谷川岳 一ノ倉沢 三ルンゼ

2001年3月17日
向畑(記)


三ルンゼは昨年、一昨年とやはり3月に計画したが、アプローチで雪の状態に不安を感じ、2回とも本谷の途中から引き返した。

今回で3度目のトライになるが、過去2回と比べて雪も締まっていて状態はかなり良かったように感じた。

しかし、それでもルンゼ内に入ると、明るくなると同時に上部のあちこちから小規模な雪崩が落ちてくる。

また、技術的にはそれほど難しくないが、ほとんどが岩の上に乗った氷や雪を使いながら、だましながら登るような不安定なクライミングを強いられる。

特に、安定した厚みのある氷はあまり得られず、今回登った感じではどちらかというと雪の要素が強く、仮にロープを使ったとしても、おそらく満足な支点は得られないような気がする。

また、最大のポイントは、やはり、天候や雪の状態を読んで好条件をつかむことと、取り付くにあたっての的確な判断だと思う。

午前1時に土合を出発する予定だったが、もたもたしていたら1時15分発になってしまった。

天候は、星が出ているので晴れているようだが、残念ながら月明かりは期待できない。

おそらく、14日の移動高による雪崩で落ちた後は、それほどの降雪量はなかったはずだ。

また、16日も1日晴れていたはずで、予報では、17日の午前中くらいまではお天気も持ちそうだ。

2時45分一ノ倉沢出合着、ハーネスを付けてアイゼンをはいていると、後ろから後続の2人パーティが来て、やはり3ルンゼに行くと言って追い抜いていった。

「みんな考えることは同じなのかな。」

と思って後続したが、2人はすばらしいスピードで本谷を詰めていく。

腰痛持ちの40代にはとても追いつけない。

そして、予想どおり、本谷の傾斜が上がってきたあたりから腰が痛くなってきたが、今回を逃したら、次の好機はいつ来るかわからない。

途中のクレバスは、確か過去2回は左から回りこんで越えたが、今回は先行パーティのトレースに従って右から越えた。

4時50分、三ルンゼの出合から登攀開始、先行パーティは雪の状態が良いと判断したのか、中央奥壁に変更するという。

お互いに「気を付けて。」と言って別れた。

同行者がいなくなりちょっとだけ残念な気もしたが、ここまでもトレースでずいぶんと楽をさせてもらったし、わずかでも弱気になりかけたことに対しても、「こんなことではいかん。」

と思いなおしてルンゼに入った。

雪のルンゼを50mほど登るとチムニー状のF2になる。

トポには60~70度と書いてあるが、登って見ると結構立っている。

また、下部は比較的氷が安定しているが、上部に行くほど雪混じりとなり、抜け口は完全な雪壁になっている。

上部に行くにつれてアックスが決まらなくなってきて、じたばたともがいていると、最近あまりアルパインクライミングをやっていなかったせいか、まず右足がつってきた。

「まずい。」

と思いながら右足をかばって登っていると、今度は左足がつってきた。

足が思うように動かないが、登らない訳にはいかない。

強引にF2を乗っこし、F3下の雪壁に立った時、F3上部で雪煙が上がった。

少し遅れて、F3落ち口から小雪崩が落ちてきたが、足が痛くて身動きができない。

ピッケルとバイルを打ちなおして耐えていたが、早く終わることと、これ以上規模が大きくならないことを祈るしか、他にどうすることもできない。

雪崩をやり過ごし、真っ白になったまま動こうとするが、まだ足が痛くて動けない。

こんなところに止まっているのは危険この上ないことはよくわかっているがどうしょうもない。

夜明け前の薄明かりの中、F3の状態を観察しながら、足の感覚が戻るまでしばらくじっと待っていた。

F3には氷は付いておらず、直登はちょっと無理そうなので、右のルンゼから高巻くことにした。

こちらも上部に行くにしたがい傾斜がきつくなってくる。

浅い凹角に詰まった氷や雪をめがけてアックスを振るうが、2回に1回くらいは決まらないので、ここもだましながら強引に越えていく。

足をあまり高く上げすぎると、また、足がつりそうになるので思いきったムーブができず、ペースは全く上がらない。

しかし、「ここまできてしまった以上、もう登るしかない。」

と思いこんでしまうと、さっきまで猛烈に感じていたプレッシャーもなくなり、かえって気合が入ってきた。

でも、気合は入っても体が思うように動かないことには変わりはなく、自分の体のふがいなさが結構なさけなかった。

トポでは、F3を巻いた場合は上部の雪壁を左にトラバースし、ルンゼ中央部の小氷瀑を越えるとある。

見ると、ルンゼの中央部にはきれいにラビーネンツークが走り、小氷瀑はその途中にある。

しかし、そのラビーネンツークから小氷瀑に沿って何回も雪崩が滑り落ちており、とてもそこを登る気にはなれない。

右側の雪壁をひたすらラッセルするが、その雪壁の上部岩壁帯からも、しょっちゅうスノーシャワーが落ちてくるので全く気が抜けない。

ルンゼが狭まり右側の雪壁が登れなくなったので、ラビーネンツークを渡り、今度は左側の雪壁を登る。

登っているすぐ横を、またまた小規模な雪崩が滑り落ちていく。

左に見えている雪稜に這い上がりたい誘惑に駆られるが、早くリッジに出すぎるとはまってしまうのは夏に登った時に経験済みだ。

ルンゼをほぼどん詰まりまで詰めたあたりから左の雪稜へと出て、雪稜から上部草付きへ。

この草付きも結構傾斜があって以外と悪い。

草付きから最後の雪壁を登り、雪庇のもっとも傾斜の緩そうなところを選んで切り崩しにかかるが、不安定な体制での雪庇の切り崩しには20~30分かかった。

ここからでもスリップすると、一気に取り付きまで落ちていってしまいそうな傾斜だ。

全く最後まで楽をさせてもらえない。

安定して乗っこせるような傾斜になるまで、徹底的に切り崩した。

取り付いてからはずっと上ばかり見上げていたが、ピッケルのブレードで雪庇最上部を掻き落とすと、急に前方に視界が広がった。

ピッケルとバイルのシャフトを根元までねじ込み、倒れこむようにして国境稜線に這い上がった。

国境稜線着8時10分。

雪庇の上にいるのはわかっていたけど、しばらくはそこでごろごろしていた。

何気なくバイルを見ると、かなり岩を叩きまくったみたいでピックの先端が見事に欠けていた。

高いバイルでなくて、カジタで良かったと思った。

休憩後、立ち上がって歩き始めたが、3ルンゼ上部ではほとんど感じなくなっていた足の痛みが、緊張感が切れたためか再び復活してきた。

国境稜線が右傾斜のためか、山足側になる左足が特に痛くて、足を引きずりながらトマの耳に向かった。

トマの耳着9時10分。

まだ時間が早いためか、あるいは午後からは天候が崩れる予報になっていたからか、トマの耳には誰も登ってきていなかったが、そのうちに、天神尾根から山スキーヤーが上がってきた。

降りようと思って西黒尾根に行ってみたら、土曜日の朝なのでまだトレースが付いていない。

でも、まだ時間が早いため雪は結構締まっていて、気持ち良く降りることができた。

途中、西黒尾根を上がってきた、境町山の会の大山さんという方にお会いした。

何でも、日山協かなんかの講習会に講師として呼ばれていて、昼間は暇だったから登ってきたそうだ。

この人、結構なご年配のようにお見受けしたけど、三スラをソロで登ったり(私と1日違いで登っている)、遭難が続出した今年の正月に八ツ峰を完登したりしたすごい人で、足腰が痛いのも忘れて、結構長い時間その場で立ち話をしてしまった。

土合着11時30分。

10時ごろまでは晴れていたが、予報どおり、その頃には曇り空に変わっていた。

 

一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

2000年9月10日
本郷、関、一ノ瀬(記)


9月8日

夜、本郷号で出発。

あやしい天気とは思っていたがまさか水上が土砂崩れ&道路が川になっているとは。

初めての本チャンも水に流れてしまうのだろうか・・・。

9月9日

凹状を予定していたが、相変わらず雨模様の為、今日の本番はおあずけ。

午前中は前夜合流した柴田さん、赤井さん組と水上道の駅で室内壁を登る。

私だけ汗びっしょり。

午後は谷川岳入口で私は懸垂下降の特訓、その他メンバーはにわかレスキュー講習会となる。

9月10日

ちょっと寝坊ぎみで今日は南稜へ。

初めての本番、初めてのアルパインである。

緊張と興奮でほとんど取り付きまでは覚えていない。

ただ、本郷さんの「落ちるな」

「ここ落ちたら死ぬぞ」

とか「ここで落ちて死んだ奴はたくさんいる」

などの脅し文句が耳に残っている。

必死で本郷さん、関さんの後をついて南稜テラスへ。

取り付きまでがこんなに大変だとは思わなかった。

テラスで一服して取り付くがまたここからあまり記憶にない。

最初の数ピッチを本郷さんがリード、あとは関さんがリードする、あとは場面がフラッシュバックするのみだ。

それと最後の馬の背リッジ、終了点手前のフェースがちょこっと覚えてるかな程度。

終了点で「物足りないだろ」と言われたが答えようがなかった。

終了点到着時間は13:30、ここから同じルートを懸垂下降で降りる。

最終フェースを降りてザイルを引くと終了点の岩にザイルがひっかかってしまった。

私の懸垂の仕方が悪かったのだろう。

難儀をして関さんが登り返し直してくれた。

そこらへんから天候が崩れてきて雷雨模様。

ガスも谷川を包み込み始めた。

雷こわーい、などと言っている状態じゃあない、必死の懸垂下降は続く。

そういえば後続パーティーがいたような気がしたが、天候不良で引き返したのだろうか?
人気のあるというこのルートは結局私達だけだったようだ。

神経集中眉間にしわをよせながら懸垂し南稜テラスに到着。

問題はここから。

実は一番恐かったのがこのアプローチの下りだった。

雨に濡れたスラブは恐く、びびり腰で歩く。

「落ちる時は声出してから落ちろ」

「・・・。」

ここでも脅される。

なんとか無事に一ノ倉沢出合へ着いた。

登ってしまった喜びと満足感でにたーっと笑みがこぼれる。

以上が私のアルパインクライミング初体験の記録とはいえない感想です。

とにもかくにも今回私を完全バックアップしてくださった本郷さん、関さん、ありがとうございました

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

2000年4月2日
森広、三好(記)


一ノ倉尾根に行こうと秀峰メールを出したが、一緒に行く人が居ない。

がっくりきて、メールを持っていない森広さんに電話をかけると、日曜日だけならいいよとのことで、中央稜に向かうことになった。

立体駐車場で仮眠をとり、3:40に出発。

日帰りは、山に来たなぁという気分が今一つ盛りあがらない。

ただ単に、酒を飲んでうだうだ出来ないのが悲しいだけかもしれないけど。

一ノ倉出合に到着して、装備をつけ、テールリッジに向かったのは5:30頃。

すでに明るくなっている。

テールリッジの上部は雪が割れて落ちかけており、岩の上にうすく雪が乗っているだけの場所もあり、少しやらしいが、トレースを追ってゆく。

最後、1ピッチ分だけロープを出して、中央稜の取りつきに到着する。

烏帽子沢の雪はゴソッと落ち、上部に残っている雪もいつでも崩れてしまいそうだ。

他にテールリッジを登っていたのは1パーティだけで、南稜に向かおうとしていたが、雪が不安定なため、中央稜に取りつくと言って戻ってきた。

こちらものろのろと準備をして、先行パーティに続いて取りついたのが8:00くらい。

1p、三好。

技術的には難しいとトポに書いてあるが難しく感じない。

下部に雪がついているからか。

しかし、遅いのがなさけない。

途中でロープが重くて切ってしまう。

2p、森広。

次の支点に移動する。

3p、三好。

泥壁から右にトラバースした後でピッチを切る。

トラバースは少し怖い。

4p、森広。

フェース。

ロープの流れが悪くなり、すぐ切ってしまう。

5p、三好。

フェースの続き。

途中、先行パーティの人が懸垂で降りてきたが、話をする余裕はない。

一見、登りやすそうだったのに、足の置場がわからない。

フラットソールなら、フリクションで楽々なのに。

アイゼンは厳しいなぁ。

6p、森広。

途中疲れたので降りて、三好に交代。

チムニー状のところを登る。

ハーケンを打ち、アブミも使い、異常に時間が掛かった。

登りきったら、お助け紐っぽいのがちょうど見えない位置に隠れていた。

ここまでで14:00になっており、この後も実は結構悪いとの話なので、下降することにする。

テールリッジを何回か懸垂も交えながら降りる。18:30。

さすがに4月はまだ明るい。

今日は一日中、風もなく、天候的にも恵まれていた。

帰りは、行きに見られなかったデブリもたくさん見られて、シーズンの終わりを告げている。

立体駐車場に戻った時には、19:30。

もう暗くなっていた。

本当に、後発パーティが居なくてよかった。

もっと、アイゼン岩登りもロープワークもうまく、素早くなりたいと切実に思った。

そして、またチャレンジしよう!

 

谷川岳 一ノ倉沢 4ルンゼ

2000年3月23日
小谷(記)

立体駐車場1:05発。

センターに計画書を出しラッセルに励む。

雪は踝から脛で、所々膝上になったりトレースが出てきたりと相変わらずだが、積雪量は多い。

2:50一ノ倉沢出合い着。

し~んと静まりかえり、下弦の月があたりを照らす。

快晴無風、-5℃。

装備を付け、ここ数か月間溜め込んだものを一気に吐き出すように歩き始めた(3:15)。

衝立前沢からのデブリが歩き難いが、ここ以外デブリらしいデブリが無い。

雪は踝くらいまでもぐる。

月が沈み、ヘッデンをつける。

5時滝沢下部氷瀑近くに着く。

明るくなってきてしまった。

下方に2人パーティが登ってくる。

ヘッデンを外し、用足しをして出発するも本谷バンドのクレバスが大きく越えられない。

狭くなった所を右へ右へと探すがうまいところが無く南陵近くまで行くと、ヒドンクレパスが突然出てきて危うく落ちそうになる。

少し戻り、下がしっかりしていそうなところを勝負で乗越す。恐かった(5:25)。

後はひたすら雪壁を登るのみ。

2ルンゼを過ぎ、3ルンゼの氷瀑が綺麗だ。

滝沢スラブが真横から見える。

後続パーティは3スラに張り付いている。

3スラのF1近くには氷がびっしり張っている。

周りに見とれながら、4ルンゼの最狭部F4を7時過ぎに通過。

F4と言っても単なる雪面が続いているだけで、ダガーポジションでぐいぐい登れる。

これがやりたかった。

上部カール地帯に入るとあたりは開け、カチカチに凍った雪壁が延々と続いている。

アイゼンの前爪しか入らない雪面にダガーポジションでの登高は疲れる。踏み外すと一気に下まで飛んでいきそうだ。

早く右の尾根に乗りたいが、尾根上も岩が出ていて面倒そうなので、慎重に蹴り込んでは
疲れるとがに股に足を置き最後の詰めまで雪面を登る。

8:05頂上直下の一ノ倉尾根に抜けた。

雪煙を舞上げた風が心地よい。

疲れたのか、緊張が解けないのか、鼓動が収まらない。

快晴で遠くまで雪山が続いている。稜線上は風が強いが、厳冬の寒さは無く歩きやすい。

トマの耳手前でヘリコプターが頭上を何回も旋回してくる。何か連絡した方がいいのかと思いあわててトランシーバーを出すが、出したとたんに行ってしまった。

巻き上がる雪煙で西黒尾根の下降点に迷うが降りてしまえば難なく歩けた。

一ノ倉岳8:30発、肩の小屋9:38、登山センター11:10着。

4ルンゼは特に難しい箇所もなく、一ノ倉沢のど真ん中を一ノ倉岳頂上直下まで一気に上り詰められる気分の良いルートだった。

谷川岳 一ノ倉沢 αルンゼ

2000年1月8~9日
瀧島(記)、小谷、椛島

正月山行では穂高の継続クライミングを計画したが、屏風岩の取り付きまで行っただけで、壁には取り付かずに敗退となってしまった。

おかげで年末年始はコタツで紅白を見て、近くの神社に初詣に行って、まさに幸せなお正月を過ごしたのだった。

もちろん体重、体脂肪率ともに増加してだるま状態となった。

このままではミレニアムは良い年は望めないと思い、心を入れ替えて一ノ倉にリベンジに出掛けることと成りました。

はじめの計画では12月に衝立の北稜に行ったときに見つけたアルファールンゼの横の尾根だったけれど現場で急きょルートの変更をしました。

1月8日

快晴

ロープウェーの駐車場を5時ころ出発、積雪は少なく、しばらく降っていないようだ。

おかげで一ノ倉の出合には1時間くらいで着いた。

テールリッジの上部にヘッドランプの灯りが二つ動いている。

彼らはきっと、一ノ倉の中核をなすメジャーなルートへ向かうのだろう。

雪崩の危険は感じなかったのでコップスラブを直接略奪点目指して登って行った。

アルファー、ベーター中間リッジは登ったと言う話は聞いていないが、出合付近からも割と良く見える。

見栄えも捨てたものではありません。(少し誉め過ぎかも)

取り付きは略奪点のすぐ上、コップスラブの目印になるピナクルの近くまで末端が迫っている。

アルファールンゼ側に回り込んで取り付こうとした。

ところが目指すリッジの上はこのところの好天のおかげでブッシュがうるさそうだ。

それに引き換えアルファールンゼは雪も安定していて魅力的に感じられた。

悪く言えば優柔不断、良く言えば状況に応じた現場での適確なルート変更をして、アルファールンゼをつめることとした。

中間リッジにはもう少し雪がついて良い状態のときにまた来よう。

アルファールンゼの下部は今日の雪質ならば問題ない。

コップの広場と同じ位の高さでルンゼの幅は一気に狭まる。

雪質も不安定になりロープをつける。

1P目椛島トップで傾斜は緩いが不安定な雪質のルンゼをじりじりと進んで行く。

岩の上にうっすらと雪を付けているだけでピックは岩を叩いてしまって決まらない。

マサに嫌らしいピッチをノーピンで登って行った(50m)。

山を始めてまだ1年なんて思えない登りを見せてくれた。

今回はリッジルートなので岩と雪稜を想定したギヤを持ってきていたのでアイスハーケンなんか一本も持ってこなかった。

おまけにアイゼンはカジタの10本爪だ。

2P目小谷トップ。

今度は安定した氷からワンポイントのおっかないトラバース。

3P目瀧島トップ。

正面は発達の悪い氷曝。

おもわず右の急な草付にルートをとった。

途中ピックがきまらず、墜落寸前までいったが、ファイト一発なんとかクリアー。(50m)

このままリッジを登って行くと50mで一ノ倉尾根に飛び出した。(15時)

ここから眺める幽の沢も雪は少なく黒々としていた。

一応そのままロープをつけたままで50m進むとルンゼの入り口に着いた。

ここでロープをはずして後はひたすら上を目指す。

衝立尾根との合流したところでワンポイントロープを使った。

夕闇迫るころ一ノ倉岳に着いた。

頂上直下の雪壁に穴を掘って今夜の宿とした。

几帳面な小谷さんのおかげで超快適なねぐらが完成した.酒も食料も豊富にあり幸せな夜を過ごした。

1月9日

ガスのち快晴

西黒尾根経由で無事に下山。

今回、成り行きでルンゼルートを登ってしまった。

今までのセオリーだと積雪の多い山域のルンゼルートは雪の安定した3月にねらう事が多かったと思う。

しかしここ数年の冬の天候パターンと山の状態を考えると時期にとらわれずに積極的に谷を詰めてから取り付くルートやルンゼルートを計画しても良いのではないかと感じていた。

だから今回アルファールンゼを登れたことは自分の考えがある面では正しいことが判ったので満足している。

とはいえ、下部では雪崩の危険を感じずに登れた適度に締まった快適な状態の雪が、傾斜が変わる核心部の滝の手前では、いつ雪崩てもおかしくない不安定な状態に急変した。

締まった雪の上にチリ雪崩となり落ちてきたふかふか雪が重なったものと思われる。

ハンドテストをすると上層の雪はいとも簡単に動き出した。

雪質の見事なまでの急変を身をもって感じる事ができて良い経験ができたと思っている。

特に年末年始の積雪量はここ数年概して少ないように思える。

従来の常識にとらわれずに頭を柔らかくして柔軟に考えると今までにない面白い計画も考えられるだろう。

ただし突っ込むか戻るか、あるいは転進するかの現場での判断の重要性は今まで以上に大切になる。

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁ディレッティシマルート

1999年11月7日
向畑(記)、倉田

この時季としてはとても暖かく、11月とは思えないほどの登攀日和だった。

他にクライマーは中央カンテに1パーティ、南稜に取り付こうとしていたのが1パーティだけ。

紅葉も盛りを過ぎたため、出合を占領していたカメラマンもぐっと少なくなっていた。

5時15分頃一ノ倉沢出合出発、ディレッティシマには7時頃に取り付いた。

本谷の水量もぐっと減っているので乾いていることを期待していたが、先週降った雨のせいか、烏帽子はいつもどおりの染み出しで、それなりに濡れていた。

1ピッチ目、変形チムニールート横の凹角を途中まで登ったが、どうみても右のリッジに出てしまった方が簡単そうだ。

という訳で最後までつめないでリッジに出たら、すぐ横に見たことがある変形チムニールートがあった。

これゃいかんと思って、そこからまた左に戻っていくという変なラインを登ってしまった。

下部2ピッチは、ルートファインディングの苦手な私にはとても分かりにくかった。

2ピッチ目、意識的に左よりを登った。

出だし2mほどでぐらぐら動くハーケンがあっただけで、途中かなり厳しいムーブが1ヵ所あったにもかかわらず支点はそれだけ。

フォローした倉田さんによると、土に埋まったハーケンがもう1本あったとのこと。

もしかしたら、ここもラインをはずしてしまったかも知れない。

このピッチで倉田さん1回目のフォール。

3ピッチ目、変形チムニー左側のフェース。

支点は少なく、しかもボルトは年季が入っているが、ラインが分かるので比較的快適。

フェースの上は草付きをたどり、右上してビレーポイントへ。

4ピッチ目、左上にある凹角。

抜け口が悪く、とてもⅣ級には思えないが凹角内には支点があり精神的には多少は楽。

凹角を抜け右にトラバースしたところにあるビレーポイントから、さらに右に行った小ハング下のビレーポイントへ。

5ピッチ目、小ハングを直上し、上部のボルトラダーへ。

途中ランナウトするが、ラダーもフリーで登れ、支点が少ないことを除くと快適なピッチ。

ラダー上のビレーポイントから、さらに右側のリッジを回り込んだところのビレーポイントへ。

6ピッチ目、トポによると出だしは「おおまかな岩場を直上(Ⅳ)」

とあるが、とてもⅣ級で登れそうなラインは見当たらない。

何よりも、支点がないのでどこを登っていいのかよく分からない。

仕方がないのでフレークとブッシュを使って真上のリッジ状を目指し直上、ルート中ここの数手が最も怖かった。

そのあともランナウトして登っていくと、このピッチも上部はボルトラダーになっている。

スラブに連打されたラダーはフリーではちょっと難しそうなので、最初からA0使いまくりで突破。

抜けたところに浅打ちハーケンが3本並んでいる。

さらに上部にもビレーポイントがあるような気がしたが、あと5mのコールがかかったので、ブッシュとつなげてビレーポイントをつくった。

このピッチで倉田さん2回目のフォール。

ビレーポイントが抜けないかと、一瞬ヒヤッとした。

7ピッチ目、やはりテラスを右側に回り込むと、5mくらいのところにビレーポイントがあった。

そこからフェースを直上、ルートは凹角状になっていくが、ここは割と支点があるので、これまでのピッチと比べるとぐっと楽になる。

8ピッチ目、最終ピッチは倉田さんリード。

草付きを少し登ると変形チムニールートに合流し、烏帽子岩基部へ。

13時頃終了。

下降は南稜から直接鎌形ハング下に降りようとしたが、南稜は長いこと降りたことがなかったので、途中で間違えて6ルンゼに降りてしまい、そのまま6ルンゼを本谷バンドまで下ってしまった。

でも、6ルンゼでリチウムのヘッドランプ(ペツル製)を拾った。

ヒョングリの下で水洗いして、はずれていた電球をセットしてみたらちゃんと電気が点いた。

自分が持っているゴムが伸びたやつよりも、かなり新しい。

出合に戻ったのは17時頃だった。

6ルンゼから本谷バンドへの最後の50m近い懸垂で、引きロープと反対側のロープが来なくなり、ロープを切って残置してしまいました。

私の場合、引きロープと反対側のロープが岩角やクラック、草付きなどに絡まり、回収できなくなることがとても多いのですが、どこか私のやり方に問題があるのでしょうか?気づいた点がありましたら教えていただけませんか。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩正面壁雲稜第一

1999年10月24日(日)
向畑・倉田(記)

朝寝坊の向畑さんを何とか起こし、一番に取り付こうとしたが、ヒョングリの懸垂手前で足の遅い私のせいで、先行パーティーに抜かれ、(ヒョングリでは、暗くてクライムダウンに自信がない私が懸垂してと頼んだこともありどんどん遅くなり)、先に雲一に取り付かれてしまう。

しばらく中央稜の取り付き付近で待って、先行トップが2ピッチ目ビレーポイントにたどり着いたところで、アンゼイレンテラスに向かう。

雲一の取付き7:00。

奇数ピッチを倉田が担当。

1ピッチ目倉田リード、岩が堅くしかも良く乾いていて気持ち良く登れる。

ビレーポイントで、先行パーティーに追いつき、先行のトップがハングを越えるまで待つ。

先行のビレーヤーが以前登った(9/26)ダイレクトカンテでの先行パーティの一人で、思わず3人で話が弾んでしまう。

次の2ピッチ目は向畑さんリード。

最初フリーで、途中から人工。

3ピッチ目倉田リード。

フリーの混じる人工。

岩が脆いと言われる衝立だが良く登られているルートのせいか意外とそれほどでもなくなっているみたい。

でもビレー中、先行の方が足を置いた私の目の前の岩が(浮き石に見えなかったが)あっという間に落ちた。

直径50センチぐらい。

びっくり。

登ってくる向畑さんは大丈夫だったが、私の左足甲にバウンドして墜落。

ここから先、巻きこむたび痛む。

次、4ピッチ目向畑さんリード。

最後の出口のフリーが難しく感じる。

5ピッチ目倉田リード。

高度感がどんどん増してくるが、天気が良く風も微風で登っていると気持ちいい。

振り返ってみると紅葉がなんとも言えずきれい。

ボサテラスは広くて草が生い茂り大変居心地がいい。

6ピッチ目向畑さんリード。

凹角は草が生い茂っていて洞穴ハング下まで、草漕ぎ。

7ピッチ目倉田リード。

洞穴ハング越える所にぐらぐらのアングルピトンがあるが、それにアブミを掛けずにいくほうがスムーズに越えられた。

雲一の最後のトリ。

最終ピッチはコンテで、出だしのチムニーのところだけ慎重に登って、あとは草付となり、すたすた行ける。

終了点には、14:40につく。

北稜を下降するパーティがかなりいたので、中央稜を下降。

雲一の先行パーティも中央稜下降。

出合には19:00着。

運の強い私はいつも衝立では天気に恵まれ、今回も本当に気持ちのいい登攀が出来ました。

なんといってもクライミング日和なのに衝立にはたった2パーティだけで、人が全くいなかったのが良かった。

(中央稜はいっぱいだった。)

ちなみに私の反省としては、歩くのが遅かったり、暗い中でのクライムダウンに自信が持てなかったりして、どんどん行ってしまう向畑さんにいつも遅れをとってしまう点。

もっと体力つけなきゃと思いました。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩ダイレクトカンテ

1999年9月26日(日)
向畑、倉田(記)

朝起きるとガスが掛かっている。

ノロノロとしていると天気が良くなってきたので出合を出発。

ダイレクトカンテ取付きには先行が既に2パーティー。

最初のパーティーがなかなか進まず、次のパーティから団子状態。

もっと早く出れば良かったなあと思う。

8時頃取付きから登り始める。

1ピッチ目向畑さんリード。

部分的に濡れていて嫌な感じ。

ビレーポイントにたどり着くと最初のパーティが抜けてない。

フォローが、はまってしまったらしくて、後を追う次のパーティ(岩峰登高会)のトップが変なところで待たされている。

私たちもここでかなり待つ。

左隣の雲2やその隣の雲1なんか特に大盛況で人がいっぱいいた。

ちなみに、残りのピッチ、登りたいでしょと向畑さんが言ってくれ(気持ちが顔に出たみたい)残る3ピッチを私がリードさせてもらう。

前の岩峰パーティのフォローが出るのに続いて登り始める。

2ピッチ目、ハングにそって左上する。

みずが染み出てくるのか時折雫が落ちてくる。

腐ったピンが結構あった。

ビレーポイントにつくとまだ最初のパーティが抜けてない。

後を追う岩峰パーティがまた変なところで待たされている。

向畑さんに登ってきてもらうが最初のパーティがなかなか進まず、また待つ。

天気はいいが、風が強くザイルが舞い上がるほど。

とっても寒い。

3ピッチ目A2らしいが始まりにペツルが打ってあるのでなんか変。

ピンはラダーで、難しくない。

途中3mmシュリが今にも切れそうで、最近太り気味の私が乗るとパサついていた。

このピッチは、ハングを完全に廻りこんで、5mほど右側の壁にトラバースしたところできる。

本当のビレーポイントはハング抜けたすぐのところらしい(雲2のすぐそば)。

4ピッチ目はフリー交じりですぐに北稜につく。

おそらく15:00頃。

結局待たされた時間が2時間以上あった気がする。

北稜下降は初めてだったので全て懸垂してたら時間掛かってしまい、結局出会いには18:30頃つく。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

1999年7月4日(日)
本郷、畠中、高津、三好(記)

天気予報では雨だったが、日曜日は時折雨がぱらつくものの、まずまずの天気。

これは行くしかないと、前夜のしゃぶしゃぶとお酒でずっしり重たくなった体と頭を抱えて、中央稜に向かう。

実は3年前に敗退、ビヴァークのおまけつきという恥ずかしくも懐かしい思い出があるので、ガスのかかった一ノ倉が近づくにつれてちょっと緊張してくる。

開山式に出たりしてたので、取りついたのは10:00前だったと思う。

1P、2Pめは本郷さんがリード。

時々岩を叩いて確かめるのが、パンパーンととてもいい感じに響く。

3Pめは私がリード。

少しだけトラバースした後は、ぐいぐい登れるので気持ちよい。

ただ、岩が所々ぬるぬるしてたり、グラグラするのはいやな感じだ。

4Pめもリードさせてもらう。

核心、右側のチムニーがぬれてたので左側フェイスをいったのだが、あやしい残置スリングをちょびっと掴んでしまった。

使わなくても登れそうな所だったので、反省。

4Pめが終わった頃には、ガスがやる気をみせつつ下ってきて、雨もぱらついてきたのでここで終了。

それにしても、3年前は高さに頭がクラクラ、足がガクガクで全然きちんと登れなかったのが、不思議なほど、すんなり登れてしまった。

色々自分なりにもたついてしまった場面、反省点のほうが印象に残っているくらい。

4P終了点からの懸垂では、ロープが引っかかってしまったので(以前も同じ場所でひっかかった)、公平にジャンケンして、畠中さんが華麗な登り返しを見せてくれることとなった。

それでも取付に戻ったのは14:00。

それからのテールリッジの下りが一番の核心だった。

お酒も飲めたし、登れたし、とても楽しい週末だった。

さて、次はどこに行こう。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 一ノ沢左稜~東尾根

1999年3月28日
向畑、倉田(記)

3月28日(日曜)快晴

3時45分スキー場駐車場を出発し、5時頃一ノ倉沢出合に着く。

一ノ沢左稜の雪壁&やぶの中を進む中、5時半頃朝日が昇る。

雲一つない快晴である。

雪が少なく、所々岩ややぶが露出している。

今回の目的は、私のアイゼントレーニングなので、岩を選んでそこをガリガリとのぼる。

アイゼンで岩に立ちこむのに四苦八苦しながらすすみ、左稜つめたところで、懸垂で、シンセンノコルに8時頃つく。

一ノ沢~東尾根に取り付くパーティが4つ程あり、順番待ち気味になるが、向畑さんがズンズン進んで先行を追い抜きつつ、犬の散歩みたいに私が引っ張られながら進む。

第二岩峰は、ホールド、スタンスが豊富で、あっという間に終わってしまう。

雪壁つめて第一岩峰につく。

向畑さんがスルスル登っていくので簡単かなと思いきや実際取り付いてみるとスタンス、ホールドは小さくじりじりと一歩を踏み出す感じになる。

左手を伸ばすと、残置シュリンゲを発見し思わずつかんでA0でぬける。

すかさず、向畑さんに「降りてもう一度登ったら?」と言われる。

結局降りず、あとで、そうしとけば良かったと後悔する。

そこから、雪壁をつめ、小さい雪庇から顔をひょいと出すとオキの耳に11時に着いた。

360度のパノラマに目を見張りつつ休憩し、西黒尾根経由でセンターに13時につく。