランニングを採りながら、6P、7P、8Pで終了。

11:30先行と一緒になる。

コルB 12:00 一回懸垂した後、壁向きで歩いて降りる。

池ノ谷を気だるく登り返して、2時前、三ノ窓。

時間があるので早月尾根の途中まで行くことにした。

16:40 誰も居ない夕前の剱岳山頂。

何と贅沢な時間。

荒井さんの冥福を祈った。

2800m辺りで泊まり、6日 無事に下山。

(装備)

スクリューハーケンを5本持参したが、3本しか使用しなかった。

5本以上は要らない気がした。

(今回のポイント)

ルートを直ぐに諦めない。

最後の泊まり場で、テント設営の為に繋いだポールを不用意に雪面に置いたら、急な斜面を滑って行った。

運良く5 – 6m下で見つかった。

気をつけましょう。

R4 長く夢見てやって来た 此処には氷が有ーる ほう

剱岳 池ノ谷右俣ドーム稜

2001年5月3日から4日間
向畑、倉田、浅野(記)


装備:登ハン用具各自一式/ピッケル、バイル、アイゼン、カラビナ(1人/10~15)、スリング(1人/長短約15位)、ハーケン(ブレード゙厚刃×6、アングル×3)、アブミ(2)、確保器、カム(エイリアン#1~#4×2、キャメロット#1~#2×1、キャメロットJr各1)、ユマール(使用せず)、ロープ(50m×2)

※ 1)人工のピッチがあるのでアブミは必須(フラットソールの場合でもあった方が良いと思われる)

※ 2)ハーケンは薄刃も3つ位あった方が良い(ビレイポイント作成に使用。ランニングでは使用せず)

※ 3)カムは積、無雪期問わず上記数量で対応可能と思われる

※ 4)ユマール必須のピッチは無かったので省略可能(状況判断による)

行動:

5/3 夕刻高麗川駅発(向畑さん車使用)~馬場島着

5/4 馬場島発6時~池ノ谷二股正午着

5/5 池ノ谷二股~ドーム稜取付き~10ピッチ目にてB/V

5/6 B/V地~長次郎の頭~剣岳本峰~早月尾根下山~馬場島着18:00

概容:

1. 今回、池ノ谷は雪で全てつながっており徒歩にて通過可能だった。

2. 右又上部は傾斜がキツく、又ドーム稜取付き下部は上部に比較的広めの雪面を持つ狭いルンゼ状を通過する箇所があるので条件に注意。

3. ドーム稜下部は、比較的岩が硬いが中間部草付き帯より上部は脆いピッチが多い。

4. ルート上にB/Vポイントは、随所可能。

5. 残置ビレイ点は比較的しっかりしている方だと思う。

又、ハイ松も多いので利用出来ることが多い。

ただしピッチの切り方によっては自分で設置しなけれならないこともある。(当たり前か?)

6.人工及びフリーの全ピッチにおいて残置は比較的多い。

ただし、所々カムを使える箇所も多いため、不安を感じた場合の利用は可能。

記録

5月3日

秀峰に入会して初めてのアルパイン的山行だ。

「今年のゴールデンウィークは、R4に行こう!」と考えていた。

怪我をしてから丸4年近くが過ぎ、なんとかアルパインルートに向かってもこなせるかもしれないと思ったからだ。

R4ならアックスの使用が多いからへたれ状態でも何とかなるかなしれないとも思った。

でもそれ以上にR4は登りたいルートだったから。

秀峰の方々も剣周辺の計画が多いと聞き「良し、良し…」とほくそえむ自分は不気味だ。

自分は向畑、倉田パーティーに混ぜてもらうことが決まった。

しばらくして向畑さんが「R4だけじゃ日にちがもったいないからドーム稜も登りましょう」ということになった。

「ドーム稜???」

いろいろ記録を探したが、見つからない。

池ノ谷の中ではメジャーなのかもしれないが、池ノ谷自体そんなに人が多くないと聞く。

いろいろ探した結果、やっと昔の本を1つ見つけた。

「岩稜づたいに所々フェイスが出てくるみたいだな…。」

第一印象はそんな感じだった。

「ともかく出発までに仕事を片付けておかなきゃ」

といつになく真剣に労働する日々が続いた。

んがしかし!!!そんな努力の甲斐もなく5/2出張が決定。

今回の出張は、帰りが遅くなることが確実で2日夜出発は絶望的になった。

毎度のことだが「…またか。」

とあきらめてごめんなさいの電話を向畑さんにかけると出発を一日伸ばし、5/3日にしてくれると言うではないか!!!でもそうするとR4かドーム稜のどちらかになってしまう。

申し訳ないと思いつつも甘えてしまうことにした。

向畑さん、倉田さんどうもありがとさんです。

日程を変えさせてしまった上に30分遅刻して、高麗川に6:30到着。

「すまん、すまん」と思いながら、関越道を新潟へ。

荷物を満載した向畑さんのスーパーカーのエンジンが、うなりをあげる。(悲鳴か?)

知りませんでしたが、倉田さん。

結構踏むのね…。

馬場島に着いたのは0時を回った位だ。

GWだけあって駐車場はいっぱいだ。

駐車場の端にテントを建てて明日はどうしようかと作戦会議を行う。

R4かドーム稜か…。

しかし会議の結果は「詳細は明るくなってから決めましょう」だった。

ハハハ…。

5月4日

夜が明けて警備隊に登山計画書を提出に行く。

小窓尾根は満員御礼の状態だ。

「っで、R4はと…何々…。」

氷は無く夏と同じ状態だと言う。

水流があるのかな?「俺、わらじなんて持ってきてないぞ」

心の中でつぶやく。

と言う訳でドーム稜に決定。

装備を選択し二股に向かって6時頃(だったと思う)出発。

天気は良くて暑い位だ。

ゴルジュの上部にはまだブロックが多数引っかかっていて、ちょっとやだ。

デブリも落ちきっているようだけどやっぱりちょっとやだ。

やだ、やだ言ってもしょうがないのでとぼとぼ歩くとお昼頃二股に到着する。

ここまで雪渓はつながっており、なんなく登ることができたのはラッキーだったと思う。

剣尾根末端付近に先客のテントが2張り。

「ここにしましょう」と整地してツェルトを張る。

あとは3人外でゴロゴロ。

天気が良くて非常に気持ちが良い。

しばらくすると何パーティーか下山して来た。

聞くと剣尾根を登ったらしい。

そのパーティーに聞くとやはりR4は雪が無いようだ。

自分の目で確認に行けば良かったのだが、ドーム稜モードだったのと眠かったのとでそのままダベッってしまった。

明日は早いので夜7時頃には寝ることになる。

他のパーティーは明日下山なのかえらくウルサイ。

楽しいのは解るけど少しは考えるべきだと思った。

夜、寝る前に外に出ていると剣尾根の上にでっけー月が出てた。

寒気がする程の光景だった。

しばらくアルパイン的なことが出来なかったのでこれから又こういう世界に身を置けると思うととても嬉しかった。

でもシュラフカバーだけは結構寒く、よく眠れなかった。

これから又こういう世界に身を置くのかと思うととても馬鹿だなと思った。

5月5日

今日は子供の日、ドーム稜クライミングの日だ。

まだ暗い2時頃起きる。

食事をすませて撤収。

出発の準備を整える。

昨夜の騒ぎを思い出し、撤収時ガッチャン、ガッチャンわざと大きな音をたてた自分は結構嫌われるタイプかもしれない。

右俣を詰める。

雪は表面がクラストしているだけで、結構歩きづらい。

雪渓が切れていないか不安だったが、ずっと繋がっていて助かった。

2時間程歩くと傾斜がキツクなり幅の狭いルンゼ状になってくる。

条件が悪いともろに食らう地形だ。

ただの歩きからいつのまにかダガーポジションになっている。

ヘルメットは早めにつけておいて良かったと思った。

途中、2人パーティーにぬかされ、順番は2番目になる。

彼らの装備から判断すると今日中にドーム稜を抜けるつもり?らしい。

ドーム稜は何とかルンゼ(すみません名前忘れました)F4直下を横切り、右上する形で始まった。

1P

F4直下やや左のフェイスで足場を切ってカムでビレイポイント作成。

無雪期ならどこかに残置があったのかもしれないがこの時期は埋まっている?F4の下部をトラバースして草付き緩傾斜帯を登る。

残置は少ないが気をつければ落ちるようなとこではない。

草付きを上がりきった所で約15mほどトラバース。

残置のビレイポイントでピッチを切る。

2P

ビレイポイントからスラブ状のフェイスを直上。

2P目終了点まで右か左を選択できるらしいがアイゼン、手袋で右に行く気はしない。

フリーで左側を登る。

途中から岩稜側面づたいに登る形になる。

この辺はF4の上部にあたるみたいだ。

約40メートルで右に一段上がった所でビレイ。

3P

右に約5~6メートル程、トラバース後、正面のフェイスを直上。

この箇所は人口のピッチらしい。

残置も間隔、利き共に比較的良好。

フェイスにそって右側面にコーナークラックが走っている。

カムがばっちり決まる。

また、手袋を取っても冷たさは感じなかったので「何の、何の…」とフリーにこだわる。

しかし上部で結局人工。

面白かったんだけど時間をかけ過ぎた。

向畑さん、倉田さんごめんなさい。

ビレイポイントはフェイス終了点の残置でビレイ。

4P~

フェイスが終了したところで、容易な雪の段傾斜帯となる。

ここからは先頭向畑、セカンド浅野、サード倉田の順に、時間短縮の為ロープいっぱいに伸ばしながらの同時登攀となる。

念の為トップはブッシュにランニングを取り、セカンドが架け替え、サードが回収だ。

状態によるだろうが今回はさほど困難な箇所ではない。

約200m位か?上部の傾斜が急になる(ハイ松)帯でピッチを区切り最初のオーダーに戻る。

5P

ハイ松帯から急傾斜の凹状部を登る。

やさしそうなら同時登攀としたかったが難しくは無いが、今思えばきっちりビレーして良かったピッチだった。

草付き帯のダブルアックスで同じくハイ松にてビレイ。

6P

少し解りにくいピッチだった。

雪積期と無雪積期の時とラインが違うのかもしれない。

自分はブッシュ沿いに左上、Z状になる為ローブの流れに注意しながら右へ。

雪面を直上しフェイスに突き当たるのでカムとハーケンでピッチを区切る。

7P

「どっちだろう…。右?左?」少し迷う。

アルパインルートでの事故の多くはルートファインディング゙のミスにより発生することが多いので慎重に考える。

最初左へ行くと急な岩稜。

戻って右を見ると6P目と同じような草付き斜面。

フラットソールなら左の方が面白いと思う。

でも今は右でしょう。

んで右をアックスでガシガシ…。

20m程登ると雪混じりのリッジになりリッジを越えた反対側でビレイ。

8P

リッジを右から回り込むようにも見えるが、B・Pより直接リッジ通しに登る。

なぜかここから急に岩が脆くなる。

ランニングも取れないので慎重に登る。

ここも難しくはないが、脆い為、気を使うピッチだ。

リッジが終了すると緩傾斜帯になりハイ松でピッチを切る。

ハイ松にはずいぶん御世話になっている。

しかし情けないことに浅野はここで集中力が切れて音を上げ、向畑さんにトップを交代。

代わってくれる人がいると言うのは大変有りがたいと思った。

9P

出だしでスラブを2~3メートル左上。

このピッチの核心はこのスラブだと思う。

後は容易な岩稜通しに登る。

10P

目の前にフェイスがある。

左が浅い凹状のため、ひょっとしてルート図にある上部核心?と思われたが、イマイチはっきりしない。

向畑さんのリードだが、自分はこのピッチが一番難しいと思った。

このピッチで暗くなる。

当たり前だがアイゼンでフリクションが効く訳もなく暗がりでエッジが見えにくい中、ここを登りきった向畑さんはすごいと思う。

かっくい~!拍手、拍手!!!

11P

11P目は、丁度10P凹状部の上からスタートする。

夜になってしまった。

傾斜が無い為、易しいリッジ状を登るというより移動すると上部核心の凹角につきあたる。

凹角は12P目に相当するのだろう。

ルート図通りで多分「ああこのことか…」と迷うことは無いと思う。

今日はここでビバークとなる。

ビバーク地は、11P終了点。

丁度上部核心のビレイポイントにあたる。

残置、カム等でこれでもか!とばかりに支点を設置しロープをFIX。

3人が座れるだけのテラスを削ってツェルトを被る。

傾斜しているので居心地が良いとは言えない。

ビバークするなら8~9ピッチ目の方が横になれるから良いと思う。

風は無く、天気も良いので悲壮感は全く感じない。

やっぱり5月なんだね。

向畑さんがストーブを抱え、倉田さんが水を作る。

雪を取る為、頻繁に出入りする倉田さんはすごいと思う。

ありがとう~!拍手、拍手!!!特に作業をしていない自分は、「ありがとうね」と思うものの、たいしたことをする訳でもなく今日のことを考える。

自分と向畑さんのスピードの差はなんだろうって。

間違い無くプロテクションの数だと思う。

踏んでいる場数が違うからかなとも思う。

時間があったら、リードしたいと言っていた倉田さんに悪いことしちゃったな…。

いろいろ勉強になった一日でした。

5月6日

12P

今日も快晴。

今回はついてる。

昨夜は流石に寒かったが、結構寝ることが出来た。

簡単に食事を取って、出発の準備をする。

ノッケから上部核心だ。

出だしはビレイポイントより一段上がった箇所より左にトラバースする形でルンゼに入る。

岩は積み木状で脆い為、少し気を使う。

フラットソールなら直接、硬い箇所を選択して直上した方が良いかもしれない。(セカンド、サードはどうやったのかな…?)

ルンゼ内はまだ氷雪壁状でダブルアックスで登るも、厚みがなくなりすぐにフリーとA0になる。

ランニングは結構取れる。

一部傾斜が立った箇所があり、2~3度フリーを試みるが、昨日のことを思い出し2回程、アブミを使用。

後はフリーでルンゼ突き当りでビレイ(岩を使用)フリー有り、人工有り、ダブルアックス有り。

このピッチとても楽しい。

13P

ルンゼのすぐ右上がリッジになっており、そこを直上するようだ。

このピッチは登る前にルンゼからリッジ上にあがってビレイしてもらった方が良いと思う。

実際自分らもそうした。

リッジ自体、傾斜も緩く岩も硬い為、さほど難しくは無い。

ルート図では残りは1ピッチなので、あせることはないと思いきや最後に脆い部分を越すと、稜線に出てしまった。

ハイ松でビレイしながら考える「???。」

最後は快適な3級フェイスを越えるはずなのだが目の前のそれはどうみてもただの雪の斜面だ。(長次郎の頭だったらしい?)

よくわからん!!!結局、そのまま本峰頂上に立つ。

快適な3級フェイス、フェイスよフェイス、フェイスちゃんあなたはどこへ行ってしまったの?向畑さん、倉田さんと握手を交わす。

天気も良くて大変気分が良い。

足の状態を懸念していたので、早月尾根はゆっくり下ることにする。

でも心配なさそうだ。

午後6:00馬場島に到着。

家に帰る。

明日から仕事だ。

嫌だな・・。

今回の山行でこれからも又、登ることが出来ると思えるようになった。

秀峰の皆さんに御世話になることになり初めてのアルパインはとても楽しかった。

これからどこまで行けるかは自分次第だね。

向畑さん、倉田さんには自分の都合や技術不足で大変、大変申し訳なかったです。

次回はもう少しレベルアップするよう努力するのでこれからもお願い致します。

おしまい

 

越後 荒沢岳から丹後山、中の岳縦走

2001年5月3日から3日間
高橋、一之瀬、瀧島(記)


復活へ向かって

そもそも復活という言葉はもともとが活発だった場合に使うべきだろう。

だから俺の場合は、復活なんてほど立派なものではないけれど、自分を奮い立たせる意味も含んだ上で、あえて復活を使いたいと思う。

思えば去年の夏の大墜落によって被った損害は精神的にも肉体的にもけっして小さくはなかった。

2000年8月6日40歳を目前にして20メートル以上のグランドフォールだった。

原因は恥ずかしくて言えません。

悪運が強いのか足首を剥離骨折しただけで済んだ。

だけどこの剥離骨折が曲者だった。

すぐに治ることを期待したが、神様はそんなに優しくはなかった。

3週間のギブス固定のあと、すぐに歩けると思ったが松葉杖はなかなか手放せなかった。

ほぼ2ヵ月後の10月8日には富士山麓の紅葉台から足和田山に行ったが下りは悲惨だった。

その後11月4日の荒船不動尊からローソク岩の基部往復では4時間の軽い歩行が限界だった。

正月には足和田山や樹海で2回のハイクをした。

その他には高尾山や沼津の香貫山で歩行訓練した。

そして2001年からは西国分寺の地下のクライミングジムへ週2回位づつ通いだしたのだ。

クライミングに関しては全く登れない状態からの復活はめざましかった。

そして3月20日のつづら岩登攀へ。

ジムでのトレーニング成果が存分に発揮されると思ったが太陽の下でのクライミングは地下室のマットの上とは違っていた。

俺の高度感はゼロになっていたのだ。

ビビりにビビってなんと4級プラスでも紐をつかんでしまった。

ショックは大きかった。

でも青空の下、ぽかぽかの景色の良いテラスでビレーしていると、クライミングしているなーと実感できる。

ちっぽけな岩場でもそんな気持ちよさがあるのだ。

4月7日には1泊2日で奥利根の刃物ヶ崎山を目指した。

事故後初めての雪山だ。

雪にさわる前に2時間弱の舗装道路歩きがあった。

俺の足首は、この時点でかなり炎症をおこしていた。

だからその後半日の矢木沢ダムから家の串山までの雪の登りがこの山行の限界だった。

だから翌日のアタックは諦めざるをえなかった。

雪の歩行では思いの外、足首は微妙な動きをすることがわかった。

もちろんテーピングやサポーターなどいろいろ試している。

その後高尾山、金毘羅岩でのフリー、それから多摩源流の一之瀬高原から唐松尾山、笠取山の縦走をした。

歩いた後はアイシングをすることで炎症はかなり治まることがわかった。

それから歩きに欠かせないのが両手ストックだ。

足への負担をかなり軽減できる。

しばらく2本のストックは手放せそうにない。

刃物ヶ崎山での状態を考えると春の連休の剱はすこし無謀なようだ。

三ノ窓でみんなと集中ができればと思っていたがここで無理するのはやめよう。

スケールを少し小さくして、越後の荒沢岳から中の岳を目指すことにした。

越後荒沢岳から丹後山、中の岳縦走
L瀧島、高橋、一之瀬

なぜか山に行く当日はやたらと仕事が忙しい。

久しぶりの山なのに今回もそれは変わっていない。

今回は車ではなく新幹線とタクシーのアプローチだ。

是非とも計画どおりにこなして十字峡へ下山したいものだ。

そんな強い希望をもって出かけた。

ギンギンの気合だ。

5月3日

晴れときどき曇り

越後湯沢で始発の鈍行に乗り換えて小出へ。

車窓から眺める越後の山々の雪はずいぶん少ないようだ。

でも列車の窓から興味をそそる山なみがこんなに良く見えるとは。

新たな発見だ。

たまには列車で山に行くべきだ。

タクシーでシルバーラインの長いトンネルを抜けると一面銀世界だった。

銀山平の積雪は2メートルくらいか。

石抱橋でタクシーを降りた。

荒沢岳への登路は第一候補が坪倉沢の右の尾根、第二候補が坪倉沢と蛇子沢の間の尾根。

もしこの2本の尾根が雪が少なくって大変そうなときは登山道がある前クラ尾根を登ろうと決めていた。

石抱橋から見上げる第2候補の蛇子沢の右の尾根はまあまあ雪がつながっているように見える。

第一候補は坪倉沢を越えるのが大変そうだ。

だから第2候補を登ることに決めた。

取り付きやすいところから尾根に上がると、銀山平のまだ新しいログハウスがマッチ箱ののように並んで立っているのが見える。

ここから見える第1候補の尾根には行かないで正解だった。

尾根上はブッシュだらけだ。

それに比べてこの尾根は一部を除けば快適に登れそうだ。

1256mの少し先までは快適だった。

両手ストックで二人に遅れながらも順調に高度を上げていった。

1256mの先からは尾根が痩せて尾根上はブッシュがすさまじい。

左のルンゼにトラバースしてルンゼを詰めることにする。

ここで初めてアイゼンをつけてストックからピッケルに持ち替えた。

傾斜は急だけど締まった雪をルンゼまでトラバースする。

ルンゼは雪崩の通り道で引っかかっている不安定なブロックに注意しながら全速力で登る。

地形図で見ると標高差は200m以上あるようだ。

ルンゼのどんずまりで3ピッチほどロープを結んで尾根上に抜けた。

1649mで整地してテントを張った。

テントに入るのとほとんど同時に雨が降り始めて結局出発の直前まで降り続いた。

今回は足首がなんとか持ちこたえている。

計画どおり行けるような気がしていた。

石抱橋発 8:05  1649m着 16:00

5月4日

晴れ

1649m発 7:30 荒沢岳 9:35 兎岳 15:30

最近は夜、うなされて寝ながら叫ぶようだ。

定番は蛇に襲われ夢だ。

昨夜も寝ながら叫んだようだ。

パートナーの皆さんごめんなさい。

今回は足を気遣いテントに入ってからテーピングを外すて朝までシップして朝またテーピングで固めるという作業を入念に繰り返した。

春山だとこんな作業も余裕でできる。

雨が上がって元気に出発した。

猿ヶ城からの尾根を合わせる手前で急な斜面にでたがロープを結び合うほどでもない。

この急登を過ぎると荒沢岳の頂上が見えてきた。

いつのまにか快晴になっていた。

兎岳へと続く主稜線に出たところにザックを置いて空身で荒沢岳を目指した。

ここで初めて人のトレースに出会った。

頂上でゆっくりした。

うれしかった。

後は遠くに見える兎岳を目指して稜線を春うららの中散歩すればよかった。

周りにはスキーで滑ったら気持ちよさそうな斜面ばかりだ。

散歩のはずだけどなまりきった体には本当にきつかった。

兎岳の頂上直下でテントを張った。

5月5日

晴れ

兎岳発 6:30 中の岳 9:15 十字峡 13:15

天気は上々、それで気持ちが緩んだのか二つ折りにしたテントフレームを無意識に雪の上に置いて、気づいたら斜面を滑り落ちてしまった。

1本は回収できたが、1本は北ノ又源流へと落ちていってしまった。

要反省。

中の岳はでかい。

コルから快調に高度を稼ぎ頂上では存分に展望を楽しんだ。

後は十字峡へ下るだけだ。

日向山への下りは大斜面をぐんぐん高度をさげる。

日向山で大休止。

下界はもうすぐ下に見える。

だけど一番つらかったのは十字峡がすぐ下に見えて雪が消えてからだった。

雪がない急傾斜の下りは不完全な足首にはつらすぎる。

スピードがいきなり4分の1くらいに落ちた。

二人には先行してもらった。

十字峡の小屋前では二人が待ちくたびれていて、ビールをスタンバッテいてくれた。

足首はまだ不完全だけれど2泊3日、フル稼働になんとか耐えることができた。

半分は嬉しい、あと半分は完全に直るかという不安がある。

足はなんとかするとして、今回の山はなぜか新鮮で、すばらしい時間を過ごすことができた。

高橋君、一之瀬さん本当に楽しい山でした。

ありがとう。

 

黒四ダムから八ツ峰~早月尾根

2001年5月1日から4日間
櫻井、柴田(記)


腰を痛めてパッとしなかった今年の冬だったが雪山シーズン最後のGWくらいはひと花咲かせたいと以前から行きたかった剣の八ツ峰にR4とチンネを加えた欲張り山行を計画、櫻井さんと共に勇んで黒四を出発した。

結果的にはR4とチンネが登れずで八ツ峰~本峰~早月尾根になってしまったが、でもまあ本峰から見る八ツ峰はいい感じだったし早月尾根も初めてトレースできたのでそれなりに満足しています。

4月30日

横浜線で八王子に着くと駅の売店がすべて閉っていてビールが買えない。

急行アルプス号発車までの10分くらいで改札を飛び出し外のコンビニまで走って調達。

まわりは大学のサークルの合宿行だかで若者が大騒ぎ。

とってもうるさい。

5月1日

晴れ

黒四(8:15) → ハシゴ谷乗越(12:00) → 真砂(13:00) → Ⅰ・Ⅱ間ルンゼ出合(15:00) →
Ⅰ・Ⅱコル(17:45)

大町から扇沢までタクシー。

運転手のオバサンは「私が乗せた人で遭難した人はまだいないので頑張ってくださいねー。」と励ましてくれる。

始発のトロリーバスを黒四ダムで下り黒部川から丸東の脇を通り内蔵助平に向かう。

黒部川の水量はそれほど多くなく所々スノーブリッジがかかり歩いて渡れる状態になっている。

雪原に疎林の内蔵助平を横切りハシゴ谷乗越を越えるとその向こうには八ツ峰Ⅰ峰がジャーンと大きな姿で立っていた。

グサグサ雪の斜面を時折膝くらいまで潜りながら下り剣沢に降り立つ。

真砂小屋は雪の下で屋根も見えずテントが数張適当に張られているばかりである。

ちょうど12時。

本日の予定ではここまでだが天気もいいし時間もあるので櫻井さんと相談の結果Ⅰ・Ⅱのコルまで上がってしまうことにした。

真砂沢を分けて長次郎谷に入りⅠ・Ⅱ間ルンゼを目指すが、暑くてペースが上がらない。

Ⅰ・Ⅱ間ルンゼに入ると傾斜は大体40°前後と大したことないが平坦部がなく休めない斜面が標高差約400メートル続き、大いに疲れる。

雪面は所々切れていて要注意だが一ヵ所だけ大きく切れている所で雪の下の岩盤を流れる水で喉を潤すことが出来一息つく。

櫻井さんも結構ヨレていたみたいで「あの岳樺に固定してツェルト張れないかなー」などとぼやいてる。

ヒーヒー言いながらようやくコルに上がると既にたそがれ時で、急いで雪面にL字を切ってツェルトを張る。

櫻井さんが担ぎ上げたウィスキーを少々楽しみ、ジフィーズドライカレー味でこの日は終わる。

この日は800m登って300m下りまた800m登った勘定になる。

黒部横断中の三好Pに交信を試みるが応答無し。

この日は、本当に疲れました。

久しぶりの夜行列車に睡眠不足で、Ⅰ・Ⅱ間ルンゼの登りでは眠くて意識が薄れた時が何度もあった。

最後の1時間は”高速道路の運転中に居眠りと闘っている状態”が続いていました。(この行 櫻井 記)

5月2日

曇り時々晴れのち小雪とガス

Ⅰ・Ⅱ峰コル(6:30) → Ⅴ・Ⅵ峰コル(9:30) → 長次郎のコル(13:30)

朝方の天気は高曇りで後立山方面ははっきりしないが源治郎尾根や三ノ窓尾根は見えていた。

Ⅱ峰の登りはすぐ終わり懸垂で下りるとまた雪壁登りになり以後八ツ峰の頭を越えるまでひたすら雪稜や雪壁を登り稼いだ高度を懸垂で払い戻す事を繰り返す。

途中晴れ間がのぞき源治郎尾根を登るパーティが見えた。

Ⅴ峰からは懸垂2回だが最後はロープが少々足りなくなり雪壁を左に逃げてⅤ・Ⅵのコルに降り立つ。

Ⅵ峰への登り返しはわりと急な雪壁だがトレースも残っていてどうということはない。

右手にはチンネやニードルがガスの合間に姿を見せてくれる。

チンネは鏡に写したように三ノ窓側からの姿にそっくりだ。

うねうねとしたリッジの隆起を忠実に追いⅦ峰の下りにかかる。

さて、この懸垂の為に娘に案内させて彼女の通う幼稚園の近所の竹薮に行ってまで用意した竹ペグを持参したが、支点はピンでしっかりしたものが残置されている。

岩混じりのルンゼを右下にトラバース気味に懸垂、岩に擦れていたので少々気がかりだったがロープを無事回収。

いつのまにか小雪がちらつきガスがまわりをおおい始めている。

Ⅶ峰から八ツ峰の頭までは近いようで遠いと聞いていたのでのんびり登る事につとめ相変わらずの雪稜の上り下りを繰り返す。

途中広い平坦地を過ぎて更に途中まで柴田が登った所で下の櫻井さんから「オーイ、ここが池ノ谷乗越だろー」と声がかかる。

言われてみるとそんな気がしてきたし反対方向から降りてきたクライマー2人に確認すると肯定的な返事だったので池ノ谷乗越であることを確信、本日の予定は三ノ窓までだったが雪も大分勢いを増してきたし「ここまでにすっか」と言うことでここに雪洞を掘ることに決定。

約2時間かけて雪洞を作製し即入居した。

実は柴田は雪洞で寝るのは初めてだがテントと違って広いのが良い。

スープやら紅茶やらで一息つき夕飯は櫻井さん持参のポークチャーハンを作って食べる。

天気予報では明日はあんまり良くないようなのでとりあえず午前中は停滞と決める。

寝る前に息苦しく感じたので頭を出口に近い方に変えて寝る。

三好パーティとは相変わらず交信出来ず。

5月3日

小雪及びガス

朝起きると入り口に数十cmの雪が積もり埋まりかけている。

柴田がウトウトしているうちに小キジに起きた櫻井さんが除雪してくれた。

天候は予想通り小雪・ガスなので朝食の後昼まで寝て午後はついつい酒盛りになってしまった。

12時の交信で小窓尾根を登る大滝パーティと交信が出来たが彼らは小雨の中頑張って登っているようだ。

夕方の天気予報では翌日以降の天気の好転を告げており、「よーし、これでR4は登れる」

と櫻井さんと二人して気勢を上げる。

5月4日

快晴 のちガス

天場(5:30) → 池の谷右俣経由で天場(7:30/8:30) → 剣本峰(9:15/9:30) → 伝蔵小屋(12:40)→馬場島(14:50)

3時に起き予定通り準備を済ませ、アイスの登攀具とビバーク用具を持って5時30分過ぎに西側に急なルンゼを下る。

北方稜線の山々は朝日に染められ色づき、ルンゼの下から上に凍るような風が吹き渡り気分が盛り上がる。

「この感じ、これこそアルパインだぜ。」

と思いつつ下降を続ける。

ところでこのルンゼを我々は池ノ谷ガリーと信じて下降を続けたが相当下っても一向に右手にはトラバースできるような場所が出てこない。

なおも下降を続けるとルンゼは狭まり急に傾斜を増し立ってきた。

いくらなんでもこれは違うだろう。

という事は上部でトラバースする部分を見過ごしたか、と左側を注意しながら今度は登り返すが左手には大きな岩尾根が続くばかりで一向に解決策を見出せないまま天場のあるコルまで戻ってしまった。

櫻井さんと「いやー、どーなってんですかね」

と話すが「うーん、よくわからない、やっぱりさっきのルンゼの下降をもう少し続けるんだろうか」

と結論は出ない。

いずれにしても三ノ窓に行けないなら本峰経由で早月を降りるしかない。

「じゃ、天気も良いし良い写真でも取りながら降りますか」

と変わり身の早い二人はあっさりR4もチンネも諦め本峰に向かう事になった。

全装備をパッキングし直し本峰を目指す。

昨日おとといの雪でトレースは消えて新鮮な気分で歩くことが出来る。

しばらく登って後ろを振り返ると剣尾根と長次郎の頭が我々の後ろに見え、ようやく全てが理解できた。

つまり我々が池ノ谷ガリーと思って下っていたのは池ノ谷右俣で我々が池ノ谷乗越と考えていた天場は長次郎のコルだったのだ。

2日目に小雪とガスの中八ツ峰を詰めた際に自分たちで考えるよりも進みすぎていたのだ。

情けないが仕方ないのでそのまま本峰に向かう。

新雪にトレースを刻むこと少々ですぐに本峰に着いた。

快晴。

ここに来るのは15年ぶりで4回目だな、とぼんやり思いながらレーションを食し、写真を撮る。

源治郎も八ツ峰も別山尾根も大賑わいだ。

15分ほどで頂上に別れを告げ早月尾根を下り始める。

カニのハサミも獅子頭も別にどうと言うことはないが、むしろその下の急な雪面はスリップしたらヤバイなと思った。

結局ロープは出さなかったが出すか出さないかと言うところが数箇所有りこういうところで事故は起きているようである。

伝蔵小屋の手前で12時の定時交信をすると大滝パーティ以外にも向畑パーティ、三好パーティとも入感が有り各パーティの状況を確認することが出来た。

残雪期の下りは早い。

滑るようにしてスタコラと早月尾根を下り松尾平からは右手の湿地帯を経由し3時前に警備隊詰所に下山報告をした。

R4には来年また登りに来よう、と思った。

泊った場所の特定を間違えたのは、残念でした。

結局、残雪の稜だけに終わりましたが、それはそれで楽しかった。

それにしても頂上で塩をつけて食った柴田さんの生キュウリは美味かった!(この行、櫻井 記)

 

 

八ヶ岳 無名峰南稜、大同心雲稜ルート

2001年3月24日から2日間
赤井、三好、柴田(記)


昨年末の岳沢アイスアプローチ敗退以来痛めていた腰がやっと回復し、まる3ヶ月ぶりの山行。

当初は谷川の1・2の沢中間稜と中央稜を計画していたが谷川が例年より早く3月24日から入山禁止になってしまい、がっくりしながら八ヶ岳に転戦。

赤井さんと三好さんの希望を聞きながら登山体系を眺め、無名峰南稜と大同心雲稜の組み合わせに決めて計画を提出。

3月24日

(晴れ)

小淵沢駅で仮眠の後美濃戸口経由で美濃戸に向かうが林道は氷化した路面に轍が出来て車で進むのが困難になり途中で車を道路脇に止めて歩く事に。

こんなの初めてだ。(でも駐車場代が浮いた。)

赤岳鉱泉までの道はいつも通りだが雪が例年よりは多いような気がした。

天気が良くて暑い。

赤岳鉱泉までの道のりで腰が痛みだす事をひそかに恐れていたがいまのところ何ともないようだ。

三好テントを設営後無名峰南稜に向かう。

三又峰ルンゼに入る手前で北側の尾根に上がるがこれが無名峰南稜。

しばらく進むと大きな岩壁が正面を塞ぐような形になりここでアンザイレン。

1P目(三好):リッジをしばらく登った後右の草付き混じりの凹角を登りピッチをきる。

2P目(三好):正面右の岩が露出したもろいスラブを登る。

古い残置が1つあっただけでスラブにアイゼンが決まらず微妙だった。

アンカーポイントではみっちょんがハーケンを打ち足す。

3P目(柴田):カンテ状を右に回りこみ潅木でランナーを取りながらロープを伸ばす。

岩は脆くボロボロで頼りにならないが、潅木が豊富。

4P目(柴田):木登りを交え雪の斜面を上部のリッジまで。

容易。

ここで下部岩壁が終了し、いったんロープをたたむ。

雪稜を道なりに詰めるとやがてチムニー状の上部岩壁が現れる。

だいたい横岳西壁はどこもこういうパターンですな。

5P目(赤井):チムニーは途中で屈曲しているように思われたので「ロープの流れが悪くなるようなら途中でピッチを切ってね」

と赤井さんに声をかけるがあっさりと登り切ってビレー解除のコール。

フォローしてみると上部はかぶっているがチョックストーンが人工壁の終了点のような大ガバになっている。

これをつかんでチムニーを抜けると夕日を浴びた主稜線がすぐそこに見えていた。

見覚えある中山尾根の終了点もすぐ横にあった。

地蔵尾根、行者小屋経由で帰幕。

鉱泉でビールを買い、ジフィーズ2連チャンであっさり眠りに落ちる。

美濃戸(7:30)→赤岳鉱泉(10:00/10:50)→無名峰南稜取付(12:00ころ)→終了点(17:15)→
行者小屋(19:00)→赤岳鉱泉(20:00)

3月25日

(曇り)

のびたサッポロ一番を食べて大同心稜を大同心に向かう。

先行は1Pのみですいている。

暖かな割には支点は比較的効いていた。

1P(三好)取付きからしばらくフリーでハングの手前からA1。

柴田は利尻のバットレス以来のアブミでもたつく。

2P(三好)ビレー点左のフェースからずっとアブミの掛け替え。

支点の間隔が短く容易。

3P(柴田)右のカンテを越えてから浅い凹角を登る。

出だしのカンテ越えはいったん右に向かうが悪そうなので戻って直上してから越える。

4P(柴田)頭上の顕著な鞍部までのフリー。

Ⅲ級とは思えなかった。

途中浮いたハーケンをピッケルで打ち直し。

5P(柴田)ジェードルからバンドまで。

簡単そうに見えたA0部分で左足が上手く決められず力尽き、一度降ろしてもらいA1で越える。

バンドに出てヤレヤレと言う気分。

バンドからは一応ロープをつないだままで赤井さん、三好さん、柴田の順番で右にトラバースし最終ピッチの取付きに着くが既に午後3時と制限時間を過ぎておりここでtime’s up。

ドームを登る先行パーティのコールを聞きつつレーションを食べて一路鉱泉へ。

タイム:
赤岳鉱泉(7:10)→雲稜ルート取付(9:00ころ)→5P目終了点(15:00)→赤岳鉱泉(16:00/16:30)→
美濃戸(17:30)

心配していた腰の方は何とかもってくれて一安心。

しかししばらく登っていないと体力もクライミング技術も全て低下している。

またやり直しですな。

 

谷川岳 一ノ倉沢 一・二ノ沢中間稜

2001年3月20日
三好(記)、他1名


3/18の戸隠敗退で、いつもの通り悔しくて悔しくて無言になったまま懸垂を終えた私に向かって、森広さんとK君が「みよしさんが喜ぶようなことを思いついたよ」とにやにや笑っています。

ずっとにやにやしてなかなか教えてくれないのですが、なんとか聞き出すと、20日は以前から行きたかった谷川の一ノ沢・二ノ沢中間稜にK君が付き合ってくれるとのこと(森広さんは元々20日は仕事だったので駄目)。

そりゃ素敵なプランです。

3月20日(火)

快晴

指導センター3:50~一ノ倉出合5:00~取付5:20~ピナクル上8:10~オキノ耳9:10~
指導センター10:55

出発前にK君が散歩に行って来るとメールで流していたのを読んで、ほんまかいなと思っていましたが、急雪壁にも、泣きそうになるという噂のナイフリッジにもトレースばっちりで、天気もよく、本当に快適でした。

ロープはピナクルで1P出しただけで済みました。

でも、日の出直後からシャツ1枚でも暑いくらい気温が高くて、第一岩峰が見えてくるあたりで、足もとの雪面にぴしーっと亀裂が走ったりしてかなりびびって、第一岩峰も素直に巻いて、すたこら逃げる感じでした。

烏帽子スラブの雪は見ている間にほとんど雪崩れて、幽ノ沢でもどでかい雪崩が見られました。

どどーん、どどーんと景気よかったです。

湯テルメで風呂して、水上の道の駅で昼飯していたら、ヘリは飛ぶし、救急車は来るし、彼氏殿から携帯が入るしで、事故の発生を知りました。

事故は滝沢リッジとのことでしたが、あんなに気温高いとほんと怖いです。

戸隠を敗退する時も天気がよくて、隣の尾根でばっかんばっかんキノコが落ちるのが見えたので、あのまま進めば、キノコと一緒にダイブだったかもしれません。

戸隠は戻ってきてよかったということでしょうか。