谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩雲稜第一ルート

2007年3月3日~4日
向畑(記)、長門

3月3日

1時頃センターに到着。

3時に起きようかと思ったが、この1週間で3回目の山行の長門君が全く起きる気配を示さないので4時まで寝る。

5時出発。

雪は、今まで一ノ倉に通ってきた中で最も少ない。

ただ、テールリッジや衝立スラブの雪は結構安定していた。

中央稜基部にザックを1つデポし、雪壁をトラバースして目印のブッシュを目指す。

8時30分頃より、向畑リード、以下つるべで登り始める。

天候は晴れたり曇ったり。

ちなみに、向畑はこのルート、無雪期は3回登っているが、積雪期は3回敗退している。

1ピッチ目、アンザイレンテラスまでの雪壁。

通常、この雪壁は結構悪いが、今回は一部草付きが出ていて、アックスが効くため簡単だった。

尚、過去3回はいずれも雪の多い年に取り付いたため、アンザイレンテラスにも雪がヘッタリと付いていて、テラスに乗り移ることもできなかったが、今回はビレーポイントも完全に出ていた。

2ピッチ目(夏の1ピッチ目)、雪がほとんど付いていないため、ここより洞穴ハング上まで、フラットソールに履き替えて登る。

2人用テラス手前の凹角は、アイゼン、手袋では非常に悪いが、フラットソールの長門君は簡単にフリーで超えて行った。

3ピッチ目、第一ハング。

当初、セカンドもフォローで登るつもりだったが、ザックにアイゼン2組やピッケル2本など装着したところ、重くて登れなくなり途中からユマーリングに変更。

4ピッチ目、第2ハング。

第2ハングと第3ハングの間が特にもろく、ピンの腐食も激しいように感じた。

5ピッチ目、左上後、フェースを直上。

6ピッチ目、第3ハングを超え、ボサテラスへ。

時間は16時頃で結構いい時間だったが、あまり快適でなさそうだったので、洞穴ハング上のテラスまでがんばることにした。

この辺りより傾斜が落ち、壁に雪が付き始める。

7ピッチ目、下部は草付きダブルアックス(足元はフラットソール)。

中間部の立ち木まではランナーが取れるが、上半分フリーの部分はほとんどピンがない。

やっとピンを見つけたのでバイルでたたいてみたら、頭がポッキリ折れてしまった。

少し、強くたたき過ぎてしまったようだ。

正規ラインの凹角沿いは全くピンが見当たらないため、気休め程度のブッシュをたよりに左のカンテを登り、洞穴ハングの下部に合流。

8ピッチ目、洞穴ハングをヘッデン登攀。

久々のハングのユマーリングで向畑がはまってしまう。

終了は19時頃かな。

テラスの雪を削り、2人で腰掛けビバークとなったが、いつもと違いほとんど寒くなかった。

3月4日

5時頃起床。

今日も晴れたり曇ったり。

7時00分ころより登り始める。

9ピッチ目、ルンゼ状の草付き。

ここよりアイゼンを付ける。

10ピッチ目、スラブと草付き混じりの雪壁。

途中から左上し、中央稜の終了点に直接出る。

9時頃終了かな。

そのまま中央稜を下降、取り付きに11時頃着。

センターには14時頃着。

壁には中央稜に2パーティーいただけだったが、ルンゼはこの2日間、大盛況だったようだ。

尚、このルート、最近ではボロ壁ルートのように言われているが、個人的にはそれほどひどいとは思わない。

確かに、岩はもろく、支点の老朽化も進んでいるものの、もともと、弱点をつき、ピトン主体で開かれたルートなので、カムとピトンがあれば十分に対応できると思う。

また、出かける前からある程度は予想はできていて、それでも取り付いてしまったのだが、今回のような条件では、冬季登攀とは呼べないかも知れない。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢ルンゼ状スラブルート

2006年3月11日
向畑(記)

今年の滝沢はお買い得、ほとんどそれだけの理由で登りに行った。

少なくともここ10年以上毎年見ているが、こんなに滝沢下部が埋まっているのは初めてだ。

そこで、まだ登ったことがないルンゼ状スラブに行くことにした。

11日

2時30分に指導センター出発。

旧道には先週のトレースが残っていたが、標高の高いところは2~3日前に雪が降ったようで、一ノ倉沢の上部では多少新雪が乗っていた。

ただ、くるぶし位までもぐる程度なので、膝やかかとに古傷を抱える身には、かえって歩きやすくて楽だった。

滝沢下部には暗いうちに到着。

10年以上前に第三スラブと間違えて第二スラブを登っていて、今回また、ルンゼ状スラブを登るつもりで三スラを登ってしまうとかなり恥ずかしいので、5時30分を過ぎ、明るくなってから取り付いた。

取り付きのクレバスを慎重に乗っ越すと、わずか一歩で滝沢下部が終わってしまった。

何年か前に三スラを登った時に、ルンゼ状スラブも確認したはずだったが、雪が多いためか、Y字川原もどこだか良くわからない。

行き過ぎたような気がしてかなり急な雪壁を強引にトラバース、左のルンゼに入る。

随分狭いなあと思いながらも登っていると、だんだん岩が出てきて薄いベルグラ登りになる。

さらに50mほど行くと雪壁から小さなリッジに出て、ルンゼは終わってしまった。

何となく、ルンゼ状スラブのさらに左のルンゼを登ったみたいだが、技術的にはそこが一番難しかったかも。

結局、その小さなリッジの右側がルンゼ状スラブで、ブッシュ伝いにスラブ内に降りることができて本当に良かった。

見上げると、200mほど上に一応カーテン状の第一の氷瀑がかかっている。

しかし、近づいてみると、傾斜もスケールも大したことはない。

それでも、失敗は絶対に許されないので、意識して、ゆっくりと、呼吸を整えながら登る。

スクリューが良く効きそうなので、ロープがあれば快適だろうなと思った。

氷瀑の上は再び雪壁で、さらに100mほど上には第二の氷瀑が見えている。

こちらはさらにスケールは小さいが、途中からモナカになってきて焦ってしまう。

その上はさらに雪壁で、7時30分には滝沢リッジに到着。

ルンゼ状スラブは滝沢の他のスラブと異なり、雪壁から直接滝沢リッジに出てしまう。

草付き帯がないのですっきりしていると言えばすっきりしているが、その分滝沢リッジ最上部のドームに続く切れたリッジを登らないといけない。

トレースがついてしまえば簡単になってしまうが、今回、ルンゼ状スラブは2時間程度で終わってしまったのに、滝沢リッジを抜けるのに1時間半もかかってしまった。

どちらかと言えば、こちらの方がロープが欲しかった。

滝沢リッジに出た所で、二ノ沢右壁を上がってくるパーティが見えた。

この2人、後で分かったがYCCの佐野(耕)、畑パーティだったらしい。

右壁側にはできるだけ雪を落とさないようにしていたが、そんなことならガンガン落とせば良かっ………たとは決して思ってません。

ドーム基部9時着。

ここに来るのは4回目だが、ドームも今までで一番埋まっている。

何となく、5~6手程度で抜けられそうな(そんなに甘くはないかな?)気がして、ドームもかなりお買い得かなと思ってしまった。

国境稜線10時着。

西黒尾根を降り、指導センターには11時45分に着いた。

 

谷川岳 一ノ倉沢 変形チムニールート

2005年3月6日から2日間
向畑(記)、長門


2月も中旬を過ぎて、今年もそろそろ谷川と思っていたが、なかなかお天気が良くならない。
雪も結構多いらしい。
しかし、週間天気予報を見ると、3月7日の月曜日には新潟県も晴れることになっている。
どうやら、今シーズン初めての本格的な移動性高気圧が来るようだ。

有給休暇どころか休日出勤の代休も消化しきれずに終わってしまう身で、決算の3月に平日休むのはなかなか大変なのだが、移動高が来てしまったものは仕方がない。

今シーズンはあまり山に行けてなかったこともあって、月曜休んで日月で出かけることにした。
ルートは、前から行ってみようと思っていた変形チムニーにした。

パートナーの長門君は、26歳でやっと大学を卒業するというのに就職が決まらず窓拭きのアルバイトをしているという、将来非常に有望な若者だ。

一応、月曜日休めるか聞いてみたところ、「月曜日っすか、全然問題ないっすよ」との、何とも心強いお言葉。

ただ、水上でも19年ぶりの大雪とのこと。万全を期して、5日土曜日午後から出かけ、その日のうちに一ノ倉沢出合まで入っておくことにした。

13時過ぎに関越に乗った時は土樽から先でまだチェーン規制をしていたが、土合に15時過ぎに着く頃には雪は止んでいた。

一応、一ノ倉沢出合までのアプローチ用にワカンを持って行ったが、出合まではハイキングツアーか何かでかなりの人が入ったようで、立派なトレースがついていて全く不要。

1時間強で出合の小屋に着いてしまった。

3月6日

当初、1時、遅くても2時には出発とか言っていたが、小屋の中に張ったテントはあまりにも快適で寝込んでしまい、2時30分出発にずれ込んでしまう。

「せっかくワカンを持ってきたんだから持って行って見るか」
と半分冗談で言ったら、ワカンを使ったことがないという長門君に
「ぜひそうしましょう」
と言われ持って行くことに。

しかし、これは結果的に大正解。

もし、ワカンがなかったら、時間がかかり過ぎて取り付きに着くまでに敗退していたと思う。

一ノ倉沢に入るとさすがに雪が深く、衝立沢に回り込んで傾斜が増してくるとワカンを履いても腰までもぐるが、それでもなかなか調子がいい。

最初はどこまで行けるかと思っていたが、雪がたっぷりあるので斜面を回り込んでワカンを履いたままテールリッジに上がれてしまった。

まさか、テールリッジでワカンが使えるとは思ってなかったが、上のスラブの松の木あたりまでそのまま登れてしまう。

ブッシュ交じりとなり、さらに傾斜が上がってくるあたりでアイゼンに履き替え、ワカンは最後の立ち木にデポしていく。

中央稜基部でロープを付け、そこからはコンテで変チの取り付きを目指す。

結局、この日も快晴となり、この2日間は絶好のクライミング日和となったが、取り付きについたのはすでに9時。

割と快調に来たつもりだったが、それでも出合から6時間半かかっていた。

日が当たって気温が上がり、そろそろ上部からの落氷が始まりかけていた。

1ピッチ目、取り付き手前のクレバスを苦労して乗っ越し、スラブに張り詰めたベルグラをダブルアックスで登る。

ベルグラは薄いながらも何とか続いていた。

一ノ倉沢全体に日が差して、二ノ沢、滝沢、三ルンゼあたりから、規模の大きな雪崩が頻発、ものすごい迫力で雪煙が舞い上がっている。

2ピッチ目、ベルグラは続いていないので岩登りになる。

残地支点から垂れたスリングをピックでひっかけてずり上がる。

さらに、雪壁をダブルアックスで変形チムニー下へと行くが、2ヵ所くらいあったと思ったビレーポイントが埋まっていて見つけられない。

残地ボルト1本に、ハーケン2枚を叩き込むが効きはいまいち。

気休めにスクリューもねじ込むが、氷が緩んできていて、長門君が手で引っ張ると取れてしまったらしい。

ちなみに、壁も雪が多く、下降も含めて支点が見付からなかったり、場所は分かっていても雪や氷が厚くて掘り出せないところが結構あって苦労した。

また、ビレーポイントがないので仕方なくロープを伸ばしたため、トポのピッチ数よりも少なくなっている。

3ピッチ目、変形チムニーは完全に雪に埋まっていて雪壁のようになっている。

もしかして楽勝?とか思ってしまったがやっぱり甘かった。

実際は詰まっている雪を全部掻き出さないと登れず、最初のピンを掘り出すのにかなりの時間を使ってしまった。

また、上から直径20㎝ほどのつららが垂れていてじゃまで仕方がない。

しかも、つららを伝って流水が水道の蛇口をひねったように流れてきてちょうど頭を直撃。

体が上がるたびにつららをバイルで叩き落すが、落としても落としても水が同じところから落ちてきて(当たり前か)体を濡らす。

抜け口のフリーは背中を付けてバックアンドフットの体勢になればいいことは分かっていたが、躊躇しているうちに全身ずぶ濡れになってしまった。

ここでも、チムニーを抜けたところにあったと思ったビレーポイントが見付からず、さらにフェースを登りその上のビレーポイントへ。

濡れて寒くて仕方がないのでザックからフリースを出してみたら、フリースもぐっしょり濡れていた。

また、ヤッケのポケットに入れていた替えの手袋も目出帽も、この時点で全て濡れてしまった。

4ピッチ目、バンド状から雪壁を下り気味に右にトラバースして正面ルンゼへ。

しかし、ここでもビレーポイントが見付からず、氷雪の詰まった正面ルンゼを直上。

中央カンテと合流する当たりでも支点が取れず、仕方がないので長門君にビレーを解除してもらい、さらに上にある正面ルンゼダイレクトのビレーポイントまでコンテでロープを伸ばす。

5ピッチ目、右にトラバースして中央カンテに戻り、直上後左に回りこんでハング下のビレーポイントへ。

6ピッチ目、ピトンベタ打ちのハングの人工から四畳半テラス下のクラックへ。

カムを交えた人工と、ワンポイントのスカイフックからダブルアックスで抜ける。

中央カンテに合流してからも、雪の付着が多く決してやさしくはない。

しかし、このあたりは冬だけでも3回ほど登っているのでほとんど覚えてしまっているのだった。

四畳半テラスも完全な雪壁になっていて、過去に2泊もしたのに気付かずに通り過ぎかけた。

何とかビレーポイントの端っこを掘り出しビレー。

長門君が上がってきた時には既に日が暮れていた。

時計を見る余裕がなかったけど6時半位かな。

雪に埋まった四畳半テラスは、本来上の方にあるはずの支点が足元になっている。

取りあえず掘り下げようとするが、埒が明かないので2人が腰掛けられるスペースを作ってあきらめ、ツェルトをかぶってしまう。

狭い上に全身ずぶ濡れでのビバークはさすがに辛く、2時ころからは寒くて寝ていられなくなり、ガスを付けて雪を溶かしたり、お茶を飲んだりして過ごした。

夜は雪が降っていて風が強く、明るくなってからもしばらくは小雪が舞っていた。

寒くて体が硬直し、なかなかツェルトから出られないでいたが、そのうちに薄日が差し始めた。

もし、朝になっても吹雪いていたとしたら、この状態で登るのはかなり辛いかなと思っていたが、今日は予報どおりに晴れてくれて本当に良かった。

3月7日

7時半頃出発。

7ピッチ目、氷の詰まったルンゼを登るが、支点も氷で埋まっている上に、落ち口にはきのこ雪のようなのができていてハングしている。

登って行ってピックを刺してみると全くスカスカで、だましながら右から巻くように超える。

ここでも、テラスにあるはずのビレーポイントは掘り出せないため通り越し、ハーケンが縦に並んだ支点を補強して使う。

8ピッチ目、雪壁からバンドを左にトラバースし、凹角を人工で登り烏帽子岩の基部へ。

ここも、ピンがベタ打ちになっているはずのビレーポイントが完全に氷に埋まっている。

何とか掘り出したスリングの端を連結しビレー。

終了は大体10時頃。

下降は懸垂で中央カンテのチムニー上から凹状岩壁沿いに降りたが、昨日は氷雪に覆われていた凹状核心部も、この2日間の好天で岩が完全に露出している。

ここは晴れた日に水が流れているのはいつものことだが、雪が多いたためか今までで見たことがないほど大量の水が流れていて、壁から離れたところにもシャワーのように降り注いでくる。

そのため、せっかく日に当たって乾きかけていたのに、ここで再び全身ずぶ濡れになってしまった。

変チの1ピッチ目のベルグラも落ち、スラブには水が流れ、夜中に降った雪がところどころに乗っかっている。

また、昨日は結構つながっていた大氷柱もほとんど落ちてしまっている。

もしも、今日だったら取り付けなかったかも知れない。

テールリッジでワカンを、出合の小屋でデポをそれぞれ回収、重荷を背負い、緊張感が途切れた途端、20歳近く年の離れた長門君について行けなくなる。

2年前に骨折した足首が痛み出し、トレースを踏み外しこけまくり、土合に着いたのは17時近くになっていた。

 

谷川岳 一ノ倉沢 4ルンゼ

2004年9月21日
大滝、森広、菅野(記)


一ノ倉は雪渓が完全に消えていた。

本谷をつめていくと4ルンゼに出るようだが、本谷核心部の大滝などを横目にテールリッジ~衝立岩~烏帽子沢奥壁~本谷バンドを超えていく。

初・谷川なので岩を見物がてらいく。

4ルンゼは岩の崩壊があり、様子がだいぶ変わったと言う。

F2は左壁から右に落ち口へA0で行く。

F3は上部にチョックストーンのあるチムニー滝で、水が流れていて冷たさを感じもがきながらチョックストーンを登る。

F4が核心であろうか。

右側から登ると少し傾斜があり唯一壁らしいが上部で冷たい落ち口をトラバースする。

後は快適なスラブを登り、最後は延々と草付き登攀。

丁度日が照り暑くなって来た頃、のどの渇きを感じながら、虫のごとくの速さで草付きを登る大滝さんに感心する。

右よりを登っていくと一ノ倉尾根の踏み後にでる。

全体的には岩というよりは沢登りに近い。

国境稜線を抜けて谷川岳~西黒尾根~厳剛新道を下降する。

帰りの国道では両側にたくさん生えているツキヨダケに森広さんが感動する。

駐車場に戻ると行きにはガスっていた谷川の岩壁がよく見えて感動する。

この岩壁を見て登攀意欲をそそり初登した昔のクライマーは偉大だ。

今回、4ルンゼを登り国境稜線に抜けて谷川一ノ倉全体の様子を眺め、谷川がアプローチ~岩場のスケールを含めて魅力的な山なのだと思った。

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢リッジ(2Pで敗退)

2003年3月23日
浅野、柴田(記)


駐車場を出たのは午前1時少し前だった。

前週ほど明るくはないが月も出ていてコンディションはよさそうだ。

空にはお星様がキラキラで気温も高く翌日の快晴間違い事が逆に不利だとは思うがまあ何とかなるだろうと出合いに向かい進む。

指導センターでJAC青年部の木下さんと会う。

4ルンゼを単独で登るとのこと。

抜きつ抜かれつで一ノ倉沢出合いまで1時間ほど。

前週同様美しく静かに佇む一ノ倉の壁やリッジに挨拶をして休む事無く登高を続ける。

一ノ倉尾根側の斜面や衝立スラブの雪がかなりここ1週間で落ちたみたいで本谷は前週殆ど無かったデブリで障害物競走状態。

二ノ沢出合いを過ぎてロープ2ピッチ分くらい滝沢寄りに登ったところで左にトラバースし滝沢リッジの取り付きに到着。

登攀用具を身につけて浅野さんリードでスラブとブッシュの雪壁にロープを伸ばす。

柴田はビレー中に急に腹模様が急低下、ビレー解除のコール後はちょっと待ってもらい急いで用足し。

急いでハーネスなどを付け直し、プラブーツのヒモを登攀体制に締め直していなかったことを気にしつつフォローしそのまま2P目をリードする。

雪の状態は思ったより悪く一方でやはり天候は快晴間違いなしの模様。

少しも寒くない。

オムスビ岩まで12ピッチとのことだがこの時点でワンデイでの滝沢リッジ狙いには決して条件がよくない事にいやがおうにも気づく。

自分は月曜日は休暇にしてあったので最悪ドームあたりでビバークとなってもどうってことはないが、浅野さんは明日は朝から那須工場に出張でラインの出荷判定会議との事だし、このまま突っ込むと腐った軟雪に二進も三進も行かなくなりハマる可能性が非常に高い。

2P目のビレーポイントにフォローしてきた浅野さんと状況分析して撤退で合意、登り始めたばかりなのに情けないがここで降りる事とした。

懸垂3Pで取り付きに戻り、キジ跡はピッケルで四散させ本谷をゆっくり下る頃には朝日は一ノ倉の岩壁を鮮やかに染めていた。

時刻は5時30分くらい、今から頑張れば1・2の中間稜や4ルンゼに行って行けないこともないと思ったが、一旦下がったモチベーションはやはりそのまま上昇することも無く出合いまで一直線。

二ノ沢にはトレースが残っており登っていったクライマーのモチベーションを羨ましく思う。

このあたりでヘルメットが落ちていたので指導センターに届けることにしてザックにくくりつける。

何度も後ろの一ノ倉沢を振り返りつつ出合いまで。

今日が今シーズン最後の谷川というのは初めから分かっていたので少々名残惜しいがまあ今シーズンは中央稜も3ルンゼも登れた事だし今回は滝沢リッジの下見と自分を納得させ、こうなったら早く帰って子供と遊びポイントを挽回しようと前向きに駐車場を目指す。

ピッケルもバイルもアイゼンもザックに付けてしまったので湯檜曽川に滑り落ちないように足元に気をつけつつ林道に付けられた高速道路を指導センターまで戻る。

帰路はユテルメに寄る事も無く交代で関越を飛ばし横浜を目指す。

お昼過ぎに帰宅して眠いのを我慢しつつ子供と公園で遊んだ。

 

谷川岳 一ノ倉沢 3ルンゼ

2003年3月16日
浅野、柴田(記)


前年の3月に3スラを登ったあと浅野さんが「次は3ルンゼに行きたいっすねー」

と呟いていたが自分としては危険なルートと言う認識が強かったので「そうねー、でもあそこはチャンスをつかむのが難しいと言うし、とりあえずその前に滝沢リッジが良いかなー」と呟き返していた。

1年が過ぎ前年に敗退した中央稜もほぼ完登、いよいよめくるめく谷川の3月がやってきた。

妻には以前から「3月は特別な月なのだ」と独り言のように言い聞かせており(ぜんぜん聞かれていないかもしれないが)、少なくとも2回、条件がよければ3回谷川に向かうつもりで計画を考えた。

まず手始めに一ノ倉尾根を登りその経験を生かして滝沢リッジを登る事とした。

浅野さんはやはり雪稜には興味はないということで滝沢リッジはYCCのKさんと登ることで連絡を取り合う。

3月第2週は悪天候で登れず。

谷川の風雪はこの時から結局1週間近く続き、第3週木曜日あたりでようやく収まった。

ところが今度はKさんが体調不良でとても山に行ける状態ではないとの事。

がっくりしながらそれでも「浅野さんはどうしているかなー」
とメールすると3ルンゼに行くつもりだが単独は奥さんがなかなか許してくれず困っているとの事だった。

後から考えると結構軽率なのだがとにかく3月の谷川に登りたいと言う願望が優先して
「私も同行したい」
と言うと
「了解」
との事で木曜日夜に3ルンゼの山行が決まった。

金曜日の夜仕事が終わってから車で谷川に向かい午前1-2時頃駐車場を出るいつものパターンを想定していたが浅野さんは別のタクティクスを考えていた。

それによれば雪崩の通路である3ルンゼを登るには夕方駐車場を出て夜登攀し朝になる前に国境稜線に抜けるというものだ。

と言うことで土曜日の午後3時に鶴ヶ峰に集合、多少時間はかかったが環八と関越経由で夜8時頃駐車場のいつもの場所に着く。

身繕いをして9時過ぎに駐車場を出発。

迷ったが結局カメラは置いていく事とした。

月が煌々と明るく雪面を照らし、ヘッデン無しでも問題なく歩ける。

時間が早いため残業帰りクライマー数名の帰還に遭遇するがこちらがヘッデンなしで歩いていることを不思議がっていた。

1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着く。

満月とはいかないが13夜くらいの月に照らされて一ノ倉の壁やルンゼは静かにたたずんでいた。

一ノ倉沢出合から奥壁を目指しトレースを進む。

デブリはほとんど出ておらず歩きやすい。

二ノ沢出合を過ぎ、トレースは滝沢のデルタに向かっているがデルタピーク手前で雪崩に埋もれて終わっている。

見上げると滝沢スラブは月光を反射して青白く光りその上のドームは黒い影を落としている。

この世のものとも思えない美しさだった。

デルタから右に大きくトラバースし暫く登ると大きなクレバスに出合う。

中央部からダブルアックスで頑張れば越せそうに見えたので途中までその気で取り付くが、ミスるとクレバスに吸い込まれるのは必定で冷静に考えれば何もこんなところで無理する必要はない。

思い直して右端まで回りこみ繋がっている部分から越える。

奥壁に近づいた為ずっと我々を照らしてくれていた月明かりとはお別れになったが、ヘッデンではっきりと2ルンゼ出合いを確認しそこからわずかの距離でに2ルンゼ出合いに着いた。

かすかにトレースらしきものがあるような気がしたが、雪に埋もれて確信持てず。

ここで改めて登攀準備をすると浅野さんはロープを引いてフリーで登り始め柴田がその後に続く。

すぐにF2の取り付きとなる。

4年前の秋に登った3ルンゼの記憶と地形は一致している。

ルンゼは丸2日は降雪がないはずなのにスノーシャワーがザーザーと数十秒続き、思わず浅野さんと顔を見合わせる。

降雪のあとこのルートを登るのは自殺行為だな、と思う。

柴田がセルフビレイを取るまえに浅野さんが取り付いてしまったので途中で待ってもらったがセルフ用のスクリューもピンも取れるところがない。

数メートル上でランニングを1つ浅野さんが取り、それが比較的効いているとの事を信じ、セフル無しでビレー体制をとる。

F2は左側の方が傾斜が寝ていて登りやすそうだったがそちらは雪の状態が悪いとの事で右端に近い傾斜が強い雪壁を登る。

フォローしてみると確かに傾斜は強いがラビーネンツークの為か雪はしっかり固まっていてバイルが良く効き割と登りやすい。

F2終了点から柴田がロープを引きF3をヘッデンで照らすが登れるように見えなかったので右側のルンゼ状のミックスの方向に向けトラバース、露岩にイボイボを打ち込み(半分も入らなかったが)アックスとともにセルフを取り、浅野さんを迎える。

ルンゼ状のミックスは浅野さんリード。

F2同様割とバイルは決まったが傾斜がきつくなりリード、フォローとも墜落は絶対出来ない。

途中1箇所だけ残置ボルトを確認、YCC松本氏が以前打ったボルトかな、と思いを馳せる。

F3を下にしたあとは雪の斜面を大きく左上する。

本流からは結構高くなっておりちょっと降りられない。

ロープ一杯となっても支点がないのでやむを得ずスタンディングアックスで浅野さんを迎え、その後はロープを伸ばしたままコンテで進む。

途中柴田のヘッデンの電池が切れたので交換する。

夏の終了点が終わると今度は雪壁をまっすぐ登るようになる。

一度立ったまま少憩しテルモスのお茶を飲む。

後ろを振り返ると地平線の縁がかすかにオレンジ色に彩られ、夜明けが近いことが分かる。

本谷にもヘッデンが数個動いている。

既にルンゼは抜けているので雪崩に持ってゆかれる可能性は少ないがところどころに小クレバスがあったりと気は抜けない。

凍った草付きとミックスが現れ再びスタカットに切り替える。

浅野さんにリードをお願いしたがアンカーは凍った草付きにバイルを2本差したものしか取れず、もしもリードが墜落したら二人とも本谷に落ちるのは明らかで非常に緊張した。

フォローしてみるとバイルは割としっかり決まったがアンカーとしていたのは直径3cmくらいの潅木で恐らくフォローが落ちても二人とも本谷直行だっただろう。

こういったピッチは本来はフリーソロで登るべきなのかもしれないが、ロープを着けた安心感は理屈ではないとも思う。

この草付を越え右を見ると一ノ倉岳からの国境稜線がピンクに色づいているのがとても美しく見えた。

前日のものと思われるトレースにも合流し、登攀終了が近いことが分かる。

雪壁をトラバースしブッシュを掴んで慎重に段差を越え、バイルを振るうとそこが国境稜線だった。

「抜けたよー」

と浅野さんに声をかけ、柴田の落としたスクリューを回収しフォローする浅野さんを迎える。

二人でがっちりと握手。

最高の瞬間だ。

それにしても本当に無事でよかった。

二人を守ってくれた全てのものにただただ感謝だった。

一ノ倉岳から二人のクライマーが下ってきて立ち話をすると3ルンゼをかつて登り我々も記録を参考にさせていただいたYCCの松本さんのパーティだった。

記録が参考になりましたとお礼を言って別れる。

ギアをまとめてザックに詰め込み谷川岳を目指すが、緊張感が抜けたためか左手と右足が疲れきっておりヨタヨタと歩く。

トマの耳を経由して西黒尾根を少し下ったところで駐車場を出て以降初めて腰をおろして休みレーションを食べる。

東尾根を登っている数パーティがあり、マチガ沢にはシュプールが残されている。

谷川はいいなあ、としみじみと思う。

下るにつれて腐り始めた雪に足を取られながら西黒尾根をゆっくり下り指導センターに10時に到着。

タイム
駐車場 21:07 → 一ノ倉沢出合い22:00 → 3ルンゼ登攀開始 0:15 → 夏の終了点 3:30 → 国境稜線 6:00頃 → トマの耳 7:15 →指導センター 10:00

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

 

2003年2月23日
浅野、柴田(記)


昨年4ピッチ目で敗退した中央稜のリターンマッチ。

いつもの通り上里で運転を交代し、天神平スキー場の立体駐車場まで。

身支度を整え3時頃出発。

やけに暖かく雪も昨年に比べると少な目。

1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着きそのまま本谷から衝立スラブを途中まで登りテールリッジに移り中央稜取り付きの安定したビレーポイントまで。

天候は小雪だが風はたいしたことなくまずまずの日和。

午前6時頃準備を整え昨年同様浅野さんリードで登攀開始。

1P(浅野)取り付きの雪の段差を越すのに少々苦労する。

その上は傾斜も寝た感じで昨年より登り易い。

ビレーポイント手前の左にトラバースするところも無難にクリア。

2P(柴田)カンテを左に回りこんで緩いルンゼを登るがビレーポイント手前の一手は結構緊張。

トレーニングを積んでいないと何でもないところが恐く感じる。

3P(浅野)カンテを右に戻り第2フェースを登る。

昨年はアブミまで出したがことしはA0で何とか登れた。

4P(柴田)第2フェース上部。

毛の手袋を脱ぎ素手にミトンで登ったこともあり割と快調にすぐ上のビレーポイントまで。

その上部を登りかけた所で昨年苦労した記憶が蘇り、浅野さんにリードとしてもらうべくピッチを切る。

後続パーティが近くまで迫ってきた。

5P(浅野)フェース上部をA1で進み、途中から右のルンゼに入りダブルアックスで登り、最後は凍ったチムニーを突っ張りで持たせてダブルアックスで抜ける。

リードする浅野さんからは何度か「頼むねー」のコールが入る。

フォローでも緊張消耗するピッチだった。

リードした浅野さんを尊敬する。

ここで既に12時を回っていた。

隣の烏帽子奥壁には南稜フランケあたりに女性のコールがこだましている。

6P(浅野)最初は柴田がリードしたが、5mくらい登ったところにあるピトンで暫く休んでいるうちにピトンが抜けて墜落して浅野さんに体当たり。

幸いルンゼ状だったのですぐに停止し宙吊りになることもなかったが垂壁だったら危なかった。

これでモチベーションが急低下した柴田は選手交代でフォローに回る。

7P(浅野)ルンゼ状を詰めてピナクル状のアンカーポイントに這い上がりその上のすっきりとしたフェースを登る。

ピナクル状を登り切った所で午後2時15分だったので浅野さんにここまでとしないか話し、下ることにする。

懸垂50mダブルで3ピッチ。

安全環付ビナにロープを通すのが大儀なほど手指が疲れていた。

隣の烏帽子奥壁の大氷柱は中間部がバラバラになっている。

やはり昨年よりもだいぶ氷雪は少ない様だ。

ロープを仕舞い気がつけば腹ペコ。

中央稜取り付きでレーションを一気に食し、テールリッジを慎重に下り、何度も振り返りながら出合いに戻る。

何はともあれ無事に帰れてよかった。

まあピナクル状まで抜ければほぼ完登と思いたいが、トレーニング不足により随分浅野さんに迷惑をかけ申し訳なかった。

タイム
駐車場(3:00) → 一ノ倉沢出会い(4:07) → 中央稜取り付き(6:00) → ピナクル状テラス(2:15)→ 一ノ倉沢出合(16:35) → 駐車場(19:00)

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第3スラブ

2002年3月14日
浅野、柴田(記)


今年は滝沢第3スラブが登りたいな、と言うことで浅野さんと意見が一致し3月第2週の週末を予定し、ルートの情報を入手したり(特に3年前に登っている向畑さんのアドバイスは実践的かつ貴重でした)谷川の天気を1週間前くらいから追いかけたりしていた。

期待と不安のうちに迎えた週末ではあったが、急な事情でその週は行けなくなり予定した日曜日は爽やかな青空の下、子供と遊んで過ごした。話を聞くと浅野さんも子守りをしていたようだった。

我々が空振りしたその週に谷川に入ったパーティの報告だと今年は春の訪れが例年より早そうだ。モタモタしていると条例に基づく入山禁止になってしまう可能性もありそれでは悲しすぎる。二人で相談の結果条件の良い平日に仕事を休んで行ってみる事になった。

3月13日(水曜日)

夜東京発。

関越を交代で運転しながら午前1時30分過ぎに駐車場に着。

準備を整え指導センターに計画書を提出の後一ノ倉沢出合に向かう。

駐車場で一緒になったノコ沢に向かうというパーティの話では3スラに単独の人が入っているとの事。

我々を含めて3パーティ、平日でも結構いるもんだと思いながら一ノ倉沢出合から本谷方面を見上げるとはたしてヘッドランプが一つ光っている。

本谷は一ノ倉尾根からのデブリが沢筋を埋めており半月前とはすっかり変わった姿になっている。

東尾根に向かうトレースと一ノ沢で別れ、滝沢下部氷瀑下で先行のソロの人が登っているのに追いつく。

我々もここで登攀準備をしアンザイレン、ヘッデンをつけて柴田リードで発進。

半月前に観察した通り右側は氷瀑が大きく発達し被っているので左側を登る事にする。

雪と氷を混ぜて固めたような壁だがアックスの食い込みは良く登りやすい。

所々で岩が出ておりうっかりアイゼンを蹴り込むと線香花火のような火花が飛ぶ。

右下から左上しその後直上するようなラインを取る。

ほぼ50mいっぱい伸ばして浅野さんにコールをかける頃にはだいぶ明るくなってきた。

次のピッチは浅野さんがリードするが50mでランナー1つ、アンカーポイントも不安定なスタンディングアックスなので「落ちないで登って来てね」とのコールに「了解」の返事をする。

まあ傾斜も緩く、気をつければどうと言う事はない。

見上げるとドームが意外な近さで見える。

以後F4まではロープを引きずりながらの同時登攀。

F4はハングを右に回りこんで2ピッチで抜ける。

F4でビレー中に小規模なチリ雪崩が数度起き、第2スラブとの境界のリッジにスノーシャワーが舞い降りるがしばらくするとおさまった。

前日午後からは好天が続いていると言う事でB~Dルンゼ方面も小規模なのが一発出た以外は静かだ。

F4から上はまたロープを引きずっての同時登攀で進む。

氷を交えた緩い雪壁が続き、容易だが絶対落ちられない。

やがて上部草付帯が近づくが確かにスラブ内よりはこちらの方が傾斜も立っていて危険そうだ。

雪を払い除けて現れた氷にスクリュー3本でアンカーをセットしてセルフを取り浅野さんを迎え、草付帯1P目を浅野さんリード。

正面の大きな露岩を右から回り込んで抜けるが雪は顆粒上で踏み固めてもスタンスが崩れる事が多くなり、結構悪い。

柴田が残りロープの目測を誤りアンカーポイントの選定がやり直しになり迷惑をかける。

2P目は柴田が登るが緩い雪壁でどうと言う事は無い。

それにしてもあれだけ近くに見えたドームがなかなか近づかない。

「無理するな、近くに見えてもドームは遠い、か」と一人ごちるが面白くも何ともない。

ビレーポイントが取れないのでやむなく中指くらいの太さの潅木3本とアックスでセルフを取るがリードの墜落には到底耐えられない事は最初からミエミエ。

3P目浅野さんリード。

傾斜も所々垂直になり多少太めの潅木でランナーは取れるもののアックスも効かずスタンスも崩れるところがありフォローでも緊張した。

ようやくドームが目の前に姿を現す。

4P目はドーム正面までの雪のリッジで傾斜はあるがスタンスがわりと決まるようになり緊張感は少ない。

見下ろすと滝沢リッジが美しいラインでドームまで延びている。

ようやくドームに辿り着きシュルンドの内側で岩壁を背に浅野さんを迎える。

我々はドーム正面の横須賀ルート付近に出たが上部草付帯はあとから人の記録を読むとみんな色々なところを登っていて、また年によって条件も変わるようだ。

ドーム基部で小休止の後Aルンゼへの下降点まで短いトラバース。

確かに余り気持ち良くないがドームに打たれたボルトが使えたので上部草付帯に比べれば精神的には楽。

秋野・中田のレリーフに心の中で合掌し、懸垂下降点からAルンゼを見下ろすと着地点まで結構遠い。

50m一本で足りるか心配になるがまあ最悪はロープをシングルでフィックスすれば帰れるしそもそもダブルでないと届かないと言う記録など読んだ事ないぞ、と浅野さんと話す。

先に降りた浅野さんの「末端が雪面に届いている」の声にほっとするが着地した浅野さんの足下で大きなシュルンドが突然開き浅野さんが落ちかけるのを見て驚く。

表面に積もった雪がシュルンドを隠していたようだ。

幸い懸垂ロープを離す手前だったので大事には至らず。

Aルンゼは北向きである事と新雪が降っていないことで安定していた。

先行した単独の人のトレースが点々と残っている。

向畑さんのアドバイス通り途中から左に折れドームのコルを経由し気持ちの良い雪のリッジを登り国境稜線に抜けた。

浅野さんと握手し、ギアもハーネスもザックに仕舞いこんでオキの耳経由で西黒尾根を下る。

急に重くなったザックと安全地帯に抜けた安心感でヨレるが途中休んでパンを食べ水を飲んだら急に元気が出てきた。実は単なるシャリバテだったのでした。

樹林帯に入り在京の櫻井さん宅の留守電に状況を入れる。

ついでにアイゼンも外すが2年前の片山さんの骨折事故はそういえばこの辺りだったなあと、ふと思い出す。

シリセードで先行する浅野さんに追いつき、腐りかけた雪の上にステップが縦横に踏まれて無茶苦茶になったトレースを一気に下る。ヘッデンになるかと思われたが何とか明るいうちに指導センター着。

【タイム】
指導センター(2:15) → 一ノ倉沢出合(3:05)→ 下部氷瀑取付(4:40) → 上部草付帯(9:30) → ドーム基部(13:15) → オキの耳 (15:15) → 指導センター (17:45)

【主な携行ギア】

・ スクリュー8本(maxでも6本までしか使わず)

・ スノーバー1本(使わず)

・ 50mロープ1本(1本で十分と感じた)

・ エイリアン2本(使わず)

・ シュリンゲ適数(実際に使用したのは上部草付帯で数本程度)

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子奥壁凹状岩壁、幽ノ沢 中央壁正面フェース

2001年10月20日から2日間
今野、藤本(トマの風)、柴田(記)


10月20日

柴田、今野(トマの風)

以前の会の仲間からの誘いでひさびさに谷川を目指す。

ここのところ中央道方面が多かったので車窓を流れる関越の夜景は心なしか新鮮に映る。

ロープウェイ前のパーキングステーションに車を止めて軽く飲みさっさと寝る。

4時起きで暗い中を一ノ倉沢出合いまで車で、そこからヘッデンをつけて進む。

あたりは紅葉目当てのカメラマンで大混雑。

一の沢を過ぎたあたりで一度進路を間違えて戻りテールリッジにつく頃にはヘッデン不要になっていた。

メチャ混みかと思ったが案外登ってくるパーティは少ない。

前に1パーティ後ろに2パーティくらい。

中央稜を登る子安・宮下Pと「じゃ衝立の頭で」と再会を約し凹状を目指す。

今野さんとロープを結ぶのは久しぶりだ。

取付きで「先登って良いかな」

自らリードを申し出られやる気マンマンの模様。

先行の姿はなく、中央カンテにも人はいないようでこれなら凹状も大丈夫とクライミング開始。

1P目(今野)台状のバンドを左から越えて易しいフェースに。

2P目(柴田)階段状の容易なフェース。

ピンは貧弱。

3P目(今野)凹状部の手前までの緩いフェース。

中央カンテからの落石を心配しなくても良いので精神的に楽だ。

4P目(柴田) 垂直というほどではないがわりと立った凹状部。

良く見ればホールド・スタンスとも沢山有るが所々浮いているので確かめながら登る。

残置ピンは割と少ない。

最初は右端のラインを、途中から中央部を登った。

5P目(今野)小ハングを越えて右のカンテの向こうへ。

安定したテラスが有りここで小休止しレーションを口に入れる。

直射日光を浴びていると暑いくらいだ。

6P目(柴田)左のふくらんだフェースを越えてその上のクラックにフットジャムを決めたら足が抜けなくなり往生した。

7P目(今野) 草付まじりのフェースを直上。

リードは潅木で2度ランニングを取っていた。

8P目(柴田)フレーク状を直上し垂直のクラックに腕を入れて登る。

スタンスは左のフェースにたくさん有る。

青空を見上げながら終了点まで登る。

終了点につくと9時30分。

先行がいないと時間待ちのストレスがない上、落石の心配がなくて気持ち良い。

無線で中央稜の子安Pに連絡を取るとまだ2-3ピッチ残っている模様。

衝立の頭まで移動し1時間ほど待つとようやく上がってきた。

ここから4人で北稜を懸垂し衝立前沢を経て一ノ倉沢出合いに3時頃につく。

風呂を浴び道の駅横のスーパーで喰い切れないほど買い込む。

昔話と浮世話に宴会の夜は更けて行った。

【タイム】
一ノ倉沢出合/5:00 → 凹状取付/7:00 → 凹状終了点/9:30 → 衝立の頭 /12:00
→ 一ノ倉沢出合/15:00

 

幽ノ沢 中央壁 正面フェース
柴田、今野・藤本(トマの風)

10月21日

時間がかかることもあるからと3時30分に起きたが結局一ノ倉沢を出発する頃は5時になっていた。

朝もやの中正面フェース3人、V字右4人の計7名でカールボーデンを目指す。

大滝を経てカールボーデン手前で登攀具を身につけV字右の4人に別れを告げてトウフ岩右の草付を目指す。

3人パーティなのでリード区間を3つに分けることとし1-4Pを柴田が5-7Pを藤本さんが、8-10Pを今野さんが担当することとし発進。

1P トポ通りトウフ岩右の草付を直上しその後左にトラバースしたがランナーは殆どなくビレー点もボルト1本だけでひょっとしたら間違ったラインだったかもしれない。

フォローは数メートルの間隔を置いて同時に登ってくるが貧相なビレーポイントに顔をしかめていた。

2P ビレー点からフェースを左にトラバースして緩いバンド上に出てルートを見ると左下のランぺ状がどう見ても正規ルートに見える。

少々クライムダウンしてランぺ上に合流すると急に残置ピンが目に付くようになった。

やっぱりこっちが正規だった。

3P 傾斜を増すフェース状をハング下のビレーポイントまで。

天候は高曇りだが、もうしばらくは持つだろうという感じ。

3日間ほど天気は良かったはずなのにやはり核心のハング部からはしずくが垂れている。

アンカー用のピンはグラグラしているのでクロモリを一つ打ち足す。

(あとから回収)

4P ハングのくびれまで慎重にフリーで登る。

残置ピンは4つ連打されていて3つめはしっかり効いている。

一番上のが飛んでもこれで止まるだろうと安心するが濡れていてスタンスが決まらずフリーを諦めA0に。

抜けた後の左のホールドがよく分からず2度戻り、3度目にようやく抜け左手の岩にエイリアン黄色を決める。

右の草付きバケツラインを登り笹薮を経て平らなテラスでビレー。

ここは慎重を期してフォローも一人ずつ登った。

5P リードを藤本さんにチェンジ。

テラスからフェースをやや左上して右に戻る。

笹薮を横断してスラブ状でピッチきる。

やはり笹薮よりは岩が気持ちいい。

V字を登っている飯田さんたちははや終了点間近で「そっちは笹薮だらけですねー」

とコールを送ってくる。

登っているとそうでもないんだけどな。

6P 小カンテを右に越え容易なフェースを直上。

やさしいが結局最後までランニングビレーなし。

フォローしてみるとリードは笹薮を束ねたアンカーポイントを2つ用意して後続を引き上げていた。

「静荷重には耐えるよ」

と言ったって。。。

7P 頭上の笹薮を直上してから左のフェース状に移りレッジまで。

残置は依然として少ないのでやさしくても慎重に。

笹薮アンカーなのでリードがランニングを取るまで気が気ではなかった。

8P 今野さんにリードを交代。

フェース状から湿った凹角を越え安定したバンド状テラスまで。

急に残置ピンが増えた気がした。

9P 1mほどクライムダウンして狭いフェース状の左側を登る。

頭上には中央壁の頭が大きく見え終了が近いことを知らせる。

10P ラストピッチ。

草付き混じりのフェースを直上しハングを左に避けて笹薮の中の終了点まで。

沢登りの会にいるくせに沢嫌いの今野さんがしぶしぶ草付きをリードしている珍しい光景をカメラに収める。

終了点でロープをたたみ藪の中の踏み跡をたよりに中央壁の頭まで。

踏み跡の広いところでしばしくつろぎ行動食を口に入れる。

堅炭尾根を芝倉沢まで下り黄葉に彩られた旧道経由で一ノ倉沢出合に戻る。

【タイム】
一ノ倉沢出合/5:00 → カールボーデン/6:35 → 正面フェース取付き/7:00 → 中央壁の頭/13:20→
旧道出会い/15:30 → 一ノ倉沢出合/16:20

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩ダイレクトカンテ、烏帽子奥壁変形チムニー

2001年6月9日から2日間
赤井、柴田(記)


昨年9月の午前様の下山遅延以来の谷川だ。

メンバーはその時と同じ赤井さんとの二人きり。

きっとまた何か不幸なことが起きるのではとの悪い予感が。。。

6月9日

曇り時々晴れのちガス

湯檜曽駅で一晩明かし途中指導センターに登山届けを提出し6時過ぎに出合を出発。

トイレは建て替えられチップトイレになっているが男性用個室は1つしかなく以前に比べて落ち着かない気がした。

アプローチはよっぽど運動靴にしようかと思ったが迷った末に軽登山靴にした。

(正解だった事が後からわかる。)

快適にテールリッジ取付きまで雪渓を歩き、汗をかきかき約1時間で中央稜の取付き着。

ここで身支度をして衝立スラブをトラバースし、アンザイレンテラスに向かう。

二人ともアンザイレンテラスに行ったことが無いのでトポを見ながら見当をつけて草付まじりを登りアンザイレンテラス着、右斜め下に懸垂でダイレクトカンテ取付きらしき所につく。

頭上には見間違い様ない顕著な大カンテが延びておりルートが正しいことを確信。

1P(柴田)

取付きから直上するボルトラインも見えるが右斜めに登りブッシュでランナーを取り、フェースを直上したあと左に大きくトラバース。

ロープの流れがやや悪い。

2P(赤井)

小ハングの下までフリーでそこから人工が始まる。

大ジェードルの下を平行して左上にラインがのびており、古い残置ボルトのリングものびている。

さわると一部砂鉄化してこぼれる腐食ハーケンもいくつか。

途中遠いからとリードした赤井さんが打ったピンは素手で簡単に回収。

数手のフリー有り。

股間には衝立スラブが広がる。

久しぶりの人工に興奮しながら2P目終了点に到着。

3P(柴田)

レッジから延びるクラックに沿ってアブミの掛け替え。

フィフィを使うと随時休めるので楽チン。

時折現れるペツルには必ずランナーを取り「こんなとこフリーで登るなんてすげーなー」と感動しつつ進む。

右側のカンテに回り込む手前はややピンが遠くターザンのようになりながらアブミを掛け3P目終了点に到着。

残置5つくらいから支点を取りハンギングビレーで赤井さんに「登っていいよ」のコール。

赤井さんが登っている間にすっかり尻と腰が痛くなってしまった。

4P目(柴田)

順番では赤井さんリードだがモチも今一の様子でまた自分としても早くハンギング状態から解放されたいので代わってリードさせてもらう。

ビレーポイント右のカンテを越え傾斜の落ちたフェースを途中まで人工まじりで登り途中でアブミを手仕舞いフリーで終了点まで。

中吊りが恐いのでこまめにランナーを取る事を心がけた。

終了点でシューズを脱ぎ裸足でビレーしていたらこの近辺に住むブヨから大歓迎を受け、水虫のCMに出てくるオジサン状態でビレーを続ける。

終了点から少し上がると北稜の踏み跡に合流、懸垂4回でコップスラブ上のルンゼに降りる。

衝立前沢の雪渓の状態が悪く、ランナー無しのスタカットで各自必死のトラバース。

運動靴にしなくて良かったと思った。

その後も途中まで薮を進んだりと遅くなり出合に戻ったら真っ暗になっていた。

出合(6:15) → ダイレクトカンテ取付(8:15) → 終了(15:30) → 出合(20:30)

6月10日

曇り後雷雨

前日に引き続き湯檜曽駅で夜を明かす。

きっと雨で休めるだろうと踏んでいたが朝起きると雨は降っていない。

仕方ないと前日と同様のパターンで一ノ倉沢出合まで。

所沢ナンバーのシビック(向畑車)がチョコンと停っている。

彼らは何処に行ったかなー、と赤井さんと話しながらテールリッジを登る。

雪渓を歩いていた時は涼しかったがテールリッジに上がると突然暑くなる。

ブッシュの葉の朝露で顔を洗ったり喉を潤したりしながら歩く。

沢屋出身の自分は渇きに非常に弱いことを実感。

変チ取付が濡れていて水が流れているといいなーなどと妙な願望を抱いたりしてる。

変チには先行2パーティが取付いておりのんびりと身支度をしながら待つが残念ながら水は流れていない。

昨年中央カンテを登っているし天気も早めに崩れそうなので今日は中央カンテと合流する手前の変チを抜ける所まで、と決めて赤井さんリードで登攀開始。

1P(赤井)

大まかなフェースを直上。

前が混んでいることもありわりと短めにピッチを切る。

2P(柴田)

濡れたフェースを左上する。

残置が思ったより少なく途中ランナウト。

途中濡れたフェースを水が流れている所で喉を潤し横断バンド右寄りのレッジまで。

3P(赤井)

レッジ右側の濡れたクラックを滑らないよう注意しながら登る。

(先行のおばさんは滑っていた。)

あとは階段状の容易な岩場を越えて変形チムニーの下まで。

トポの3Pと4Pをまとめて登った事になる。

4P(柴田)

変チは赤井さんリードと思っていたが自分の順番になってしまったので赤井さんに「いいの?」

と聞くが「気にしないからどーぞ」との事。

先行のセカンドのおばさんが登り始めるのをのんびりと二人で見物する。

おばさんは出だしでいきなりフォール、バラバラと落石が起き3人で下に向かい「ラックー!!」

その後もなかなか進まずチムニー出口で左に抜ける所で何度もフォールし苦労している。

ビレイヤーから蜘蛛の糸のようにお助けシュリンゲが降りて来るが、それを掴むが力が残っていないのかそれでも登れない。

何度も我々に「ごめんねー」と声を掛けてくれるがどうせ我々はここを抜けるまでなのだからと「いえいえ、のんびりやって下さい」と応じる。

それでも幾度となくフォールを繰り返すおばさんを見ているうちに「そんなに難しいんだっけ」

と不安になってきた柴田は『IV、A1 or V+』とトポにあるのを見て「フリーで登りたいし」

と言い訳しつつザックを置いて登る事にした。

ようやくおばさんが登り終え我々の番になった。

チムニー手前の浮いている大岩に注意しつつ濡れたチムニーに入る。

要所に残置が有り途中からバックアンドフットでおばさんが苦労していた出口手前まで。

手の平サイズのクラックに左手を決め、濡れた岩角に右足を決め暗いチムニーから明るい外へ出る。

チムニーの亀裂を慎重にまたいで右側に戻りビレーポイントへ。

赤井さんも問題なく登ってくるが最後の所で腰のバイルハンマーが岩に引っかかっていた。

さて、予想通り天候も悪化の前兆が見えてきたのでスタコラと登った所を懸垂で下る。

登っている最中もそうだったが中央カンテ、凹状方面では頻繁に落石が起き「ラクーッ!」の絶叫がこだましている。

こんなところに長居は無用と中央稜取付きまではクライミングシューズを履いたままスピーディに戻る。

中央稜取付きでポツポツ降り始めテールリッジから雪渓に移る所でとうとう豪雨・あられ・雷の大合唱になる。

赤井さんは有名な変色した元ゴアのカッパを取り出して着ているが自分はもういいや、と濡れるに任せる。

振り返ると烏帽子スラブが一条の滝になっている。

出合に戻り着のみ着のままで一ノ倉沢を後にした。

向畑車がまだそのままだったことが気になったがまあ途中から倉田さんの携帯に電話すればいいや、と思っていた。

結局帰途では倉田さんの携帯は留守電のままでしたが、あの時間どこでどうしていましたか?

出合(6:15) → 変チ取付(7:45) → 変形チムニー上(11:00) → 出合(13:40)