越後 早出川 杉川本流

1999年7月31日~8月1日
三好(わらじの仲間)、渕上(わらじの仲間)、瀧島(記)

初めての本格的な水泳登山にわらじの仲間の三好さんが招待してくれました。

場所も初めての河内、下田山塊で気も心もうきうき気分で関越道をひた走りました。

今回は女の中に男が一人という、これも初めてのパーティー編成でした。

三好さんにおんぶにだっこで気楽に連れてってもらいました。

この山塊は北側を河内、南側を下田と呼ぶそうです。

ちなみに下田は“しただ”と発音し、“しもだ”ではありません。

だから伊豆ではありません。

ふもとの村松あたりから眺めるとぱっとしない、ただの山でした。

この山塊に林道や登山道、植林などが少ないのは山ヒルやアブが異常に多いことも関係するのではないでしょうか。

林道の終点の広場に車を置いて出発した。

アプローチの登山道を30分ほどで逢塞沢出合の取水堰堤に着く。

ここまでがこの山域でも有数の山ヒルの生息地だそうだが、ここ数日、雨もなく非常に乾燥していたせいかヒルは渕上さんの足に1匹だけ付いただけだった。

沢に下りるといきなり泳ぎからはじまる。

谷は深く切れこんだゴルジュ状で結局1日中ゴルジュの中にいることになった。

直前に上州屋で980円で買ったライフジャケットはフル出動となる。

泳ぎと言っても水流の遅いトロの泳ぎで長くても20メートルも泳ぐと足がつく。

ルート図を見るとずーとゴルジュで、実際これ以外表現のしようがない。

地図をにらめっこしても特徴的な目的物が乏しい沢で現在位置がわかりにくい。

東京近郊の小さな沢と比べるとスケールはあまりに違うので、感覚的なズレもあったと思う。

天気は快晴で雨の心配はほとんどないので泊まり場があったら泊まればいいやと気楽に進む。

アブは覚悟していったので許容範囲だった。

養蜂業者の人が宙服みたいなカッコで巣箱を開くところをテレビで見かけるけれど、まとわりつくアブの数は養蜂業者にまとわりつくミツバチの3分の1位かなと、へんな憶測をしてしまう。

右岸に泊まり場を見つけて泊まった。

秀峰では考えられないほどのご馳走を頂いた。

私は釣りに出かけるが1匹上げたのみだった。

翌朝は最低の荷物だけをザックひとつに入れて進んだ。

同ルート下降は気が楽だ。

今回の核心部は水流が強く泳ぎでは突破できない淵だった。

最初は泳ぎの突破を試みた三好さんは戦法を変更して右岸の岩を登り出した。

進める所まで進んで、5メートルくらい下の水に飛び込んだ。

僕らはロープにつかまって楽チンで突破した。

しばらく進むと川原の横にみごとな二本杉が立っていた。

これがルート図にある二本杉だ。

ということは昨夜の泊まり場は八匹沢手前のルート図ではまだゴルジュの中だったと言うことだ。

まあこんな事もある。

もう少し進み上久沢を確認して戻ることとした。

下りは泳ぎの部分はぷかぷか浮いて流れに身をあずけていれば良い。

天気も良いのでなんの不安もなかった。

眺めるのと、登るのでは大違い。

下田、河内山塊はそんな山でした。

沢登りの本に篤志家と言う言葉が載っていますが、篤志家はきっとこの辺の山にも通うのでしょう。

今回はヒルはわずか1匹、アブも許容範囲でした。

大群には出会わなかったけれど、覚悟していけば楽しく過ごせる山だと思います。

1日歩いて泊まり場は標高200メートル以下、低いけれど山の中でした。

水辺近くを飛ぶトンボを岩魚がジャンプして食べようとするのを見たのも初めてでした。

東京の気温はおそらく35度位まで上がっていたことでしょう。

そんなくそ暑い夏の1日を涼しく快適に?過ごすことができました。

今後も夏には篤志家に成るべく覚悟を決めて、また伺いたいと思います。

河内、下田の山や沢のみなさんよろしくお願いします。

 

 

北岳バットレス 5尾根支稜~ピラッミドフェース~4尾根

1999年7月31日~8月1日
杉浦、水柿、井上、三好、倉田(記)

7月31日(土)

前夜発で広河原に2時ごろ着くが、広河原にはかなりの車がとまっている。

なんとか就寝。

朝ゆっくり起き、ハイキング気分で白根御池に。

のんびりとテント張りながら、晴れ上がった空にバットレスが見える。

この日は下見を兼ねて十字クラックを登る予定だったが、二俣から先で、入るべき沢を間違えてしまい、がらがらの悪い涸れ沢をトラーバースしたりして、取り付きについた頃にはもういい時間になってしまった。

5尾根支稜末端の窪みのところ(ビバーク可)に道具をデポして敗退。

帰りはお花畑のなかの踏跡をたどる。

ちなみに一般道とぶつかるところに、黄色のペンキでしっかりとD沢と矢印が標されている。

ちょっとびっくり。

うーむ。

ところで、アプローチについて一言。

日本の岩場(上)で二俣から2つ目の沢をつめると書かれているのは、3つ目のような気がする。

体調が今一つ良くない私は白根御池での酒宴で、頭がんがん夜空の星がくるくる明日もしかして登れないかもと不安を抱えながら一足早く就寝。

8月1日(日)

朝1時起床、昨日のデポを回収して、少し夜空が明るみ始めた4時頃に登攀開始。

2パーティ(水柿・井上)(杉浦・三好・倉田)にわかれて同じルートを登りはじめる。

あいかわらず不調な私は、フォローで登らさせて頂く。

5尾根支稜2~3ピッチ、カンテ沿いにいくと小さなテラス(2、3人テントが張れそう)がある。

そこから右の草付のバンドへトラバース。

Dガリー右のフェースは何処も登れそうで、ピラミッドフェースのルートがよくわからず、ルンゼを登る。

ぼろぼろのバンドを右に回り込み、かぶり気味のクラックをジャミングしながらのぼる。

岩はつかむとぐらぐらするので、押さえつけたりしてあまり力がかけられない。

その頃から私のがうつったのか井上さんが体調悪くなる。

いざとなると頼もしい水柿さんが変な歌をうたいながらリード。

逆層のフェース(Ⅳ+)を過ぎ2ピッチで、4尾根と合流。

そこから2ピッチでマッチ箱で、向かって左へ懸垂。

尾根上には黄色い丸ペンキが所々にあって、変な気分。

痛いてん足のあしでスメアリングしながらフェースから右に切れ落ちるカンテにでる。

ガスが出ていなければ高度感があるだろう2ピッチを快適にのぼると、テラス(テント張れる)に14時40分頃つく。

ギヤの片付けをして、そこから20分歩くと、15時20分頃に北岳頂上。

山頂を16時ちょい前に出発。

途中で休みながら、白根御池経由で19時過ぎに広河原につく。

休みたいのになぜか自然と体が動くらしくふらふらしている人が数名。

20時30分頃なんとか帰路につく。

この日はなぜか時間に関してかなり運悪いようで、中央高速で30kmの渋滞にはまり、府中インターに0時30分。

で、一番残業した方だと自宅に3時頃、着いたとのこと。

本当にお疲れ様です。

あと、体調悪い私が登れたのは皆さんのおかげです。

ありがとうございました。

 

 

南アルプス縦走(甲斐駒ヶ岳~光岳)

1999年7月20日~7月31日
畠中(記)

慣れない就職活動で傷ついた心を癒しに、一人南アルプスへ向かった。

長い長い稜線をのんびりと歩きたかった。

「そのまま居付いて仙人になってしまおうかな。

職業仙人っていうのも悪くないな。

それとも鳥になるかな。

荒川岳あたりからなら飛べそうな気がする。

職業鳥っていうのも良いな。

でも、自分の子供が『おまえの父さん鳥なんだろ。クェー・クェーって鳴いてみろよ。』なんていじめられでもしたら困るな。」という思いと共に。

7月19日(出発日)

八王子に関さん、三好さん、水柿ちゃんが見送りに来てくれた。

酒を飲んで楽しくしゃべった。

はじめは山の話だったが、いつのまにか水柿ちゃんの得意の話になっていた。

まあ、関さんも私も嫌いではないが。

差し入れも戴き、本当に嬉しかった。

深夜0:29に急行アルプスに乗り、すぐに寝てしまった。

7月20日(1日目) 雨

ぐーすか寝ていて危うく乗り過ごすところだったが、何とか甲府で下り、バスを乗り継ぎ8:15に北沢峠着。

長衛小屋にテントを張り、甲斐駒をピストンした。

今日は雨で展望もなかったが、空気がおいしく、「やっぱり山最高」

と初日から感じた。

14:05テント場着。

7月21日(2日目) 風雨

ラジオで、午前中は天気が良くて午後から崩れると言っていたので、気合いを入れて5:00に出発。

しかし、歩き始めて1時間で雨となり、悲しい気持ちとなる。

風も出てきて、視界は50m。

8:50に仙丈岳に着き、寒いのですぐに大仙丈に向かう。

3年前に同じような天気で、山頂直下より小仙丈沢の源頭の方へ迷い込んだことがあったので、慎重に行く。

雨風が強いので、メガネが曇ってしょうがない。

こんな日は稜線を歩きたくないものだ。

大仙丈を越えて少しの二重山稜になっているところでテントを2張発見。

この先はルートが結構分かりずらかった記憶があるので、隣にテントを張ることにした。

まだ9:30だ。

のんびりとラジオを聞きながら過ごす。

今日は全国的に暑いらしい。

八王子は30度以上あるそうだ。

羨ましい。

7月22日(3日目) 曇

夜中に寒くて目が覚めた。

シュラフカバーだけなのでしょうがないが、やっぱり寒いね夏の夜。

6:30に出発し、長い長い仙塩尾根を行く。

山の大きさを感じるすばらしい尾根だと思う。

しかし、ペースは上がらず13:20に三峰岳手前2710mに幕営。

夕方ご飯を作っていたら、一瞬空に青空が見え、何と三日月が。

ありがとう神様。

小鳥のさえずりも聞こえ、幸せな時を過ごした。

7月23日(4日目) 晴

今日は風が強いが良い天気。

三峰岳直下にザックを置いてのんびりと北岳をピストンし、熊ノ平小屋へ。

北岳の高山植物は言葉にならないほど美しかった。

近づいてじーっと見ていると、思わず話しかけていた。

7月24日(5日目) 晴

朝、ご飯を食べながらラジオ深夜便を聴くと、梅雨明けを告げていた。

祝梅雨明け。

待ってました。

というわけで、今日はものすごく良い天気。

仙塩尾根を進み、コウモリ岳をピストンしてから塩見岳を越えて三伏峠へ。

よく歩いた。

コウモリ岳には行くつもりはなかったのだが、近そうに見えたので何気なく行ってみたら遠かった。

人生とはこういうものか。

しかし、行ってみると展望がすばらしかった。

あんな風に富士山が見えるとは。

人生とはこういうものか。

塩見小屋からは、熊ノ平から一緒のおじちゃんと三伏から塩見岳往復のお姉さん2人と一緒に行動した。

全く知らない人どうしが山で出会い、同じ時を過ごす。

山での旅の徒然。

何の損得もない関係。

いや、得得の関係だろう。

私は、このことを含んだ山登りが好きだ。

特に夏山の縦走はこのためにやっていると言っても過言ではない。

出会いはすばらしい。

そして山ってステキ。

三伏峠では、おばちゃん達からたくさんの差し入れを戴いた。

それはもうモテモテだった。

以前、我が会のT島さんが「畠中はおばさんにモテそうだよ。俺も昔はよー……」

と言っていたのを思い出した。

人生には一度すごくモテる時期があると聞く。

まさか今じゃないよね。

まさか今じゃないよね。

夜は戴いたビールと梅酒を飲み、気持ち良く床についたが、テント場にいびきのうるさい人がいてなかなか寝付けなかった。

もし夢で私が大岡越前になったら、絶対島流しにしようと心に誓った。

7月25日(6日目)霧時々雨

今日は荒川小屋まで行きたいので早起きしたが、雨が降っていたので二度寝した。

結局6時に出発。

ガスっていて風が強く寒い。

途中、小河内の避難小屋が新しくなっていた。

今日は黙々と歩く。

荒川のカールは今回で三度目の通過であるが、相変わらずでかい。

また、稜線に出てからも長かった。

山の大きさがよく分かる。

南アルプスはいい。

大好きだ。

荒川前岳からお花畑を楽しみながらのんびりと下ると、こちらも新しくなり、登山客で大賑わいの荒川小屋に着いた(15:15)。

7月26日(7日目) 晴

またまた夜中の24時に目が覚めた。

ほぼ毎日のように寒くて目が覚める。

その度にお湯を沸かし紅茶を飲む。

一人だから許されることだろう。

一人は気楽でいい。

今日はがんばって聖平まで行こうと思っていたが、天気も良いし、もう少し長く山にいたいので百間洞までとする。

コースタイムで4時間。

昼に着いてビールでも飲もうという魂胆だ。

赤石岳では雷鳥の親子もおり、ボーと見ていたり昼寝をしたりした。

極楽だった。

ただ、雷鳥の親子を必死にカメラに収めようとしているおじさんが、追いかけて高山植物を踏みつけていたのには悲しく、呆れて何も言えなかった。

のんびりのんびりして、百間洞山の家には13:00着。

急いで1000円もするビール(500ml)を買って飲み干した。

もう麦芽のない生活は考えられない。

7月27日(8日目)晴のち雨

5:10に出発。

朝は晴れていたが、すぐに雨となる。

風も強くいわゆる悪天だ。

兎岳のピークではほとんど視界もなく、コンパスを頼りに行く。

せっかく聖岳を越えるのにこんな天気では嫌なので、9時前に早々と兎岳避難小屋の前にテントを張った。

兎岳避難小屋はボロボロの小屋だ。

コンクリでできている小屋なのだが、入り口の辺りはコンクリがはがれ傾いている。

夏は全く使う気はしないが、冬は迷わず中に入るだろう。

今日は雨がかなり降っているみたいだ。

井川でも記録的だそうだ。

しかし、今の私はテントの中でTシャツとパンツ一枚で、ガスを炊いてTOKYO FMを聴きながらくつろいでいる。

のんびり濡れたものでも乾かしたい。

あー極楽。

7月28日(9日目) 風雨

いつものように寒くて目が覚めたが、どうも体の調子がおかしい。

喉が痛い。

どうやら風邪を引いてしまったようだ。

この世に生を受けて22年。

最近ようやく自分の体の風邪の引き始めが分かるようになった。

大人になったものだ。

しかし、思い返してみると、原因はシャツとパンツ一枚でくつろいでいたこと意外には考えにくい。

寒い山の上で大人がそんなことをするだろうか。

冷静に考えればしないだろう。

まだまだ大人への道は遠そうだ。

結局、まだ1時だがご飯を食べて風邪薬を飲んだ。

6時に出発し、聖岳には7:50に着いた。

歩いていても頭がポワーンとして力が入らない。

しかし、何としても光岳まで行きたい。

いまさらながら健康管理の甘さに腹が立つ。

相変わらず天気は悪いが、がんばって茶臼小屋まで歩いた。

しかし、こうも天気が悪いと本当に梅雨が明けているのだろうかと疑いたくなる。

今日は人生2度目のお金を払っての小屋泊り(素泊まり)とした。

しかも寝袋まで借りてしまった。

しめて4500円。

寝袋の久しぶりのぬくもりに包まれすぐに眠りについた。

きっと寝顔はにやけていたことだろう。

7月30日(10日目) 雨

今日も雨。

6時に出発し光岳に10:20着。

今山行最後のピークは樹林に囲まれた静かなピークだ。

さあ後は下るだけだ。

光岳からは伊那側に下りようと思っていたが、寸又峡に下りることにした。

寸又峡へは林道歩き40kmが待っているので歩くことなど考えていなかった。

しかし、荒川小屋から聖平まで一緒だったおじちゃんが、

「寸又林道は一生に一度は歩かないとだめでしょう。男のロマンだよね。」と言ったので、その時から自分の中で勝手に盛り上がってしまい、

「ロマン。ロマンだよやっぱり。男にロマンがなくなったらおしまいだー。男はロマンだー。絶対寸又峡に下りてやる。下りてやるぞー。」

となったわけである。

光岳からはひたすら急な樹林帯を下る。

適度に赤布が付いているので迷うことはないだろう。

途中で2回の休憩をはさみ、そろそろ本当に膝が砕けるんじゃないかなという頃に林道に着いた(13:10)。

寸又左岸林道の光岳登山口は山奥の山奥といった感じのするところだ。

その登山口に「寸又峡温泉まで39.9km」という標識が会った。

私にはこれがおかしくてしょうがなく笑ってしまった。

そんな歩いて39.9kmなんて。

八王子から横浜までじゃないか。

最後の締めくくりがこれか。

ハハハ。

歩かないと帰れないのでしょうがなく歩き始めたが、突然土砂降りの雨。

トホホという気持ちで日暮れまで歩き、林道の脇にテントを張り、ご飯を食べたらあまりの疲れに気を失った。

7月31日(11日目) 曇のち晴

歩きに歩いた40km。

途中、展望台より千頭ダムに下りる道を見逃し(何も考えずに歩いていたので)左岸林道をひたすら歩き、気力も足もボロボロになる頃、寸又峡に着いた。

疲れたー。

今回の山行は冬の偵察も兼ねていた。

南アルプスを歩いてみて、山登りの良さを再確認した。

そして、冬に一人でこの果てしなく続く山稜を歩きたい。

ただひたすら黙々とラッセルしたい。

この山にどっぷりと浸かりたい。

自分の山登りができると思う。

でも、私は臆病なので実現しないかもしれない。

まあ、それはそれで良いか。

どっちにしてもこの山行は楽しかった。

でも、まあとりあえずゆっくりと布団で眠りたいな。

それで、コーラ飲んでポテトチップス食べてマンガ読んで・・・あー楽しかった。

またやろうかな。

南アルプス 甲斐駒ケ岳 赤石沢Aフランケ赤蜘蛛、奥壁左ルンゼ(途中敗退)

1999年7月24~26日
小谷、荒井(記)

7/24

駒ケ岳神社 – 5:40 黒戸尾根 – 13:00 8合目 – 15:30 Aフランケ基部

久しぶりの黒戸尾根で2人(少なくとも私(荒井))は、くたくたとなる。

8合目からAフランケ基部まで所々迷いながら下る。

残置ロープに助けられ右フェースの基部へたどり着く。

ツェルト1張り分のスペースを見つけビバークする。

水もとれ快適。

19:00消灯。

7/25

4:30発 – Aフランケ赤蜘蛛取付 – 5:10 赤蜘蛛の登攀 – 14:40 終了点 – 15:30 8合目

ビバーク地点から赤蜘蛛ルートへ向かう。

1箇所残置ロープの頼りになる。

じゃんけんで勝った小谷さんのリードで登攀開始。

奥壁まで登るつもりで荷物を持ってきたので登りに手間取る。

荷物の重ささえ気にしなければ岩は堅く、天気もよく快適。

途中フレンズが有効にきまる。

終了点に着いたのは14:40 9時間以上もかかってしまった。

予定していたBフランケ赤蜘蛛は諦め、明日は奥壁左ルンゼへ行くことにする。

8合目まで登り、ツェルトを張る。

(水は、八丈バンドをトラバースして右ルンゼの取付きでとれる。)

18:30消灯

7/26

4:30 発 – 奥壁左ルンゼ取付 5:30 – 左ルンゼの登攀 – 5P目F2へのトラバースで落石を発生させ負傷のため敗退(同ルート懸垂下降3P) – 左ルンゼ基部 – 8合目11:30 – 黒戸尾根 – 17:10駒ケ岳神社

3:00起床 必要以外のものは、岩小舎にデポ。

4:30発。

途中で水をくむ。

取付きで多少迷う。

今日は、私がリードで始める。

1P目以外と悪く手間取るがその後はペースが上がる。

5P目、私がリードでF2へトラバースしていたときに不覚にも落石を発生させ自ら手と足に負傷する。

パートナーには申し訳ないが、登攀を諦めることにする。

ここから懸垂下降3Pで左ルンゼの基部に着く。

8合目までもどり、荷物をまとめて黒戸尾根を下るが、負傷した足をかばいながらの下降なので時間がかかってしまった。

17:10 駒ケ岳神社到着。

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

1999年7月4日(日)
本郷、畠中、高津、三好(記)

天気予報では雨だったが、日曜日は時折雨がぱらつくものの、まずまずの天気。

これは行くしかないと、前夜のしゃぶしゃぶとお酒でずっしり重たくなった体と頭を抱えて、中央稜に向かう。

実は3年前に敗退、ビヴァークのおまけつきという恥ずかしくも懐かしい思い出があるので、ガスのかかった一ノ倉が近づくにつれてちょっと緊張してくる。

開山式に出たりしてたので、取りついたのは10:00前だったと思う。

1P、2Pめは本郷さんがリード。

時々岩を叩いて確かめるのが、パンパーンととてもいい感じに響く。

3Pめは私がリード。

少しだけトラバースした後は、ぐいぐい登れるので気持ちよい。

ただ、岩が所々ぬるぬるしてたり、グラグラするのはいやな感じだ。

4Pめもリードさせてもらう。

核心、右側のチムニーがぬれてたので左側フェイスをいったのだが、あやしい残置スリングをちょびっと掴んでしまった。

使わなくても登れそうな所だったので、反省。

4Pめが終わった頃には、ガスがやる気をみせつつ下ってきて、雨もぱらついてきたのでここで終了。

それにしても、3年前は高さに頭がクラクラ、足がガクガクで全然きちんと登れなかったのが、不思議なほど、すんなり登れてしまった。

色々自分なりにもたついてしまった場面、反省点のほうが印象に残っているくらい。

4P終了点からの懸垂では、ロープが引っかかってしまったので(以前も同じ場所でひっかかった)、公平にジャンケンして、畠中さんが華麗な登り返しを見せてくれることとなった。

それでも取付に戻ったのは14:00。

それからのテールリッジの下りが一番の核心だった。

お酒も飲めたし、登れたし、とても楽しい週末だった。

さて、次はどこに行こう。

 

 

奥多摩 多摩川水根沢谷

1999年6月26日
森広(記)、三好、中嶋、井上、倉田、関

総会前にちょっと遊ぶ計画。

水根に移動する頃には雨も上がった。

最初のゴルジュ入口に釣り屋が二人いて、態度が悪かったらしい。

最初は悪いことしたかな、とも思わなかったが、やな奴だったと聞いて水の中で暴れてよかったと思った。

だいたい魚に比べて釣り屋が多すぎる。

奥多摩の魚は、ほとんど放流したものだ。

それも数日で釣りきってしまうのだと聞いている。

渓流釣りといっても、釣り堀とたいして変わらない。

二つ目の滝の下で沢に戻り、めいめい勝手に滝を登り、釜を泳ぐ。

先に登った奴が上から水をかけたり、石を投げたり、やりたいほうだい暴れて、気が付けば半円の滝。

真ん中を登るのは、最後が悪い。

下降点からここまで1時間20分ほど。

左岸の道に上がって15分程で道路に戻る。

すばらしき里山、足拍子岳(ホソドノ沢ダイレクトスラブ)

1999年6月13日
関、瀧島(記)

晴れ。

足拍子岳はせこい里山である。

でもその中には日本土着の山の楽しさが凝縮されていて日帰りでも十分に楽しむことができる。

また、悪いスラブや雪渓、ルートファインディングの難しさなど、はまる要素もたくさんありそれがまた楽しみのひとつだと思う。

今回も楽しく充実した1日を過ごすことができた。

旭原の手前の林道をゲートまで車ではいる。

車発(5:40)足拍子本谷はすぐに雪渓となり、ホソドノ沢出会いで水筒に水を入れ忘れていることに気づき側壁のしずくの滴りで何とか水筒を満タンにすることができた。

(6:40から7:10)ホソドノ沢を10分上ると取り付きである。

ダイレクトスラブの取り付きのF1(40m)の正面はへたな左官屋さんがコテでならしたようなスラブでボルト連打でもしないと無理だ。

左岸のカンテからガリーをたどる。

雪渓から岩に取り付くところが少し怖くて、堅い雪渓にバイルを打ち込み確保し太郎君がトップで取り付く。

左岸を4ピッチでF1の上のスラブの中央に立つ。

6ピッチ目が核心のF2で堅いフェースを登る快適なピッチだった。

ダイレクトスラブは上部が3本に分かれて、今回は向かって右側の右方ルンゼに入ったようだ。

稜線まで11ピッチのクライミングだった。

稜線は昼過ぎ。

ここから前手沢を下るか、縦走してから足拍子本谷を下るか迷ったがこの山域の概念をつかむ意味も含めて縦走してから足拍子本谷を下る事にした。

稜線上にはかすかな踏跡がある。

足拍子岳本峰のふたつ手前くらいのコルから懸垂を1回と後は歩いて雪渓の上に降り立つことができた。

安心したのもつかの間、雪渓の状態はやっぱり悪い。

今にも崩れそうな幅1メートル程のスノーブリッジの上を懸垂で下ったり、ぶったぎれた雪渓をいかにして渡るかなど、いろいろと課題を与えてくれる。

なんやかんやで車に戻ったのは夕方になっていた。

旭原に続く車道に出てから、今一度、夕暮れの足拍子岳を心地よい疲れを感じながら眺めた。

幸せな気分だ。

本谷の雪渓がぶった切れているのがよく見える。

コンパクトにまとまった荒々しい姿。

こんな山が好きだ。

太郎君、誘ってくれてありがとう。

富士山 サミットフォール(見ただけ)

1999年5月29日~30日
森広、三好、中嶋(記)

朝の7時に高尾山口に集合。

有楽町線の始発に乗ってなんとか間に合った。

三好さんの車で富士山の富士宮口5合目に向かう。

富士吉田からの有料周遊道路ははじめて利用した。

10時半ころ登り出して、だいたい4時間半位で頂上。

頂上直下までは運動靴だったが、気温が下がってきて雪も堅くなってきたので念のためプラブーツにはきかえた。

8合目くらいからは気温も氷点下になり、風もかなり強まってきたので本格的にヤッケや目出帽をかぶってしまった。

前日の東京の気温は30度に迫る勢いだったので、まさかフル装備になるとは思ってもみなかった。

あなどりがたし、富士山。

富士宮口は吉田口と比べると、心身の疲労がかなり軽減される。

頂上からサミットフォールを眺めたら、とても登れるような感じではなかった。

2年前に途中まで登った森広さんは、氷の量が3分の1位だと言っていた。

覚悟はしていたがやっぱりがっかりした。

しかたが無いので今回の目的は高度順化と云うことにして、日頃の睡眠不足を補うべく少しお酒を飲んで早々に寝た。

朝は6時くらいに起きて、ご飯を食べたらまずお鉢一周ダッシュ、続いてお釜におりてサミットフォールの記念撮影。

退屈したときにまた来てもいいかなと思った。

その時は是非スノボを背負って来よう。

帰りはシリセードで6合目まで一気に滑り下りる。

この長大なシリセードで森広さんの雨具は破れてしまったのだった。

山中湖マラソンのおかげで帰りは渋滞に巻き込まれてしまったが、時間はいくらでもあったので道志村経由でのんびり帰った。

気持ちの良い春の週末だった。

<fin>

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

1999年5月29日(土)
本郷、井上、倉田(記)

5/28(金)

谷川に向け21時30分北坂戸駅を出発。

ポンコツ倉田車で、0時に一ノ倉沢出合に着く。

5/29(土)晴れのち曇り

5時に起床、5時40分出発。

私は恥ずかしながらこのルートを約6年前に敗退した経験があるので、絶対終了点まで行くんだと密かに思いながら、ヒョングリの埋まった雪渓をすたすたといく。

ちなみに底の薄い運動靴を取り付まで使用したところ、雪渓でも、テールリッジでも、とても歩きやすかった。

途中水を汲んだりして、7時頃南稜テラスに着く。

テラスで、かなりの順番待ちとなり、日向ぼっこしつつ待つ。

8時20分頃、はじめの1ピッチ目フェースを倉田がリード。

混んでいるので、前のパーティーを追い越しつつチムニーへ。

チムニー奥に入り込まず、右側を選んでのぼるがちょっと緊張した。

2ピッチ目フェースも続いて登るが記憶に残らないくらい。

草付を普通に歩いて、3ピッチ目フェース、又倉田がリード。

上に行くにつれて混雑がひどくなり、だんご状態。

追い越すことも出来ないので、しばらく先行が抜けるまで待つ。

ビレー点から最終ピッチのフェースが良く見え、先行パーティーがにっちもさっちも行かず、へばりついてるのが見えた。

4ピッチ目井上リード。

緊張感が欠け気味の私は、ダブルロープの片方を反対ビレーしそうになりあせる。

途中でカンテ手前でピッチを切る。

5ピッチ目井上リード。

カンテは横をへつろうとすると難しくカンテ上に思いきって出ると簡単だった。

最終6ピッチ目井上リード。

垂直なフェースで、高度感もあり、登って気持ちがいい。

真っ直ぐ登ると出口のところにガバがあるので、それをつかんでぐいっと登れる。

また右側に抜けると少し簡単だそうだ。

終了点にはおそらく11時半ぐらい。

そのまますぐ6ルンゼ側から懸垂下降する。

馬の背リッジで、ザイルが切れたことがあると聞いていたので、リッジには出ないように降りる。

途中の懸垂で、末端を遠くに投げなくてはいけないのに手前のほうに投げてしまい、岩に引っ掛かり、登ってくるYCCの人に取って頂く。

穴があったら入りたい気分だった。

今回の山行で、私は緊張感と判断力の欠如があり、もっと経験を積み、勉強しないとと新たに思う。

 

 

鹿島槍ヶ岳 東尾根第2岩峰南尾根

1999年5月8日
関(記)

今シーズンの雪稜の締めくくりとして、変なところに行ってきましたので報告します。

山域は、鹿島槍ヶ岳の北俣本谷から東尾根につきあげる支稜で、登山大系をめくると、ルートの記述はないものの概念図に第2岩峰南尾根と名付けられています。

昨年杉浦さんとダイレクト尾根を登った時に、対岸になんとなく気になる尾根を見つけてから鹿島槍へのラインとして意識していたものです。

南面の急傾斜の尾根なので雪がだいぶ落ちていましたが、変化に富んでいて充足の山行となりました。

この尾根が完全に雪でコーティングされた時に登ると一層面白いのではないでしょうか。

5月8日

天気予報では快晴を告げていたが起きると雨が降っている。

大気の状態が不安定なのだろうか。

4時の出発予定だったが、雨=中止という考えが染み付いている私にとって雨具を着て出発するという考えはなかなか起きず5時まで車の中でグズグズしていた。

小降りになったところで雨具を着て出発、30分も歩き出すと次第に大町の方から晴れ出して来た。

北俣本谷に入り間もなくすると目指す第2岩峰南尾根が見えてくる。

末端はヤブ壁になって本谷に落ち込んでいる。

一番の弱点となるラインは対岸の鎌尾根の取り付きとほぼ同じ所まで稜がのびており、これをつめてヤブ壁の末端にたどり着く。

(7時)ここでハーネス、アイゼン等を装着する。

尾根に這い上がるまでは密度の濃いヤブの木登りとⅡ,Ⅲ級の岩稜が交互に続く。

急傾斜のヤブに腕は引っかき傷だらけとなり、腕の筋肉も張ってくる。

尾根上に這い上がると、鹿島の主稜線が目に飛び込んできた。

(9時頃)ここからルートは雪稜らしくなり、ナイフリッジの急登が続くが、雪が少ないのでやはりヤブまみれになることとなる。

それでもこの尾根の核心部である下部をぬけたので幾分ほっとしていた。

上部に行くに従い雪も増え、途中に5~10mの小ギャップが2箇所ありいずれもクライムダウンとなる。

ここには古い残置シュリンゲがあった。

東尾根を右手に睨み早く合流しないかなと期待しつつひたすら雪壁状の斜面を登ると、1時半頃ようやく東尾根の第2岩峰上に合流した。

北峰に着いたときには疲れきっていたので(2時半)北俣本谷経由で下山すると2時間で大谷原に戻ることが出来た。

下山して薬師の湯に入ると前日はほとんど寝ていないこともあって疲れがドッと出て、ロビーのソファで寝てから帰途についた。

翌日は平松の49日でした。