谷川岳 一ノ倉沢 αルンゼ

2000年1月8~9日
瀧島(記)、小谷、椛島

正月山行では穂高の継続クライミングを計画したが、屏風岩の取り付きまで行っただけで、壁には取り付かずに敗退となってしまった。

おかげで年末年始はコタツで紅白を見て、近くの神社に初詣に行って、まさに幸せなお正月を過ごしたのだった。

もちろん体重、体脂肪率ともに増加してだるま状態となった。

このままではミレニアムは良い年は望めないと思い、心を入れ替えて一ノ倉にリベンジに出掛けることと成りました。

はじめの計画では12月に衝立の北稜に行ったときに見つけたアルファールンゼの横の尾根だったけれど現場で急きょルートの変更をしました。

1月8日

快晴

ロープウェーの駐車場を5時ころ出発、積雪は少なく、しばらく降っていないようだ。

おかげで一ノ倉の出合には1時間くらいで着いた。

テールリッジの上部にヘッドランプの灯りが二つ動いている。

彼らはきっと、一ノ倉の中核をなすメジャーなルートへ向かうのだろう。

雪崩の危険は感じなかったのでコップスラブを直接略奪点目指して登って行った。

アルファー、ベーター中間リッジは登ったと言う話は聞いていないが、出合付近からも割と良く見える。

見栄えも捨てたものではありません。(少し誉め過ぎかも)

取り付きは略奪点のすぐ上、コップスラブの目印になるピナクルの近くまで末端が迫っている。

アルファールンゼ側に回り込んで取り付こうとした。

ところが目指すリッジの上はこのところの好天のおかげでブッシュがうるさそうだ。

それに引き換えアルファールンゼは雪も安定していて魅力的に感じられた。

悪く言えば優柔不断、良く言えば状況に応じた現場での適確なルート変更をして、アルファールンゼをつめることとした。

中間リッジにはもう少し雪がついて良い状態のときにまた来よう。

アルファールンゼの下部は今日の雪質ならば問題ない。

コップの広場と同じ位の高さでルンゼの幅は一気に狭まる。

雪質も不安定になりロープをつける。

1P目椛島トップで傾斜は緩いが不安定な雪質のルンゼをじりじりと進んで行く。

岩の上にうっすらと雪を付けているだけでピックは岩を叩いてしまって決まらない。

マサに嫌らしいピッチをノーピンで登って行った(50m)。

山を始めてまだ1年なんて思えない登りを見せてくれた。

今回はリッジルートなので岩と雪稜を想定したギヤを持ってきていたのでアイスハーケンなんか一本も持ってこなかった。

おまけにアイゼンはカジタの10本爪だ。

2P目小谷トップ。

今度は安定した氷からワンポイントのおっかないトラバース。

3P目瀧島トップ。

正面は発達の悪い氷曝。

おもわず右の急な草付にルートをとった。

途中ピックがきまらず、墜落寸前までいったが、ファイト一発なんとかクリアー。(50m)

このままリッジを登って行くと50mで一ノ倉尾根に飛び出した。(15時)

ここから眺める幽の沢も雪は少なく黒々としていた。

一応そのままロープをつけたままで50m進むとルンゼの入り口に着いた。

ここでロープをはずして後はひたすら上を目指す。

衝立尾根との合流したところでワンポイントロープを使った。

夕闇迫るころ一ノ倉岳に着いた。

頂上直下の雪壁に穴を掘って今夜の宿とした。

几帳面な小谷さんのおかげで超快適なねぐらが完成した.酒も食料も豊富にあり幸せな夜を過ごした。

1月9日

ガスのち快晴

西黒尾根経由で無事に下山。

今回、成り行きでルンゼルートを登ってしまった。

今までのセオリーだと積雪の多い山域のルンゼルートは雪の安定した3月にねらう事が多かったと思う。

しかしここ数年の冬の天候パターンと山の状態を考えると時期にとらわれずに積極的に谷を詰めてから取り付くルートやルンゼルートを計画しても良いのではないかと感じていた。

だから今回アルファールンゼを登れたことは自分の考えがある面では正しいことが判ったので満足している。

とはいえ、下部では雪崩の危険を感じずに登れた適度に締まった快適な状態の雪が、傾斜が変わる核心部の滝の手前では、いつ雪崩てもおかしくない不安定な状態に急変した。

締まった雪の上にチリ雪崩となり落ちてきたふかふか雪が重なったものと思われる。

ハンドテストをすると上層の雪はいとも簡単に動き出した。

雪質の見事なまでの急変を身をもって感じる事ができて良い経験ができたと思っている。

特に年末年始の積雪量はここ数年概して少ないように思える。

従来の常識にとらわれずに頭を柔らかくして柔軟に考えると今までにない面白い計画も考えられるだろう。

ただし突っ込むか戻るか、あるいは転進するかの現場での判断の重要性は今まで以上に大切になる。

 

波勝崎 海金剛 左壁秀峰ダイレクトルート

2000年1月8~9日
向畑(記)、倉田

トポはここをクリックして下さい

もともと記録をとっていなかった上、仕事が忙しくてほってあったので、記憶があいまいになっており、結構間違えているかも知れません。

また、結局適当に登ってしまい、ライン自体も記録としての価値は高くはないと思いますが、これから行こうとしている人もいるようなので、アプローチや岩場の概念等も含めて、参考にしていただければと思います。

正月山行を情けないことに腰痛で敗退し、実家に帰ってごろごろしていたらさらに悪化して、とても冬山に行けそうな状態ではなくなってしまった。

暖かいところにリハビリに行こうと考えていたら、ヨセミテを目指すという倉田さんから西伊豆の海金剛に誘われた。

エイドの重い道具一式背負って歩けそうにないことや、暖かいところでもアルパインのようなクライミングには不安があったが、フレンズやピトンなど、重いものは一切持ってくれるということだったので、せっかくの連休でもあり出かけてみることにした。

取りあえず雲見を目差すが、埼玉の田舎からは西伊豆はかなり遠い。

出発したのも遅かったが、着いたのは2時半頃になっていた。

途中、雨具を忘れてきたことに気付き、セブンイレブンでビニールガッパを買ったが、冬山との気持ちの切り替えができず、他にも何か忘れているような気がして怖かった。

雲見集落から枝道を右に入り、オートキャンプ場の受付を通り過ぎたところにある造成中の空き地で車中ビバーク、翌朝起きてから海金剛へのアプローチを探すことにした。

翌朝、それらしき踏み跡を見つけて、近くの路肩に車を止めてラーメンを作っていると、通りがかりのおじさんに、「そこは止めちゃだめだよ」と言われた。

キャンプ場の手前にキャンブ場のお風呂があり、駐車場に1日500円と書いてあったので、管理人のおばさんに聞きに行くと、「がけ登りに来たのかい」と言われてしまった。

どうやら、最近は皆さんこちらを利用されているようだ。

踏み跡は、ところどころ崩れているがよく踏まれており、危なそうなところにはフィックスまで張ってある。

ただ、ビニールのひもが張り巡らせてあるところがあり、それがはずれて風になびいている。

目印はもっと簡単なマーキングで充分だと思うし、ごみになるのでやめるべきだと思う。

30分ほど歩き、最後のフィックスを懸垂すると海金剛の基部についた。

先行の2人パーティが中央稜末端を乗っこし、右壁側へと回り込んでいる。

とりあえず、初登ルートであるVAGABOND(バガボンドと読むらしい、放浪者の意)を登ろうと思っていたが、彼らも同じルートを登るらしい。

右壁樹林帯の下にテントを張り、ゆっくりと食事をして、もうだいぶ登ったかなと思ってVAGABONDの取り付きに行ってみると、まだ下でしゃべりこんでいて取り付いていない。

しかたがないので倉田さんがトポを持っていた、SURF&SNOW(サーフアンドスノーと読む、意味不明)というルートを登ってみることにした。

SURF&SNOWは左壁なので、来たところを下って登り返さなければならない。

めんどうなので、そのまま中央稜を乗っこして草付き帯をトラバース、取り付きと思われる岩場と草付きのコンタクトラインを目指し、「この辺かな」

と思ったところから登はん開始。

登り始めは、多分お昼ごろだったと思う。

8日

1ピッチ目、35mⅢ級、向畑リード、もろい岩場を直上し、バンド状の立ち木まで。

2ピッチ目、30mAA1+、Ⅳ級、倉田リード、凹角の右のリスをネイリング、リスは右上のハング沿いに続いており、この段階でなんとなく全然違うルートを登っていることに気付くが、おもしろそうなラインなのでそのまま登ってもらうことにした。

リスはハングを越えてルンゼへと延びている。

ユマーリングで回収しながらルートを追うと、タイオフの連続でリスも一部脆そうだ。

ただ、タイオフが多いのは、ピトンのサイズが合っていないだけのような気もするが、初めてのネイリングで3時間かけてリードした倉田さんに敬意を表し、AA1+にしといてあげよう。

ナイフブレード、ブレード、アングル、ロストアロー、エイリアンなどを使用。

2ピッチ登っただけで、早くも薄暗くなりかけてきたので、ロープをフッィクスして下降。

テントに戻ったのは18時頃だと思う。

9日

4時ごろ起きて用意するが、外は結構寒く、6時頃までテントの中にいた。

再び中央稜を越えて取り付きに戻り、ユマーリングを始めたのは7時近かったと思う。

岩場の前の入り江には、岩礁に漁船で釣り人が次々と運ばれてきて、岩登りをしている下では釣りをやっているというちょっと変な光景だ。

3ピッチ目、45m、Ⅲ級、向畑リード、一枚岩のきれいなスラブだが、木がいっぱい生えている。

傾斜はないが、足を置くのが苔だらけでちょっと怖い。

できるだけ岩の露出している部分を登り、ロープを目いっぱい伸ばす。

どん詰まりには、スラブを取り囲むように扇状の岩場が立ちはだかり、その手前の立ち木でピッチを切った。

4ピッチ目、25m、Ⅲ級、倉田リード、クラックにプロテクションを求め、扇状の岩場の切れ目を右上。

フレンズ、キャメロットなど使用。

5ピッチ目、30m、Ⅲ級、向畑リード、右側のルンゼに回り込み、木登りから左側の外傾テラスへ。

ブッシュ帯はここで終わり、上部はすっきりとしたフェースとなっている。

ルンゼ内の木に、かなり古そうなスリングが巻きつけてあり、初めて残置物を発見。

さらにピッチを切った外傾テラスには、ビレーポイント用らしいピトンが2本残置されていた。

支点を打ち足そうと思い、リスにピトンを叩き込んでいると、横の岩が浮いてくる。

取りあえずスリングで連結してアンカーを作ったが、とてもユマーリングしてもらう気になれず、フォローで登ってもらった。

6ピッチ目、30m、Ⅳ級、向畑リード、岩が積み重なったような逆そうフェースで、見た目は脆そうだが、選んで登ると意外と硬い。

縦横にクラックが走っているので、ナッツ、エイリアン、フレンズなどでプロテクションは取れる。

右のクラックから、バンド状をトラバースし中央稜を回り込むと、RCCボルトの立派なビレーポイントがあった。

当初登る予定だったVAGABONDへと合流したようだ。

7ピッチ目、25m、AA1、Ⅳ級、倉田リード、正面は前傾フェースで、その切れ目である右側のクラックを登る。

フリーで登るつもりで取り付くが、力尽きて、すぐにフレンズ架け替えの人工となる。

でも、多分フリーでも登れそうな感じだ。

クラックから右の凹角に移る。

凹角の手前にプロテクション用のRCCボルトが残置されていた。

8ピッチ目、50m、Ⅲ級、向畑リード、右側に回りこみ、脆いルンゼを直上、ロープを目いっぱい伸ばし、海金剛の頭へ。

12時40分着。

海金剛の頭からは、さらに伊豆半島中央部への山稜へと尾根が続いている。

下の入り江では、相変わらず釣り人がのんびりと釣りをしていてロケーションはなかなかいい。

下降は、ほぼVAGABOND沿いに下れた。

ここを降りる人が多いようで、残置のカラビナがあったりして下降ルートが整備されていた。

降りる途中でVAGABONDを登ってきた、昨日のパーティと擦れ違った。

テントに戻ったのは15時、のんびりと片付けて16時に歩き始めたが、VAGABONDパーティが上から3ピッチ目あたりで、「ロープが来ない」とか言ってはまっている。

明日は雨の予報なので、今日中に降りられるといいなと思ってしばらく見ていたが、下で心配していても仕方がないので歩き出した。

結局、ずいぶん簡単なルートを登ってしまったことになりますが、個人的な好みとしては、弱点をついたよいラインだったと思います。

ただ、倉田さんの目的であったエイドクライミングの練習という点では、かなり物足りない山行になってしまいました。

ほんの一部分しか登っていないので間違っているかも知れませんが、海金剛は大きな一枚岩の岸壁ではなく、小川山や瑞垣のように、いくつもの岩場が積み重なったような構成になっているので、岩の部分を選んで登らないと、結構簡単に巻けてしまったりしそうです。

特にエイドクライミングの場合、難しそうなラインをあえて選んで登らないと、あまり練習にもならないような気がします。

また、クラックやリスは豊富にあり、立ち木も多いので、既成のルートにこだわらずに、自分でラインを引いて登ってみても、そう難しくはないと思います。

行き詰まっても、割と容易に下降できそうです。

逆に、クラックやリスが多くて残置が少ないので、既成のラインを追うこと自体もなかなか大変そうで、あまり意味のあることでもでないように感じます。

ボルトを打つのはすすめませんし、打つ必要性も低いと思います。

また、砂岩のような岩質なので、打つ場合も手打ちで充分、ボッシュ等はいらないような気がします。

ただ、ビレーポイント用には、リングボルトよりもRCCやペツルの方が良いかも知れません。

中央稜の古いボルトラインでは、チップが浮いているボルトを多く見かけました。

これは多分浅打ちではなく、脆い岩質と、海岸でもあるため風化が激しいため、リングが浮いてきているんだと思います。

私たちは岩場の基部までテントを持って行きましたが、そう広いスペースがあるわけではありません。

上から見ると、左壁下にもテントスペースが整地されていましたが、落石からは、あまり安全ではではないかも知れません。

駐車場から海金剛までは30分程度なので、そちらをベースにしてもよいかも知れません。

管理人さんによると、VAGABONDパーティはいったん戻って駐車場にテントを張り、お風呂も入って翌日再び岩場へと出かけていったそうです。

 

 

越後 荒沢岳東尾根~花降岳中尾根下降

1999年12月29日~1月1日
畠中、関(記)

雪山はルートを尾根や稜に求めることにより、特別な登攀技術がなくてもオリジナルラインを引くことができる。

そんな山登りをするのに越後の山々は絶好のフィールドであり、今回は越後荒沢岳を目指すことにした。

パートナーは卒論で忙しい中、畠中が参加してくれる事になった。

2人が山に求めるものは一致しているので楽しみであった。

(酒ではありません)

12月28日

仕事納めの納会が予想以上に長引き、予定の電車に乗るのが危うくなってしまう。

水垣に頼んで新横浜まで車で送ってもらい、新幹線を乗り継いで何とか新潟行きの最終に乗ることができた。

浦佐で先に着いている畠中とおちあう。

12月29日

みぞれ

タクシーで銀山平に着くとシルバーラインのトンネル出口は封鎖されており、下界と隔絶されている。

積雪はここ数年のうちでは格段に多くおもわれた。

今日は東尾根の取付きまで奥只見湖岸の国道約6kmのラッセルとなる。

みぞれで緩んだ雪はズブズブともぐり、水分をたっぷり含んだ雪は非常に重い。

アプローチは半日ともくろんでいたが、取付きのグミ沢トンネルに着いたときは3時を回っていた。

今日はトンネル内に泊まることとし、東尾根上までの急斜面に空荷でトレースを着けてトンネルに戻った。

12月30日

晴れ

今回は軽量化にナーバスになる必要もないので各自1Lの酒を用意してある。

昨夜は10時まで飲んでしまい目が覚めると明るくなっていた。

「たいしょー、またやっちゃったみたいですよ」

という畠中に無言で頷くしかない。

天気はピーカンであった。

昨日のトレースを追い東尾根上に這い上がると尾根の全容がみえた。

東ノ城ピークまでは急傾斜にせり上がり、その先は荒沢岳までいくつかのピークを連ねて雪稜がうねうねと続いている。

7キロに及ぶ長大な尾根である。

きれいな稜線を見て登高意欲が沸いてくるのを感じる。

特に悪場もなく、今日もラッセルに喘ぐだけだった。

この好天下に少しでも行程をかせぎたいのと寝坊した罪悪感もあって「ヘッデン行動しようか」なんて言ったが日の落ちた西ノ城ピークに着いた時はヘロヘロで体がいう事を聞いてくれなかった。

この日も9時半頃まで飲んでしまう。

12月31日

晴れ

今日も晴れている。

行動時間が長引いている為天気図をとれていない。

また,ラジオも新潟の局を見つけることが出来ずいまいち天気の概況が分からなかった。

ともかく2日続きの晴天に半信半疑と言ったところだ。

西ノ城から先は木々は完全に雪に埋まっており、真っ白なナイフエッジと雪壁が続く。

今日もラッセルにあえぐだけだったが、素晴らしい景色に高揚せずにいられない。

銀山平へのエスケープに設定してある花降岳に着いたのは11時半だった。

中の岳へ進むか否かの決断は、1日停滞したらアウトだったので諦めることにする。

未練はあったが本気で中の岳へつなげるには長期の日程を痛感した。

先へ進みたいという欲求が強い時に引き返す決断を冷静に下すのは難しくつらい。

こんな時畠中はいいことを言ってくれる。

「いきなり成功しようと思わないで気長にやりましょ。」

そうそう、俺はまだ若いからね!

花降岳に荷を置いて荒沢岳を往復。

快晴の頂上からの展望は申し分なく、眺めているといろいろなラインが浮かんでしまう。

実現性を無視してあれやこれやと話をするのは楽しい一時だ。

アタックを終えて花降岳中尾根の下降に移る。

今回荒沢岳からのエスケープルートの設定には少し悩んだ。

というのも夏の一般道である前クラ尾根の困難さを聞かされていた為である。

しかしこの尾根の下降も楽ではなかった。

右手には雪庇が張りだし左手はヤブが密生して落ち込んでおりヤセ尾根を作り出している。

雪庇を恐れて左手の斜面に入れば、不安定な雪は体を腰まで埋めザックはヤブにからまり発狂寸前だ。

中尾根の1500mピーク付近で狭いリッジを整地してテントを張った。

好天もこれまでなのか、みぞれのような雪が降り出した。

1月1日

風雪

今日は吹雪いており、少なくとも30cmは積もったようだ。

それでも銀山平までなので楽勝と考えていたが、この尾根の1500m~1150m地点までが今山行の核心となった。

何せ雪が不安定なので急なヤセ尾根の下降に神経を使う。

1500mピークの一つ先のコブから20mの懸垂下降で小コルに下りたところから、慎重を機してスタカットで行く事にする。

視界が利かないのと、急傾斜に落ちる尾根をはずさないようにするのが難しい。

何度も地図とコンパスを睨み、ロープのピッチ数により進んだ距離を推定しながらの現在地の確認が続く。

畠中が不安定なリッジを避けて左手の斜面をトラバース気味に下降に移るや「ロープアップ」のコールがかかり急いで引き上げると足元から雪崩の亀裂が走ったとの事。

そんなこんなで計11ピッチのスタカットで尾根の緩傾斜帯に入り込んだ時にようやく安堵感につつまれることができた。

またしても深いラッセルが待っていたが、今山行の様々な思いを胸に日の落ちかけた銀山平目指して2本足を前に出すだけだった。

今回、東尾根に関しては好天のおかげもあるが難しいところは特になかった。

困難性よりもおそらく今までほとんど登られていないという未知の要素と人里離れた冬の奥只見湖というロケーションが素敵だった。

心残りは中の岳までつなげられなかった悔しさで、思うように休みをとれないのがうらめしい。

とはいうものの満足のいく山行であったし、こういった山登りを理解し合える畠中の存在は喜びを倍化してくれた。

〔所要時間〕

12月29日

7:45 銀山平発
15:10 グミ沢トンネル着
15:30 グミ沢トンネル発→空荷で900メートル地点まで
16:30 グミ沢トンネルに戻る

12月30日

9:30グミ沢トンネル発
17:40 西ノ城

12月31日

7:10西ノ城発
11:35花降岳着
12:10花降岳発(アタック)
13:25荒沢岳着
13:45荒沢岳発
14:55花降岳着
15:25花降岳発
17:10花降岳中尾根1500m地点

1月1日

10:05出発
16:00林道(中尾根下降完了)
17:20銀山平下山

〔メモ〕
東京~浦佐   新幹線   7460円
浦佐~銀山平 タクシー 11150円

銀山平に下山した時のタクシーの手配
銀山平は冬季は閉鎖されている。携帯電話は当然使用不可なのでシルバーラインのトンネル内の非常用電話を利用して管理人が連絡をつけてくれる。

シルバーラインについて
例年、1/中~3/中まで通行止となるが、昨年からはトンネル内の工事の為1/5から通行止となっている。向う数年間に渡ってこの状態が続くそうです。

 

 

北アルプス 硫黄尾根~飛騨沢

1999年12月28~31日
森広、三好(記)

黒部から戻ってきて、もう、他の場所には行きたくないといった気分に陥るが、そんな事を言っていられるだけの経験も体力も気力も何もかもがないことだけはわかっている。

気を取り直して出発しよう。

行きたい場所・・・。

日数がかかるルート。

尾根がいい。

北鎌尾根・・・は私が知っているだけでも、横浜山岳会と千葉大山岳部が入る予定だ。

人の入らない時期をねらって行くとしよう。

じゃあ、隣の硫黄尾根はどうだろう。

以前縦走した時に、あの目立つ長ーい赤い尾根を見て、行ってみたいと思っていたところだ。

ルートファインディングさえしっかりやれば、難しくないとのことだが。

気持ちを切り替えるのに1日かかり、硫黄尾根に行くと決ったのが26日の夕方だったので、27日の夜の急行アルプスに乗ることにする。

休む筈が会社に出勤し、職場の人々に笑われながら仕事をして、再び「よいお年を」なんて挨拶して出発。

12月28日(火)

信濃大町駅で千葉大山岳部の2人(OBと現役1人ずつ)に声をかけ、一緒にタクシーに乗りこむ。

七倉では、硫黄尾根に向かう5人パーティと会ったが、6:30に先行して出発した後は、結局追いついてこなかった。

踏み跡が残っている平坦な道をひたすら歩き、硫黄尾根の取付きには11:30到着。

服装の準備をしていると、千葉大山岳部が追いついてくる。

予備を含めて10泊分以上も持っていて、荷物が異常にでかいのに追いつかれるとは、自分って歩くの遅いんだと再確認する。

12:00登り始め。

硫黄尾根側には23日に入山すると言っていた都庁山岳部のものだろうか、踏み跡が残っている。

これは楽勝かなぁ、つまんないかなぁと思っていると、しばらく登って樹木もまばらになり踏み跡も消える。

ヒザ程度のラッセルなのに段々辛くなってきた。

行けるところまでということで、15:30、硫黄岳前衛峰群のP1手前でテントを張る。

天気もよく、大天井岳などがなかなかかっこよく見えるのであった。

12月29日(水)

7:00出発。

P1(だったと思う)は、1段乗っ越すのにやな感じのところがあって、ロープは出さなかったが、ザックを置いて登ってから引き上げる。

P2~P4で2回ほど懸垂したのを含めて、登り降りを繰り返す。

10:00に小次郎のコルに到着。

時々硫黄の香りが風で運ばれてくる中を、ラッセルしながら進んで行く。

硫黄岳には13:00到着。

段々疲れてきてスピードが出なくなってきたのが自分でもわかるくらいだ。

それでも頑張って1時間ほど歩く。

硫黄台地と呼ばれているらしい広々とした雪原に着くと、幕営跡が残っていたので、そこにテントを張ることにした。

とても快適なテン場だ。

今日も一日天気がよかった。

北鎌尾根も良く見える。

12月30日(日)

7:00出発。

雷鳥ルンゼで2回ほど懸垂した後、しばらくして、核心の赤岳前衛峰群に到着する。

湯俣川側を巻いて行く場所ではうっすらトレースがあったのがわかるし、懸垂箇所には新しいスリングも掛かっていてあまり頭を使わない。

それでも所々行ったり来り確認しながら進む。

トレースも残置も全くなかったら、もっと時間がかかっただろう。

ということは、一番面白いパズルの解き方の部分を教えてもらってしまったようなものか。

でも、岩峰や急な雪壁で、足場を一段一段作りながら、また、ホールドを確かめ確かめしながら、着実に登って行くのは楽しいものだ。

結局、ロープは懸垂に数回使用したのみで、登りの部分では出さなかった。

13:00には中山沢のコルに到着。

所々にテント1張り程度張れる場所はあるが、もう少し先、もう少し先と赤岳主峰群の急な雪壁や、やせ尾根を越えて行き、17:00まで歩いて西鎌尾根の手前(白樺台地)でテン場とする。

ガラガラした岩場に気を使いながらの上り下りが終わったかと、安堵感にひたることができる。

念入りに整地すると、昨日にもまして気分のいいテン場となった。

森広さんもトイレまで作って、ご満悦の様子。

この後、予備も残っているので、槍ヶ岳経由でもよいのだが、槍ヶ岳は北鎌尾根から登るんだと決意してからというもの、肩の小屋まで行っても未だ山頂を踏んだ事はない。

今回もパスだ。

明日は31日、大晦日。

明日中に帰るぞと気合を入れる。

12月31日(月)

と思っていたら、寝坊する。

なんとか7:15に出発して、西鎌尾根には8:00に合流。

稜線に出ると風も強い。

途中、SAC?だかの旗を持った集団とほぼ一緒になる。

荷物が大きくて大学生っぽいが、あんなに人数がいるなんてのも珍しい。

12:00には千丈乗越に到着し、飛騨沢経由で下山することにする。

人がうじゃうじゃ入っていて舗装道のように踏み固められた道を、走る走る。

しかし、14:30に新穂高に到着したものの、14:00にはすでにバスが出てしまっている。

ガーン。

でも、高速バスが平湯から出ているのを発見。

タクシーを呼べばなんとか間に合う時間だ。

どうしよう。

秀峰に入って半年経った。

私の正月も終わった。

この半年、放ったらかしにしていた彼氏殿に会いに帰ろう。

ということで、タクシーなんてとっても贅沢なものまで使って、21時過ぎには東京に帰りついたのだった。

今回は、なんといっても天気に恵まれた4日間で、またもや山の怖さを見ずに帰ってきてしまったようです。

森広さんには、氷瀑に行きたいところを私の希望に付き合って頂いて、本当に有難うございました。

おわり。

 

 

フランス フォンテーヌブロー

(見ただけ)

1999年12月27日
中嶋(記)

一回目のトライはパリに着いてから3日目の土曜日、地元のボルダラーがいれば色々教えてもらえるだろうという魂胆。

天気予報は毎日曇りばかりであてにならないのでとりえず行ってみることにする。

gare de Lyon まで地下鉄で行って、ここでFontainebleau Avon までの切符を窓口で買う。

だいたい1時間に1本位で、この日はタイミングが悪く1時間位待って11時の列車に乗った。

でも駅はとても面白く、あちこち見ているだけですぐに時間が来てしまう。

驚くのは駅のキオスクにやたらクライミングの雑誌が置いてあること。

ベルティクルやグランペ、モンターニュはもちろん、Roc’n Wallなんかもおいてある。

そんなに高くないので何冊か買ってしまった。

それとポケットサイズの英仏辞典なども買ったが、これは後々までけっこう役に立った。

駅に限ったことではないが、便所が必ず有料で支払い方もややこしかったり、閉店?の時もあるので要注意だ。

ようやく電車に乗るが、行き先が書いてあるわけでもなく車内放送も無いのでけっこう不安だ。

出発してすぐに景色が良い感じになってくる。

フランスってけっこうな農業国なんだよなあと思わせてくれる。

またこの路線はしばしばセーヌ川と並走するので車窓からの景色にも飽きがこない。

パリの町とはまた違った魅力がある。

40分位で到着し、駅前に出てみるとえらくしょぼい。

天気は悪くはないが道路は濡れている。

あてにしていた駅のレンタルサイクル屋も閉まっている。

とりあえずキオスクでブローの森の地図を買って、バスに乗ってプローの町の中心に出てみた。

この日はたまたまお祭りか何かの日だったみたいで、町中が飾り付けられて出店が出ていたりした。

子どもたちがおおはしゃぎでスケートをやっているのを見て、これは登れなくても仕方が無いなという気になってくる。

バスを降りたところにあるツーリストインフォメーションがレンタサイクルをやっていて、英語も通じるので迷わず借りて大喜びで自転車こいでボルダーに向かった。

地図で距離を確認するとけっこう遠くて、パリの市内を横断するくらいの距離がある。

ちょっと不安になったが、気持ちの良い森の中で車もこないので快適そのもの、これだけでも来た甲斐があった。

だらだら1時間もこいでいれば、この日の目標のエリアについた。

時間もちょうど良かったのでまずはお弁当を食べて、それからゆっくり岩を見て回った。

岩は完全に濡れていて登れる状態ではなく非常にがっかりしたが、憧れのボルダーの目の前に立てるだけでも嬉しいものだ。

はじめのうちはどれがどの課題かまったく分からなかったが、目が慣れてくるとそこらじゅうの岩に課題を示すペンキのマークが発見できるようになり興奮しながらトポと岩を眺めまくった。

1時間くらいうろうろしていたが、他にも似たようなことをしてるフランス人が何人かいた。

気を取り直してこの日はボルダーエリアの近くのバルビゾンの村まで自転車でいって、ミレーのアトリエにちょっと寄った後、村のはずれまで田園風景を見にいった。

数日後にパリのオルセー美術館に行って実際にミレーの絵を見て、見てきた風景と同じだから嬉しかった。

<まとめ>
何らかの理由で、パリで一日暇になっちゃった人にはお勧めできる場所ではある。

なにしろボルダリングのメッカだから。

でも普通の人だったらパリで観光している方が面白いかもしれない。

今回はじめて本格的な観光海外旅行にトライしたが、思ったよりも楽しめた。

 

 

八ヶ岳 小同心クラック、無名峰北稜

1999年12月11~12日
水柿、三好(記)

以前の会で岩に行く人が居なくなってしまったので、大学の山岳部に顔を出した時期があった。

でも、合宿以外ほとんど岩も山も行かないし、誘ったとしても様々な理由で断られてしまうのだ。

今回(直前ではあったけど)、たまにはと山岳部の人々を誘ってはみたが、状況は変わっていないらしく、自分のモチまで下がってしまいそうで怖くなった。

そんなこんなで、秀峰横浜支部の水柿さんが行けることになったので、ほっとする。

さてさて、どこに行こう。

人の居ないルートがいいなぁ。

順番待ちは嫌いだし。

そういえば、S太郎さんが、人の居ないルートだと自分の実力やスピードがばれないからいいんだよねぇてなことを言っていた。

私は実力もないし、トロいのでそれも当ってる。

でも、たまにはよく知られたルートにするかと小同心クラックに行くことにする。

プラス、無名峰北稜で渋く行こう。

12月11日(土)

曇りのち晴れ

美濃戸口に到着したのは0:00くらいだったろうか。

焼酎がかなりあるので、少し飲んでから眠るかということになったのだが、いつのまにか4:30。

もう歩き始めている人もいるのに、私達はそれから仮眠を取る。

「飲んべぇだと立派なクライマーにはなれないなぁ」と言ったら、「4:00過ぎてからさらに〝注げー〟と言ったのは三好さんですからね」とのこと。

もちろん都合よく覚えていない。

バスで到着した人の声で起きたのか、やばいやばいと歩き始めたのは8:50。

赤岳鉱泉には10:30に到着し、テントを張ってから取付きへ向かう。

八ヶ岳もよく知らない二人だったので、小同心クラックには小同心右稜から取付けばいいかということになっていた。

しかし、小同心ルンゼの一本手前の沢に入ってしまい、小同心左稜を登ることになった。

倒木を避けながら尾根にのり上げ、ぜぃぜぃしながら進んで、小同心クラックに取付いたのは15:00。

もう、下りようかとも思ったのだが、小同心はほとんど2ピッチだけだし、1ピッチくらい行ってみるかぁとなったのだ。

1ピッチ目、三好リード。

ホールドたくさん。

ぐいぐい登れる。

水柿さんが上がってきたのは15:25.まだ、暗くならないね。

2ピッチ目はそのまま水柿さんリードに。

こっちの方が体が外に出る箇所があって少し緊張した。

さぁ、さっさと下りるぞ。

しかし、当たり前のようにロープがひっかかりまくり、1回めの懸垂でもう暗くなってきた。

2回目の懸垂、最後の方になって、またロープが引っかかる。

もがいていると、あっ、ヘッドランプが落ちた。

途中で止まったのが見え、ほっとしたのもつかの間、ランプの明かりが見えなくなった。

とりあえず、取付き地点まで下れたので、ヘッデンを探す。

あった!しかし、今回デビューのヘッデンなのに割れてしまい、明かりもつかない。

水柿さんのヘッデンも接触不良で、ついたり消えたりする。

そんなぁ、と言っているうちになんとか私のヘッデンにも明かりがついた。

よかったー。

さて、大同心稜ってどこだ?行ったことないし、暗いし、ついでにガスもかかってしまった。

あっち?もっと先でしょう。

うろうろ。

あっ、踏み跡だ!!ばっちり付いた踏み跡を見て、生きて帰れる喜びをかみ締めながら、テントに急ぐ。

テント着、19:00。

初めて、赤岳鉱泉でビールを買って飲む。

なんて社会人っぽいんだ。

その後、座りながら眠る私に、水柿さんは「はいっ」と焼酎を渡し続けた。

飲む、眠る、飲むを繰り返し、どれくらい飲んだのか全然わからない。

12月12日(日)

晴れ時々曇り

今日は間違えないぞと小同心ルンゼに入る。

北稜に登り上げる付近まで来ると、小同心右稜から下っている新しい踏み跡があった。

取付きには二人組。

他にも北稜に行く人がいるんだねと話していたら、「ここ無名峰南稜だと思ってるんですけど」と言う。

違うっす。

とりあえず、先行が行くのを待ち、10:00頃取り付く。

ロープを出したのは3ピッチほど。

途中、中山尾根からみよしさーんと叫ぶ倉田さんの声が聞こえたが、続けて叫んだらしい○ブーは聞こえなかった。

岩というよりは、木につかまり、草付きにアックスを効かせて登って行く。

水柿さんが、岩よりこっちが好きだなぁと生き生きしてきて、少しでも気を抜くとさっさか離れてゆく。

高度な下ネタといい、あの妙な落ち着き(?)といい、20前半じゃない、きっと年齢を偽っているんだと信じていたが、なんのかんの言って元気なのを見ると水柿さんはやっぱり若いのかもしれんと年寄りみたいなことを考えながら登る。

あと、ロープを出したのは1ポイントだけ。

最後の岩場はちょっとやだなと思いつつもロープを出さずに右を巻いてしまった。

14:30に稜線にたどりつき、久しぶりに硫黄岳まわりで下山した。

赤岳鉱泉に16:30着。

途中ヘッデンが消えたりしてスッテン転んでばかりいたら、車についたのは18:30だった。

あっち?、いや、こっちだよと考え、歩き、登るのはとても楽しかった。

今までの八ヶ岳の中で一番かもしれない。

もうヘッデンは落とさないように注意しますので、水柿さん、また一緒に行きましょうね(嫌がっているらしい!?)。

 

 

八ヶ岳 ししヶ岩(中止)~権現岳~三ツ頭

1999年12月4~5日
森広、三好(記)

12月4日(土)

晴れ

向畑・倉田コンビの車に同乗して八ヶ岳に向かう。

しかも、船山十字路まで送っていただいてしまう。

以前来たときはバス停からずーっと歩いたので、かなり嬉しい。

車でぐっすり眠っていた私は、半分寝ている状態で荷物を下ろす。

じゃあ、また。

車が走り去った後、荷物を移動すると、カモシカバックがない!!下ろすのを忘れた!お金、は森広さんから借りられる。

行動食、も森広さんから。

メガネ、はコンタクトがあるから大丈夫。

よかった、なんとかなるじゃん。

テントを張って仮眠する。

そのうち、森広さんの寝息が聞こえてきた。

アッ!!突然気づく…メットもバックの中だ。

やってしまった。

S太郎さんの顔が頭の中をグルグル巡る。

結局、この私が4時過ぎまで眠れなかった…。

で、いつのまにか寝てしまい、6時。

寝坊だ。

森広さんにメットのことを話す。

ししヶ岩の第一尾根は人工もあるし、中止。

阿弥陀の南稜なら大丈夫でしょう。

まぁ、ここまで来たらどうしようもないから、行ってみよう。

今日はいい天気だ。

向畑さん・倉田さんのバリバリコンビは順調に登っていることだろう。

森広さんに申し訳ない気分で歩き始めた。

旭小屋から南稜に上がる地図上の道を行ってみたが、旭小屋から先は明確ではない。

南稜にいるパーティの声を聞きながら、出てくる岩場を避けつつ、右へ右へと進むと結構上部に出てしまった。

精神的にも参っているので、余計疲れた気分。

青ナギ到着。

10:00。

ししヶ岩の基部まで行ってみることにする。

ざれざれの場所に雪が乗っただけで歩きにくい。

立場川のゴルジュはまだ凍っていないので、高巻く。

登ったり下りたり。

そろそろ大丈夫かなという所で河床に降り立つ。

時々、ズボッと氷に穴を空けながらも慎重に歩く。

ししヶ岩が見えてきた頃にはすでに13:00になっていた。

風がかなり強くなってきたが、ししヶ岩の基部からはまわりがよく見渡せる。

明日の天気は悪そうだし、高巻きを戻るのは嫌だから、キレットの方に登り上げて、権現岳を通って小淵沢に下山しようということになった。

とりあえず、テントを張って焚き火をし始める。

ますますS太郎さんっぽい。

でも違うのは、ノンアルコールで早々に寝てしまったところ。

12月5日(日)

曇り時々雪

雲が分厚く覆っていて6:30になっても薄暗いが、気温は高く、八ヶ岳らしくない。

キレットの少し南側あたりを目指してハイマツをかき分け登り上げる。

あとはひたすら尾根上を辿るだけ。

小淵沢までと言ったけど、二人とも行ったことがないコースということで、三ツ頭を越えて甲斐大泉駅に下りることにした。

途中の道は走ってもフカフカしていていい感じだが、下の方は立派すぎる林道が出来ていて(今年の施工)、走れなかった。

途中の水場は枯れていてかなりがっくり。

甲斐大泉駅近くの名水百選の湧水は水量が多いけど、それほどおいしくなくてさらにがっくり。

さて、カモシカバックを回収しなくてはいけないが、火曜の忘年会に持ってきてもらうにも荷物が大きいので悪いし、行動食のパンの賞味期限が過ぎてしまう!!倉田さん宅なら帰りがけに取りに行けるかなぁと思い、電車乗り換えの度に電話するが通じない。

で、甲府駅で携帯にやっと通じたら、向畑・倉田コンビも何故か甲府に居たというのが事の真相。

久しぶりに筋肉痛にもなって、いい運動をしてきたという感じではありますが、森広さん、向畑さん、倉田さんには本当にご迷惑をおかけしました。

今後はこんなことのないよう気を付けます。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁大同心中央ルート

1999年12月4日
向畑(記)、倉田

12月3日夜八王子集合、4人乗ると荷物が積めなくなるので、シビックの屋根にザックを載せたりしていたら、出発は4日0時頃となってしまった。

途中、ししが岩に向かう森広、三好の師弟コンビを舟山十字路で降ろし、美濃戸へと向かう。

この時、誰も気付いた人はいなかったが、サイフ、眼鏡のほか、ヘルメット、食料などが入ったカモシカバックが車の中に忘れられていた。

師弟コンビがその後どのような経過をたどったか、それは本人達の記録発表を待ちましょう。

八ヶ岳は全然雪が無く、シビックでも美濃戸まで問題なく入れる。

ちなみに、以前乗っていた軽自動車も含めて、自分の車で美濃戸まで入れたのは初めてだ。

美濃戸には夜中の2時30分頃到着。

このまま用意して出かけるとちょうどいい時間になりそうだが、ちょっとだけ仮眠しようとして車の中で寝袋に入ったら、駐車場係のお兄さんに6時15分くらいに起こされてしまった。

私はともかく、決めた時間に必ず起きて起こしてくれる倉田さんが寝過ごすのは珍しいと、変なことで感心してしまった。

用意して美濃戸を出たのが7時15分くらい。

まわりの車の人達は大方が出発しており、すでにかなり出遅れた雰囲気だ。

赤岳鉱泉から大同心稜へ向かったが、この辺に来るのも久しぶりだったので、大同心稜には末端から取り付いてしまい樹林を掻き分け進んでいたら、大同心沢を詰めてから上がってくる立派なトレースに合流、大同心基部には10時30分頃到着した。

当初、雲稜ルートを予定していたが、既に3人パーティが取り付いている。

右フェースにも2人パーティが取り付いており、両方ともまだ1ピッチ目にいる。

ゆっくり用意しながら様子を見ていたが、どちらもかなり時間がかかりそうなので、真中の中央ルートを登ることにした。

このルートは、以前当会にも在籍したことのある新保おじさんが数年前の岳人に発表していたが、初登者等は不明、中央ルートも仮称で正式にはわからないらしい。

また、中央ルートは4年前に雲稜ルートと間違えて取り付き、ホールドがはがれて墜落した、私にとってはいわく付きのルートで、前々から多少心の片隅に引っかかっていた。

その時は、ノーピンでのフォールにもかかわらず止めてくれた瀧島さんや、下山後捻挫で歩けなくなった私を車で自宅まで送ってくれた板橋君には大変ご迷惑をおかけしました。

前置きが長くなりましたが、以下記録です。

1ピッチ目、11時に登り始める。

ビレーポイントはリングボルト1本、目の前のフェースを右から回り込んで登るが、出だし5mほどはピンがない。

バンドの上に浅打ちのリングボルトが、八ヶ岳特有のはがれそうな突き出たホールド状の岩に打ってある。

バンドをトラバース後左上、ここもピンがなくて怖い。

さらにフリーと人工で直上、ロープを40mほど伸ばすとボルト4~5本の立派なビレーポイントがある。

人工からフリーに移り、また人工のピンを取るまでがちょっと難しい。

問題の2ピッチ目、前回は登っていてもルートを間違えていることに気付かず、雲稜ルートのトポを見ながら右の凹角状を登ろうとして墜落した。

その後、新保さんの記述を見ると、左に回り込むことになっていた。

左のカンテをトラバースして回り込むと、上部にピンが連打されている。

ここも、出だしから5mほどランナウトする。

数回アブミを架け替えると、草付き混じりのフェースになる。

フリーとダブルアックスを交えて登り、草付きのバンドを左にトラバースすると雲稜ルート4ピッチ目あたりに合流する。

このピッチも40mほどで、草付きフェースから雲稜ルートと合流するまでの20~30mほども、難しくはないがピンはない。

時間は15時。

2ピッチでたっぷり4時間かかってしまった。

以降、雲稜ルートをたどりドームの基部へ。

すでに16時30分になっていたのでドームは割愛。

この時間でもドームに取り付いているパーティがいて、暗くなるのに大変だなと思っていたら、当パーティも1回目の懸垂でロープが来なくなり、倉田さんに登り返してもらったりしていたら真っ暗な中での懸垂になってしまった。

大同心の基部に戻ったのが19時15分頃。

美濃戸に戻ったのは22時を過ぎていた。

5日の日曜日は雨の予報だったので4日のうちに帰るつもりだったが、帰っても夜中になってしまうのであきらめ、美濃戸口から少し下ったところでビバーク。

5日朝、取りあえず雨は降っていない。

国道20号を南下するが、甲府に近づくにつれだんだん晴れてきたので太刀岡山に行った。

そして、17時頃帰ろうとして甲府昭和インターから中央道に乗ろうとした直前、車中に携帯の音が鳴り響いた。

その後、荷物が錯乱していた車中から忘れ物を発掘し、甲府駅まで届けに行くことになる。

改札口に荷物を届けに行った倉田さんによると、どうやら師匠の方はあきれて先に帰ったしまったらしく、弟子が1人で待っていたそうだ。

それにしても、どうしてその時間に、弟子が甲府駅にいたのかは謎のままである。

 

 

北アルプス 鹿島槍ヶ岳東尾根

1999年11月20~21日
小谷、椛島、三好(記)

11月20日(土)

晴れ

車の中で仮眠をとり、5:30頃起きる。

思ったほど寒くない。

6:10には出発

雪が少なかったらということで、水は担ぎ上げる。

東尾根には先行する二人組パーティがいて、すぐ追い越すが、赤布を大量につけながら歩いていた。

高度を上げてゆくと、少しずつ雪が増える

大体30~40cmくらいといったところ。

ヤブは濃くないが、雪が締まってないので、これ以上積もっていたら歩きにくいだろうな。

12:00には二ノ沢の頭に到着。

中途半端だが、ここでテントを張る事にする。

無風、快晴、

周りは全て一望できる

なんと、外で宴会を行うことになる。

春山みたいで気分がいい。

こんなんでいいのかなぁ。

まぁいいか。

しかし、カバ君のパワーには恐れ入る。

ビール3本、ワインのボトル、日本酒の1リットルパック。

これだけ出てくると何も言えない。

幸せ。

11月21日(日)

雪のち晴れ

4:00に起床。

雪が降り、風も多少出ているが、気温はやはりそれほど低くない。

6:00には歩き出し。

急登が続き、いきなりバテそうになる。

トレーニングしないとなぁ、と思いながら必死に進む。

途中で岩も出てくるのでアイゼン装着

7:30に第一岩峰取り付き

右、氷柱が中途半端にくっ付いている。

真中、岩。

左、岩でも傾斜が緩く、草付きにはアックスが効きそう。

左側に取りつき、2ピッチ、ロープを出して終了

アイゼンで岩って久しぶりなので、ちょっと立ち込むのにも緊張した。

いつのまにか快晴になっている。

第二岩峰はカバ君リードで、2ピッチに切って終了。

結構、傾斜がきつい。

小谷さんはすらすら登って行くが、私はモタモタという感じ。12:30。

14:30には北峰に到着。

聳える剣に目が奪われるが、時間もないことだし、とっとと

下山にかかる

踏み跡があるので、かなり楽だ。

途中、立ち止まると、牛首尾根が長~く、黒部別山が遥か低~く見える。

そして、大タテガビン…。

心臓がバクバクし始める。

振り切るようにして、再び歩き出す。

15:00には南峰を通りすぎ、16:10に冷池山荘。

赤岩尾根の分岐までひと頑張りした後はもう駆け下るだけ。

19:00には大谷原に到着。

しかし、車のトランクに入れていたはずの財布とカードがない!?車上荒らしだ。

バタバタしていたらもう20:00。

だが焼肉まんにはなんとしても入ろうということになり、結局、小谷さんはカバ君宅に収容。

すいません。

今度からは貴重品はちゃんと持ち歩きます。

でも、ショックが大きいと思いきや、それほどでもない。

毎年のように、盗難届や遺失届を出しているので、慣れてきてしまったのだろうか。

ちょっと悲しい…。

 

 

北海道 空沼岳~札幌岳

1999年11月11~13日
三好(記)、石澤・西村(職場の人々・11日だけ)

職場の人と一緒に行くことになったので、お気楽コースを選んだつもりだったんだけど…。

11月11日(木)

曇り

羽田発6:50の便に乗り、札幌へ。

飛行機の窓からみると、山にも雪がほとんど見えない。

13日から札幌国際スキー場がオープンするというのは本当か?(本当でした。積雪30cm以上らしい!?)

南北線真駒内駅まで行ってタクシーに乗り、登山口へ。3,000円くらい。

11:00に歩き出し。

雪が解けてぬかるんだ道をゆっくり進む。

14:00には万計山荘に到着。

通年開いている立派な無人小屋だ。

札幌に住んでいたら、ここまで宴会しに来てもいい。

夕食は、なんとシーフードカレーに、ハンバーグまでついてくる。

他の人に食料を持ってきてもらうと、とても豪華になるので嬉しい。

11月12日(金)

きのうの夕食直後に意識を失ったので、結局、12時間以上も眠ってしまった。

山っていいなぁ。

しかし、朝から気温も高く、雨。

ラジオでも「一日中全道的に雨になるでしょう」と言っている。

職場の二人は帰ろうかという話になるが、私は歩きたい気分の方が勝っている。

テントも食料も一通り自分で背負っているので、二人と別れて空沼岳に向かう。

もう9:00だ。

雪は5cmあるかないかだが、小さな沢が道に合流している所は、氷がきれいに道全体を覆っている。

初めて6本爪軽アイゼンを装着。

思ったよりも歩きごこちはいい。

11:15、空沼岳の山頂に到着。

ここからが核心!?空沼岳から札幌岳の間はヤブだった。

一度雪が降って、笹が倒れた後のため、背丈以上の笹が腰のあたりで編み合わさっているし、トラバース道は笹にしがみつき、ずるずるしながら進むしかない。

雨は強くなるし、タクシーのおっちゃんが「クマに気をつけるんだよ」と忠告してくれたのを思い出し、踏み跡はあるがヤブがかなり濃い場所もあり、周りもガスでよく見えないので段々不安になる。

その時に、まだ新しいカウベルを拾う。

少し力づけられた気になり、カウベルをザックにつけて先に進む。

札幌岳に出ると、道がはっきりして、ホッとする。

すでに16:20、暗くなってきたので駆け下りる。

冷水小屋は閉まっているが、入口の屋根のある場所にテントを張った。

体は濡れているが、明日は2時間ほど下るだけなので気楽な気分。

中学校の林間学校で初めて山に登った時も、初めて一人で縦走をした時も(屋久島だったからか)、ずっと雨だったなぁと色々考えながら過ごす。

11月13日(土)

晴れ時々雨のち曇り

7:00出発。

歩きやすい道をのんびり歩く。

アスファルトの道に辿りついて驚いたのはミミズの多さ。

これはスゴイ。

北海道のミミズ密度って、本州と違うんだろうか。

9:15定山渓到着。

宿泊予定のホテルに荷物を預け、温泉に入ってから移動。

サッポロビール園で、職場の旅行(総勢30人)に合流したあとは、ひたすら宴会、宴会でした。